好きなのはあなただけじゃない

cyaru

文字の大きさ
上 下
1 / 34

第01話   夏の日、心が冷める熱い熱気

しおりを挟む
「ユーファさん、洗い物ですか? そこに置いておいてもらえれば私がやっておきますよ」

 調理場で明日の下準備をしていたバルトロにそう声をかけられて我に返った私は、慌てて彼に声を返した。

「あ、いいえ、自分で洗うから大丈夫よ。あなたも忙しいでしょう?」

 そう断って薬湯の椀を洗い物用の水桶に浸けながら、先程の出来事がぐるぐる頭の中を回って、その余韻に頬を染めずにはいられなかった。

 あんなふうにおやすみのキスをされるの、初めてだった。子どもの頃だってあんなことしてきたことなかったのに―――。

 思い出すと全身が火照ってくるので、私はそれを頭の片隅に追いやりながら自分自身に喝を入れた。

 色々とすごいことがあった気がするけれど、しっかりしなきゃ―――今はそれどころじゃないんだから。

 うん、明日が終わるまで、余計なことは考えない! 今は目の前のことに集中する!

 そう言い聞かせて無理やり気分を入れ替えた私はバルトロに尋ねた。

「ねえ、確かネロリのつぼみを乾燥させたものがあったわよね。あれってまだある?」
「はい、そこのカウンターの上に置いてある容器の中に」
「あれね。少しもらっても大丈夫?」
「ええ、どうぞ」

 柑橘系の植物であるネロリの花には、様々な精神的ストレスを緩和してくれる効能がある。このつぼみを乾燥させたものを軽く潰して茶葉にすると、微かな苦みと優しい味わいが特徴のハーブティーになるのだ。心の苦しみを和らげてくれる妙薬として昔から重宝されているハーブだ。

 気休め程度かもしれないけれど、これをスレンツェに淹れてあげたい。そしてフラムアークのアドバイス通り、あなたを心配しているのだということを素直に彼に伝えよう。

 お湯を沸かして茶葉をじっくりと蒸らしている間、私はバルトロと彼の恋人レムリアの話をした。昨年大変な出来事を乗り越えた二人の絆は一段と深まっているようで、その仲睦まじさは聞いていて思わず溜め息がこぼれるほどだった。

「あなたがフラムアーク様の任務に同行する機会が増えて、レムリアは寂しがっているんじゃない?」
「はは、よく寂しいとは言ってくれています。ですが彼女もフラムアーク様には少なからぬ恩義を感じていますし、私の気持ちもよく理解してくれていますから、大丈夫ですよ。任務地が遠方の場合は出先から必ず手紙を書くようにしていますし、今回も最後に立ち寄った町で彼女に手紙を出しました。あ、もちろん機密に関わるようなことは一切書いていません」

 バルトロはそう言って照れ臭そうにはにかんだ。

「不謹慎かもしれませんが、今回の件に関われたことが私は少し嬉しくて。……実は、私は元々騎士団への入団を希望していたんです。残念ながら願い叶わず、現在の職場への配属となりましたが……。そういった経緯もあって、自分がこういう場にいられるということに不思議な高揚感があるんです。明日、自分が戦場へ立つわけではありませんが、その空気の中にいられるだけで、何というかこう……感慨深いものがあって」

 色々な考えを持つ人がいる。

 バルトロは別に殺し合いを望んでいるわけではなく、騎士として祖国を守るという立場に憧れ、叶わなかった夢の舞台にいる昂りを覚えているだけなのだろう。

 彼らには意図的にぼかした情報しか与えていないから、私達との認識に温度差が生じてしまうのは致し方ないことなのかもしれない。

 けれど、何とも言えないもどかしさとやるせなさに苛まれた。

「……後方支援になるけれど、私達の役目も重要よ。私達は私達できちんと自分の役目を果たしましょうね」

 そう口にするにとどめた私に、何も知らないバルトロは「はい!」と力強く頷いた。
しおりを挟む
感想 38

あなたにおすすめの小説

嘘をありがとう

七辻ゆゆ
恋愛
「まあ、なんて図々しいのでしょう」 おっとりとしていたはずの妻は、辛辣に言った。 「要するにあなた、貴族でいるために政略結婚はする。けれど女とは別れられない、ということですのね?」 妻は言う。女と別れなくてもいい、仕事と嘘をついて会いに行ってもいい。けれど。 「必ず私のところに帰ってきて、子どもをつくり、よい夫、よい父として振る舞いなさい。神に嘘をついたのだから、覚悟を決めて、その嘘を突き通しなさいませ」

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

王太子の愚行

よーこ
恋愛
学園に入学してきたばかりの男爵令嬢がいる。 彼女は何人もの高位貴族子息たちを誑かし、手玉にとっているという。 婚約者を男爵令嬢に奪われた伯爵令嬢から相談を受けた公爵令嬢アリアンヌは、このまま放ってはおけないと自分の婚約者である王太子に男爵令嬢のことを相談することにした。 さて、男爵令嬢をどうするか。 王太子の判断は?

[完結]思い出せませんので

シマ
恋愛
「早急にサインして返却する事」 父親から届いた手紙には婚約解消の書類と共に、その一言だけが書かれていた。 同じ学園で学び一年後には卒業早々、入籍し式を挙げるはずだったのに。急になぜ?訳が分からない。 直接会って訳を聞かねば 注)女性が怪我してます。苦手な方は回避でお願いします。 男性視点 四話完結済み。毎日、一話更新

元婚約者に未練タラタラな旦那様、もういらないんだけど?

しゃーりん
恋愛
結婚して3年、今日も旦那様が離婚してほしいと言い、ロザリアは断る。 いつもそれで終わるのに、今日の旦那様は違いました。 どうやら元婚約者と再会したらしく、彼女と再婚したいらしいそうです。 そうなの?でもそれを義両親が認めてくれると思います? 旦那様が出て行ってくれるのであれば離婚しますよ?というお話です。

もう、愛はいりませんから

さくたろう
恋愛
 ローザリア王国公爵令嬢ルクレティア・フォルセティに、ある日突然、未来の記憶が蘇った。  王子リーヴァイの愛する人を殺害しようとした罪により投獄され、兄に差し出された毒を煽り死んだ記憶だ。それが未来の出来事だと確信したルクレティアは、そんな未来に怯えるが、その記憶のおかしさに気がつき、謎を探ることにする。そうしてやがて、ある人のひたむきな愛を知ることになる。

私が愛する王子様は、幼馴染を側妃に迎えるそうです

こことっと
恋愛
それは奇跡のような告白でした。 まさか王子様が、社交会から逃げ出した私を探しだし妃に選んでくれたのです。 幸せな結婚生活を迎え3年、私は幸せなのに不安から逃れられずにいました。 「子供が欲しいの」 「ごめんね。 もう少しだけ待って。 今は仕事が凄く楽しいんだ」 それから間もなく……彼は、彼の幼馴染を側妃に迎えると告げたのです。

愛されていたのだと知りました。それは、あなたの愛をなくした時の事でした。

桗梛葉 (たなは)
恋愛
リリナシスと王太子ヴィルトスが婚約をしたのは、2人がまだ幼い頃だった。 それから、ずっと2人は一緒に過ごしていた。 一緒に駆け回って、悪戯をして、叱られる事もあったのに。 いつの間にか、そんな2人の関係は、ひどく冷たくなっていた。 変わってしまったのは、いつだろう。 分からないままリリナシスは、想いを反転させる禁忌薬に手を出してしまう。 ****************************************** こちらは、全19話(修正したら予定より6話伸びました🙏) 7/22~7/25の4日間は、1日2話の投稿予定です。以降は、1日1話になります。

処理中です...