19 / 55
第二章
引き金(2)
しおりを挟む
「お兄ちゃん、おかえり」
「……ただいま」
「何買ってきたの?」
「コーラ」
「えー、ずるい。私も飲みたい」
「それはちゃんと立花さんの許可取ってからにしろ」
「はーい」
飲み物を買って戻ってきた龍之介くんは、いつも通り美優ちゃんに呆れた視線を送っている。
私の方をちらりと見るから、目が合う。
口パクで、"美優には黙っとけ"と言っていた。
それに頷いて三人で談笑しているうちに昼食の時間になり。
運ばれてきたご飯を美優ちゃんと一緒に食べる。龍之介くんはコンビニで飲み物のついでに買ってきたらしいパンを食べていた。
「奈々美ちゃん、検査の時間だよ」
「はーい。じゃあ二人とも、行ってくるね」
「行ってらっしゃい」
「行ってら」
二人に手を振ってから、立花さんと共に検査に向かう。
今回もいろいろな検査をしたものの、どうやら倒れてしまったことのはっきりとした理由や原因はわからないそう。
特にどこにも異常は見られないのだと言う。
「もしかしたら、何かその時に記憶に繋がるものがあったのかもしれないね」
「記憶に、繋がるもの」
「そう。思い出すための、引き金のようなもの」
「引き金……」
あの時のことを、もう一度思い出してみた。
天気の良い中庭。花壇があって、綺麗な花が咲いていて。
景色を見たくて、フェンスに近寄って。
「……そうだ、風が吹いたんだ」
「風?」
「はい。あの時、急に強い風が吹いて」
それから自分がおかしくなった。
「引き金は、風……?」
「その可能性は、無いとは言い切れないね」
東海林先生の言葉に、一つ頷く。
「でも。だからと言って頻繁に中庭に通うのは禁止」
「え、なんでですか?」
せっかく記憶に繋がるかもしれないのに。次は、何かを思い出すかもしれないのに。
そんな不満が顔に出ていたのだろうか。
「桐ヶ谷さん、よく聞いてね」と、東海林先生は私の左手をぎゅっと掴んで、幼い子どもに語りかけるように視線を合わせた。
「桐ヶ谷さんの記憶喪失は解離性健忘で、外傷からくるものではなくて心因的なものだって言ったよね?」
「……はい」
「つまり、もしかしたら桐ヶ谷さん自身が、何も思い出したくなくて記憶に蓋をしてしまった可能性もあるんだ」
「……」
「自分のことを知りたい気持ちはわかる。でも、それは決して急ぐようなことじゃない。もしかしたら、無理に思い出そうとすることによって脳に余計な負担をかけてしまうかもしれないんだ」
私を諭すように、優しく語りかけてくれる。
私は不本意ながらも、そっと頷く。
「もし、忘れてしまった記憶の中に桐ヶ谷さん自身を苦しめるものがあったとしたら。それを思い出した時に、もしかしたら桐ヶ谷さんが受け止め切れないかもしれない。精神的に耐えられないかもしれない」
「……」
「無理に思い出そうとしてまた倒れてしまったら元も子もない。そうならないように、ゆっくり、焦らずにいくんだ。まだ君は高校生だ。まだこれから先長い人生の半分も生きてない。だからこそ、急がなくていい。時間をかけるべきだ。焦る必要なんてないんだよ」
私を思っての言葉だということは理解できた。立花さんも私の肩をさすりながら頷いてくれる。
でも。
「それでも、……そうだとしても私は。……自分自身のことを早く思い出したい、です」
そう思ってしまう。
「自分のことを何も知らないままは、怖いです」
自分が誰かわからないなんて。そんな怖いことがあるだろうか。
名前も、歳も、誕生日も、家族も。
東海林先生や立花さんに比べたら、確かにまだほんの少ししか生きていない。それでも、私がどうやって生まれて、どうやって育ってきて、どうやって生きてきたのか。そしてどんな事故に遭ってこんな怪我をしてしまったのか。
私は、どうしても知りたい。たとえそれが、自分が忘れてしまいたくて蓋をしてしまったことだったとしても。
自分自身が耐えきれない可能性があるとしても。
このまま自分のことを何も知らないで生きていく方が怖いと思うから。
真っ直ぐに東海林先生を見つめる。
最初は同じように見つめ返されていたけれど、次第にやれやれ、と言うような表情に変わった。
「……ただいま」
「何買ってきたの?」
「コーラ」
「えー、ずるい。私も飲みたい」
「それはちゃんと立花さんの許可取ってからにしろ」
「はーい」
飲み物を買って戻ってきた龍之介くんは、いつも通り美優ちゃんに呆れた視線を送っている。
私の方をちらりと見るから、目が合う。
口パクで、"美優には黙っとけ"と言っていた。
それに頷いて三人で談笑しているうちに昼食の時間になり。
運ばれてきたご飯を美優ちゃんと一緒に食べる。龍之介くんはコンビニで飲み物のついでに買ってきたらしいパンを食べていた。
「奈々美ちゃん、検査の時間だよ」
「はーい。じゃあ二人とも、行ってくるね」
「行ってらっしゃい」
「行ってら」
二人に手を振ってから、立花さんと共に検査に向かう。
今回もいろいろな検査をしたものの、どうやら倒れてしまったことのはっきりとした理由や原因はわからないそう。
特にどこにも異常は見られないのだと言う。
「もしかしたら、何かその時に記憶に繋がるものがあったのかもしれないね」
「記憶に、繋がるもの」
「そう。思い出すための、引き金のようなもの」
「引き金……」
あの時のことを、もう一度思い出してみた。
天気の良い中庭。花壇があって、綺麗な花が咲いていて。
景色を見たくて、フェンスに近寄って。
「……そうだ、風が吹いたんだ」
「風?」
「はい。あの時、急に強い風が吹いて」
それから自分がおかしくなった。
「引き金は、風……?」
「その可能性は、無いとは言い切れないね」
東海林先生の言葉に、一つ頷く。
「でも。だからと言って頻繁に中庭に通うのは禁止」
「え、なんでですか?」
せっかく記憶に繋がるかもしれないのに。次は、何かを思い出すかもしれないのに。
そんな不満が顔に出ていたのだろうか。
「桐ヶ谷さん、よく聞いてね」と、東海林先生は私の左手をぎゅっと掴んで、幼い子どもに語りかけるように視線を合わせた。
「桐ヶ谷さんの記憶喪失は解離性健忘で、外傷からくるものではなくて心因的なものだって言ったよね?」
「……はい」
「つまり、もしかしたら桐ヶ谷さん自身が、何も思い出したくなくて記憶に蓋をしてしまった可能性もあるんだ」
「……」
「自分のことを知りたい気持ちはわかる。でも、それは決して急ぐようなことじゃない。もしかしたら、無理に思い出そうとすることによって脳に余計な負担をかけてしまうかもしれないんだ」
私を諭すように、優しく語りかけてくれる。
私は不本意ながらも、そっと頷く。
「もし、忘れてしまった記憶の中に桐ヶ谷さん自身を苦しめるものがあったとしたら。それを思い出した時に、もしかしたら桐ヶ谷さんが受け止め切れないかもしれない。精神的に耐えられないかもしれない」
「……」
「無理に思い出そうとしてまた倒れてしまったら元も子もない。そうならないように、ゆっくり、焦らずにいくんだ。まだ君は高校生だ。まだこれから先長い人生の半分も生きてない。だからこそ、急がなくていい。時間をかけるべきだ。焦る必要なんてないんだよ」
私を思っての言葉だということは理解できた。立花さんも私の肩をさすりながら頷いてくれる。
でも。
「それでも、……そうだとしても私は。……自分自身のことを早く思い出したい、です」
そう思ってしまう。
「自分のことを何も知らないままは、怖いです」
自分が誰かわからないなんて。そんな怖いことがあるだろうか。
名前も、歳も、誕生日も、家族も。
東海林先生や立花さんに比べたら、確かにまだほんの少ししか生きていない。それでも、私がどうやって生まれて、どうやって育ってきて、どうやって生きてきたのか。そしてどんな事故に遭ってこんな怪我をしてしまったのか。
私は、どうしても知りたい。たとえそれが、自分が忘れてしまいたくて蓋をしてしまったことだったとしても。
自分自身が耐えきれない可能性があるとしても。
このまま自分のことを何も知らないで生きていく方が怖いと思うから。
真っ直ぐに東海林先生を見つめる。
最初は同じように見つめ返されていたけれど、次第にやれやれ、と言うような表情に変わった。
1
お気に入りに追加
27
あなたにおすすめの小説
隣人はクールな同期でした。
氷萌
恋愛
それなりに有名な出版会社に入社して早6年。
30歳を前にして
未婚で恋人もいないけれど。
マンションの隣に住む同期の男と
酒を酌み交わす日々。
心許すアイツとは
”同期以上、恋人未満―――”
1度は愛した元カレと再会し心を搔き乱され
恋敵の幼馴染には刃を向けられる。
広報部所属
●七星 セツナ●-Setuna Nanase-(29歳)
編集部所属 副編集長
●煌月 ジン●-Jin Kouduki-(29歳)
本当に好きな人は…誰?
己の気持ちに向き合う最後の恋。
“ただの恋愛物語”ってだけじゃない
命と、人との
向き合うという事。
現実に、なさそうな
だけどちょっとあり得るかもしれない
複雑に絡み合う人間模様を描いた
等身大のラブストーリー。
【完結】記憶喪失になってから、あなたの本当の気持ちを知りました
Rohdea
恋愛
誰かが、自分を呼ぶ声で目が覚めた。
必死に“私”を呼んでいたのは見知らぬ男性だった。
──目を覚まして気付く。
私は誰なの? ここはどこ。 あなたは誰?
“私”は馬車に轢かれそうになり頭を打って気絶し、起きたら記憶喪失になっていた。
こうして私……リリアはこれまでの記憶を失くしてしまった。
だけど、なぜか目覚めた時に傍らで私を必死に呼んでいた男性──ロベルトが私の元に毎日のようにやって来る。
彼はただの幼馴染らしいのに、なんで!?
そんな彼に私はどんどん惹かれていくのだけど……
夫が「愛していると言ってくれ」とうるさいのですが、残念ながら結婚した記憶がございません
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
【完結しました】
王立騎士団団長を務めるランスロットと事務官であるシャーリーの結婚式。
しかしその結婚式で、ランスロットに恨みを持つ賊が襲い掛かり、彼を庇ったシャーリーは階段から落ちて気を失ってしまった。
「君は俺と結婚したんだ」
「『愛している』と、言ってくれないだろうか……」
目を覚ましたシャーリーには、目の前の男と結婚した記憶が無かった。
どうやら、今から二年前までの記憶を失ってしまったらしい――。
病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない
月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。
人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。
2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事)
。
誰も俺に気付いてはくれない。そう。
2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。
もう、全部どうでもよく感じた。
片想い婚〜今日、姉の婚約者と結婚します〜
橘しづき
恋愛
姉には幼い頃から婚約者がいた。両家が決めた相手だった。お互いの家の繁栄のための結婚だという。
私はその彼に、幼い頃からずっと恋心を抱いていた。叶わぬ恋に辟易し、秘めた想いは誰に言わず、二人の結婚式にのぞんだ。
だが当日、姉は結婚式に来なかった。 パニックに陥る両親たち、悲しげな愛しい人。そこで自分の口から声が出た。
「私が……蒼一さんと結婚します」
姉の身代わりに結婚した咲良。好きな人と夫婦になれるも、心も体も通じ合えない片想い。
記憶喪失の転生幼女、ギルドで保護されたら最強冒険者に溺愛される
マー子
ファンタジー
ある日魔の森で異常が見られ、調査に来ていた冒険者ルーク。
そこで木の影で眠る幼女を見つけた。
自分の名前しか記憶がなく、両親やこの国の事も知らないというアイリは、冒険者ギルドで保護されることに。
実はある事情で記憶を失って転生した幼女だけど、異世界で最強冒険者に溺愛されて、第二の人生楽しんでいきます。
・初のファンタジー物です
・ある程度内容纏まってからの更新になる為、進みは遅めになると思います
・長編予定ですが、最後まで気力が持たない場合は短編になるかもしれません⋯
どうか温かく見守ってください♪
☆感謝☆
HOTランキング1位になりました。偏にご覧下さる皆様のお陰です。この場を借りて、感謝の気持ちを⋯
そしてなんと、人気ランキングの方にもちゃっかり載っておりました。
本当にありがとうございます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる