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第三章
26 大雅side
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なんだよ、それ。
どういうことだよ。
人の顔が認識できない……?意味わかんねぇよ。
「相貌失認にも個人差や程度があるみたいで、芽衣の場合は相手の表情がわからない。顔を見て目とか鼻とか口とか、それぞれのパーツは認識できる。だけどそれが表情とか顔として認識できないから、目の前の人が誰なのかが識別できない。人の表情がわからないから、相手が怒ってるのか笑ってるのか泣いてるのかも汲み取ることができない。誰かが歩いてる、走ってる、目の前に立ってる。そういうことはわかるけど、そこにいるのが家族なのか友達なのか赤の他人なのかはわからない。脳障害だから、多分もう一生治らないって言われてる。表向きは怪我もなくて元気そうに見えても、芽衣は、芽衣は……今はもう、自分から誰かに話しかけることすら難しいの」
紫苑が言っている意味が、全然理解できなかった。
息を吸うことすら忘れてしまい、声を発しようにも上手くいかずに言葉を失う。
「芽衣は事故の後、目が覚めた時から誰の顔も認識できなくなった。だから自然と知っている人は声を聞いたり身長や体型、服装や髪型とかで認識するようになった。わたしがお見舞いに行った時、鏡を見て泣きながら教えてくれたの。"紫苑の声がするのに、目の前にいるのは紫苑だってわかるのに、紫苑の顔が全然わからない。お母さんの顔も、お父さんの顔もわからない。自分の顔もわからない。だれもわからない。どうしよう"って」
「……俺もお見舞いに行った時に芽衣から聞いたんだ。芽衣は俺の顔を見て泣きそうになってた。"ごめんね、透くんの顔もわからないんだ"って」
「正気を失ってもおかしくなかった。それくらい突然で、あまりにも残酷だった。だけど、次の日芽衣に会いに病室に行ったら、もう泣いてなかった。その後遺症と一緒に生きていくって、覚悟決めてた。わたしを見て、私の声を聞いて、"紫苑、来てくれたんだ"って笑ったの」
「……」
語られる言葉たちが、俺の耳から脳に入っては処理しきれずに通り過ぎていくような気がした。
「中学の同級生は、芽衣と仲が良かったりクラスが同じだった子は大体皆知ってる。今の高校でも、同じクラスの人たちには最初に事情を説明してなんとか理解してもらってる。もちろん皆が皆わかってくれるわけじゃないから大変なことも多くて。誤解されることもある。だからわたし以外の子たちはほとんど芽衣と関わることはない。先生たちにも説明してて、芽衣が困ったり混乱したりすることを減らすためにわたしが三年間同じクラスになるように頼み込んで、そうしてもらってる」
「代わりに俺が、大雅が思い出した時のために三年間大雅と同じクラスになるようにしてもらってたんだ」
「芽衣にはそこまで迷惑かけたくないって散々言われたけど、わたしたちも二人のために何かしたかった。二人を支えたかった」
なんだよ、それ。俺は知らない。
透が俺と三年間同じクラスになるようになってた?
俺と芽衣のために?
「……つまり、知らなかったのは、俺だけ……なのか?」
同じ中学の人も、同じ高校の人も。皆知ってる。なのに俺は知らなかった。
何故だ?そんなの、俺が芽衣のことを忘れていたからに決まっている。
芽衣の話題を自分から遠ざけて、逃げ続けてきたんだから。
知らなくて当たり前だと言われてしまえばそれまでだけれど、涙をこぼしながらこくりと頷く二人を見て、ショックが大きすぎて座っているのもつらくて両肘をついて頭を抱えた。
「……俺は……俺は……」
呟いた時、突然頭の中に、この二年間の芽衣とのやりとりが浮かび上がってきた。
『……あ?てめぇ、またいんのかよ。ストーカー女が』
『おはよう!大雅』
思えば、毎朝先に口を開いたのは俺だった。
芽衣は必ず平日は毎朝俺の家の前で待っていた。けれど、決して芽衣から俺に話しかけてくることはなかったんだ。
「……そうだ。芽衣は確かに俺のことを待ってたけど、いっつも俺が先にあいつを見つけてた……」
いつも待ち伏せしてる姿が目に入ると思わず声が出てしまって、それにびくりと肩を震わせてから笑顔を作る芽衣をうっとうしくさえ感じていた。
もしかして、あれは俺の声を聞いて初めて俺だと認識していたのか……?
「当たり前だけど、学校では人が多くて皆同じ制服を着ているから、芽衣は誰が誰だかわからなくなっちゃうの。いくら声で聞き分けられるって言っても、人が多すぎるとどうしても難しい。突然髪型を変えたりする人もいるから判別しにくい。それに、顔がわからないって想像以上にストレスがすごいみたいで、芽衣は極力顔を見ないように下を向いて歩くことの方が多くなった。だから、芽衣は学校では大雅を見つけられなかった。話しかけるどころか、大雅とすれ違っても声が聞こえなければそれが大雅だってわからなかった」
だからいつも、学校では話しかけられたりすることはなかったのか……?
だから、歩いていてすれ違った時にも芽衣は何も言わないどころか視線も合わなかったんだ。
俺のことを避けてたんじゃない。そもそもそれが俺だと、芽衣は気が付いていなかったんだ……。
確実に俺のことを俺だと認識するには、朝俺を待ち伏せするしかなかったんだ。
俺のことだけじゃない。誰のことも、家族や自分のことですらわからなかったなんて。
芽衣は一体、どんな気持ちでこの二年間を過ごしていたのだろう。
どんなに孤独だったか、どんなにつらかったか、どんなに苦しかったか。
命懸けで守ったはずの俺に、あんな態度を取られて存在自体を忘れられて。さらにはそんな後遺症にも苦しめられて。
俺は何も知らなかった。知ろうともしなかった。
本当はそんな苦しんでいる芽衣を俺が支えてあげなきゃいけなかったのに。
今度は俺が助けてあげなきゃいけなかったのに。
なのに俺は芽衣から逃げて、思い出すことから逃げて、現実から逃げて。
本当に、何度謝っても謝りきれない。
それどころか、俺は芽衣に謝る資格すらないかもしれない。それくらい、酷いことをしてしまった。
「それでもね、芽衣はあの日大雅を助けたことに後悔なんてひとつもしてないの」
「……え?」
俺の代わりに大怪我をしたのに?
それがきっかけで俺は芽衣の存在を忘れてしまったのに?
そのせいで後遺症を負わせてしまったのに?
にわかに信じられなくて顔を上げると、紫苑はあきれたような笑顔を浮かべていた。
「……芽衣はね、そんな状況でも自分のことは二の次で、大雅のことしか考えてなかった。どんなにあんたに酷いことを言われても、"本当に苦しんでるのはわたしじゃない、大雅だから"って、"わたしのエゴだってわかってるけど、それでも絶対大雅に思い出してもらいたいから"って言って、諦めなかった。散々泣いたのに、次の日にはまた"今日もストーカー女って言われちゃった"って無理に笑うの。わたし、何も言えないのが悔しくて悔しくて。二人はあんなにいつも一緒だったのに、あんなに仲良かったのに、あんなにお互いを想い合っていたのに。どうして大雅は芽衣のこと忘れちゃったんだろうって。どうしてこんなことになっちゃったんだろうって。そればっかり考えて、二人のために何も行動できない自分が情けなかった」
「……」
「俺も。二人のために何かしたいって思っても、俺が行動することでまた二人を傷つけちゃうんじゃないかって思ったら、何もできなくて。芽衣が泣きそうになりながら大雅に思い出してもらおうとしてるのを黙って見てることしかできなかった。何もできなかったんだ。……悔しかったよ」
「……俺っ……」
芽衣に申し訳なくて。二人に申し訳なくて。皆に申し訳なくて。段々と顔が下を向く。
「……ねぇ、大雅」
不意に紫苑に呼ばれ、ゆっくりと顔を上げた。
「芽衣は、今もずっと待ってるよ」
「……でも、俺は」
「芽衣に一度だけ、聞いたことがあるの。"どうしてそんなに頑張れるの?"って。そうしたら、"また大雅と一緒にくだらないことで笑い合いたいんだ"って言ってた。大雅の顔がわからなくても、大雅自身は何も変わってないって。確かに酷いことも言われたけど、それは大雅が自分自身の心を守っているだけで、根本的な部分では昔のまま優しい大雅から何も変わっていないから、どうしても諦められないんだって」
違う。俺はそんな、優しいやつじゃない。違うんだ。
芽衣を忘れて、傷付けて、泣かせて。最低なやつなんだ。
「大雅に思い出してもらって、また笑いながら今度こそ一緒に花火大会に行くんだって。そう言ってた。それくらい、芽衣は大雅のことが大好きなんだよ」
「……っ……」
俺だって……。俺だって、そうだよ。
生まれた時からずっと一緒で、ずっと隣にいて。
俺にとっては芽衣が一番大事で、芽衣のことが大好きで。
……でもこんな俺が、今さら芽衣に何ができる?
芽衣を傷つけた俺が、今さら芽衣に何を言う?
俺は、俺には、そんな資格は──
「……ねぇ大雅。お願い」
「……」
「……芽衣の笑顔を、取り戻して」
「え、がお」
「あの事故があってから、芽衣は無理して笑うようになった。今も昔も、本当の意味で芽衣を笑顔にできるのは大雅しかいないの。大雅にしかできないの」
嘘だ。そんなの嘘だ。
俺には何もできない。そう思うのに。
おもむろに透が立ち上がって俺の前に来て、そっと手を差し出した。
「大雅。嘘じゃない。俺や紫苑じゃダメなんだよ。俺たちは芽衣を支えることはできるけど、救うことはできないんだ。芽衣にはお前じゃなきゃダメなんだよ」
「透……」
俺じゃなきゃ、ダメ。
その言葉が、スッと胸に染み込む。
一度大きく深呼吸をしてから、ゆっくりと透の手を掴む。
グイッと立ち上がらせてくれて、背中をポンと叩いてくれた。
「芽衣は、今もずっと大雅を待ってるよ。毎年、花火大会は大雅と見るはずだった場所で一人で見てる」
「花火大会……って、まさかっ」
頭に浮かぶものは、今日の日付だ。
「うん。今日も。一人で行ってる。いつかまた、大雅と一緒に見たいからって。ずっと待ってるんだよ」
それを聞いた瞬間、俺の身体は勝手に動き出した。
「詳しい場所は聞いてない。だけど、芽衣は大雅と行くはずだったところなんだって言ってた」
二年前、一緒に見ようって約束して向かっていた、穴場スポット。
確か、町外れの高台だって言ってた……はず。
「行ってあげて。お願い、芽衣の心を救ってあげて」
走り出す瞬間、後ろから
「……大雅!頑張れ!もう逃げんなよ!」
と透の叫び声が聞こえた。
涙が混ざったようなその声に、俺の心が揺さぶられる。
ありがとう、透、紫苑。本当にありがとう。
俺のせいで傷付いてきた芽衣を一番近くで見てきたはずの紫苑は、本当は俺のことなんて大嫌いだろう。
本当は俺に芽衣を救ってあげてだなんて、言いたくないだろう。
俺を励ますことなんて、したくもないだろう。
だって、できることなら自分が芽衣を救ってあげたいはず。そうだと信じて紫苑は芽衣と一緒にいたはずなんだ。
透も、俺のことなんて見捨てても良かったはずなのにずっと一緒にいてくれた。
"また今年も同じクラスだな!"って、毎年笑顔で俺の背中を叩いてくれた。
呆れたこともあっただろう。怒鳴りたくなることもあっただろう。やるせない気持ちになったことも何度もあるだろう。
でも、紫苑も透も、芽衣のことを俺に託してくれた。
その意味を、俺はよく噛み締めないといけない。
目から溢れ出す涙を拭い、二人に片手を上げてから深く息を吸ってあの場所を目指す。
花火大会は何時までだっただろうか。
それが終わるまでに、俺は芽衣を見つけられるのか?
いや、そもそも見つけたところでどうする?俺は芽衣に一体何を言うつもりなんだ?
どうすれば芽衣の心を救える?笑顔を取り戻すことができる?
そんな不安と葛藤が頭の中を駆け巡るけれど、俺の身体を動かしているのは
"とにかく芽衣に会いたい"
その一心だった。
会ってどうするかとか、何を言うかとか。
そんなことは今は考えられないし、正直考えたところでどうにもならないだろう。
とにかく今は、芽衣を探さなければ。
二年前に目指した場所へ、俺はひたすら、前だけを見て走り続けて行った。
どういうことだよ。
人の顔が認識できない……?意味わかんねぇよ。
「相貌失認にも個人差や程度があるみたいで、芽衣の場合は相手の表情がわからない。顔を見て目とか鼻とか口とか、それぞれのパーツは認識できる。だけどそれが表情とか顔として認識できないから、目の前の人が誰なのかが識別できない。人の表情がわからないから、相手が怒ってるのか笑ってるのか泣いてるのかも汲み取ることができない。誰かが歩いてる、走ってる、目の前に立ってる。そういうことはわかるけど、そこにいるのが家族なのか友達なのか赤の他人なのかはわからない。脳障害だから、多分もう一生治らないって言われてる。表向きは怪我もなくて元気そうに見えても、芽衣は、芽衣は……今はもう、自分から誰かに話しかけることすら難しいの」
紫苑が言っている意味が、全然理解できなかった。
息を吸うことすら忘れてしまい、声を発しようにも上手くいかずに言葉を失う。
「芽衣は事故の後、目が覚めた時から誰の顔も認識できなくなった。だから自然と知っている人は声を聞いたり身長や体型、服装や髪型とかで認識するようになった。わたしがお見舞いに行った時、鏡を見て泣きながら教えてくれたの。"紫苑の声がするのに、目の前にいるのは紫苑だってわかるのに、紫苑の顔が全然わからない。お母さんの顔も、お父さんの顔もわからない。自分の顔もわからない。だれもわからない。どうしよう"って」
「……俺もお見舞いに行った時に芽衣から聞いたんだ。芽衣は俺の顔を見て泣きそうになってた。"ごめんね、透くんの顔もわからないんだ"って」
「正気を失ってもおかしくなかった。それくらい突然で、あまりにも残酷だった。だけど、次の日芽衣に会いに病室に行ったら、もう泣いてなかった。その後遺症と一緒に生きていくって、覚悟決めてた。わたしを見て、私の声を聞いて、"紫苑、来てくれたんだ"って笑ったの」
「……」
語られる言葉たちが、俺の耳から脳に入っては処理しきれずに通り過ぎていくような気がした。
「中学の同級生は、芽衣と仲が良かったりクラスが同じだった子は大体皆知ってる。今の高校でも、同じクラスの人たちには最初に事情を説明してなんとか理解してもらってる。もちろん皆が皆わかってくれるわけじゃないから大変なことも多くて。誤解されることもある。だからわたし以外の子たちはほとんど芽衣と関わることはない。先生たちにも説明してて、芽衣が困ったり混乱したりすることを減らすためにわたしが三年間同じクラスになるように頼み込んで、そうしてもらってる」
「代わりに俺が、大雅が思い出した時のために三年間大雅と同じクラスになるようにしてもらってたんだ」
「芽衣にはそこまで迷惑かけたくないって散々言われたけど、わたしたちも二人のために何かしたかった。二人を支えたかった」
なんだよ、それ。俺は知らない。
透が俺と三年間同じクラスになるようになってた?
俺と芽衣のために?
「……つまり、知らなかったのは、俺だけ……なのか?」
同じ中学の人も、同じ高校の人も。皆知ってる。なのに俺は知らなかった。
何故だ?そんなの、俺が芽衣のことを忘れていたからに決まっている。
芽衣の話題を自分から遠ざけて、逃げ続けてきたんだから。
知らなくて当たり前だと言われてしまえばそれまでだけれど、涙をこぼしながらこくりと頷く二人を見て、ショックが大きすぎて座っているのもつらくて両肘をついて頭を抱えた。
「……俺は……俺は……」
呟いた時、突然頭の中に、この二年間の芽衣とのやりとりが浮かび上がってきた。
『……あ?てめぇ、またいんのかよ。ストーカー女が』
『おはよう!大雅』
思えば、毎朝先に口を開いたのは俺だった。
芽衣は必ず平日は毎朝俺の家の前で待っていた。けれど、決して芽衣から俺に話しかけてくることはなかったんだ。
「……そうだ。芽衣は確かに俺のことを待ってたけど、いっつも俺が先にあいつを見つけてた……」
いつも待ち伏せしてる姿が目に入ると思わず声が出てしまって、それにびくりと肩を震わせてから笑顔を作る芽衣をうっとうしくさえ感じていた。
もしかして、あれは俺の声を聞いて初めて俺だと認識していたのか……?
「当たり前だけど、学校では人が多くて皆同じ制服を着ているから、芽衣は誰が誰だかわからなくなっちゃうの。いくら声で聞き分けられるって言っても、人が多すぎるとどうしても難しい。突然髪型を変えたりする人もいるから判別しにくい。それに、顔がわからないって想像以上にストレスがすごいみたいで、芽衣は極力顔を見ないように下を向いて歩くことの方が多くなった。だから、芽衣は学校では大雅を見つけられなかった。話しかけるどころか、大雅とすれ違っても声が聞こえなければそれが大雅だってわからなかった」
だからいつも、学校では話しかけられたりすることはなかったのか……?
だから、歩いていてすれ違った時にも芽衣は何も言わないどころか視線も合わなかったんだ。
俺のことを避けてたんじゃない。そもそもそれが俺だと、芽衣は気が付いていなかったんだ……。
確実に俺のことを俺だと認識するには、朝俺を待ち伏せするしかなかったんだ。
俺のことだけじゃない。誰のことも、家族や自分のことですらわからなかったなんて。
芽衣は一体、どんな気持ちでこの二年間を過ごしていたのだろう。
どんなに孤独だったか、どんなにつらかったか、どんなに苦しかったか。
命懸けで守ったはずの俺に、あんな態度を取られて存在自体を忘れられて。さらにはそんな後遺症にも苦しめられて。
俺は何も知らなかった。知ろうともしなかった。
本当はそんな苦しんでいる芽衣を俺が支えてあげなきゃいけなかったのに。
今度は俺が助けてあげなきゃいけなかったのに。
なのに俺は芽衣から逃げて、思い出すことから逃げて、現実から逃げて。
本当に、何度謝っても謝りきれない。
それどころか、俺は芽衣に謝る資格すらないかもしれない。それくらい、酷いことをしてしまった。
「それでもね、芽衣はあの日大雅を助けたことに後悔なんてひとつもしてないの」
「……え?」
俺の代わりに大怪我をしたのに?
それがきっかけで俺は芽衣の存在を忘れてしまったのに?
そのせいで後遺症を負わせてしまったのに?
にわかに信じられなくて顔を上げると、紫苑はあきれたような笑顔を浮かべていた。
「……芽衣はね、そんな状況でも自分のことは二の次で、大雅のことしか考えてなかった。どんなにあんたに酷いことを言われても、"本当に苦しんでるのはわたしじゃない、大雅だから"って、"わたしのエゴだってわかってるけど、それでも絶対大雅に思い出してもらいたいから"って言って、諦めなかった。散々泣いたのに、次の日にはまた"今日もストーカー女って言われちゃった"って無理に笑うの。わたし、何も言えないのが悔しくて悔しくて。二人はあんなにいつも一緒だったのに、あんなに仲良かったのに、あんなにお互いを想い合っていたのに。どうして大雅は芽衣のこと忘れちゃったんだろうって。どうしてこんなことになっちゃったんだろうって。そればっかり考えて、二人のために何も行動できない自分が情けなかった」
「……」
「俺も。二人のために何かしたいって思っても、俺が行動することでまた二人を傷つけちゃうんじゃないかって思ったら、何もできなくて。芽衣が泣きそうになりながら大雅に思い出してもらおうとしてるのを黙って見てることしかできなかった。何もできなかったんだ。……悔しかったよ」
「……俺っ……」
芽衣に申し訳なくて。二人に申し訳なくて。皆に申し訳なくて。段々と顔が下を向く。
「……ねぇ、大雅」
不意に紫苑に呼ばれ、ゆっくりと顔を上げた。
「芽衣は、今もずっと待ってるよ」
「……でも、俺は」
「芽衣に一度だけ、聞いたことがあるの。"どうしてそんなに頑張れるの?"って。そうしたら、"また大雅と一緒にくだらないことで笑い合いたいんだ"って言ってた。大雅の顔がわからなくても、大雅自身は何も変わってないって。確かに酷いことも言われたけど、それは大雅が自分自身の心を守っているだけで、根本的な部分では昔のまま優しい大雅から何も変わっていないから、どうしても諦められないんだって」
違う。俺はそんな、優しいやつじゃない。違うんだ。
芽衣を忘れて、傷付けて、泣かせて。最低なやつなんだ。
「大雅に思い出してもらって、また笑いながら今度こそ一緒に花火大会に行くんだって。そう言ってた。それくらい、芽衣は大雅のことが大好きなんだよ」
「……っ……」
俺だって……。俺だって、そうだよ。
生まれた時からずっと一緒で、ずっと隣にいて。
俺にとっては芽衣が一番大事で、芽衣のことが大好きで。
……でもこんな俺が、今さら芽衣に何ができる?
芽衣を傷つけた俺が、今さら芽衣に何を言う?
俺は、俺には、そんな資格は──
「……ねぇ大雅。お願い」
「……」
「……芽衣の笑顔を、取り戻して」
「え、がお」
「あの事故があってから、芽衣は無理して笑うようになった。今も昔も、本当の意味で芽衣を笑顔にできるのは大雅しかいないの。大雅にしかできないの」
嘘だ。そんなの嘘だ。
俺には何もできない。そう思うのに。
おもむろに透が立ち上がって俺の前に来て、そっと手を差し出した。
「大雅。嘘じゃない。俺や紫苑じゃダメなんだよ。俺たちは芽衣を支えることはできるけど、救うことはできないんだ。芽衣にはお前じゃなきゃダメなんだよ」
「透……」
俺じゃなきゃ、ダメ。
その言葉が、スッと胸に染み込む。
一度大きく深呼吸をしてから、ゆっくりと透の手を掴む。
グイッと立ち上がらせてくれて、背中をポンと叩いてくれた。
「芽衣は、今もずっと大雅を待ってるよ。毎年、花火大会は大雅と見るはずだった場所で一人で見てる」
「花火大会……って、まさかっ」
頭に浮かぶものは、今日の日付だ。
「うん。今日も。一人で行ってる。いつかまた、大雅と一緒に見たいからって。ずっと待ってるんだよ」
それを聞いた瞬間、俺の身体は勝手に動き出した。
「詳しい場所は聞いてない。だけど、芽衣は大雅と行くはずだったところなんだって言ってた」
二年前、一緒に見ようって約束して向かっていた、穴場スポット。
確か、町外れの高台だって言ってた……はず。
「行ってあげて。お願い、芽衣の心を救ってあげて」
走り出す瞬間、後ろから
「……大雅!頑張れ!もう逃げんなよ!」
と透の叫び声が聞こえた。
涙が混ざったようなその声に、俺の心が揺さぶられる。
ありがとう、透、紫苑。本当にありがとう。
俺のせいで傷付いてきた芽衣を一番近くで見てきたはずの紫苑は、本当は俺のことなんて大嫌いだろう。
本当は俺に芽衣を救ってあげてだなんて、言いたくないだろう。
俺を励ますことなんて、したくもないだろう。
だって、できることなら自分が芽衣を救ってあげたいはず。そうだと信じて紫苑は芽衣と一緒にいたはずなんだ。
透も、俺のことなんて見捨てても良かったはずなのにずっと一緒にいてくれた。
"また今年も同じクラスだな!"って、毎年笑顔で俺の背中を叩いてくれた。
呆れたこともあっただろう。怒鳴りたくなることもあっただろう。やるせない気持ちになったことも何度もあるだろう。
でも、紫苑も透も、芽衣のことを俺に託してくれた。
その意味を、俺はよく噛み締めないといけない。
目から溢れ出す涙を拭い、二人に片手を上げてから深く息を吸ってあの場所を目指す。
花火大会は何時までだっただろうか。
それが終わるまでに、俺は芽衣を見つけられるのか?
いや、そもそも見つけたところでどうする?俺は芽衣に一体何を言うつもりなんだ?
どうすれば芽衣の心を救える?笑顔を取り戻すことができる?
そんな不安と葛藤が頭の中を駆け巡るけれど、俺の身体を動かしているのは
"とにかく芽衣に会いたい"
その一心だった。
会ってどうするかとか、何を言うかとか。
そんなことは今は考えられないし、正直考えたところでどうにもならないだろう。
とにかく今は、芽衣を探さなければ。
二年前に目指した場所へ、俺はひたすら、前だけを見て走り続けて行った。
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