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Chapter1

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***


「常務、おはようございます」

「おはよう津田島さん。今日もよろしくね」

「よろしくお願いいたします」


週明けの月曜日。

私は何食わぬ顔で出勤して、常務に挨拶をして秘書室に入った。

自分のデスクに腰掛け、パソコンを起動しながら立ち上がるまでコーヒーを一口。

隼也の家から帰宅してから、私は土日の間ずっと悶々と考えていた。

あれからずっと当たり前のように鳴り続けているスマートフォンには、隼也からの連絡が続いていた。

書き置きを見ていないのだろうか。


"舞花、どこいった?家帰ったの?"

"書き置き今気付いた。家で寝てんの?"

"舞花、起きてる?"

"舞花?何度もごめん。これ見たら連絡ちょうだい"

"充電切れてる?"


きっと、どうやって帰ってきたのか覚えていなくて、目が覚めたら全裸だったから何があったのか聞きたいのだろう。

もしかしたら、私と何も無かったというのを改めて確認したいのかもしれない。

私はと言えば、通知分だけでそれを読み、メッセージの中身を開くこともせずに返事もしていなかった。
だって。

何か返事をしたら、墓穴を掘ってしまいそうで。

実際に会いでもしたら、どんな顔をしたら良いかわからなくて。

何も無かったような振りなんて、絶対できない。

そう思ったらズルズルと連絡できない時間が続き、そのまま無視してしまっている状態が続いていた。

だからって、このままじゃダメだってことは自分でもわかっている。

始業時間まではあと数分ある。

スマートフォンを握り、意を決してメッセージを開いた。


"ごめん、土日ずっと具合悪くて寝てたから充電落ちてたの気付かなかった"


そんな、わかりきった嘘をつく。

するとずっと私からの返事を待っていたのか、すぐに隼也からの電話が鳴った。

しかし、もう始業時間だ。


『あ、舞花!?やっと連絡ついた』

「ごめん。もう仕事始まるから切るね」

『あ、おい!』


これは嘘じゃないから。

そもそも隼也だって仕事だろうに。私にかけてきて一体何をしてるんだか。

隼也に申し訳程度に適当なスタンプを送信して、立ち上がったパソコンでメールチェックを始めた。




そして定時過ぎ。


「津田島さん、どうかな、考えてくれた?」

「……はい」


常務に呼ばれて、転勤の打診についての返事を聞かれた。


「ごめんね。もうちょっと考える時間が必要だとは思ったんだけど、人事部が一日中うるさくて」

「いえ。私のわがままで時間をくださったのですから、むしろすみませんでした」

「いいんだ。……それで、どう?」

「……私───」


ゴクリ。生唾を飲み込んで。


「……私も、福岡までご一緒させていただいてよろしいでしょうか」


胸の痛みを隠すように、笑って返事をした。

土日、ずっと考えていた。

行くべきか、行かないべきか。

同期や先輩にも相談してみたら、皆"キャリアを積みたいのなら、寂しいけど絶対に行くべき"だと頷いてくれる。

新支社の立ち上げなんて、そうそう関わることができるものでもない。

本当に忙しいだろう。けれどその分学べること、成長できることに関してはここにいる比ではないとも思った。

常務は数年と言っていたけれど、それが明確に何年かは決まっていない。すぐに本社に戻って来れるとも限らない。

支社が軌道に乗るまで、が本来の任期だろう。

それに私は常務付きの秘書だから、軌道に乗った後も常務が残ると言えば残ることになる。帰ってこられる保証など無い。

それでももう、行くと決めた。挑戦すると、決めた。


「本当か!ありがとう。津田島さんが着いてきてくれるなら一安心だ。本当に助かるよ」

「いえ、私もお誘いいただいて嬉しかったです。まだまだ未熟ですが、常務のお役に立てるように精一杯頑張ります」


常務の嬉しそうな笑顔に同じ笑顔を返した私は、一礼してから秘書室に戻った。

傍にあるサボテンは、今朝真っ白な大輪の花を咲かせた。


「……私のことを、応援してくれてるの?それとも、慰めてくれてる?」


無意識に、その花に語りかける。

寂しく無いと言えば、嘘になる。

でも、ほんの少しだけ、ホッとしている自分もいるのだ。

転勤すれば、隼也とは滅多に会うことが無くなる。

もしかしたら、もう二度と会わないかもしれない。

会わなければ、もうあんな思いをしなくていいのではないかと思ったのも事実だった。

あの一夜を最後に、隼也への想いは綺麗さっぱり忘れよう。

そのためには、今回の転勤話は朗報とも言えた。物理的に距離を取ることも必要だ。

タイムカードを切って退社した頃には、空には綺麗な満月が輝いていた。

朝、仕事だからと電話を勝手に切ったことを思い出して、スマートフォンを取り出して耳に当てる。

コール音はほとんど鳴らないタイミングで相手は電話に出た。


『舞花!?』

「朝はごめん。やっと仕事終わった」

『はぁ……良かった』


隼也は、私からの電話にホッとしたような声を出した。


「土曜からずっと連絡してくれてたんでしょ?ごめんね」

『いや、それは全然いいんだけどさ。具合は大丈夫か?』

「ん?うん。大丈夫」


そう言えば具合悪くて寝てたって言ったんだっけ。

自分で言い始めた言い訳が、どんどん自分の首を絞めていくような気がしないでもない。

ふと、沈黙が訪れて私が道を歩く音だけが響いた。


「隼也?」


呼びかけると、電話の向こうで言葉を濁しているのがわかる。


「何か用があったんじゃないの?」

『……あの、さ。金曜日……』

「……金曜日?あぁ、隼也酔い潰れちゃったから運ぶの大変だったよ。もう本当、飲み過ぎ注意!」


努めて明るく振る舞うものの、心臓はバクバク言っているし気を抜けば声も震えてしまいそう。

あの時の情事を思い出すだけで赤面してしまう。


『あー……いつも悪いな。迷惑かけて。今度金払うから。マジでごめん。ありがとう』


ほら、隼也はいつも通りだ。

やっぱりあの夜のことなど、何も覚えていないのだろう。


「ううん。冗談だよ。気にしないで」


しばらく歩きながら些細な会話をして五分程で電話を終えると、どうしようもない虚しさと寂しさが私を襲う。

覚えているわけないとは思っていたけど。

実はうっすらとでも頭の片隅にはいてくれるのでは、なんてありもしない期待はどうやら期待止まりだったよう。

やっぱりあれは、私のことを汐音ちゃんと勘違いしていたのかなあ。もしかしたら、夢の中と思ってたとか。いや、それは無いか。

でも、だったらやっぱり私の名前なんて呼ばないでほしかった。

あの時と矛盾した気持ちが、じわじわと心の中を黒く染めていく。

それに支配されないうちに顔を横に振り、家に向かってまた足を進めた。


「……転勤するって、言えなかったなぁ……」


恨めしいほど綺麗な月を見上げて、ため息を一つぶつけた。






「向こうでも頑張ってね」

「うん。ありがとう」


二週間が経過したとある快晴の土曜日。

空港まで見送りに来てくれた両親にお礼を言って、私は住み慣れた東京を離れて、福岡へ飛び立とうとしていた。

あれ以来数回隼也から食事に誘われたものの、私が転勤の関係でとても忙しくそれどころではなくて、実は連絡すらまともに取れていない。

そんな状態で、転勤するとも言えないまま当日になってしまった。

当然、見送りになど来るわけもなく、隼也には別れの挨拶すらできなかった。

親友兼相談役としては、薄情な奴だと自分でも思う。

両親に手を振りながら保安検査場を通って、そのまま飛行機に搭乗。

スマートフォンを機内モードにする前に、報告だけはしておかないと。そう思って隼也にメッセージを送る。


"ずっと言えなかったんだけど、私、福岡に転勤することになりました。しばらく会えない。ごめん。また連絡するね"


送るだけ送って、機内モードではなくて電源を落とした。

このまま、私のことなんて忘れてしまえばいい。

私も、隼也のことなんて忘れてしまえばいいんだ。

飛行機の窓から見える東京の景色を目に焼き付けて、私は福岡へと向かったのだった。




───そして、三年の月日が経過した。


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