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第一章

あの頃に思いを馳せる(3)

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高校一年生の入学式の日。

あの日の、そう。厳かな雰囲気に疲れきってしまった入学式の後。

私は元々方向音痴で道を覚えるのが苦手だったため、翌日からの授業で困らないようにあらかじめ学校の中を見て回りたいと思って歩いていた。

しかし、案の定迷子になってしまったのだ。

その時にたどり着いたのが、旧校舎にある図書室だった。

あの日の空も、雲一つ無い綺麗な快晴だった。

図書室には誰もおらず、開いた窓から柔らかな春の空気が入ってきていた。

レースカーテンが揺れる音だけが聞こえる、静かで小さい場所。

元々あまり使われていなかったのか、どことなく暗い印象のそこで、私は先生に出会った。

奥にテーブルがあるのを見つけ、ちょっと休ませてもらおうと、そこにあった椅子に座った時。


「……あれ?誰かいる?」


突然聞こえた低い声に、私はバッと振り向いた。

今よりも若い、深山先生がそこにいた。


「どうした?こんなところで。新入生か?」

「……あ、はい。校舎の中を見ていたら、迷っちゃって……」

「あぁ、この学校無駄に入り組んでるからな」


わかるわかる、と頷く先生は、私の向かいに腰掛けた。


「俺は深山修斗。ここの教師。って言っても俺も君と同じ新入生だけどね」

「……新しい、先生?」

「そ。新卒。なのに入学式の後から急にここの整理しろって言われてさ、雑用押し付けんのとかやめてほしいよね」


あ、これ他の先生には内緒ね?と両手を合わせる先生の甘い笑顔に、私は心が震えたのを思い出した。


───そうだ、あの時から、先生と仲良くなったんだ。


「こういうのって、普通春休み中にやることだと思うんだけどね。何で新任の俺がこんなことしなきゃいけないのかなー」

「……」


話を聞くと、深山先生が一人でこの図書室の片付けを頼まれたらしく、一週間以内には終わらせないといけないと嘆いていた。

どうやらこの図書室には、本の他に学校の資料なんかもあるらしい。


「そういえば名前聞いてなかったね」

「野々村、美也子です」

「美也子ちゃんか。ははっ、なんか猫みたいだな」

「え?」

「ほら、髪も黒いし、綺麗な猫目だし、黒目大きいし。可愛い黒猫の"みゃーこ"って感じ。俺、猫好きなんだよね」


そんなくだらない会話から生まれたあだ名。それ以来先生はずっと、私のことを"みゃーこ"と呼ぶ。

他の先生の前でも生徒の前でもみゃーこと呼ぶもんだから、いつしかそれが皆に定着してしまい、高校での私のあだ名はみゃーこ一択だった。

先生の愚痴を散々聞かされた後、そのお礼と言って簡単に学校案内をしてくれて、玄関まで私を送ってくれた。

一人で玄関まで行ける自信が無かったから、本当に助かった。

あの日以来、私は学校が終わると旧校舎の図書室の片付けを手伝いに行くようになった。

最初は先生も驚いて、気にしなくていいと言ってくれたけれど。

一目見て、私はあの図書室が気に入ってしまった。

空気感、本の香り、柔らかな風、カーテンが揺れる音。

教室とは違う、静かで独特の落ち着く空間。いつしかそこに通うのが日課になっていた。


「あれ?美也子だ」

「あ、晴美姉ちゃん」


ある日、晴美姉ちゃんもどうやら他の先生たちに雑用を押し付けられたらしく、深山先生と二人で図書室に来たことがあった。


「え?知り合い?」

「あぁ、私たち従姉妹なの」


驚く先生に晴美姉ちゃんが答えると、先生は目を見開いた。


「え!四ノ宮先生とみゃーこが従姉妹!?えっ、似てなっ!」

「失礼なっ!」

「しかも従姉妹っていう割には歳離れてんのな?」

「私の母親と美也子の母親が歳の離れた姉妹なの」

「なるほど」


納得したのか、先生は何度か頷いていた。


「……ていうか、"みゃーこ"って何?」


晴美姉ちゃんはむしろそっちの方が気になっていたようで、先生に呆れた視線を送っていた。


「俺が考えた美也子ちゃんのあだ名。なんか名前も顔も猫みたいで可愛いから、"みゃーこ"」

「安直ー。まぁでも確かに、似合ってるかも」


晴美姉ちゃんにもからかわれたけど、それがきっかけでその日からもっと打ち解けたような気がする。

そして穏やかな時間は、先生の図書室の整理が終わってからも続いた。

先生は職員会議があったり忙しそうで、毎日来るわけではなかったけれど。

私は何をするでもなく、一人で窓を開けて部活動に励む生徒たちを眺める時間が好きだった。

たまに先生と喋って。晴美姉ちゃんもたまに来て。馬鹿みたいな話で盛り上がって。一緒に本を読んだりして。

そうして、いつしかそんな時間が私の宝物のようになっていった。



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