上 下
12 / 32

第12話  抱いた恋心

しおりを挟む
エスラト男爵家の業績は月を追わずとも日を追うごとに悪くなっていく。
ここ3か月の間に「まだ頑張れます!」と訴える従業員もエスラト男爵の説得に泣く泣く首を縦に振って退職金を手に何人も工房を去った。

去って行った職人の中にはエスラト男爵が薬作りの秘伝のレシピを託した者もいる。

――お父様…事業を辞めてしまうのかしら――

シェイナにはまだ話をしてはくれないが、そんな気がしていた。
少ない職人たちと作る薬も効能は確かで、純度も高く重宝されているのに薬問屋も買ってくれなくなった。
正しいかは別として口コミの便利さと恐ろしさ。

声が大きな者に右に倣えとした方が世間は上手く渡っていける。
世間は効能があり、精度の高い薬よりも蜜の味と呼ばれる他人の不幸を選んだのだ。

精を出して作っているのは問屋や商会用ではなく個人向け。

「エスラトさんのところの薬じゃないとダメなんだ」と直接買ってくれる個人客しかもう残ってはいなかった。


暗澹あんたんたる空気も漂うが、シェイナには楽しみが出来た。
何度目になるだろう。屋敷で籠の中に持って行く薬草や薬を確認しながら詰めていくシェイナは心が浮き立つ。

決して祖父のような敬虔な信徒ではない。どちらかと言えば良くしてくれる神父さんには申し訳ないけれど「神様なんていない」と思っている。

それでも教会から帰るなり、「あと6日」「あと3日」と指折り楽しみにその日を待った。

「気を付けて行きなさいよ?」
「判ってるわ。じゃぁ行ってきます」

気遣う母親に声を掛けてシェイナが出掛ける先は勿論教会。
逸る心が足取りも軽くさせて教会へ体を運んでくれる。


「今週もありがとうございます」
「いえ、よければお使いください」

神父に籠を手渡しながらも目が1人の男性を探してしまう。

「ライネルさんでしたら、植え込みの縁石を直してくれていますよ」
「ち、違いますっ」

真っ赤な顔をして否定をしても説得力など皆無。気を利かせた神父は笑ってシェイナに言う。

「放っておくと休憩をしないので、そろそろ休憩をと伝えてください」
「はい。伝えてきますね」

声が弾んでしまうのも仕方がない。
シェイナはライネルに恋心を抱いてしまった。

ほんの数か月前までチャールズを恋い慕っていた癖にもう心変わり。
不埒で移り気な女だと思われたくない。
そしてライネルは何時かはポメル王国に帰ってしまう。この気持ちは胸にしまっておこう、顔が見られれば、話が出来ればそれでいいと考えた。


子供達と触れ合っているうちに何度もライネルと話をする機会が増え、最初はそんな気持ちはなかったけれど胸の内を吐露して、泣いた日がキッカケだった。

嫌な噂は何処にいても聞こえてくる。婚約は既に破棄となっているがその破棄に伴ってどちらが有責なのかを争う慰謝料の調停は長引くばかり。

『まぁ、ご覧になって。毒薬を撒くつもりなのかしら』
『違いましてよ?聞けば殿方をその気にさせる薬なのだとか』
『やっぱりあの話は本当だったの?いいの?教会に持って来ても』
『国だって少子化になるよりいいでしょう?気を利かせてるつもりなのよ。きっと』

――そんな薬じゃないわよ!――

言い返したい気持ちはあっても、手も足も震えてしまう。年齢も倍以上離れ群れた夫人達に言い返すのは年若いシェイナには到底できる事ではなかった。

『どうしたんだ?大丈夫か?顔色が真っ青だぞ』
『なんでも…ないです。みっともな…見せてっ…すみま…うぅぅっ』

ライネルは悔しさで手をギュッと握り俯いて足元に涙を溢すシェイナを誰にも見せないよう何も言わずずっと立って壁になってくれた。

話をしたところでどうなるものでもないと判っていた。

「吐き出す事で楽になる。聞くだけだから壁に向かって話をしていると思って全部言ってしまえ。な?」

ライネルの言葉にずっと堪えてきた気持ちが言葉になって口から溢れ出た。
ライネルは言葉の通りただ聞くだけで、言い終わった後のシェイナに一言だけ言葉を掛けた。

「頑張ったな。それは誰にでも出来る事じゃない」

そういって何度も頭を撫でてくれて、最後は腕で頭を抱えるように胸にもたれかからせてくれた。

その日からシェイナはライネルを意識してしまうようになってしまった。

――私って、案外チョロいのかも知れない――

惹かれてしまったのは、自身を多く語らないライネルにどこか暗い影があったのも要因の1つ。

――それでもいい。今は側にいられるだけでいいもの――


シェイナは神父に言われた植え込みに向かい、目当ての人を見つけた。
声が弾んでしまう。

「ライさんっ!」

汗が太陽の光に当たってキラキラしながらライネルが笑顔を向けた。

「シェイナさん。いらっしゃい」

恋愛フィルター恐るべし。

窓から2人を見る神父はそう思ったか思わなかったか。
神父のみぞ知る。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

ほらやっぱり、結局貴方は彼女を好きになるんでしょう?

望月 或
恋愛
ベラトリクス侯爵家のセイフィーラと、ライオロック王国の第一王子であるユークリットは婚約者同士だ。二人は周りが羨むほどの相思相愛な仲で、通っている学園で日々仲睦まじく過ごしていた。 ある日、セイフィーラは落馬をし、その衝撃で《前世》の記憶を取り戻す。ここはゲームの中の世界で、自分は“悪役令嬢”だということを。 転入生のヒロインにユークリットが一目惚れをしてしまい、セイフィーラは二人の仲に嫉妬してヒロインを虐め、最後は『婚約破棄』をされ修道院に送られる運命であることを―― そのことをユークリットに告げると、「絶対にその彼女に目移りなんてしない。俺がこの世で愛しているのは君だけなんだ」と真剣に言ってくれたのだが……。 その日の朝礼後、ゲームの展開通り、ヒロインのリルカが転入してくる。 ――そして、セイフィーラは見てしまった。 目を見開き、頬を紅潮させながらリルカを見つめているユークリットの顔を―― ※作者独自の世界設定です。ゆるめなので、突っ込みは心の中でお手柔らかに願います……。 ※たまに第三者視点が入ります。(タイトルに記載)

【完結】伯爵の愛は狂い咲く

白雨 音
恋愛
十八歳になったアリシアは、兄の友人男爵子息のエリックに告白され、婚約した。 実家の商家を手伝い、友人にも恵まれ、アリシアの人生は充実し、順風満帆だった。 だが、町のカーニバルの夜、それを脅かす出来事が起こった。 仮面の男が「見つけた、エリーズ!」と、アリシアに熱く口付けたのだ! そこから、アリシアの運命の歯車は狂い始めていく。 両親からエリックとの婚約を解消し、年の離れた伯爵に嫁ぐ様に勧められてしまう。 「結婚は愛した人とします!」と抗うアリシアだが、運命は彼女を嘲笑い、 その渦に巻き込んでいくのだった… アリシアを恋人の生まれ変わりと信じる伯爵の執愛。 異世界恋愛、短編:本編(アリシア視点)前日譚(ユーグ視点) 《完結しました》

【完結】初夜の晩からすれ違う夫婦は、ある雨の晩に心を交わす

春風由実
恋愛
公爵令嬢のリーナは、半年前に侯爵であるアーネストの元に嫁いできた。 所謂、政略結婚で、結婚式の後の義務的な初夜を終えてからは、二人は同じ邸内にありながらも顔も合わせない日々を過ごしていたのだが── ある雨の晩に、それが一変する。 ※六話で完結します。一万字に足りない短いお話。ざまぁとかありません。ただただ愛し合う夫婦の話となります。 ※「カクヨム」「小説家になろう」にも掲載中です。

痛みは教えてくれない

河原巽
恋愛
王立警護団に勤めるエレノアは四ヶ月前に異動してきたマグラに冷たく当たられている。顔を合わせれば舌打ちされたり、「邪魔」だと罵られたり。嫌われていることを自覚しているが、好きな職場での仲間とは仲良くしたかった。そんなある日の出来事。 マグラ視点の「触れても伝わらない」というお話も公開中です。 別サイトにも掲載しております。

【完結】長い眠りのその後で

maruko
恋愛
伯爵令嬢のアディルは王宮魔術師団の副団長サンディル・メイナードと結婚しました。 でも婚約してから婚姻まで一度も会えず、婚姻式でも、新居に向かう馬車の中でも目も合わせない旦那様。 いくら政略結婚でも幸せになりたいって思ってもいいでしょう? このまま幸せになれるのかしらと思ってたら⋯⋯アレッ?旦那様が2人!! どうして旦那様はずっと眠ってるの? 唖然としたけど強制的に旦那様の為に動かないと行けないみたい。 しょうがないアディル頑張りまーす!! 複雑な家庭環境で育って、醒めた目で世間を見ているアディルが幸せになるまでの物語です 全50話(2話分は登場人物と時系列の整理含む) ※他サイトでも投稿しております ご都合主義、誤字脱字、未熟者ですが優しい目線で読んで頂けますと幸いです

「好き」の距離

饕餮
恋愛
ずっと貴方に片思いしていた。ただ単に笑ってほしかっただけなのに……。 伯爵令嬢と公爵子息の、勘違いとすれ違い(微妙にすれ違ってない)の恋のお話。 以前、某サイトに載せていたものを大幅に改稿・加筆したお話です。

離縁の脅威、恐怖の日々

月食ぱんな
恋愛
貴族同士は結婚して三年。二人の間に子が出来なければ離縁、もしくは夫が愛人を持つ事が許されている。そんな中、公爵家に嫁いで結婚四年目。二十歳になったリディアは子どもが出来す、離縁に怯えていた。夫であるフェリクスは昔と変わらず、リディアに優しく接してくれているように見える。けれど彼のちょっとした言動が、「完璧な妻ではない」と、まるで自分を責めているように思えてしまい、リディアはどんどん病んでいくのであった。題名はホラーですがほのぼのです。 ※物語の設定上、不妊に悩む女性に対し、心無い発言に思われる部分もあるかと思います。フィクションだと割り切ってお読み頂けると幸いです。 ※なろう様、ノベマ!様でも掲載中です。

【完結】婚約者を譲れと言うなら譲ります。私が欲しいのはアナタの婚約者なので。

海野凛久
恋愛
【書籍絶賛発売中】 クラリンス侯爵家の長女・マリーアンネは、幼いころから王太子の婚約者と定められ、育てられてきた。 しかしそんなある日、とあるパーティーで、妹から婚約者の地位を譲るように迫られる。 失意に打ちひしがれるかと思われたマリーアンネだったが―― これは、初恋を実らせようと奮闘する、とある令嬢の物語――。 ※第14回恋愛小説大賞で特別賞頂きました!応援くださった皆様、ありがとうございました! ※主人公の名前を『マリ』から『マリーアンネ』へ変更しました。

処理中です...