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第四章
強くなる(4)
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久しぶりのそこは、もう風が冷たくなり始めていた。
病室で目を覚ました時には、まだ夏の初めだったのに。
季節の移り変わりが早く感じる。
"美優ちゃんも検査中でいなかったから、中庭でちょっと散歩してから帰るね"
龍之介くんにそうメッセージを送り、あのフェンスに近付いて深呼吸をする。
どうやら今日も何も思い出せそうにない。
もうここじゃダメなんだろうか。
あの時のような風が吹かないからだろうか。わからない。
悩みながらも中庭をあとにして、病院からも出る。
いつもならバスで帰るところだけど、今日は事故か何かで渋滞しているらしくすごい行列だった。
タクシーの列もすごいし、ここから自宅まで歩いて帰れない距離じゃない。リハビリがてら、すこしお散歩しようかな。
イチョウの葉が黄色く色付く綺麗な並木道を歩き、秋の空気を楽しむこと二十分ほど。
「……!奈々美ちゃん!?」
突然、目の前に現れたのは買い物袋を下げた、見覚えのある女性。
「あ……え、なんで……!」
「ちょっと!大きな声出さないでちょうだい!っ……ほら、こっち来て!」
二週間以上、事あるごとに聞いてきた声。
「いやっ!やめて!」
「静かにして!ほら!」
腕を引かれると、全身に鳥肌が立って上手く歩けない。
それも構わないとばかりに私の腕を思い切り引いて路地裏に連れて行こうとするその女性、───そう、あのおばさんは、慌てた様子で私を路地裏に引き込んだ。
こんなことなら並んででもバスに乗っていれば良かった。
なんて、今更そんなたらればを言ったところでこの状況が変わるわけではない。
私を投げ捨てるように手を離したおばさんは、買い物袋を比較的綺麗な場所に置いてから私に向き直った。
「やっと捕まえたわよ」
パーマでくるくるとした髪の毛をかきあげた瞬間、得体の知れない恐怖が私を襲う。
「あんたが勝手にあんなことするから、うちのやることが全部滞ってるのよ。ほら、わかったらさっさと立って行くわよ!」
「ど、どこに……」
「決まってるでしょ!?うちに帰るのよ!うーちーに!」
その帰る先が、私の自宅ではないという事だけはわかる。だからこそ、逃げ出したいのに。
身体が震えて、言うことを聞かない。
再び無理矢理引っ張られるように連れて行かれて、辿り着いた先はやはり私の家ではなく、二軒隣の家だった。
表札に書かれている名前は、村元。
おばさんの声が頭に響いて声が出せず、されるがままに玄関から中に入る。
……ここ、知ってる。
預けられていたのだから当たり前なのに、そんなことを思った。
リビングに入り、エプロンを投げられる。
「どうせ記憶が無いってのも全部演技なんでしょ!?白々しい。私から逃げようなんて思わないことね!」
どういうことだろう。おばさんから逃げる……?
私は、逃げようとしていたの?
「なにボーッとしてるの!?さっさとやることやんなさい!あんたが無駄に騒がせてくれたおかげでこっちは大変だったんだから!早く終わらせてよね!」
「っ、でも、何を……」
「はぁ!?いつもやってることでしょ!?まさかまだ記憶喪失のフリしてるわけ?いい加減やめなさいよ。ただでさえあんたが飛び降りて私まで疑われたってのに……」
「…………え?」
「とにかくさっさと終わらせて!私はあっちで休んでるから!それまでは勝手に出てくんじゃないよ!」
バタンと音を立てて閉められたドア。
私は一人、リビングで膝から崩れ落ちる。
……なに?私が何をしたって?
「……飛び、降りた?」
誰が?私が?どこから?なんで?
おばさんは……一体何を言ってるの?
目の前に、じわりじわりと黒いモヤがかかる。
それは次第に私の視界を奪い、私の全身を闇に包み込む。
視界が真っ黒に染まった頃、頭の中に一つの映像が飛び込んできた。
夕焼けで綺麗なオレンジ色に染まる空の下。手に掴むフェンスを乗り越えて、わずかな隙間に足を乗せる。
制服のスカートが、強風でふわりと膨らんだ。
眼下に広がる景色を目に焼き付けるようにして。
───そして。
ぞわり。
心臓が持ち上がるような浮遊感と共に、落ちていく身体。
それが全てスローモーションに感じた瞬間。
「……ハッ……!?」
一気に意識が戻り、視界が徐々に開け始める。
息を止めていたらしく、反射的に肩で呼吸を繰り返していると目から涙がこぼれ落ちた。
頭の中を駆け巡る、様々な記憶の断片。突然襲ってきた吐きそうなほどの頭痛に目を開けていることすらできなくて、さらには耳鳴りが不快な音を脳に響かせていた。
「っ……」
込み上げてくる感情の波が高く、今にも飲み込まれてしまいそう。
頭が痛くて、息を吸っても吸っても苦しくて、酸素が入ってこない感覚がして。
何度も何度も吸って、それでも変わらなくて。
痛みと苦しみと恐怖で感情がぐちゃぐちゃになった時。
このままじゃ、ダメだ。ここから逃げなければ。
言うことを聞かない太ももを何度も叩いて立ち上がり、ふらつきながらおばさんの家から飛び出す。
後ろから私を呼ぶ怒鳴り声が聞こえてきたけれど、それを無視して一目散に走り出した。
「たすけてっ……」
助けて、龍之介くん。
苦しさの中で願った言葉。
近所のコンビニの裏。人目につかない場所で壁に背中を預けてずるずるとしゃがみ込む。
震える手でスマートフォンを取り出して、何度も操作を間違えながらも電話をかけた。
それを耳に当てながら、流れてくる涙を雑に袖で拭った。
病室で目を覚ました時には、まだ夏の初めだったのに。
季節の移り変わりが早く感じる。
"美優ちゃんも検査中でいなかったから、中庭でちょっと散歩してから帰るね"
龍之介くんにそうメッセージを送り、あのフェンスに近付いて深呼吸をする。
どうやら今日も何も思い出せそうにない。
もうここじゃダメなんだろうか。
あの時のような風が吹かないからだろうか。わからない。
悩みながらも中庭をあとにして、病院からも出る。
いつもならバスで帰るところだけど、今日は事故か何かで渋滞しているらしくすごい行列だった。
タクシーの列もすごいし、ここから自宅まで歩いて帰れない距離じゃない。リハビリがてら、すこしお散歩しようかな。
イチョウの葉が黄色く色付く綺麗な並木道を歩き、秋の空気を楽しむこと二十分ほど。
「……!奈々美ちゃん!?」
突然、目の前に現れたのは買い物袋を下げた、見覚えのある女性。
「あ……え、なんで……!」
「ちょっと!大きな声出さないでちょうだい!っ……ほら、こっち来て!」
二週間以上、事あるごとに聞いてきた声。
「いやっ!やめて!」
「静かにして!ほら!」
腕を引かれると、全身に鳥肌が立って上手く歩けない。
それも構わないとばかりに私の腕を思い切り引いて路地裏に連れて行こうとするその女性、───そう、あのおばさんは、慌てた様子で私を路地裏に引き込んだ。
こんなことなら並んででもバスに乗っていれば良かった。
なんて、今更そんなたらればを言ったところでこの状況が変わるわけではない。
私を投げ捨てるように手を離したおばさんは、買い物袋を比較的綺麗な場所に置いてから私に向き直った。
「やっと捕まえたわよ」
パーマでくるくるとした髪の毛をかきあげた瞬間、得体の知れない恐怖が私を襲う。
「あんたが勝手にあんなことするから、うちのやることが全部滞ってるのよ。ほら、わかったらさっさと立って行くわよ!」
「ど、どこに……」
「決まってるでしょ!?うちに帰るのよ!うーちーに!」
その帰る先が、私の自宅ではないという事だけはわかる。だからこそ、逃げ出したいのに。
身体が震えて、言うことを聞かない。
再び無理矢理引っ張られるように連れて行かれて、辿り着いた先はやはり私の家ではなく、二軒隣の家だった。
表札に書かれている名前は、村元。
おばさんの声が頭に響いて声が出せず、されるがままに玄関から中に入る。
……ここ、知ってる。
預けられていたのだから当たり前なのに、そんなことを思った。
リビングに入り、エプロンを投げられる。
「どうせ記憶が無いってのも全部演技なんでしょ!?白々しい。私から逃げようなんて思わないことね!」
どういうことだろう。おばさんから逃げる……?
私は、逃げようとしていたの?
「なにボーッとしてるの!?さっさとやることやんなさい!あんたが無駄に騒がせてくれたおかげでこっちは大変だったんだから!早く終わらせてよね!」
「っ、でも、何を……」
「はぁ!?いつもやってることでしょ!?まさかまだ記憶喪失のフリしてるわけ?いい加減やめなさいよ。ただでさえあんたが飛び降りて私まで疑われたってのに……」
「…………え?」
「とにかくさっさと終わらせて!私はあっちで休んでるから!それまでは勝手に出てくんじゃないよ!」
バタンと音を立てて閉められたドア。
私は一人、リビングで膝から崩れ落ちる。
……なに?私が何をしたって?
「……飛び、降りた?」
誰が?私が?どこから?なんで?
おばさんは……一体何を言ってるの?
目の前に、じわりじわりと黒いモヤがかかる。
それは次第に私の視界を奪い、私の全身を闇に包み込む。
視界が真っ黒に染まった頃、頭の中に一つの映像が飛び込んできた。
夕焼けで綺麗なオレンジ色に染まる空の下。手に掴むフェンスを乗り越えて、わずかな隙間に足を乗せる。
制服のスカートが、強風でふわりと膨らんだ。
眼下に広がる景色を目に焼き付けるようにして。
───そして。
ぞわり。
心臓が持ち上がるような浮遊感と共に、落ちていく身体。
それが全てスローモーションに感じた瞬間。
「……ハッ……!?」
一気に意識が戻り、視界が徐々に開け始める。
息を止めていたらしく、反射的に肩で呼吸を繰り返していると目から涙がこぼれ落ちた。
頭の中を駆け巡る、様々な記憶の断片。突然襲ってきた吐きそうなほどの頭痛に目を開けていることすらできなくて、さらには耳鳴りが不快な音を脳に響かせていた。
「っ……」
込み上げてくる感情の波が高く、今にも飲み込まれてしまいそう。
頭が痛くて、息を吸っても吸っても苦しくて、酸素が入ってこない感覚がして。
何度も何度も吸って、それでも変わらなくて。
痛みと苦しみと恐怖で感情がぐちゃぐちゃになった時。
このままじゃ、ダメだ。ここから逃げなければ。
言うことを聞かない太ももを何度も叩いて立ち上がり、ふらつきながらおばさんの家から飛び出す。
後ろから私を呼ぶ怒鳴り声が聞こえてきたけれど、それを無視して一目散に走り出した。
「たすけてっ……」
助けて、龍之介くん。
苦しさの中で願った言葉。
近所のコンビニの裏。人目につかない場所で壁に背中を預けてずるずるとしゃがみ込む。
震える手でスマートフォンを取り出して、何度も操作を間違えながらも電話をかけた。
それを耳に当てながら、流れてくる涙を雑に袖で拭った。
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