紅い砂時計

cyaru

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第13話   交換は不要です

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祝いの鐘の音が空に響くとティトは動かしていた手を止めて空を見上げた。

「ティト、手が止まってるよ。しっかり洗うんだ」
「解ってるよ!」

メリーさんに指導をしてもらいながら衣類を洗う。殆どは妹ララのオムツだったりだがこの1カ月でティト達3兄弟妹の生活はガラリと変わった。


★~★

街の看板などでしか見た事ない記号のようなものは「文字」で3日前に自分の名前が書けた時は何とも言えない気持ちになった。

――名前が文字になるなんて――

感覚としては「看板」になった気分だった。


ルドヴィカは「読み書き出来て損になる事はない」と言うがティトにそんな事を言った大人は1人もいなかった。弟妹に何か食べるものを与えるのが精一杯の生活。

母親は酒場の女性給仕をしていたがララを産んだ後はクビになったようで街角に立って客を連れ帰って来た。その度にララを抱き、ベルクの手を引いて何時間も河原や誰かの家の軒先で時間を過ごしてきた。

ダニエレと知り合ったのはララが生まれる前のこと。
その時は腹が大きくなり、働けない母親の代わりに昼はどぶ掃除の仕事や貴族の馬車を狙った当たり屋をして夜は繁華街に出てスリや置き引き、かっぱらい。捕まっても子供だと直ぐに解放された。

機嫌が良い時は大人しいのだが、一旦機嫌が悪くなると誰彼構わず当たり散らす母親。臨月近くなると客も取れなくなり母親は起きている間中ティトとベルクに罵声を浴びせながら手を上げた。
その日はベルクを連れて飛んでくる食器を避けながら外に飛び出した。

「兄ちゃん。僕、お腹空いたよ」
「ごめんな。もうちょっと待っててくれ」

繁華街の露地で頃よく出来上がった客を探し、懐を狙う。
獲物を探していたティトの前をしょぼくれた中年男が通り過ぎた。

――今回はこいつにしよう――

肩をすぼめてとぼとぼ歩く男。おそらくはお気に入りの娼婦が先客に取られてしまい時間を潰すのに飲み屋に向かうのだろうと路地にベルクを残し、ティトは男の後を付けた。

そしてスキを伺って財布をスった・・・のだったが手に財布はなく、逆に手首を掴まれてしまった。

――ダメだ。殴られる!――

そう思ったのだが男は「付き合え」と言ってティトと隠れて見ていたベルクを連れて食堂に入ると食事をごちそうしてくれた。

「寝るとこねぇなら、俺の部屋で寝ろ。子供がこんな時間まで外をうろつくな」

男はダニエレ。ティトは気が付いていなかったが随分前から当たり屋をしている事をダニエレは知っていた。

「そんな事してて、大怪我したら困るだろう」
「困らないよ。こう見えて転び方は上手いんだ」
「馬鹿か。俺が言ってるのはお前が怪我をする事で弟はどうなるんだって言ってるんだ」

そうは言っても簡単に商売を止められる訳が無い。
ティトが稼がなければベルクは食べるものが無いし、間もなく母親が産む新しい弟妹も生きてはいけない。

ティトはダニエレに時折ベルクと共に世話になりながら以前と変わらない生活を送っていた。いや、ララが生まれてさらに生活は困窮を極めた。
ベルクは「ここで待ってろ」とかっぱらいをする間は待たせておけるがララは違う。

だが、家に置いておくと生後数週間のララにさえ母親は手を上げるので置いてはいけなかった。

「お前、まだ当たり屋なんかやってんのか。止めろと言っただろう」

いつもと様子が違うダニエレに見つかってしまった。
その日、ダニエレは1台の馬車を追っている最中に偶然ティトを見つけたのだ。

「あの馬車、何かあるの?」
「ん~・・・なんていうか。まぁ大事な人だよ」

気安く話せる間柄になっていたダニエレは馬車の中にいる女性を保護したいが、そのまま声を掛けると色々と面倒でとティトに語った。

「なら僕が馬車を止めるよ」
「馬鹿か。そんな事はもう止めろと言っただろう」
「そうじゃなくて。怪我をした振りをしたら御者とも話ができるよ」
「だが、御者に知られるのも困るんだよ。必要なのは中身だけなんだ」
「なら気を失った振りで馬車の中に入りこめばおじさんの家に案内出来るかも知れないだろ?」
「馬車の中に?‥‥お嬢なら・・・アリ寄りのアリ・・・いいかもな」
「どうすればいい?」
「いや、ダメだ。お前が怪我をするかも知れない」
「大丈夫だって!言ったろ?転ぶのは上手いんだってば」



そんな事があり、何故かその日の夕方からはこんな立派な屋敷で何の不自由もなく暮らせるようになった。

ティトにはここがメッサーラ王国の大使館だと言う事は今一つ解っていないが、ゴシゴシとララのオムツを洗いながら最近少しだけ気が付いた事がある。

「メリーさん」
「なんだい?洗い終わったら次はすすぎだよ」
「それは解ってる。俺さぁ…お姉ちゃんとダニエレさんには感謝してるんだ」
「へぇ…感謝なんて言葉、知ってたんだね?」
「知ってるよ!ちぇっ!」


カーンコーン♪

空にまた鐘の音が響き渡り、ティトが空をまた見上げた。

「結婚式の鐘の音さね。祝い事だからついでに何かお願いすると神様が聞き届けてくれるかもね」
「そうなのか?」
「1つ、2つ他人の願いが混じっていた所で神様は気がつきゃしないよ」
「そうなんだ・・・」
「そりゃそうさ。花嫁が交換になってもこの国の神様は関係ないんだから」
「え?」
「子供は知らなくていいの!はい、洗う!」


ティトはメリーさんの言葉に首を傾げながらまた洗濯板に洗濯物をこすりつけながら考えた。

ダニエレはルドヴィカの事を「大事な人」と言った。
恋人かな?と思ったのだが少し違う。ここ数日モスキーと話をするダニエレを見かけたが、モスキーに対しては「主従関係」だと判るのだがルドヴィカに対しては少し違う。

この生活をするようになってダニエレに武術を教えてもらった時、ティトはダニエレに聞いた。

「ダニエレさんはお姉さんのこと、好きなの?」
「好きだぞ?でもな、その辺の好きとはかなり違う ”好き” だがな」
「何が違うんだ?男なら押し倒して――」
「おいおい!物騒な事をガキが言うんじゃねぇよ。そういうのじゃないんだ。お嬢は俺を人間だと気づかせてくれたんだ」
「人間って・・・まさか牛だったとか?」
ちげぇよ!!俺みたいな仕事をしていると歯車だとか、その部品だとしか思えない事が多いんだ。でもお嬢は俺にパンと果実水をくれてさ、ただ隣に座って足をプラプラ・・・ははっ・・・ま、人間だったって事を教えてくれたんだよ。ガキには解んねぇだろうけどよッ!」


着た切りでその日食べるものの為に盗みを繰り返す生活。
着飾った者からは地を這う虫を見るかのような視線を向けられていた。

自分の名前が文字になる事を知った時の戸惑いは、きっとダニエレが人である事を気が付いた瞬間に似ているんじゃないかとティトは思った。

――なら俺も・・・ダニエレさんのようにお姉さんを!――

ゴシゴシとオムツを洗う手に力がこもる。

「こら!ただ力を入れればいいんじゃないと言ったでしょ!」
「ぅえ??」
「もう!こっちまで泡が飛んで!布は強く洗うんじゃなくしっかり洗う!やり直し!」
「えぇーこの量を?!」
「なら、アタシの桶と交換するかい?」

ティトはチラリとメリーさんが担当する桶を見る。軽くティトに割り振られた量の数倍。

「交換は・・・いいです」
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