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第三章
新たな環境(4)
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「お疲れ様でした。定時過ぎちゃったし、帰りましょうか」
「すみません。千代田さん残業NGなのに」
「いいのいいの。今のうちに少し進めておかないと来週から地獄みたいになっちゃうから」
にこやかに千代田さんは笑うけれど、やはりお子さんが心配なのだろう、腕時計をちらちら確認して急いで帰って行った。
私も帰ろう。
そう思って戸締りをして、職員室に鍵を返しに行く。
「失礼しまーす……」
時刻は十九時。まだ部活動はやっている時間だ。
電気は付いているものの職員室には誰もおらず、私はキーボックスに鍵を入れて部屋を出る。
廊下では、吹奏楽部の力強い楽器の音が響いていた。
きっと晴美姉ちゃんも頑張っていることだろう。
玄関に向けて歩いていると、「あ、野々村さん!」と声をかけられて後ろを振り向く。
「田宮教頭」
後ろから小走りで私を追いかけてきたのは教頭先生だった。
「ダメですよ。走らないでって言われてたじゃないですか」
教頭先生は先日ぎっくり腰になってしまい、三日ほど仕事を休んでいた。しかし土日を挟んでも予後がどうもよくないらしく、あまり動いたり負担をかけないようにとお医者さんに言われたらしい。
「いや、ちょうど野々村さんが見えたからつい……」
「もう、気を付けてくださいね。……それより、私に何かご用でしたか?」
「そうそう。ちょっと、頼みたいことがあって。定時過ぎたのに申し訳ない」
「それは全然。なんでしょう?」
急いで帰ったって用事も無いし、教頭先生の負担を減らさないと、この人多分無理しそうだし。
そう思って二つ返事で了承すると、鍵を一つ渡される。
「悪いんだけど、旧校舎にある図書室から今年度の行事のDVDを持ってきて欲しいんだよ」
「行事……ですか?」
「そう。来年度の行事について明日職員会議があるんだけど、そこで使うのに持ってくるのをすっかり忘れてて……」
「わかりました。探して職員室にお持ちしますね」
「助かるよ。ありがとう」
教頭先生を職員室に戻るように促し、受け取った鍵を持って廊下を進む。
旧校舎の図書室には就職してから忙しくて行けておらず、久し振りに足を踏み入れた。
前回来た時と変わらない空気に、何故だかホッとする。
相変わらずここは滅多に使われていない様子。
そんな図書室の奥、鍵がかかっている学校に関わる資料が置かれているスペースに入る。
ここは昔、修斗さんが開けていたのをちらっと見させてもらったから大体の配置はなんとなく覚えている。
「……確かDVDはこの奥に……あ、あった」
年度ごとに各行事のDVDが並べられている。
体育祭に文化祭。後夜祭で行う花火大会の映像まで収録されているようだ。
一年生の宿泊研修に二年生の修学旅行。
短期留学の映像まである。
今年度のものを左手に重ねるように持ち、他の棚も見渡す。
「……七年前……七年前……あ、これだ」
私が通っていた頃の年度のものもあった。
文化祭や体育祭など、同じようなラベルが貼ってある。
手に取って意味も無く裏返す。ディスクの反射が目に眩しいだけだ。
それを元に戻そうと手を伸ばすと、
「あれ?みゃーこ?」
修斗さんの声が聞こえて、パッとドアの方を向いた。
「しゅ……深山先生」
思わず修斗さんと呼びそうになり、慌てて呼び直す。
「今俺以外誰もいないし、修斗でいいよ」
そう言われてしまうと、頷くしかない。
修斗さんは二人きりだからか、そもそも私を"野々村さん"と呼ぶつもりは無さそうだ。
「……うん。どうしたの?こんな時間にこんなところで」
「それはこっちの台詞。なんか電気付いてるから誰かいるのかなって思って見に来たんだけど。どうかした?もう定時過ぎただろ」
部活動は終わったのだろうか。いつものスーツ姿でドアにもたれかかるように立っている姿はとても様になっていてかっこいい。
まさかこんな時間にここで会うなんて思っていなかったから、驚いてしまった。
「……田宮教頭にこれ持ってくるように頼まれて」
手に持つ山を見せると、
「あぁ、明日の会議で使うからか」
と合点が入った様子。
「職員室?手伝うよ」
近付いてきて手を伸ばす姿に、首を振る。
「いいよ、別に重くないし」
「いいから。せっかく会えたんだし。もうちょっと一緒にいたいじゃん」
「……もう、そういうこと学校で言わないで。バレたらどうすんの」
「俺は全然バレてもオッケー。むしろ堂々とみゃーこといれるならウェルカムだけど」
そんなセリフを笑顔で言われたら、こっちが恥ずかしくなるよ。
視線を落とすように下を向いて赤面していると、修斗さんは何を思ったか私と距離を詰めて、顎に手を伸ばす。
するりと撫でられて、顔を上に向かされたかと思えば至近距離で見つめられて鼓動が早まる。
親指で私の唇を数回撫でて、もう片方の手で私の目にかかりそうな髪の毛を後ろに流す。
「ちょっ……と、ここ学校だってば……」
距離を取ろうと手を伸ばすけど、
「なに?まだ俺何もしてないけど?」
と戯けたように首を傾げる姿に、グッと声を詰まらせた。
「みゃーこは何されると思ったの?」
「なにって……」
「みゃーこは、俺に何して欲しい?」
その妖艶な笑みはまるでベッドの上で私を押し倒しているかのようで、交わった視線が甘くて熱い。
そのまま下から掬い上げるように、触れるだけのキスをする。
流れるようなその動きに私は息を呑んだ。
「すみません。千代田さん残業NGなのに」
「いいのいいの。今のうちに少し進めておかないと来週から地獄みたいになっちゃうから」
にこやかに千代田さんは笑うけれど、やはりお子さんが心配なのだろう、腕時計をちらちら確認して急いで帰って行った。
私も帰ろう。
そう思って戸締りをして、職員室に鍵を返しに行く。
「失礼しまーす……」
時刻は十九時。まだ部活動はやっている時間だ。
電気は付いているものの職員室には誰もおらず、私はキーボックスに鍵を入れて部屋を出る。
廊下では、吹奏楽部の力強い楽器の音が響いていた。
きっと晴美姉ちゃんも頑張っていることだろう。
玄関に向けて歩いていると、「あ、野々村さん!」と声をかけられて後ろを振り向く。
「田宮教頭」
後ろから小走りで私を追いかけてきたのは教頭先生だった。
「ダメですよ。走らないでって言われてたじゃないですか」
教頭先生は先日ぎっくり腰になってしまい、三日ほど仕事を休んでいた。しかし土日を挟んでも予後がどうもよくないらしく、あまり動いたり負担をかけないようにとお医者さんに言われたらしい。
「いや、ちょうど野々村さんが見えたからつい……」
「もう、気を付けてくださいね。……それより、私に何かご用でしたか?」
「そうそう。ちょっと、頼みたいことがあって。定時過ぎたのに申し訳ない」
「それは全然。なんでしょう?」
急いで帰ったって用事も無いし、教頭先生の負担を減らさないと、この人多分無理しそうだし。
そう思って二つ返事で了承すると、鍵を一つ渡される。
「悪いんだけど、旧校舎にある図書室から今年度の行事のDVDを持ってきて欲しいんだよ」
「行事……ですか?」
「そう。来年度の行事について明日職員会議があるんだけど、そこで使うのに持ってくるのをすっかり忘れてて……」
「わかりました。探して職員室にお持ちしますね」
「助かるよ。ありがとう」
教頭先生を職員室に戻るように促し、受け取った鍵を持って廊下を進む。
旧校舎の図書室には就職してから忙しくて行けておらず、久し振りに足を踏み入れた。
前回来た時と変わらない空気に、何故だかホッとする。
相変わらずここは滅多に使われていない様子。
そんな図書室の奥、鍵がかかっている学校に関わる資料が置かれているスペースに入る。
ここは昔、修斗さんが開けていたのをちらっと見させてもらったから大体の配置はなんとなく覚えている。
「……確かDVDはこの奥に……あ、あった」
年度ごとに各行事のDVDが並べられている。
体育祭に文化祭。後夜祭で行う花火大会の映像まで収録されているようだ。
一年生の宿泊研修に二年生の修学旅行。
短期留学の映像まである。
今年度のものを左手に重ねるように持ち、他の棚も見渡す。
「……七年前……七年前……あ、これだ」
私が通っていた頃の年度のものもあった。
文化祭や体育祭など、同じようなラベルが貼ってある。
手に取って意味も無く裏返す。ディスクの反射が目に眩しいだけだ。
それを元に戻そうと手を伸ばすと、
「あれ?みゃーこ?」
修斗さんの声が聞こえて、パッとドアの方を向いた。
「しゅ……深山先生」
思わず修斗さんと呼びそうになり、慌てて呼び直す。
「今俺以外誰もいないし、修斗でいいよ」
そう言われてしまうと、頷くしかない。
修斗さんは二人きりだからか、そもそも私を"野々村さん"と呼ぶつもりは無さそうだ。
「……うん。どうしたの?こんな時間にこんなところで」
「それはこっちの台詞。なんか電気付いてるから誰かいるのかなって思って見に来たんだけど。どうかした?もう定時過ぎただろ」
部活動は終わったのだろうか。いつものスーツ姿でドアにもたれかかるように立っている姿はとても様になっていてかっこいい。
まさかこんな時間にここで会うなんて思っていなかったから、驚いてしまった。
「……田宮教頭にこれ持ってくるように頼まれて」
手に持つ山を見せると、
「あぁ、明日の会議で使うからか」
と合点が入った様子。
「職員室?手伝うよ」
近付いてきて手を伸ばす姿に、首を振る。
「いいよ、別に重くないし」
「いいから。せっかく会えたんだし。もうちょっと一緒にいたいじゃん」
「……もう、そういうこと学校で言わないで。バレたらどうすんの」
「俺は全然バレてもオッケー。むしろ堂々とみゃーこといれるならウェルカムだけど」
そんなセリフを笑顔で言われたら、こっちが恥ずかしくなるよ。
視線を落とすように下を向いて赤面していると、修斗さんは何を思ったか私と距離を詰めて、顎に手を伸ばす。
するりと撫でられて、顔を上に向かされたかと思えば至近距離で見つめられて鼓動が早まる。
親指で私の唇を数回撫でて、もう片方の手で私の目にかかりそうな髪の毛を後ろに流す。
「ちょっ……と、ここ学校だってば……」
距離を取ろうと手を伸ばすけど、
「なに?まだ俺何もしてないけど?」
と戯けたように首を傾げる姿に、グッと声を詰まらせた。
「みゃーこは何されると思ったの?」
「なにって……」
「みゃーこは、俺に何して欲しい?」
その妖艶な笑みはまるでベッドの上で私を押し倒しているかのようで、交わった視線が甘くて熱い。
そのまま下から掬い上げるように、触れるだけのキスをする。
流れるようなその動きに私は息を呑んだ。
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