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第五章

side龍之介

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「……そうして目が覚めたら、記憶を失っていた。私はあの日、弱い自分と決別するために飛び降りたの。交通事故なんかじゃなかった。あれは、私が自ら命を絶とうと思ってしたことだったの」


そう言った奈々美は、痛々しいくらいに下手くそな笑顔を向けた。

そんな笑顔は見たくなくて、その華奢な身体をもう一度強く抱きしめる。

そして少しでも安心させられるように、背中をトントンと優しく叩いた。


「……知ってたよ」

「……え?」

「奈々美が、事故とかじゃなくて自分から飛び降りたってこと。俺は知ってた」

「何で……?」


俺の腕の中から見上げてくる奈々美の視線。不安と驚きが混ざったその表情に、俺は笑顔を向ける。

怖がらなくていいよ。不安がらなくていいよ。もう大丈夫だから、安心していいんだよ。

そう伝えたくて、頭を撫でる。


「半年前。俺の学校で噂が流れたんだ」

「噂?」

「一つ上の女子の先輩が、飛び降り自殺をしようとしたって」

「それって……」


驚きに目を見開く奈々美に、ポケットから出した学生証を見せる。私立白河高等学校と書かれたこれは、おそらく奈々美が持っているものと個人情報が違うだけで同じものだ。


「立花さんから受け取ってた制服を見てピンと来た。それで、噂のことを思い出した」


女子の制服はこの辺じゃ有名だ。一目で気が付いた。そしてあの頃学校中で噂が広がったのを思い出した。


"二年の先輩が自殺図ったって"

"マジかよ。それ誰、俺の知ってる人?"


「そもそもどこから広まった噂かわからなくて、正直知らない人だったから俺はあんまり興味も無いし本当かどうかもわからなかった」


だから、奈々美と話すようになってからもその噂の人物と奈々美は繋がらなかった。


"ほらあの可愛い先輩!いただろ!"

"は?あの先輩が!?嘘だろ!?"

"マジらしいよ?通報した人が、制服見てうちの学校名出したらしいし"

"しかもあの先輩、今入院してるらしいし"

"マジかよ……"


クラスメイトたちがそう話していたのを覚えている。


「マンションの屋上から飛び降りたけど、不幸中の幸いなのか木が上手いことクッションになってくれたから一命を取り留めたって聞いた」


薄い線が残ってしまっている奈々美の頰を指でなぞる。この傷もおそらく、木の枝で切ってしまったんだろう。


「そ、っか……噂になってたんだ……」

「奈々美の学年がどうだったかはわからないけど、結構学校自体は騒然としてたと思う」


次に俺の周りから聞こえてきた声は、困惑だった。


"いじめとか?でも可愛くて人気あったよね。そんなことあったとは思えないんだけど……"

"だよね。でも、じゃあどうしてあんなこと……"

"馬鹿だな、もしかしたら家庭の事情ってやつかもしれないだろ?きっと学校は関係ねぇんだよ"

"でも……"


飛び降りた原因を邪推する者。純粋に心配する者。


いろいろいたけれど、結局真相はわからないまま噂はそのうち何も言われなくなった。


【触れてはいけない話題】


それがいつしか暗黙の了解になっていた。

ちょうどその頃に美優が事故に遭いそれどころじゃなくなった俺は、偶然奈々美にも出会って噂のことなんてすっかり忘れてた。

……まさか、あの噂の人が奈々美だったなんて。


「……幻滅した?」

「それはしてない。どっちかって言うと普通に怒ってる」

「怒ってるの?」


頷くと、奈々美は困ったように眉を下げた。


「奈々美ともっと早く出会ってれば良かった。奈々美のことをもっと早く知りたかった。そしたら、飛び降りるなんてマネさせなかった」


でも、病院で出会わなければ、もしかしたらこんなに仲良くなることはなかったかもしれない。

こんなに助けたいと、守りたいとは思わなかったかもしれない。

ただ同じ学校の先輩としか、見なかったかもしれない。

そうだとしたら。


「あんな怪我までして、記憶まで無くして。……もっと自分を大切にしてほしい。俺はそれに怒ってる」


奈々美と仲良くなれて良かった。病院で出会えて、良かった。そう思ってしまった俺自身に、そんな不謹慎な自分に俺は一番怒っている。


「だからこれからは、そんなこと考えなくて済むように、俺が支えてやる」

「え?」

「俺が、奈々美を守ってやる」


だから。


「一緒に行こう」


俺が、奈々美を助けるから。

驚きに揺れる瞳の奥に、確かな強い意志を感じた。
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