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第二章

引き金(3)

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「……まぁ確かに、当事者じゃないとわからない気持ちもある。それは私たちにはどう足掻いても理解できない感情だ。君がどうしても思い出したいと言うのなら、私たちにはそれを止める権利は無い」

「……先生」

「でも、だからって安易に許可はできない」

「……」


そう言った東海林先生は、いくつか私に条件を提示した。


体調を一番に考えて、無理はしないこと。

必ず一人で行かないこと。できれば看護師を連れて行くこと。

何か特別なことや変わったことがあれば、すぐに東海林先生に報告すること。

記憶を取り戻すことだけに囚われずに、リハビリもしっかりと行うこと。

思い出せなくても、焦らないこと。

カウンセリングを定期的に受けること。


「まぁ、これでもかなり厳選してるから、他にも言いたいことは山ほどあるけど。どうも君に言っても無駄なようだから、それくらいにしておくよ」

「……ありがとうございます」


東海林先生にお礼を告げると、降参するかのように両手を上げながら微笑んだ。

その表情に私も思わず笑ってしまう。

立花さんに車椅子を押してもらいながら病室に向かう道中、


「東海林先生はああ言ってたけど、私はあまり賛成できない」


と、複雑そうな声が聞こえた。

お互いに同じ方向を向いているからその表情は見えないけれど、きっと立花さんはなんとも言えない顔をしていると思う。

だって、私が今そんな顔をしているから。


「確かに奈々美ちゃんの立場だったら、自分が何も覚えていないのはとても怖いことだと思う。憶測でしかないけれど、私なら奈々美ちゃんほど冷静でいられないと思う」

「……」

「でも、だからって自らを危険に晒してまで思い出そうとするなんて、私はそれが正しいとは思えない」


きっと、何が正解なのかは誰にもわからない。

だから、私の思いも間違いではないし、立花さんのその意見も間違いではない。


「けど、東海林先生の言う通り、奈々美ちゃんの心の中は誰にもわからないし、当事者にしかわからない葛藤や苦しさがある。どう足掻いたって私にはそれが本当の意味では理解できないし、共感することは難しい」


東海林先生も立花さんも、私のことを思っての言葉だとわかるから、私もそれは素直に受け止められる。

でもそれがわかるからこそ、私は"自分がとんでもないわがままを言っている"ということもちゃんと理解しているつもりだ。


「だからこそ、私はそんな奈々美ちゃんのような患者さんの力になりたい」

「……立花さん」

「……私が言いたいのは一つだけ。記憶に関することは、私が付き添いする。他の看護師じゃなくて、私が一緒に行ける時だけにして」


その言葉に、正面を向いていた顔を思わず後ろに勢い良く向けた。


「二週間に一度だけ。それなら私も奈々美ちゃんの記憶を取り戻すために協力する。その代わり、リハビリにも一切手を抜かないこと。カウンセリングも大切だから、しっかり受けること。必ず一人では行かないって、約束してね」


困ったように微笑んだ表情は、"こうなった奈々美ちゃんには何を言っても無駄だ"と諦めた後のようなもので。


「……東海林先生も立花さんも、本当に優しすぎるよ」


その優しさが、今の私にとってどれだけ心強くて嬉しいものか。

涙が滲みそうになり、鼻を啜りながら上を向く。

天井の照明の眩しさに目を細めているうちに思わず零れ落ちた笑み。

立花さんもつられるように小さく笑って、そんな穏やかな空気のままゆっくりと病室に向かった。

病室には美優ちゃんと龍之介くんの姿は無く、ベッドに戻ったところで立花さんは病室から出て行った。

私は引き出しからノートを取り出し、今東海林先生と立花さんと話した内容をつらつらと書いていく。


"記憶を取り戻すためには、引き金が必要"

"私の場合は、それは風なのではないか"

"二週に一回、立花さんに協力してもらう"

"カウンセリングって、いったい何をするのだろう"


左手で文字を書くことにも大分慣れてきたためか、 最初の数ページと比べるとその変化は歴然としていた。


"東海林先生と立花さんは、優しすぎるくらいに優しい"

"でも優しいで言ったら、龍之介くんも美優ちゃんも同じくらい優しい"


そんなことを書いて、ノートを閉じて再び引き出しの中にしまう。


「……ふわぁ……、早起きしすぎたかな……」


病室には誰もいないけれど、なんとなく下を向いてあくびにより大きく開く口元を隠す。

どうせ二人もいないし、ちょっと寝よう。

ゆっくりとベッドに横になると、すぐに眠りに落ちた。

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