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迷惑な訪問者

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同じ頃、そろそろ就寝しようかと思っていたアナスタシアは扉を見た。

誰かが塔の階段を上がってくる音がする。
扉は内側からは開かないため、衛兵の必要はないのに衛兵と誰かが話している声がくぐもって聞こえてくる。その声には嫌というほど聞き覚えがあった。シリウスだ。

こんな夜に何の用だと思いながらも寝台から離れ、テーブルに向かう。
ガチャリと音がして扉が開いた。

先ず見えたのは真っ赤なバラの花束だった。シリウスの顔が見えない程の花束を抱えている。
だが、ここにはそのバラの花束を飾れるような花瓶はない。
陶器やガラスは割って自死するかも知れないと思ったのだろうか。この塔には一切ない。
食事とて同じ。毎回お世辞にも豪勢とも豪華とも言えないお粗末なものだがサラダがないのはフォークを使う必要があるからである。
同じようにナイフが必要になる肉や魚も一切ない。
スプーンで食べられるスープと手で千切れるパンだけだ。
水を飲むグラスはなく、軍隊が遠征時に持っていく鉄製のカップがあるだけ。

いったいその花をどうしろと言うのだと聊か腹が立ってきたが、小さなテーブルに置ききれない程の花束をテーブルに置くと何故か満面の笑みで語りかけてくる。

「アナスタシア。今日は僕たちが初めて顔を合わせた日だ」
「・・・・」
「昼に来たかったんだが忙しくてこんな時間になってしまった。ごめんよ」
「・・・・」
「薔薇の花は999本あるんだ。ここまで持ってくるのは大変だったよ」

その花をこれから処分するわたくしのほうがもっと大変だと言ってやりたくもなる。
流れる様に目線を花束に移せば、花には罪はないけれどと申し訳なくもなる。

「ご用はそれだけですの?」
「いや、今日は‥‥ここで過ごそうと思ってね」

そう言いながら上着を脱ぎ、椅子の背にかけている。
いったいこの男は何を考えているのか。何も言わず一人喋り続ける男の行動を見る。

「明日は帝国との会合があってね。今日はもう大変だったよ」
「・・・・」
「でもね。今日という日を忘れた事なんかない。何と言っても初めてこの瞳にアナスタシア、君が映った日なんだ。素晴らしい日は絶対に2人きりで過ごさなくちゃいけない。去年は父上に殴られてしまって部屋に閉じ込められたんだ。だから来られなかった。寂しかっただろう?でも忘れてた訳じゃないんだ。判ってくれるよね」

椅子の背にかけた上着の袖を弄りながらシリウスが頬を染めてアナスタシアを見る。視線が合うと恥ずかしいのか鼻に手をやり、口を覆い、目じりを下げる。

アナスタシアにしてみれば気持ち悪いの一言である。
この塔に来てから、来るな、顔を見たくない、声を聞きたくないと思ったことは数知れずだが、この男を想って寂しいと思ったことはない。なんならこの日が初めて顔を見た日だと言われてもそんな事もあったがそれはこの日だったかと確認をしなければと思うほどにどうでもいい事である。


「もう2年もアナスタシアを放りっぱなしだったよね。悪いと思っているんだ。寂しかっただろう?でも愛しているのはアナスタシアだけだ。ロザリアだってアナスタシアだと思っていつも抱いてたんだ。汚れた体はもう浄化されていると思うよ。それにここなら子供がどうのこうのって言われずにずっとただ愛し合うだけで良いと思うんだ」

「愛し合う…なんの事ですの」


「何度も愛を交わしたじゃないか。アナスタシアの純潔を僕が突き破ってからは何度も何度も。あの感触を忘れた事なんか一度もないよ。ほら…見て」

ベルトに手を当てカチャカチャと外すと勢いよくトラウザーズを下ろし昂ぶりを見せつける。

「ロザリア相手は大変だったよ。侍女たちがアナスタシアのあられもない恰好をした絵姿を持ってきて…もうそこで終わりそうになった僕をロザリアにけしかけていたほどだよ。僕がこうなるのは…アナスタシア。君しかいないんだ。さぁ。胸に飛び込んできて寂しかったと涙を流してごらん。全部舐め取ってあげるよ」

「泣く事など御座いません。お召し物をなおし出ていかれた方が宜しいかと」


「どうして?なんでそんな事を…あぁ拗ねているんだね。判るよ離れていると気持ちを疑ってしまうよね。ごめんよ。ここに入れておけば君を穢すものは誰一人としていないから僕は安心出来たけど、アナスタシアは心配だったよね。大丈夫。僕も穢れていないよ。あぁ大丈夫。今日抱こうなんて思っていないよ。先ずは話をしてお互いの愛情を確認しようじゃないか」

トラウザーズを元に戻しベルトを締めていく。
しかしシリウスは両手を広げ近寄ってくる。その先には寝台しかない。

「それ以上近寄らないでくださいませ」
「どうして?」
「近づいて、体に触れれば‥‥命を絶ちます!」
「無理だろう?ここには君を傷つける事が出来るものは全て排除してある」

確かにそうである。舌を噛み切った所で絶命出来るかと言えば否。
出来る事と言えば、石に頭を思い切り打ちつけることくらいだ。
それも1回が限界だろう。あとはこの男の好きなようにされるだけである。

唯一の小窓ですらカラスは入れても小柄なアナスタシアと言えどくぐるのに時間を取るだろう。

――小窓?――

アナスタシアはジワリと小窓の方に横向きに体を捩じった。
月の灯りがアナスタシアの横顔にかかり、影が大きくなる。

「アナスタシア。月の女神のようだ。美しいよ」

――もう少し…確かここに―――

窓枠に置いた風切羽。羽軸も羽柄も太くしっかりとした風切羽。
自分を守る武器と言えばもうそれしかなかった。さっと手に取る。

「鳥の羽根?そんなものをどうしようと―――」

グッと羽柄を喉に押し当てる。思った通りやはり固い。上手くいけば突き刺す事は出来そうだ。
自死する事など厳しかった教育で方法は習っている。

「わたくしに取って貴方を受け入れるのは毒杯を煽るよりも不名誉。それ以上近寄るならば喉を突きます。剣がなくとも血が噴き出す術は習っておりましてよ」

押し当てた手に更に力を入れるとプツっと肌に刺さった感触があった。
アナスタシアは口角をあげ、妖艶に微笑んでさらに手に力を入れた。


青褪めて、その場に止まり「やめろ!」とシリウスは叫んだ。
その声に、扉の外にいた衛兵が勢いよく扉を開けて入って来た。

「殿下っ!どうなされましたっ!‥‥あっ…」

「下がられよ!退室せぬならこの喉、突いて見せましょう」

シリウスは後ろに下がり、手を突いた小さなテーブルがひっくり返る。
その上にバラの花束が降り注ぐ。

「どうなさるのです!突かせますか!下がりますか!」

「判った…帰る。帰るから…」

首筋を血が流れていく。ドレスの衿ぐりで止まるとジワリと血を吸っていく。
シリウスは入って来た衛兵を押すようにして部屋を出ていく。

「また来る。ちゃんと話をしよう?」

返事のない扉の向こうにシリウスは何度も呼びかける。
肩を落として塔を離れていくシリウスを扉の外を守っていた衛兵が肩を貸す。

「やはり――」

その様子を見ていた影が様子を伺いながら塔へ入っていく。
ほんの一瞬。塔はアナスタシア一人だけになっていた時だった。
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