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第11話  秘密の朝チュン♡

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がやがやと静かに賑わうバーにチャールズはいた。

家から持ち出した貴金属はもう売ってしまって暫くはダーツやカードを楽しんだりもしたが、何時までも金があるわけではない。

手頃な仕事がないか、口をきいて貰えないか。友人に頼もうと思って足を運んだ。

「よぅ。チャールズ。久しぶりじゃないか」

ニヤニヤしながらウォッカをガブリと一気飲みした友人が声をかけて来て、チャールズの肩を抱いた。

「顔見せないから、皆心配してたんだぜ」

酒臭い息を至近距離で吐きながら話しかけてくるが、言葉に棘がある。
友人が肩に回してきた手はチャールズには有刺鉄線のように感じられた。

彼らはチャールズが、いやガネル男爵家が今後どんな立場に置かれるのかを知っている。伝聞でしか得られない今イチオシのネタ元。張本人がのこのことやって来たのだからその口から飛び出す言葉はどんなゴシップよりも旨いネタになる。

チャールズは直ぐに足を運んだことを失敗だと悟り、嘘を吐いて逃げようとした。

「人を探してたんだ。ここにはいないようだ。すまない。急ぐんだ。じゃ」
「おぉーとっとっと。そう言わずに。まぁ座れって。俺の奢りだ。1杯やってけって」

気が付けばかつての友人が目を半月型にしてチャールズを取り囲んでいる。

「ホント、すまない。約束の時間があるんだ。今度埋め合わせする」
「ハハッ。埋めるのはどの穴だ?」
「アッハッハ。言ってやるなよ。オツムも大きさも足らねぇんだからよ」


頭に血が上ったが、拳を握りその場を堪えたチャールズは小走りになり、グラスを片手に歓談に興じる客の間を縫うようにしてバーから逃げた。

――くそっ!どいつもこいつも!何処まで知ってるんだ――

噂とは全てを知っているようで、全く的外れでもある。かつてはチャールズだって聞く側にいた。それで何人の友人を蹴落とし、嘲笑し、食い物にしてきたか。

孤児やスラムの子供達だけではなく、貴族という身分があっても弱肉強食。だから貴族は弱みを見せないように立ち振る舞い、時に嘘を真実に変えて来た。

バーから飛び出したチャールズは嬌声で溢れる繁華街の通りから路地を曲がり、人気のない裏通りで建物の壁を背に座り込んだ。

「はは…俺のしてきた事がそのまま返って来ただけじゃないか…」

チャールズの咄嗟についた嘘の言い訳。
ガネル男爵家を飛び出してからそろそろ1か月。遊び歩く中で聞こえてくるエスラト男爵家とガネル男爵家の確執。エスラト男爵家が事実を述べている事は当事者のチャールズならよく判る。

そしてガネル男爵家が、父親が言い逃れをする為に嘘を並べ立てている事も。

同時に裁判院で争う事になり、なんとか優位に事を進めようとあらぬ噂がエスラト男爵家を窮地に追いやっている事も知った。

「なんて事をしてしまったんだ…俺は…なんてことをッ!」


悔やんでも悔やみきれない。
「はぁー」息を吐いて細い路地から空を見上げれば星が見えた。

「シェイナ…会いたい。声が聞きたい。俺の名を呼んでくれよ」

星は瞬いても声は返してはくれない。
瞼を閉じると、涙が頬を伝っていく。その閉じた瞼には笑顔のシェイナが見える。

部屋の窓からは週に1度だけシェイナを見る事が出来る。何度かシェイナが帰る途中で声を掛けようと待ち伏せをしたが、どうしても声が掛けられなかった。

あの日、扉を開けたシェイナの顔、そして驚愕を示した目が忘れられない。
思い出すたびにチャールズの脳内でシェイナがチャールズを「嘘つき!」と恨みを込めた目でなじる。

聞こえるはずのない声にチャールズの心は切り刻まれて、チャールズに気が付かず通り過ぎていく実物のシェイナの背を見送るだけだった。


「こんな事じゃダメだ。ちゃんと謝って…許してくれるまで謝って…1からやり直すんだ」


★~★

奮起したチャールズだったが、渦中の人でもあるチャールズを雇ってくれる場所など無かった。日を追うごとに自由になる金は無くなっていく。

「経験者じゃないとダメならダメって書いとけよ!くそっ!」

その日は荷馬車を解体する仕事の募集があると聞いて雇て貰おうとした。
石炭自動車に遅れて石油から精製された有鉛ガソリンを燃料としたトラックがちらほらと街中を黒い煙を上げて走るようになると、疲れ知らずで荷馬車より多い荷物を早く目的地に運ぶ事が出来るので、荷馬車の時代はもう終わりを告げようとしていたのだ。

だが、追い返されてしまった。

『悪いが素人は怪我をするんでね。経験者しか要らないんだよ』

そう言われればゴネたところで時間の無駄。引き下がるしかなかった。
ポケットの中にはパンを1つ買えるかどうかの小銭しかない。

「これじゃ…食う事も出来ないけど…来週のシェイナの誕生日に何も買ってやれないじゃないか」

食べるものを買うために部屋にあった調度品も売ってしまって伽藍洞になった部屋に帰っても余計に腹が減るだけ。気持ちも滅入ってしまったチャールズだったが、帰る場所が他にあるわけでもなくぼんやりと歩いているとチャールズを呼ぶ声がした。

「チャールズ?チャールズではなくって?」

振りむけばシェイナと婚約をする前、今住んでいる部屋を買ってくれたような未亡人たちの元に遊ぶ金欲しさに通っていた頃、チャールズを「男」にしてくれた未亡人がいた。

「バルサード夫人…」
「あぁ、やっぱり!どうしたの?こんなところで」
「ちょっと色々ありまして」



その未亡人は国内でも「ガメつい」と評判の伯爵の元に後妻で入ったバルサード夫人。
未亡人歴は34年。

ツイているのかいないのか。未亡人と言っても妻だった期間はたったの3カ月。夫となった伯爵は結婚して最初の1カ月は愛人と過ごし、次の1カ月は執務に追われ、最後の1カ月は領地に視察。
その帰りに賊に襲われて帰らぬ人となった。

子供がいようといまいと、夫婦の実質な関係があろうとなかろうと関係がない。
その時に「妻」だったバルサード夫人は夫とは清い関係のままでも妻は妻。

前妻との間に出来た子供と遺産を等分し、一生遊んでも使いきれない財を手に入れた。夫の死後は再婚してくれと申し込みが殺到したが全て一蹴し若いツバメを何人も抱えて日替わりで楽しんでいる。

賢いのだ。再婚を願い出る男達は彼女を見ていない。彼女の持つ財産だけを見ているし、結婚をすればその財は共有となってしまうので自由が利かなくなる。生涯を寡婦として過ごす事を選んだのだ。

チャールズはそんなバルサード夫人が苦手だった。

本人は香水の瓶を鼻の穴に詰めているのか気にならないようだが、その体臭は魚のアラが腐ったよりも酷く、汗っかきなのに風呂嫌い。ニマっと笑うと体臭よりもキツい口臭が、歯垢で埋まった歯の間を抜けてくる。

「時間があるの。来ない?」

誘惑の声にチャールズの心は葛藤した。


そして翌朝、金貨の入った袋をチャールズはポンポンと放り投げながら教会が見下ろせる部屋に戻った。
何があったか…バルサード夫人とチャールズの秘密である。
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