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Chapter2

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「初めまして。本日よりお世話になります。津田島舞花と申します。よろしくお願いいたします」


私は三年の月日を経て、東京に戻ってきていた。

一年弱で福岡での支社が軌道に乗り始めたものの、常務は福岡を大変気に入ったようで"定年までここで働こうと思う"と宣言。

私一人で東京に帰るわけにも行かず、常務の定年を華々しく見送ってから戻ってきた。

当然、東京本社に戻った後は常務はいないため、私は副社長付きの秘書を務めることになった。

昇進と言えば昇進だ。三年間頑張った甲斐があったというもの。

懐かしい景色の中で、まだ若い四十代の常盤副社長に挨拶をした。


「津田島さん、今日からよろしくね。橋本常務から話はよく聞いていたんだ。仕事が早くてデキル子だって聞いてるから、期待してるよ」


常盤副社長は現会長の孫で、次期社長だと言われている有望株。

ダンディなおじ様で、とても優しいが仕事には厳しいと聞いている。


「恐れ入ります。ご期待に添えるように頑張ります。プライベートの部分でご迷惑をおかけしてしまうかと存じますが、よろしくお願いいたします」

「大丈夫だよ。山瀬さんもいるし、秘書課は優秀な社員が多いから皆でカバーしてくれる。私も出来る限りサポートさせてもらうよ」

「お心遣い痛み入ります」

「気にしないで。早速だけど津田島さんにメール送っといたから、添付したデータをまとめておいて欲しいんだけどお願いできるかな?」

「いつ使う資料でしょう」

「明日の午後イチ。大丈夫そう?」

「はい、問題ございません。かしこまりました」


秘書室に向かい、パソコンを立ち上げて仕事を開始した。




福岡に行ってすぐにスマートフォンの電源を入れた時、隼也からの鬼のような着信が鳴った。それに驚きつつも出ると、思いっきり怒鳴られた。


"転勤ってなんだよ!いつから!?俺聞いてないんだけど!"

"もう着いた!?ふざけんなよ!もっと早くに言うタイミングあっただろ!?お前、マジでありえねぇ!もう勝手にしろよ!"


ブツ、と切られた電話に、途方も無い虚しさを感じたことを覚えている。

その後何回か折り返したものの、隼也は電話に出てくれなかった。


……当たり前か。全部事後報告だもん。呆れられて当然だ。嫌われてもおかしくない。


自分で決めたことなのに。自分で報告を怠ったからこうなっているのに。大きな後悔が残った。すぐにでも帰って謝りたくなった。

でも、大切な友達を自分の浅はかさで失ってしまった事実は、もうどうしようもなくて。

自暴自棄になりながら新居に向かって歩いている時に人とぶつかり、コンクリートの上にスマートフォンを落として画面を割ってしまった私。

そのままスマートフォンは電源が入らなくなってしまった。データのバックアップも取っていなかったために、今までの写真だけでなく電話帳も全部失ってしまった。

急いで携帯ショップに駆け込むと、どうせデータが無いのなら今ならキャンペーンで機種変更よりも新規契約の方が安いですよ、と言われ、あれよあれよと言う間に新しい電話番号の最新機種に変わっていた。

今すぐスマホが欲しかったためあまり深く考えていなかったものの、番号が変わってしまったことによって起こる弊害に気付くまで時間がかかった。


"あれ?私の番号も変わったってことは……どうやって連絡取ればいいの?"


騙された!と思った時には既に契約サインをした後。

もしかしたらその場でキャンセルも出来たのかもしれないものの、パニックになっていた私はそのままお店を出てしまった。

仕事では新たに業務端末を支給されているため、プライベート用の番号が変わっても特に問題はない。

そうだ!と思い立ち、記憶していた実家の固定電話にかけて両親の番号はどうにかスマホに登録できたものの、隼也の番号はさすがに覚えておらず、どうすることもできずに連絡が取れなくなってしまった。

申し訳なさとやるせなさ、そして罪悪感は残るものの。どうせ嫌われてしまったわけだし、隼也を忘れるためにはそれくらいがちょうど良いのかもしれない。

きっと、仕事に集中しろってことだ。そういう神様からの思し召しだ。

そう思わないと、どうにかなりそうだった。




しかしそれから一ヶ月ほど経過したある日。
私は朝から猛烈な吐き気に襲われ、会社の寮で目が覚めてすぐにトイレに駆け込んだ。

変なものでも食べたっけ?

水を流して口を濯ぎながら首を傾げていたものの、それから事あるごとに吐き気を覚え、ついには仕事中、常務の前で目眩がして倒れそうになってしまった。

すぐに病院に行くように言われタクシーで向かったところ、そこで思わぬ事実を告げられたのだ。


『おめでとうございます』

『……え?』


その言葉の意味もわからないまま紹介状を渡され、総合病院内の産婦人科に案内された。

診察室隣にある部屋でスーツの下を脱がされ、下着も脱がされて誘導されるままに椅子のようなところに座った途端、恥ずかしい体勢で何か器具をいれられて。


『ちょうど六週をすぎたあたりかな?ほらここ、これが胎嚢って言うところで───』


先生の言葉はそこで耳に入らなくなり、モニターに映るモノクロの映像に何度も瞬きをした。

妊娠した。その事実を理解するまでに、どれくらいの時間を要したのだろう。

受け取ったエコー写真を見る。何度考えても相手は隼也しかいない。

でも、隼也とはもう連絡も取れないし、取れたところで一夜を過ごしたことも覚えていないであろう隼也にこのことを言う?汐音ちゃんと混同していたかもしれない隼也に?妊娠しましたって?

……言えるわけもなかった。


不幸中の幸いなのは、言う術自体が私には残されていなかったことだ。

それよりも問題だったのは、仕事の方だ。
私はまだ転勤したばかりの身。まさかこんなタイミングで妊娠が判明するとは思わず、常務にどうやって報告しようか、そればかり考えていた。

産むという選択肢以外、私の頭には浮かばなかった。妊娠を理解した時点で、産むことはもう決めていた。吐くのも目眩がするのも、倒れそうになったのも全て悪阻だった。すでに迷惑をかけてしまっている手前、黙っているわけにもいかずすぐに報告した。

もちろん常務は驚いていたものの、それはそれは祝福してくれた。

未婚で、見知らぬ土地で判明した妊娠。

もしかしたら誰にも祝われないかもしれない。白い目で見られるかもしれない。

そう思っていた私は、手放しで喜んでくれた常務に驚き、ほんの少し安心した。

それからは常務の第一秘書から第二秘書に内容を変更。内勤のみになるように調整してもらい、体調を見ながら仕事を続けた。

両親には電話での報告になってしまったものの、驚きながらも心配してくれてベビー用品や新生児用の服をたくさん送ってくれた。

周りの人に恵まれていることに感謝しながら日々を過ごして、十一月に無事に元気な男の子を出産。隼也から一文字取って、名前は隼輔しゅんすけにした。

仕事は半年間の育休を経て、その後は一年間時短のテレワークのみに変更してもらえたのも本当にありがたい配慮だった。

これも常務の提案で、小さいうちは子どもはよく熱を出すから、保育園に慣れて少しずつ免疫がつくまではそうした方がいい。

そう言われて実現した特例措置だった。

普通なら解雇されたり東京に返されてもおかしくなかったのに、常務はそれを許さなかった。


『私には津田島さんが必要だからね』


そんな言葉が、何よりも嬉しかった。

それから常務が定年退職するまで、それはそれは目まぐるしい毎日だった。

出産でボロボロの身体。子育てに追われながらの仕事。そして一時も休めない育児。

出産してから最初の一年はほとんど記憶に無い。二年目も三年目も自分がどうやってあの頃自我を保っていたのかわからないくらいの忙しさだった。
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