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Chapter4

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「はい、ではこの書類に退去の二週間前までに記入して提出をお願いします」

「わかりました」


引っ越し準備を少しずつ進めつつも、週明けの月曜日に人事部に今の寮からの退去の申請をしに行くと、ファイルに入った書類を数枚渡された。

それを抱えながら秘書室に戻って仕事をしていると副社長からお呼びがかかる。


「副社長、お呼びでしょうか」


副社長室に入ると、にこやかに手招きされた。


「うん、寮から出るんだって?」

「はい。いろいろありまして、ようやくですが」


会社から近くて家賃補助も出て住み心地も良いからそのまま出ない人も多いと聞くけれど、三人で住むには少し手狭だ。

これも隼輔ためだなら後悔は無い。

そう思っていた私に、副社長はニヤリとした視線を向けた。


「ははっ、結婚も近いのかな?」

「っ……はい、実はその予定です」


嘘をつく理由はないため肯定すると、今度は本当に嬉しそうに微笑んでくれた。


「おめでとう。自分のことのように嬉しいよ」

「恐れ入ります。ありがとうございます」

「まさか鷲尾専務とそんな仲になっていたとは私も驚いたよ」

「えっ……私、副社長に相手のことお伝えしてましたか……?」


副社長の口から隼也の名前が出て心底驚いた。

何で知ってるの!?

目を見開いた私に副社長は吹き出す。


「この間の金曜日、託児所に電話で言っていただろう?隼輔くんの父親の名前を」

「あ……」


そうだ、思い出した。

託児所の先生が知らない男性が来て混乱しないように、電話口で父親の名前は"鷲尾 隼也"だと伝えていたんだった。

車内で電話していたんだから聞いているのも当たり前だ。

だからあの時、副社長からものすごい視線を感じたのか……。

謎が解けてすっきりしつつも、どこか恥ずかしい。


「……彼とは、腐れ縁と言いますか……幼馴染で。いろいろあって、息子の父親は彼なんです。実は初めて佐久間商事を訪問した日にお伝えしていた古い知り合いというのも彼のことで。まさか社長の子息だとは思っていなかったのであの時は驚いてしまって」

「あぁ、だからあの時少し様子が変だったんだね」

「はい、思わず顔に出てしまいました」

「なるほど。そうだったのか」


納得したように数回頷いた副社長は世間話は終わりとばかりに仕事モードに切り替わり。


「じゃあ会議に行こうか」

「はい」


副社長室を出て営業部との会議に向かった。





*****

一ヶ月後。

引っ越しを終えて荷解きが落ち着いたのは一日だった後だった。

隼輔は慣れない新居にきょろきょろと落ち着かない様子だったものの、荷解きの合間に近所にある大きな公園に向かうととても喜んで遊んでいた。

家までの帰り道にあるたい焼き屋さんに寄って私と隼也が買ったたい焼きの生地の部分だけ食べさせると、美味しそうに顔を綻ばせてもっともっと!と要求してきたのが可愛い。

お散歩しつつ家にたどり着いた頃にはすっかり慣れたのか楽しそうに笑っていた。

少し託児所と会社からは遠くなってしまったけれど、今までが近すぎたため許容範囲内だ。

むしろ駅近で周りに何でも揃っているためこっちの方が暮らしやすそう。

何よりもこれからはずっと隼也と一緒にいられるのかと思うと、三年前の私には考えられないほどの幸せに何故か挙動不審になってしまう。


「どうした?」


ダイニングに夕食を並べていると隼也が首を傾げる。


「……いやぁ、なんか未だに隼也と一緒に暮らす実感が湧かなくて」


頭を掻くとわかるわかる、と何度か頷く。


「ハハッ、確かに俺もそうだわ。メシ食ったらまた来週までさよならかー……とか無意識に考えちまう」


もうさよならしなくていいんだよな。しみじみとした呟きにそっと頷くと、隼也はテレビに夢中な隼輔を抱っこしてダイニングに設置した隼輔用の椅子に座らせた。


「おててぱっちん、いただきまーす!」

「いただきまーす」

「どうぞ」


上手に両手を合わせた隼輔はキッズプレートで出した夕食に目をキラキラさせて食べ進める。

その様子を笑いながら見つめつつ、私たちも箸を動かす。


「おいしー!まま、ありあとー!」

「どういたしまして。いっぱい食べてね!」

「うん!ぱぱも!」

「あぁ。いっぱい食べような」


今にもこぼしそうな危ういバランスで隼也におかずを分けてあげようとしたり、好きなおかずばっかり食べてまた隼也にブロッコリーを食べるように諭されたり。

二人から三人になった食卓はとても賑やかで楽しい。


「舞花、ちょっとこっち」

「ん?どうしたの?」

「ちょっとここ座って」


寝る前に隼也にソファに座らされて、首を傾げる。


「……これ。今更かもだけど、渡したくて」

「……こ、れって……」


差し出された小さなスエード生地の箱。

誰もが一度は聞いたことがある、高級ジュエリーブランドのロゴ。

隼也がその蓋をゆっくりと開くと、キラキラと輝くダイヤモンドが。


「……隼也……これ……」

「……遅くなってごめん。たくさん不安にさせて泣かせてごめん。舞花一人に全部背負わせてごめん。
でも、隼輔を産んでくれてありがとう。ずっと俺を好きでいてくれてありがとう。こんな不甲斐無い俺を選んでくれてありがとう。……これからは俺が舞花と隼輔を守りたい。舞花が抱えてるもの、俺にも半分背負わせてほしい。……俺と、結婚してください」


改まったプロポーズ。どんな顔をしてプロポーズしてくれているのか、その表情を見たいのに。私の目からは大粒の涙が絶え間なく溢れ出てしまいよく見えない。

それがもったいなくて拭うのに、嬉しすぎて涙が止まらない。

全身から、大好きが溢れてくる。


「はいっ……よろしくお願いしますっ……」


両手で顔を抑えながら震える声で返事をすると、安心したように一つ息を吐いて。

私の左手をそっと掴んで、ほんの少し引いて。

薬指に、指輪を嵌めてくれる。


「結婚指輪は、一緒に選びに行こうな」

「うんっ……うんっ」


きらきらと輝くダイヤモンドを見つめていると、隼也が私の身体を引き寄せる。

ふわりと抱きしめられた腕の中で、嬉し涙を流す。

隼也は何も言わずに、ただ力強くぎゅっと抱きしめてくれて。それが何よりも心地良くて、心の底から安心する。

そろそろ寝ようか、と涙を拭いて立ち上がり、寝室で寝ている隼輔を間に挟むように寝転がる。

そのふわふわの頬を私が撫でて、ふわふわの髪の毛を隼也が撫でて。

触りすぎてしまって隼輔が唸りながら身を捩る。

それにクスクスと小さく笑いながら二人で顔を見合わせた。


「舞花」

「ん?」

「舞花も隼輔も、愛してる。必ず幸せにするから」


甘い笑顔と共に降り注ぐキスに、そっと身を委ねた。
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