冷血皇帝陛下は廃妃をお望みです

cyaru

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訪問客とカラス

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西の塔の生活は思ったよりも窮屈ではなかった。
ただ、それはアナスタシアであったからでシリウスであったのなら3日も持たないだろう。

――もう公務をする必要がない――

そう思うと不思議と笑いがこみ上げてきた。声を出して笑ってもここには咎める者がいない
それもアナスタシアには【初めての体験】に他ならなかった。

弱った体に出される固いパンが唯一の拷問に近かったが、味付けをする前の灰汁のようなスープが温かいのはまだ救いだった。パンにスープを吸わせて食べる事が出来るからだ。
それも1日1回配給をされてトレーを返却するまでの間に食べればよい。

それまでの食事は流動食とはいえ、何人もの毒味を介して届けられるので【温かいスープ】がお伽噺の中の空想の産物ではなかったのだと知れたのも発見だった。
アナスタシアは冷え切ったスープしか口にした事がなかったのだ。

何年ここで生きていられるかは判らない。
しかし、ここはアナスタシアにとっては手を広げ、足を伸ばせ、表情を自由にしても良い天国のような小さな部屋だった。不便と言えば湯殿がないので水で身を清め、髪を洗う事だが些細なものである。

雨が降れば木の扉を閉めねばならないがたった1つの窓から見える景色は流れていく雲を見ているだけで楽しかった。寝る時間さえ3,4時間あれば良い方だった生活から一遍して時間を自由に使っても良いのだ。
雨が降り、たれ堕ちる雫を見るだけでも何時間も楽しめた。

王太子妃の時に使っていた部屋とは比べ物にならない程に質素で狭い部屋。
しかしそこはアナスタシアにとっては【想像】が出来る部屋だった。

そして唯一の友達が出来た。いや、恋人?話し相手かも知れない。

「あら?また来たのね?パンは如何?」

固いパンを小さくちぎり窓際に置くと長いくちばしで啄んで食べるカラスである。

「お前の翼は黒い羽根だけれど、とても綺麗ね。触ってもいいかしら」
「くわぁ」
「ふふっ。可愛い」

指先で頭をそっと撫でるとまるでインコなどのように指に頭を寄せてくる。



塔の生活でアナスタシアに窮屈な時間を感じさせることが月に1回。1時間ほどあった。
シリウスの訪問である。
その時間だけはアナスタシアは仮面を被る。

手を伸ばせば相手の顔に手が届くほどの小さなテーブルに向かい合って座る。

「茶はどうだ。好きだっただろう」
「結構ですわ」
「毒など入ってはおらぬ。私も一緒に飲むから大丈夫だ。私が淹れよう」
「シリウス・マウレイ・シュバイツ王太子殿下にそのような事はさせられません」
「名前で呼んでくれないか。人払いはしてある。不敬になど問わぬ」

「余罪があるとか。何の罪で御座いましょう」
「本当はないんだ。ただ…あのままでは処刑をせざるを得なかった」
「シリウス・マウレイ・シュバイツ王太子殿下と在ろう方が嘘などあり得ませんわ」
「だから…頼む。名前で呼んでくれないか」
「遠慮をしておきます。お許しくださいませ」

余罪どころか、裁判で有罪とされた罪ですらアナスタシアに在りはしない。
目の前の男は何も信じなかった。それがアナスタシアには全てである。
少しづつ感情を取り戻しているアナスタシアにしてみればシリウスの優しい言葉など背中を毛虫が這いまわった方が遥かにマシだと思えるほど気持ち悪かった。

「また、時間を作って来るよ」
「いいえ、ここには来ないでくださいませ」
「どうしてそんな冷たい事を!」
「わたくしは罪人。貴方様に会えるようなものではございませぬゆえ」

確かに時間をなんとかやりくりをしてここに来ているのだろう。
小一時間の時間だが、それも早く切り上げて欲しいと扉の向こうで誰かが急かしている。
無理どころか、存在も忘れてくださって結構と思ってもシリウスはやってくる。
折角の時間を無駄にしているようで非常に腹立たしかった。


「くわぁくわぁ」
「あら?今日は遅かったのね。まぁこっちも招かざる客がいたから丁度だわ」
「くわっ」

指先で撫でる時に了解を得なくても懐いてしまったのか嫌がる素振りはない。
次第にカラスは何かを咥えてくるようにもなった。

花であったり、木の実であったり、大きな葉っぱであったり。
その木の実も葉もそのまま食べても栄養価の高いものばかり。
花は、ツンツンと寄せてくるので髪に飾ったりしていたが蜜を舐めろと言う事のようだった。甘味など差し入れされる事のない生活である。ほんのりと甘い蜜にアナスタシアの顔は綻んだ。


ある日、アナスタシアは風邪を引いてしまい熱を出してしまった。
扉の向こうには兵がいるが、このまま朽ちても構わないと声を掛けずにアナスタシアは寝台に横になった。

熱で浮かされていたのだろうか。深夜冷たい水が口の中に入ってくる夢を見た。
誰かがそっと抱き寄せてくれて唇が塞がれ、ゆっくりと流れ込んでくる感触がある。
まだ誰かの感触が残るが熱が下がり、周りを見ても誰もそこにはいない。

夕方になり、固いパンとスープで食事を済ませまた横になっていれば熱が上がってくる。

「寒い…」

そう思っていると誰かが添い寝をして体温を分けてくれているような感覚もあった。
その感触に甘えていると苦しかった息も穏かになり朝日に目が覚める。

なんだったのだろうかと寝台で一人考える。ふと窓に目をやるとカラスが木の実を咥えていた。
解熱に効果のある木の実。

「心配してくれているのね。ありがとう。優しい子ね」
「クワぁ」
「ちゃんと食べるわ。きっと直ぐに良くなるわね。あなたのおかげよ」
「くぅぅ」

木の実のおかげなのか5日ほど上がったり、下がったりの熱も落ち着いた。
だが、元々に体力がない。全快するまでにはまだかかりそうだと思っていた所に賢いカラスなのか、悪戯好きなカラスなのか病み上がりの体にショールやルームソックスを咥えてくることもあった。
それらが全て新品である事に驚き、またかなり上質なものである事に驚愕した。

「ありがとう。嬉しいけれど悪戯でもってきてはいけないわ」

そう言うと、違う!とでも言いたげに羽根を振り頭を傾げるカラス。
すっかり良くなる頃には肌さわりの良い下着まで持ってきてしまっていた。

「まぁ!気が利くと言いたいけれど、お前が男の子ならこれは受け取れないわ」
「クゥゥ…クゥ」
「鳥さんの性別は判らないから…女の子ってしておきましょう」
「クッ!クッ!」

次第にカラスは夜にも来るようになり、寝台の枕元でまるでニワトリが卵を温めるかのように陣取るようにもなってしまった。

夜中に誰かが髪を撫でてくれているかのような気持ち。
アナスタシアはカラスのおかげでぐっすり眠り、夢を見られるようになっていった。
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