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第12話 抱いた恋心
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エスラト男爵家の業績は月を追わずとも日を追うごとに悪くなっていく。
ここ3か月の間に「まだ頑張れます!」と訴える従業員もエスラト男爵の説得に泣く泣く首を縦に振って退職金を手に何人も工房を去った。
去って行った職人の中にはエスラト男爵が薬作りの秘伝のレシピを託した者もいる。
――お父様…事業を辞めてしまうのかしら――
シェイナにはまだ話をしてはくれないが、そんな気がしていた。
少ない職人たちと作る薬も効能は確かで、純度も高く重宝されているのに薬問屋も買ってくれなくなった。
正しいかは別として口コミの便利さと恐ろしさ。
声が大きな者に右に倣えとした方が世間は上手く渡っていける。
世間は効能があり、精度の高い薬よりも蜜の味と呼ばれる他人の不幸を選んだのだ。
精を出して作っているのは問屋や商会用ではなく個人向け。
「エスラトさんのところの薬じゃないとダメなんだ」と直接買ってくれる個人客しかもう残ってはいなかった。
暗澹たる空気も漂うが、シェイナには楽しみが出来た。
何度目になるだろう。屋敷で籠の中に持って行く薬草や薬を確認しながら詰めていくシェイナは心が浮き立つ。
決して祖父のような敬虔な信徒ではない。どちらかと言えば良くしてくれる神父さんには申し訳ないけれど「神様なんていない」と思っている。
それでも教会から帰るなり、「あと6日」「あと3日」と指折り楽しみにその日を待った。
「気を付けて行きなさいよ?」
「判ってるわ。じゃぁ行ってきます」
気遣う母親に声を掛けてシェイナが出掛ける先は勿論教会。
逸る心が足取りも軽くさせて教会へ体を運んでくれる。
「今週もありがとうございます」
「いえ、よければお使いください」
神父に籠を手渡しながらも目が1人の男性を探してしまう。
「ライネルさんでしたら、植え込みの縁石を直してくれていますよ」
「ち、違いますっ」
真っ赤な顔をして否定をしても説得力など皆無。気を利かせた神父は笑ってシェイナに言う。
「放っておくと休憩をしないので、そろそろ休憩をと伝えてください」
「はい。伝えてきますね」
声が弾んでしまうのも仕方がない。
シェイナはライネルに恋心を抱いてしまった。
ほんの数か月前までチャールズを恋い慕っていた癖にもう心変わり。
不埒で移り気な女だと思われたくない。
そしてライネルは何時かはポメル王国に帰ってしまう。この気持ちは胸にしまっておこう、顔が見られれば、話が出来ればそれでいいと考えた。
子供達と触れ合っているうちに何度もライネルと話をする機会が増え、最初はそんな気持ちはなかったけれど胸の内を吐露して、泣いた日がキッカケだった。
嫌な噂は何処にいても聞こえてくる。婚約は既に破棄となっているがその破棄に伴ってどちらが有責なのかを争う慰謝料の調停は長引くばかり。
『まぁ、ご覧になって。毒薬を撒くつもりなのかしら』
『違いましてよ?聞けば殿方をその気にさせる薬なのだとか』
『やっぱりあの話は本当だったの?いいの?教会に持って来ても』
『国だって少子化になるよりいいでしょう?気を利かせてるつもりなのよ。きっと』
――そんな薬じゃないわよ!――
言い返したい気持ちはあっても、手も足も震えてしまう。年齢も倍以上離れ群れた夫人達に言い返すのは年若いシェイナには到底できる事ではなかった。
『どうしたんだ?大丈夫か?顔色が真っ青だぞ』
『なんでも…ないです。みっともな…見せてっ…すみま…うぅぅっ』
ライネルは悔しさで手をギュッと握り俯いて足元に涙を溢すシェイナを誰にも見せないよう何も言わずずっと立って壁になってくれた。
話をしたところでどうなるものでもないと判っていた。
「吐き出す事で楽になる。聞くだけだから壁に向かって話をしていると思って全部言ってしまえ。な?」
ライネルの言葉にずっと堪えてきた気持ちが言葉になって口から溢れ出た。
ライネルは言葉の通りただ聞くだけで、言い終わった後のシェイナに一言だけ言葉を掛けた。
「頑張ったな。それは誰にでも出来る事じゃない」
そういって何度も頭を撫でてくれて、最後は腕で頭を抱えるように胸にもたれかからせてくれた。
その日からシェイナはライネルを意識してしまうようになってしまった。
――私って、案外チョロいのかも知れない――
惹かれてしまったのは、自身を多く語らないライネルにどこか暗い影があったのも要因の1つ。
――それでもいい。今は側にいられるだけでいいもの――
シェイナは神父に言われた植え込みに向かい、目当ての人を見つけた。
声が弾んでしまう。
「ライさんっ!」
汗が太陽の光に当たってキラキラしながらライネルが笑顔を向けた。
「シェイナさん。いらっしゃい」
恋愛フィルター恐るべし。
窓から2人を見る神父はそう思ったか思わなかったか。
神父のみぞ知る。
ここ3か月の間に「まだ頑張れます!」と訴える従業員もエスラト男爵の説得に泣く泣く首を縦に振って退職金を手に何人も工房を去った。
去って行った職人の中にはエスラト男爵が薬作りの秘伝のレシピを託した者もいる。
――お父様…事業を辞めてしまうのかしら――
シェイナにはまだ話をしてはくれないが、そんな気がしていた。
少ない職人たちと作る薬も効能は確かで、純度も高く重宝されているのに薬問屋も買ってくれなくなった。
正しいかは別として口コミの便利さと恐ろしさ。
声が大きな者に右に倣えとした方が世間は上手く渡っていける。
世間は効能があり、精度の高い薬よりも蜜の味と呼ばれる他人の不幸を選んだのだ。
精を出して作っているのは問屋や商会用ではなく個人向け。
「エスラトさんのところの薬じゃないとダメなんだ」と直接買ってくれる個人客しかもう残ってはいなかった。
暗澹たる空気も漂うが、シェイナには楽しみが出来た。
何度目になるだろう。屋敷で籠の中に持って行く薬草や薬を確認しながら詰めていくシェイナは心が浮き立つ。
決して祖父のような敬虔な信徒ではない。どちらかと言えば良くしてくれる神父さんには申し訳ないけれど「神様なんていない」と思っている。
それでも教会から帰るなり、「あと6日」「あと3日」と指折り楽しみにその日を待った。
「気を付けて行きなさいよ?」
「判ってるわ。じゃぁ行ってきます」
気遣う母親に声を掛けてシェイナが出掛ける先は勿論教会。
逸る心が足取りも軽くさせて教会へ体を運んでくれる。
「今週もありがとうございます」
「いえ、よければお使いください」
神父に籠を手渡しながらも目が1人の男性を探してしまう。
「ライネルさんでしたら、植え込みの縁石を直してくれていますよ」
「ち、違いますっ」
真っ赤な顔をして否定をしても説得力など皆無。気を利かせた神父は笑ってシェイナに言う。
「放っておくと休憩をしないので、そろそろ休憩をと伝えてください」
「はい。伝えてきますね」
声が弾んでしまうのも仕方がない。
シェイナはライネルに恋心を抱いてしまった。
ほんの数か月前までチャールズを恋い慕っていた癖にもう心変わり。
不埒で移り気な女だと思われたくない。
そしてライネルは何時かはポメル王国に帰ってしまう。この気持ちは胸にしまっておこう、顔が見られれば、話が出来ればそれでいいと考えた。
子供達と触れ合っているうちに何度もライネルと話をする機会が増え、最初はそんな気持ちはなかったけれど胸の内を吐露して、泣いた日がキッカケだった。
嫌な噂は何処にいても聞こえてくる。婚約は既に破棄となっているがその破棄に伴ってどちらが有責なのかを争う慰謝料の調停は長引くばかり。
『まぁ、ご覧になって。毒薬を撒くつもりなのかしら』
『違いましてよ?聞けば殿方をその気にさせる薬なのだとか』
『やっぱりあの話は本当だったの?いいの?教会に持って来ても』
『国だって少子化になるよりいいでしょう?気を利かせてるつもりなのよ。きっと』
――そんな薬じゃないわよ!――
言い返したい気持ちはあっても、手も足も震えてしまう。年齢も倍以上離れ群れた夫人達に言い返すのは年若いシェイナには到底できる事ではなかった。
『どうしたんだ?大丈夫か?顔色が真っ青だぞ』
『なんでも…ないです。みっともな…見せてっ…すみま…うぅぅっ』
ライネルは悔しさで手をギュッと握り俯いて足元に涙を溢すシェイナを誰にも見せないよう何も言わずずっと立って壁になってくれた。
話をしたところでどうなるものでもないと判っていた。
「吐き出す事で楽になる。聞くだけだから壁に向かって話をしていると思って全部言ってしまえ。な?」
ライネルの言葉にずっと堪えてきた気持ちが言葉になって口から溢れ出た。
ライネルは言葉の通りただ聞くだけで、言い終わった後のシェイナに一言だけ言葉を掛けた。
「頑張ったな。それは誰にでも出来る事じゃない」
そういって何度も頭を撫でてくれて、最後は腕で頭を抱えるように胸にもたれかからせてくれた。
その日からシェイナはライネルを意識してしまうようになってしまった。
――私って、案外チョロいのかも知れない――
惹かれてしまったのは、自身を多く語らないライネルにどこか暗い影があったのも要因の1つ。
――それでもいい。今は側にいられるだけでいいもの――
シェイナは神父に言われた植え込みに向かい、目当ての人を見つけた。
声が弾んでしまう。
「ライさんっ!」
汗が太陽の光に当たってキラキラしながらライネルが笑顔を向けた。
「シェイナさん。いらっしゃい」
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