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環流 虹向

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「え…?なんで…?」

あの日よりも大きくなった時音は、あの日よりも悲しげな顔をして私が言ったことをまだ頭で処理出来ないのか、また理由を聞いてきた。

幸来未「時間稼ぎって言っても、婚約者だもん。結婚するよ。」

時音「…え、えっ…な…、僕と駆け落ちは…?」

幸来未「時音は人気者だもん。駆け落ちしたって周りにばれちゃうよ。」

時音「で、でも…。え…っと、…婚約者って好きな人なの?」

幸来未「好きだよ。嫌いだったら結婚しないよ。」

時音「時間稼ぎだけの人じゃないの…?本当はお見合い結婚しないといけないとかじゃなくて…?」

幸来未「違うよ。こっちで出会った人で何回かデートしたよ。」

私はどうしても悲しむ演技が上手すぎる時音に心臓が張り裂けそうになる程、好きだった想いが溢れ出そうになるけれど喉から出さないようにする。

すると、時音は韓国のレッスンで習得したと自慢げに話していた一筋の涙を綺麗に流して俯いていた顔を上げた。

時音「…僕、も。」

と、時音は喉が締まり、今にも吐きそうなくらい苦しそうな声で言葉を発した。

時音「僕も…、好きな人がいて。…駆け落ちはどうなんだろうって、思ってた。」

私はその言葉に心臓を槍で射抜かれたような痛みが走り、ずっと我慢出来ていた涙が零れそうになる。

時音「駆け落ちなんてただのファンタジーでしかないのにね。本気で言ってごめんね。幸来未のこと、困らせちゃった。」

そう言って時音は秋晴れのような気持ちいい笑顔をするけれど、太くなった喉は少し震えていて言いたくないことを言っていると分かってしまう。

そんな正直すぎる時音がやっぱり好きでどうしてもまだ一緒にいたいと思うけれど、フロントからの退出の催促の電話が鳴り私たちは残暑を和らげるように降る豪雨の前に出されてしまった。

時音「…雨だね。」

幸来未「だね。傘持ってきた?」

時音「最近、雨多かったから一応持ってきてる。」

そう言って天気にいつも詳しい時音はバッグから折りたたみ傘を出して、私に手渡した。

時音「幸来未が使って。」

幸来未「時音が使いなよ。」

時音「…じゃあ、2人で入ろ。」

私はそう言ってくれた時音に頷き、出た途端スニーカーが浸水してしまうほどの雨雲の下に立つ。

時音「幸来未はどっち?」

と、時音は駅から近い道とタクシーがよく通る大通りを目で指す。

幸来未「駅だよ。時音は?」

時音「僕も。一緒に行こう。」

そう言って時音は私の肩を抱いて私の体が絶対濡れないように歩き始める。

けれど、私は手を繋いで欲しかったと思いながら時音のポケットに人差し指を入れて歩いているとあの信号が現れた。

あの信号が時音を好きと確信したキッカケだけど、今日はどうかな。

そう私が考えながら信号前まで歩くと、信号はタイミングよく青になってしまい時音は軽く左右確認をして前に進んでしまう。

それがあの日には戻れない現実がやってきたと自分の中で痛感してしまって、胸の痛みで息が浅くなってしまうと時音が私の肩を引いて足を止めさせた。

時音「松ぼっくりって1年中手に入るらしいよ。」

と言って、時音はこの豪雨で誰もいない松ぼっくりの木の下で足を止めて赤ちゃんを確認した。

幸来未「…冬じゃないの?」

時音「実が成るのは冬だけど、落ちてくるのはいつか分からないんだって。」

幸来未「なんか時音みたい。」

時音「なにそれ。」

もう俳優としての演技力は備わってたけど、あの時はきっとまだ目に触れられる回数が少なかっただけ。

松ぼっくりみたいに人が見上げない木の上から降ってきて、目に入れてもらうと一度は必ず目を惹いてしまうほど珍しい実をしていて、好きと言う人は収集して自分の手の中にとっておきたいからリースにしたり、普段を彩る飾りにするの。

幸来未「つんつんなの一緒。」

私は時音の横髪を背伸びして触り、雨で濡れて傷が出てしまったのを直す。

時音「だったら幸来未はココアかな。」

幸来未「それ、響きだけでしょ?」

時音「正解。分かっちゃうか。」

幸来未「分かるよ。ずっと前に私の名前を言おうとしてココアって濁してたもん。」

時音「…バレてたか。」

幸来未「バレるよ。帽子、持ってきた?」

私はずっと返し忘れられているキャスケットのことを時音に聞いてみる。

時音「…今日も忘れちゃった。僕のパーカーは?」

幸来未「……忘れた。」

時音「お互い様ということで。パーカーあげるよ。」

そう言って時音は私の眉間にキスをしてまた歩き始めた。

幸来未「じゃあ私もあげる。誕生日プレゼント。」

時音「じゃあ僕のも早すぎる誕生日プレゼントね。」

私はカバンに入れてきた早すぎる誕生日プレゼントの重みに少し耐えきれなくて、歩幅を狭めると時音もその歩幅に合わせるようにゆっくり歩いてくれる。

けど、どうしても駅は近づいてきてこんな豪雨でもまばらには人がいて、広告掲示板には時音の顔が大きく写っている。

時音「…あっちはさすがに行けないかな。」

そう言って時音は駅にあと少しで着く大きな横断歩道の前で足を止めた。

幸来未「…じゃあ、あっち。今日はバスで帰る。」

私は人のいないバス停を指し、時音と一緒にバス停の屋根で雨宿りする。

時音「このバスで帰れるんだ?」

幸来未「うん。終点までだから1時間近くかかるけど。」

私が初めて時音に最寄り駅を教えると、早すぎるタイミングでバスが来てしまった。

時音「じゃあ元気でね。」

幸来未「うん。ずっと応援してるから。」

時音「…ごめん。」

と言って、時音はずっとカバンの口が開けっぱでキャスケットの生地丸出しだったカバンと折りたたみ傘を地面に落とし、上を向いていた私をすくうように顔を包んで気持ちをぶつけるようなキスをしてくれる。

それに答えるように私は時音が離してくれるまでキスをしていると、バスがあと1分で発車する時間になってしまった。

時音「ごめん。…はなみず。」

幸来未「私のかも。」

お互い涙と鼻水で不恰好過ぎる顔をお互いのシャツの袖で拭きあっていると、運転手さんが私たちに声をかけた。

幸来未「…行くね。」

時音「うん。時間作ってくれてありがとう。」

そう言ってくれた時音に私は手を振って、急いでバスの1番後ろの座席に座ってまだいる時音に手を振る。

「発車します。」

そんな単調な声かけをした運転手の一声を合図にバスは進んでしまって時音からゆっくりと着実に離れていってしまう。

私はやっぱりまだ心に好きが溢れているのを感じていると、時音が私を大きな声で呼んだ。

時音「僕も乗ります…!」

時音のよく通る声は私の耳元にしか入ってないのか、運転手さんは気にするそぶりもなくどんどんバスを走らせてしまうので私は豪雨とバスの寒暖差で結露してしまっている窓に英語の成果を時音に見せつける。

『Good Bye,Sugar. 』

その短文は今の時音なら分かるはずで時音の声が聞こえなくなったと当時に、文字を消すようにして窓の結露を拭くと時音はあの横断歩道でなりふり構わず私に手を振ってくれていた。

それに私も答えるように誰もいない車内の窓を開け、時音が見えなくなるまで手を振り返しびしょ濡れになってしまったシャツと一緒に家に帰った。


環流 虹向/23:48
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