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透明人間
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私は透明人間だ。
だからこうして路上に座りこんでいても誰も気づかない。家に帰らなくても誰も心配しない。人々は私の目の前を通り過ぎていくだけ。
生まれた時からそうなのだから、寂しいなんて感情は、私の中にはない。
一日中ぼーっと人の流れを眺めていて、もう夕方になってしまった。そろそろ帰ろうか、と立ち上がった私の目に、ひとりの男の人が写った。
こっちをじっ、と見ていた。
どうしてだろう。私の姿は誰にも見えないはずなのに。
しかし男の人は、どんどんこちらへ歩いてくる。
「どうしたの?」男の人が言った。
私に話しかけているのだろうか。だけどそのことが信じられず、私は振り返った。誰もいない。
「大丈夫?ずっと座ってたけど、具合悪いの?」
彼にはずっと前から私のことが見えていたようだ。でも、どうして?私は混乱して、走って逃げた。
人混みをかき分けて走って、ようやく足を止める。息を整えながら彼のことを考える。どうして私の姿が見えたのだろう、と。
もしかして、世界中で彼にだけ、私の姿が見えるのだろうか。
それは変な気持ちで、居心地が悪くて、恥ずかしかった。
**********
家にいても面白くないから、翌日も外へ出かけた。
昨日、あの人が私を見つけたのと同じ場所へ。
自分の姿が見える人がいるのは怖かったけれど、私は知りたかったんだと思う。
どうして、あの人だけ私に気づいたのか。
今日もたくさんの人が目の前を通り過ぎていく。制服を着ている人。スーツを着ている人。大人に子供。そういえば、昨日の人はスーツを着ていたっけ。
私はやっぱりあの人に見つかるのが怖くて、しばらくは俯いていた。けれどやっぱりあの人が気になって、顔を上げて辺りを見まわす。また怖くなって俯く。それを繰り返した。
そしてまた、一日が過ぎようとしていた。あの人に会えなくてがっかりしたような、ほっとしたような、不思議な気持ちになった。
もしかしたら、昨日あの人に会ったのは夢だったのかもしれない。そう思えてきた。
「やあ」
その時、声が聞こえて私は顔を上げた。昨日会った男の人だった。
「今日も来てたんだね」彼はそう言うと、私の隣りに座った。「誰かを待ってるの?」
私は黙って首を横に振った。まさか「あなたに会いにきた」なんて言えるはずもない。
「…君の名前は?」彼が聞いた。
「……」
「…喋れないの?」
「…エリカ」私は人と話すのが初めてだったので、とても緊張した。そして。「…どうして、あなたには私が見えるの?」
「え?」
「私は透明人間なの。だから誰にも見えないはずなのに…どうしてあなたは私の姿が見えるの?」
「どうして、って言われても…」彼は少し考えて、言った。「誰にも見えない、ってそれは君の両親にも?」
私は頷く。そして、時々帰ってくる母親のことを思い出す。いつも派手な格好をして、疲れているような、母親を。
彼女は部屋に私がいても見向きもしない。幼い頃泣き叫んだこともあるけれど、それでも無視された。その時だ。私が透明人間だと気がついたのは。
「…そう」彼は言う。「じゃあ、君の姿が見えるのは俺だけなんだ」
彼は面白そうに笑って言うと、立ち上がった。私はどうするのだろう、と不思議に思い、彼の顔を見上げた。
「家に来ないか?」彼は言った。「俺もひとり暮らしだから寂しいし…どうかな」
ひとりが寂しい、という意味が私には解らなかったけれど、彼のことは興味があったのでついて行くことにした。
「あなたの名前は?」私は立ち上がって彼に聞く。
「尚人だよ。土岐尚人」
そうして、私は差し出された尚人さんの手に触れた。
**********
電車で2駅。歩いて10分。尚人さんに連れられて来たのは、彼が住んでるアパートだった。
2階建てで階段は外についている。尚人さんが階段を昇る。私もその後をついていった。
部屋は各階ごとに4部屋。尚人さんの部屋は扉をふたつ越えたところ、203号室だった。
尚人さんは郵便受けから手紙を取り出し、鍵を開けた。そして扉を開け「どうぞ」と言って私を先に入れた。
リビングの他に部屋はもうひとつ。綺麗に片付けられていた。
家とは大違い、と私は思った。家はお母さんの服や食べたお弁当のからなんかが散乱しているから。私も、急に部屋が綺麗になったらお母さんが驚くだろう、と思ってそのままにしておいた。
靴を脱いで中へ入る。後ろで尚人さんが電気のスイッチを入れる音がした。一瞬遅れて、薄暗い部屋が明るくなる。
「どこでもいいよ、座って」尚人さんは言って、奥の部屋へ消えた。
私はいつもの癖で、部屋の隅に座った。着替えをして出てきた尚人さんはその姿を見て笑った。
「もっとこっちにおいで」
お茶をテーブルの上に置いて座った尚人さんが言う。私は、尚人さんは私の姿が見えるのだから踏まれることもないか、と思い近づいた。
尚人さんがお茶を勧める。私は湯気の立ったカップを持って一口飲んだ。
とても不思議だった。
姿が見える人とこうして向き合って、与えられたお茶を飲むなんて。
今まで何かを与えてくれる人なんていなかった。全部自分で、盗むように飲んでいた。
体の中を温かいものが流れていく。それは、お茶のせい?
ピンポーンと呼鈴が鳴った。尚人さんは立ち上がって、私に奥の部屋まで行くように言った。
私は透明人間なのだから、誰が来ても構わないと思ったけど、尚人さんは私の姿が見えるのだからどうも、私が透明人間だとまだ信じていないらしい。私は素直に、尚人さんに従った。
訪ねてきたのは女の人だった。私は襖を少し開いて様子を見ていた。
女の人は尚人さんに触れようとするのだが、尚人さんはそれを拒んでいるように見えた。
そして5分くらい話していただろうか。女の人は玄関のドアを開けた。
一瞬目が合ったように見えた。
けれど、彼女は何も言わずに去っていく。それを見て私は、やっぱり透明人間なんだなあと思った。
手の中にあったカップは、もう冷めていた。
**********
尚人さんの部屋に寝泊まりして、数日が経った。結局私は、この人と暮らすことになった。
私の姿を唯一見ることができる、彼と。
土曜日で尚人さんの仕事が休みなので、私達は買い物に出かけた。本格的に一緒に暮らすとなると足りないものがあるから、と尚人さんが無理矢理連れ出したのだ。
尚人さんは周りに人がいる時でも構わず私に話しかけた。私は透明人間に話しかけると周りの人に変な目で見られますよ、と言ったのだけれど、全く気にしなかった。私が透明人間であることをまだ信じていないのかもしれない。
ある雑貨屋に入る。尚人さんは微笑みながら、私にどっちがいい、なんて聞いてくる。
すぐそばに鏡があって、私の姿が写っている。無表情だ。
決して楽しくない訳じゃない。笑い方が、よく解らない。
笑い方だけじゃない。怒りも悲しみも、感情そのものを忘れてしまった。
今までは誰にも姿が見えなかったのだからそれでもよかったけれど、今は尚人さんと一緒にいる。私がこんな顔をしていても、この人は一緒にいてくれるだろうか。
それとも、また前と同じように、ひとりになってしまうのだろうか。
「どうした?」
ぼーっと鏡を見ていた私に尚人さんが声をかける。私は慌ててなんでもない、と言った。
そして尚人さんはまた微笑む。私の手を引いていく。
少なくとも今はひとりじゃない。そう思った。
両手に買い物袋を下げる頃には、もう日が傾いて、私達は家路を歩いていた。
私は尚人さんを見失わないように後ろをついていき、尚人さんはそんな私を時々振り返って確かめていた。そんなことしなくてもいいのに、と私は恥ずかしくなって視線をそらした。
すると、尚人さんがいきなり立ち止まったので、私は彼にぶつかった。顔を上げると、尚人さんは知らない男の人と話していた。
年齢は尚人さんと同じくらい。身長は男の人の方が少し高くて、茶髪で黒い服を着ていた。
かなり親しく話していたので、尚人さんの友達なのかもしれない。何を話しているかは周りの音がうるさくて聞こえなかったけど。
ふと、男の人と目が合う。私は透明人間なのだから、私の姿は見えないはずなのに。
私は怖くなって視線をそらし、尚人さんの後ろに隠れた。人に見られるのは慣れていない。
「お待たせ」
尚人さんの声が聞こえて顔を上げると、男の人はいなかった。話は終わったらしい。
尚人さんが歩き出し、私はまたその後ろをついていった。あの男の人に姿を見られるのは怖かったけれど、尚人さんといるのは怖くない。
どうしてなのだろう。今はまだ、理由は解らない。
**********
午後7時過ぎ、呼鈴が鳴った。夕飯も終わって、尚人さんはタバコを買いに出かけたところだった。
出ようか、と思ったけれど透明人間の私が出ても相手が困るだけだろう。そう思って知らないふりをしていたのだけれど、その人は勝手にドアを開けて入ってきた。
先日尚人さんと親しそうに話していた男の人だった。
「なんだ、尚人いねえの?」彼は遠慮せずに部屋の中へ入ってきた。
そして、私と目が合う。
「こんばんは」彼が言った。
やっぱり、私の姿が見えるのだろうか。しかし私は透明人間で、でも尚人さんには姿が見えるわけで…なんて考えて混乱してしまった。
気分を落ち着けようと深呼吸をする。そして、尋ねた。
「…私の姿が見えるのですか」
「うん?どういうことだよ」彼はテーブルの近くに座ると灰皿を引き寄せ、タバコに火をつけた。「見えるも何も、そこにいるからこうして話しができるんだろうが」
やっぱり、私の姿は見えるらしい。ただ、見えるから私が透明人間だということは信じられないらしい。
「名前は?」彼が尋ねた。
「…エリカ」
「俺は絋海(ひろうみ)。尚人とは高校生のときからの付き合いだよ。尚人から聞いてないか?」
私は首を横に振る。
「そっか…何も話してねえんだな」
ガチャ、とドアが開く音がした。尚人さんが帰ってきたのだ。
「紘海…」尚人さんは彼の姿を見て驚いた。「…来るときは連絡しろって言っただろ。あとここは禁煙だ」
「何で急にそんなこと言い出すんだかね。いつも連絡なしで来てても何も言わなかったのに」紘海さんはタバコを消した。「隠し事でもあるのか?」
尚人さんが紘海さんを睨む。
「…怒るなって」紘海さんは立ち上がり、玄関へ歩いていく。「また来るよ。じゃあな、尚人。…エリカも」
バタンと音がして、ドアが閉まった。
だからこうして路上に座りこんでいても誰も気づかない。家に帰らなくても誰も心配しない。人々は私の目の前を通り過ぎていくだけ。
生まれた時からそうなのだから、寂しいなんて感情は、私の中にはない。
一日中ぼーっと人の流れを眺めていて、もう夕方になってしまった。そろそろ帰ろうか、と立ち上がった私の目に、ひとりの男の人が写った。
こっちをじっ、と見ていた。
どうしてだろう。私の姿は誰にも見えないはずなのに。
しかし男の人は、どんどんこちらへ歩いてくる。
「どうしたの?」男の人が言った。
私に話しかけているのだろうか。だけどそのことが信じられず、私は振り返った。誰もいない。
「大丈夫?ずっと座ってたけど、具合悪いの?」
彼にはずっと前から私のことが見えていたようだ。でも、どうして?私は混乱して、走って逃げた。
人混みをかき分けて走って、ようやく足を止める。息を整えながら彼のことを考える。どうして私の姿が見えたのだろう、と。
もしかして、世界中で彼にだけ、私の姿が見えるのだろうか。
それは変な気持ちで、居心地が悪くて、恥ずかしかった。
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家にいても面白くないから、翌日も外へ出かけた。
昨日、あの人が私を見つけたのと同じ場所へ。
自分の姿が見える人がいるのは怖かったけれど、私は知りたかったんだと思う。
どうして、あの人だけ私に気づいたのか。
今日もたくさんの人が目の前を通り過ぎていく。制服を着ている人。スーツを着ている人。大人に子供。そういえば、昨日の人はスーツを着ていたっけ。
私はやっぱりあの人に見つかるのが怖くて、しばらくは俯いていた。けれどやっぱりあの人が気になって、顔を上げて辺りを見まわす。また怖くなって俯く。それを繰り返した。
そしてまた、一日が過ぎようとしていた。あの人に会えなくてがっかりしたような、ほっとしたような、不思議な気持ちになった。
もしかしたら、昨日あの人に会ったのは夢だったのかもしれない。そう思えてきた。
「やあ」
その時、声が聞こえて私は顔を上げた。昨日会った男の人だった。
「今日も来てたんだね」彼はそう言うと、私の隣りに座った。「誰かを待ってるの?」
私は黙って首を横に振った。まさか「あなたに会いにきた」なんて言えるはずもない。
「…君の名前は?」彼が聞いた。
「……」
「…喋れないの?」
「…エリカ」私は人と話すのが初めてだったので、とても緊張した。そして。「…どうして、あなたには私が見えるの?」
「え?」
「私は透明人間なの。だから誰にも見えないはずなのに…どうしてあなたは私の姿が見えるの?」
「どうして、って言われても…」彼は少し考えて、言った。「誰にも見えない、ってそれは君の両親にも?」
私は頷く。そして、時々帰ってくる母親のことを思い出す。いつも派手な格好をして、疲れているような、母親を。
彼女は部屋に私がいても見向きもしない。幼い頃泣き叫んだこともあるけれど、それでも無視された。その時だ。私が透明人間だと気がついたのは。
「…そう」彼は言う。「じゃあ、君の姿が見えるのは俺だけなんだ」
彼は面白そうに笑って言うと、立ち上がった。私はどうするのだろう、と不思議に思い、彼の顔を見上げた。
「家に来ないか?」彼は言った。「俺もひとり暮らしだから寂しいし…どうかな」
ひとりが寂しい、という意味が私には解らなかったけれど、彼のことは興味があったのでついて行くことにした。
「あなたの名前は?」私は立ち上がって彼に聞く。
「尚人だよ。土岐尚人」
そうして、私は差し出された尚人さんの手に触れた。
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電車で2駅。歩いて10分。尚人さんに連れられて来たのは、彼が住んでるアパートだった。
2階建てで階段は外についている。尚人さんが階段を昇る。私もその後をついていった。
部屋は各階ごとに4部屋。尚人さんの部屋は扉をふたつ越えたところ、203号室だった。
尚人さんは郵便受けから手紙を取り出し、鍵を開けた。そして扉を開け「どうぞ」と言って私を先に入れた。
リビングの他に部屋はもうひとつ。綺麗に片付けられていた。
家とは大違い、と私は思った。家はお母さんの服や食べたお弁当のからなんかが散乱しているから。私も、急に部屋が綺麗になったらお母さんが驚くだろう、と思ってそのままにしておいた。
靴を脱いで中へ入る。後ろで尚人さんが電気のスイッチを入れる音がした。一瞬遅れて、薄暗い部屋が明るくなる。
「どこでもいいよ、座って」尚人さんは言って、奥の部屋へ消えた。
私はいつもの癖で、部屋の隅に座った。着替えをして出てきた尚人さんはその姿を見て笑った。
「もっとこっちにおいで」
お茶をテーブルの上に置いて座った尚人さんが言う。私は、尚人さんは私の姿が見えるのだから踏まれることもないか、と思い近づいた。
尚人さんがお茶を勧める。私は湯気の立ったカップを持って一口飲んだ。
とても不思議だった。
姿が見える人とこうして向き合って、与えられたお茶を飲むなんて。
今まで何かを与えてくれる人なんていなかった。全部自分で、盗むように飲んでいた。
体の中を温かいものが流れていく。それは、お茶のせい?
ピンポーンと呼鈴が鳴った。尚人さんは立ち上がって、私に奥の部屋まで行くように言った。
私は透明人間なのだから、誰が来ても構わないと思ったけど、尚人さんは私の姿が見えるのだからどうも、私が透明人間だとまだ信じていないらしい。私は素直に、尚人さんに従った。
訪ねてきたのは女の人だった。私は襖を少し開いて様子を見ていた。
女の人は尚人さんに触れようとするのだが、尚人さんはそれを拒んでいるように見えた。
そして5分くらい話していただろうか。女の人は玄関のドアを開けた。
一瞬目が合ったように見えた。
けれど、彼女は何も言わずに去っていく。それを見て私は、やっぱり透明人間なんだなあと思った。
手の中にあったカップは、もう冷めていた。
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尚人さんの部屋に寝泊まりして、数日が経った。結局私は、この人と暮らすことになった。
私の姿を唯一見ることができる、彼と。
土曜日で尚人さんの仕事が休みなので、私達は買い物に出かけた。本格的に一緒に暮らすとなると足りないものがあるから、と尚人さんが無理矢理連れ出したのだ。
尚人さんは周りに人がいる時でも構わず私に話しかけた。私は透明人間に話しかけると周りの人に変な目で見られますよ、と言ったのだけれど、全く気にしなかった。私が透明人間であることをまだ信じていないのかもしれない。
ある雑貨屋に入る。尚人さんは微笑みながら、私にどっちがいい、なんて聞いてくる。
すぐそばに鏡があって、私の姿が写っている。無表情だ。
決して楽しくない訳じゃない。笑い方が、よく解らない。
笑い方だけじゃない。怒りも悲しみも、感情そのものを忘れてしまった。
今までは誰にも姿が見えなかったのだからそれでもよかったけれど、今は尚人さんと一緒にいる。私がこんな顔をしていても、この人は一緒にいてくれるだろうか。
それとも、また前と同じように、ひとりになってしまうのだろうか。
「どうした?」
ぼーっと鏡を見ていた私に尚人さんが声をかける。私は慌ててなんでもない、と言った。
そして尚人さんはまた微笑む。私の手を引いていく。
少なくとも今はひとりじゃない。そう思った。
両手に買い物袋を下げる頃には、もう日が傾いて、私達は家路を歩いていた。
私は尚人さんを見失わないように後ろをついていき、尚人さんはそんな私を時々振り返って確かめていた。そんなことしなくてもいいのに、と私は恥ずかしくなって視線をそらした。
すると、尚人さんがいきなり立ち止まったので、私は彼にぶつかった。顔を上げると、尚人さんは知らない男の人と話していた。
年齢は尚人さんと同じくらい。身長は男の人の方が少し高くて、茶髪で黒い服を着ていた。
かなり親しく話していたので、尚人さんの友達なのかもしれない。何を話しているかは周りの音がうるさくて聞こえなかったけど。
ふと、男の人と目が合う。私は透明人間なのだから、私の姿は見えないはずなのに。
私は怖くなって視線をそらし、尚人さんの後ろに隠れた。人に見られるのは慣れていない。
「お待たせ」
尚人さんの声が聞こえて顔を上げると、男の人はいなかった。話は終わったらしい。
尚人さんが歩き出し、私はまたその後ろをついていった。あの男の人に姿を見られるのは怖かったけれど、尚人さんといるのは怖くない。
どうしてなのだろう。今はまだ、理由は解らない。
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午後7時過ぎ、呼鈴が鳴った。夕飯も終わって、尚人さんはタバコを買いに出かけたところだった。
出ようか、と思ったけれど透明人間の私が出ても相手が困るだけだろう。そう思って知らないふりをしていたのだけれど、その人は勝手にドアを開けて入ってきた。
先日尚人さんと親しそうに話していた男の人だった。
「なんだ、尚人いねえの?」彼は遠慮せずに部屋の中へ入ってきた。
そして、私と目が合う。
「こんばんは」彼が言った。
やっぱり、私の姿が見えるのだろうか。しかし私は透明人間で、でも尚人さんには姿が見えるわけで…なんて考えて混乱してしまった。
気分を落ち着けようと深呼吸をする。そして、尋ねた。
「…私の姿が見えるのですか」
「うん?どういうことだよ」彼はテーブルの近くに座ると灰皿を引き寄せ、タバコに火をつけた。「見えるも何も、そこにいるからこうして話しができるんだろうが」
やっぱり、私の姿は見えるらしい。ただ、見えるから私が透明人間だということは信じられないらしい。
「名前は?」彼が尋ねた。
「…エリカ」
「俺は絋海(ひろうみ)。尚人とは高校生のときからの付き合いだよ。尚人から聞いてないか?」
私は首を横に振る。
「そっか…何も話してねえんだな」
ガチャ、とドアが開く音がした。尚人さんが帰ってきたのだ。
「紘海…」尚人さんは彼の姿を見て驚いた。「…来るときは連絡しろって言っただろ。あとここは禁煙だ」
「何で急にそんなこと言い出すんだかね。いつも連絡なしで来てても何も言わなかったのに」紘海さんはタバコを消した。「隠し事でもあるのか?」
尚人さんが紘海さんを睨む。
「…怒るなって」紘海さんは立ち上がり、玄関へ歩いていく。「また来るよ。じゃあな、尚人。…エリカも」
バタンと音がして、ドアが閉まった。
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