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第1章 今日、あなたにさようならを言う

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 パピーをノックスヒルで育てるのは、無理かな。

 わたしはもう、多分誰のことも好きになれないだろうから、パピーをわたしの養子にしても……

 そこまでで、わたしの夢想は覚めた。



「これ、これ、血は抜くの、直ぐに出来ないよ」


 クリーニング店のオーナーの娘であるリーファが、コートの染みを指差していた。
 ここは学生街のクリーニング店で。
 とにかく『安い! 早い! 綺麗!』を売りにしている。
 土曜の午前中に出せば、月曜の朝一番に受け取れると思っていた。 


 高級な生地を使用したコートは他とは別にして、より丁寧に扱わなくてはならないし、血を抜くのは手間がかかる、と言われて、料金も5ルア均一なのに、22ルアを支払った。


「困ったなぁ、これは借りたの。
 月曜日には返します、って言っちゃったの。
 明後日の朝までに、どうにかならない?」

「無理なもんは無理、おとといきやがれ、だ」

 リーファは東の大陸からの移民で、この国の言葉の使い方をよく間違える。
 この店の客層は大学関係者が大半で悪くないのだが、彼女の片言を面白がって、わざと不適切な言葉を教える質が良くない人もたまに居たりする。

 わたしはそういうのが好きではないので、二度とお客に対して使って欲しくないから『おとといきやがれ』の正しい意味を教えると、リーファの可愛い顔が歪んで、ごめんなさい、と言われた。
 怒っているわけではないの、と慌てたらリーファは無理矢理笑顔になって。
『ジェンさん、間違い注意しろ言う、好きです』と言ってくれた。

 可愛い女の子に好きだと言ってもらえるのは、ものすごく嬉しいのだけれど、だからと言って特別扱いしてくれるでもなく。
 フィリップスさんのコートは『水曜日に取りに来るべし』と言われてしまった。


 ……困った。
 月曜日に借りたお金とコートを返します、と言ったわたしだった。
 得体の知れない優しさに甘えてはいけない、と必要以上に無愛想にそう言った。

 わたしはフィリップスさんから渡された名刺をバッグから取り出した。
 裏には彼が走り書きした、大学近くのカフェの店舗名が綴られていた。

『来週なら午前中は、ここに居ますから』

 彼はこのカフェの常連さんで、平日の午前中はここで過ごしているのだろうか。

 嘘なのかもしれないが、現在は無職だと言っていた。
 もし、それが本当なら、随分余裕のあるひとだ。


 何の連絡もせずに、コートのクリーニングが仕上がった水曜日に返却したらいいの?
 しかし、お金が絡んでいるのだから、約束した日に顔を出さないのは、人間的にどうだろうか? 

 やはり宣言通りに月曜日に先にお金だけを返しに行き、2日後の水曜にコートを返しに行く?
 けれどそんなことをしたら、1週間に2回もわたしに貴重な時間を取られた、と。
 あのひとは、そう思わないかな……


 それに、わたしの知らないところで、キャリッジの料金の支払いと、部屋の前までの見送りを運転手に頼んでくれた。
 それも出していただく理由がないお金だから、返したい。
 ……頑なに運賃を返すよりも何か御礼の品を用意した方がいいのでは?
 

 だけど、今は無職だと言っていたけれど、お金をかけた名刺を持っていて、着ている服もそれなりだったようなのに、あのコートが汚れるのを、あのひとは少しも気にしていなかった。 

 そんな経済的に恵まれていそうなひとに、何をプレゼントしたら?



 わたしは延々とオーウェン・フィリップスのことを考えて。

 ……どうしたらいいのか、困ってしまったのだった。



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