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序章
第04話 父親の言葉
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連行されて行かれたのは王宮の中にある貴族牢。
元々は王家に対し謀反を起こそうとするものを収監した部屋で貴族牢の中でも別格だ。
床は固くごつごつとした石。両手を伸ばす前に壁に手が当たる広さ。
天井からは涙の代わりに息をするのも苦しい湿度から来る水が至る所に落ちてくる。
そんな場所にやって来たのは父だった。
いつもと変わらない感情の読み取れない表情から発せられる言葉。
「お前には期待していたんだが。残念だ」
実の父親に「お前」と呼ばれる私。
ティナベル・ベルセルという姓も名もあるが父は私の事を名前で呼ぶことはない。
ベルセル公爵家に生まれてから名前で呼ばれたのは一度だけ。それも国王陛下からの通達書に書かれていた文字を読み上げる中にあったものだ。
母親は父親に従順で逆らう事はしない。父親の言葉が母親の全てであり正しいことなのだ。
王妃になる事を夢見て破れた母。
自身の血が王家に入る事を切望する父。
2人の間に生まれたのが兄のザウェルと私ティナベルだ。
後継となる男児が生まれて落胆し、第二子に女児が生まれて大喜びしたのはベルセル公爵夫妻くらいだろう。
国王と王妃に子が生まれる。王妃の懐妊が発表されれば貴族達は子作りに励む。
王家に血を送り込めば数代に渡って安泰。それだけ忖度があるという事だ。
父が私の名を呼んだ、いや読み上げたのはその「婚約者」として選ばれたという通達書を読んだ時だけ。私は生まれた瞬間から王妃となるべく育てられた。
親の事を悪魔だと思うほどに厳しい教育を受けてはきたが、まだ夜だけは自分の時間もあったし涙を拭ってくれる侍女もいた。
第1王子エドゥアールの婚約者に選ばれた時から全てにおいて失敗は許されず、公爵家ではなく王家の徹底した管理下に置かれ優しかった侍女とも引き離された。
そんな家、捨ててしまえ、なぜ逃げない。私を知る者はこっそりと耳打ちをする。
他人だから言えることなのだ。当事者になれば泣く事も、笑う事も出来ないのに逃げられるはずがない。
だが、私は父親の期待を裏切ってしまったようだ。
いや、やはり父親だ。こうなる事を予見してちゃんと自身の思いを遂げる道筋は確保していた。
「殿下に婚約の解消を告げたそうだが・・・お前が決める事ではない」
「お父様。殿下はエリカ様を望まれたのです。身を引くのは臣下として当然の事です」
「馬鹿馬鹿しい。身を引くかどうか、それすらお前ごときが決める事ではないと言っているのだ」
確かに父の言葉は尤もだ。婚約の解消などは当主である父と国王が判断する事で当事者がどう足掻こうと変わるものではない。
「ベルセル家としてはティナベルが王家に嫁いだ事実があればいい」
「ですから!わたくしは殿下に望ま――」
「誰がお前だと言った」
「え…それはどういう・・・」
「ティナベルが嫁げばいいのだ。ベルセル家としては血を入れるのはさして問題ではない。ベルセル家と王家が姻戚を結んだという事実の方が大事・・・そう言えば解るか?」
ゾクリと背中に天井から落ちてくる水が這ったのかと体が震えた。
「お前に最期の機会を与えよう。影の王妃となり公務を行え。それで衣食住に困る事はない」
父の言葉にエドゥアールの言葉が重なり、2人が既に心を合わせていた事を悟る。
それはつまり、この状況からして国王も王妃も納得済みだと言う事だ。
そうでなければ王宮の中にあるこの特別な貴族牢が使えるはずも無ければ、ここに公爵を言えど父が来られるはずがない。
――どうしてこんな簡単な事に気が付かなかったの――
「くくっ・・・んふふっ・・・ふふっ」
口から零れたのは私の愚かさを嘲る私自身への嘲笑だった。
「何がおかしいのだ」
「いいえ、何も。お父様。その答えを返す前に教えてくださいませ」
「何が知りたい」
「お父様は娘であれば実の娘で無くても良いと?」
「馬鹿な事を聞く。そんな事で情に縋ろうとでも思ったのか」
私自身も思う。何よりも「家」と「自分」が大事な父に愚問だった。
父に取っては「娘」が王家に嫁ぐ事が大事でその「娘」が誰であろうと関係がない。簡単な事だ。「私がティナベルです」と名乗ればいいのだ。
本物のティナベルは公に姿を現す事はないのだから。
どうしてもエリカ様で問題のあるレセプションなどには駆り出されるだろうが、作り上げられた「ティナベル妃」が書面を棒読みだと知らしめておけば、口を開く必要もない。
人が変わったようだと思われたところで他国の人間。
それ以上の詮索もされないのだから。
国王と王妃も加担している事を考えればエリカ様から何か異世界の知恵を授けられたのだろう。だが、それは直ぐには実行できない事業だと推測できる。
と、なればエリカ様は功績を残せない。
何より我が子可愛さでベルセル家と婚約を結んだ国王夫妻なのだ。
愛する息子が「この女性がいい」と望めば願いを叶えてやりたいと考えたのかも知れない。
ただ、エリカ様が異世界からやって来るのが少しだけ遅かった。
その間に私は他国に名前が売れすぎてしまったのだ。
成婚の儀まで1年しかないと言う事は招待状の発送も終わっており、今更「花嫁が変わりました」など他国に言えるはずもない。
私以外の者達の思惑は共通認識として手を組むに容易かったのだ。
エドゥアールは愛する人と結ばれる。
国王と王妃は息子の願いを叶えてやれる。
父も母も念願の王家に関係が持てる。
私以外がWINNERだった。
エドゥアールは私に話をする前に父と話が出来ていた。
私が頷けば順風満帆。首を横に振れば鞭打ってでも従わせればいい。
結局私は、どちらに転んでも道具、いや道具以下だったのだ。
元々は王家に対し謀反を起こそうとするものを収監した部屋で貴族牢の中でも別格だ。
床は固くごつごつとした石。両手を伸ばす前に壁に手が当たる広さ。
天井からは涙の代わりに息をするのも苦しい湿度から来る水が至る所に落ちてくる。
そんな場所にやって来たのは父だった。
いつもと変わらない感情の読み取れない表情から発せられる言葉。
「お前には期待していたんだが。残念だ」
実の父親に「お前」と呼ばれる私。
ティナベル・ベルセルという姓も名もあるが父は私の事を名前で呼ぶことはない。
ベルセル公爵家に生まれてから名前で呼ばれたのは一度だけ。それも国王陛下からの通達書に書かれていた文字を読み上げる中にあったものだ。
母親は父親に従順で逆らう事はしない。父親の言葉が母親の全てであり正しいことなのだ。
王妃になる事を夢見て破れた母。
自身の血が王家に入る事を切望する父。
2人の間に生まれたのが兄のザウェルと私ティナベルだ。
後継となる男児が生まれて落胆し、第二子に女児が生まれて大喜びしたのはベルセル公爵夫妻くらいだろう。
国王と王妃に子が生まれる。王妃の懐妊が発表されれば貴族達は子作りに励む。
王家に血を送り込めば数代に渡って安泰。それだけ忖度があるという事だ。
父が私の名を呼んだ、いや読み上げたのはその「婚約者」として選ばれたという通達書を読んだ時だけ。私は生まれた瞬間から王妃となるべく育てられた。
親の事を悪魔だと思うほどに厳しい教育を受けてはきたが、まだ夜だけは自分の時間もあったし涙を拭ってくれる侍女もいた。
第1王子エドゥアールの婚約者に選ばれた時から全てにおいて失敗は許されず、公爵家ではなく王家の徹底した管理下に置かれ優しかった侍女とも引き離された。
そんな家、捨ててしまえ、なぜ逃げない。私を知る者はこっそりと耳打ちをする。
他人だから言えることなのだ。当事者になれば泣く事も、笑う事も出来ないのに逃げられるはずがない。
だが、私は父親の期待を裏切ってしまったようだ。
いや、やはり父親だ。こうなる事を予見してちゃんと自身の思いを遂げる道筋は確保していた。
「殿下に婚約の解消を告げたそうだが・・・お前が決める事ではない」
「お父様。殿下はエリカ様を望まれたのです。身を引くのは臣下として当然の事です」
「馬鹿馬鹿しい。身を引くかどうか、それすらお前ごときが決める事ではないと言っているのだ」
確かに父の言葉は尤もだ。婚約の解消などは当主である父と国王が判断する事で当事者がどう足掻こうと変わるものではない。
「ベルセル家としてはティナベルが王家に嫁いだ事実があればいい」
「ですから!わたくしは殿下に望ま――」
「誰がお前だと言った」
「え…それはどういう・・・」
「ティナベルが嫁げばいいのだ。ベルセル家としては血を入れるのはさして問題ではない。ベルセル家と王家が姻戚を結んだという事実の方が大事・・・そう言えば解るか?」
ゾクリと背中に天井から落ちてくる水が這ったのかと体が震えた。
「お前に最期の機会を与えよう。影の王妃となり公務を行え。それで衣食住に困る事はない」
父の言葉にエドゥアールの言葉が重なり、2人が既に心を合わせていた事を悟る。
それはつまり、この状況からして国王も王妃も納得済みだと言う事だ。
そうでなければ王宮の中にあるこの特別な貴族牢が使えるはずも無ければ、ここに公爵を言えど父が来られるはずがない。
――どうしてこんな簡単な事に気が付かなかったの――
「くくっ・・・んふふっ・・・ふふっ」
口から零れたのは私の愚かさを嘲る私自身への嘲笑だった。
「何がおかしいのだ」
「いいえ、何も。お父様。その答えを返す前に教えてくださいませ」
「何が知りたい」
「お父様は娘であれば実の娘で無くても良いと?」
「馬鹿な事を聞く。そんな事で情に縋ろうとでも思ったのか」
私自身も思う。何よりも「家」と「自分」が大事な父に愚問だった。
父に取っては「娘」が王家に嫁ぐ事が大事でその「娘」が誰であろうと関係がない。簡単な事だ。「私がティナベルです」と名乗ればいいのだ。
本物のティナベルは公に姿を現す事はないのだから。
どうしてもエリカ様で問題のあるレセプションなどには駆り出されるだろうが、作り上げられた「ティナベル妃」が書面を棒読みだと知らしめておけば、口を開く必要もない。
人が変わったようだと思われたところで他国の人間。
それ以上の詮索もされないのだから。
国王と王妃も加担している事を考えればエリカ様から何か異世界の知恵を授けられたのだろう。だが、それは直ぐには実行できない事業だと推測できる。
と、なればエリカ様は功績を残せない。
何より我が子可愛さでベルセル家と婚約を結んだ国王夫妻なのだ。
愛する息子が「この女性がいい」と望めば願いを叶えてやりたいと考えたのかも知れない。
ただ、エリカ様が異世界からやって来るのが少しだけ遅かった。
その間に私は他国に名前が売れすぎてしまったのだ。
成婚の儀まで1年しかないと言う事は招待状の発送も終わっており、今更「花嫁が変わりました」など他国に言えるはずもない。
私以外の者達の思惑は共通認識として手を組むに容易かったのだ。
エドゥアールは愛する人と結ばれる。
国王と王妃は息子の願いを叶えてやれる。
父も母も念願の王家に関係が持てる。
私以外がWINNERだった。
エドゥアールは私に話をする前に父と話が出来ていた。
私が頷けば順風満帆。首を横に振れば鞭打ってでも従わせればいい。
結局私は、どちらに転んでも道具、いや道具以下だったのだ。
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