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第1章 今日、あなたにさようならを言う

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 叔父家族に使用人扱いされている『ノックスヒルの聖女』のお仕事と言えば、病院や孤児院への定期的な慰問。
 後は読書をしたり、お菓子を焼いたり……
 そんな毎日から助け出してくれる王子様にお嫁入りするまで、のんびりしていられたのに。

 1年前に意地悪な叔母が追い出すために用意した条件の良い縁談を蹴って、急に王都へ出て働くと宣言した。
 そして自分を妬んでいる従妹の祖父が借りた大学生が住むにしては贅沢過ぎる部屋に転がり込んできた。




 仕事先を祖父が経営する洋菓子店や百貨店での見た目が綺麗な仕事を選ばず。
 田舎の伯爵とは言え、貴族階級のご令嬢が早番なら早朝4時半出勤!のパン屋で働いていたのは、分り易い健気さアピールでシドニーを狙っていたからだろう。


 綺麗な菫色の瞳に儚げな雰囲気を纏うモニカは領内で、老若男女問わず、人気があった。
 虐げられている、という噂の彼女を助けようと言う男性はたくさん居たと思う。
 それなのに、わざわざこっちに来て、シドニーと付き合うようになったのは、多分わたしへの当て付け。

 2年前、ノックスヒルで2週間を過ごしたシドニーに対するわたしの様子を見て、必ず彼を手に入れる、と決意したんだ。



 戻るとしたら、3年前じゃない。
 伯父の事故前、8年前に戻りたい。

 脱線事故自体を無かったことには出来ないけれど、あの列車に乗せないようにすることは出来ると思う。
 父に伝えて、伯父に注意して貰えば。

 あの事故死を防げたら、モニカは家族円満に過ごせていただろうし、わたし達はクレイトンと王都で離れて暮らす、普段は交流のない従姉妹同士で。
 今ほど密接に関わらずにいられたはず……

 
 ◇◇◇


 わたしの両親は元々は伯爵位を継ぐことには消極的だった。
 それは王都で、マイペースに人生を楽しみながら暮らせていたからだ。
 

 父はわたしと同様に高等学院と大学進学で王都へ出て、大学で3歳年上の母と出会って熱烈な恋に落ち、母がわたしを身籠ったので学生結婚した。
 キャンベルの祖父は貴族至上主義の権化のような人物で、母の実家は総資産が伯爵家を遥かに上回っていた富裕層だったのに、貴族階級ではないことで徹底的に下に見た。
 恥ずかしげもなく結婚前に身籠り(身籠らせたのは父なのに)。
 貴族の子息を手練手管で堕落させ、結婚にまでこぎ着けた年上の女。
 卑しい平民女のペイジ・ムーアを、次男の嫁と認めることが出来なかった。


 それで、そんな女に騙された父に勘当を申し渡したのだが、それは何故か口だけで、父は貴族籍のままだった。
 わたしと弟の出生届を出す際に、キャンベルの姓で届けを提出しても特に問題なく受理されていた現実を、父は疑問にも思わなかったようだ。
 わたしの父はそういう人だ。

 もちろん、母とムーアの祖父はわかっていたが、関わりを持たないのなら、キャンベルの親子関係に口出しをすることはないと放置していた、と後から聞いた。


 父はムーアのフルーツ専門洋菓子店『シーズンズ』都内5店舗の統括責任者として働き、4人で気楽に暮らしていた家族の運命が変わったのは、わたしが11歳の冬だった。

 勘当されて実家との縁は切れていると思っていた父に、伯爵家の顧問弁護士が訪ねてきたのだ。
 隣国の鉄道脱線事故で兄夫婦が亡くなった、という。
 一緒にいた姪は奇跡的に軽傷だったが、当時は女児は爵位継承が出来なかったので、弟の父に爵位が回ってきたのだ。


 生まれた時から身体が弱かったモニカにより良い治療を、と前伯爵は国内に止まらず、国外にもその手を伸ばした。
 その医療費が、元々豊かではなかった伯爵家の経済状況を圧迫していた。
 隣国で前伯爵ご夫妻が事故に遭ったのも、高名な医師にモニカを診察して貰っての、帰国途上中のことだった。
 一人娘の治療費で家の財産は減ったのだとは言えなくて、両親はモニカに経済状況を伝えなかった。

 母を溺愛していたムーアの祖父が見かねて、クレイトン産の果物を経営していた『シーズンズ』各店や、ホテル、百貨店との取引を始めてくれて、領地経営は徐々に上向きになってきた矢先の、今回のモニカの乱だ。
 彼女にキレた母と祖父がこれからの取引停止を求めたのは当然のことだ。


 モニカは領地経営のこと等、何もわかっていない。
 シドニーを始め、エドワーズ侯爵閣下はこんなクレイトンの内情を知っていたのだろうか。



 父本人はそういう人なので、全く気にしていなかったと思うのだけれど。
 妻の実家が援助していることで、領民から父が侮られるのを心配した母から頼まれて、祖父はムーアと分からぬ様に間を入れて契約をしていた、と聞くし。

 もし、そのことを調べ上げられていないのだとしたら、侯爵家の調査能力はポンコツ過ぎて、笑うしかない。


 まさしく、貧乏くじを引いた、だ。
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