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廃妃と側妃
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「ロザリアと申します」
アナスタシアの部屋に挨拶に来たフェルド公爵家の令嬢ロザリア。
彼女が側妃となる女性だった。
執務と房事で疲れ切り、化粧で隈を隠し、流動食しか口に出来ず痩せ細った自分とは比べ物にならない程にはち切れんばかりの体をもった令嬢だった。
アナスタシアの務めはそれを認める事。
そして離宮の手配やその権限を与える事だった。
少しだけロザリアが羨ましいと心の隅でアナスタシアは思った。
執務などせずにただ子を成すだけで良いロザリア。自分もそうであればと考えるが心で首を横に振る。
側妃となるために生きている訳ではない。
しかし、王妃となる者の務めを彼女に託さねばならない屈辱も感じた。
夫を共有する嫉妬ではない。それまで自分を形成してきた一部を剝ぎ取られる思いだった。
「殿下に尽くします」
静かに語るロザリアが退室をした後、アナスタシアは窓から空を見て一滴の涙を溢した。
ロザリアが来た日からアナスタシアの元にシリウスが夜訪れる事は無くなった。
――寂しいの?――
いいや、違うと首を振る。だが寝付かれない日々は続いた。
側妃をという声が出た日から、この日が来ることは判っていた。
夜、1人寝台から抜け出し窓から月を眺める。
窓の外に木で休んでいるカラスを見つけ、バルコニーに出てただ黙って眺める。
気が付けばカラスは毎晩その木で体を休めていた。
「アナタは休める場所があっていいわね」
ポツリと呟く。カラスに聞えるはずもない小さな声は風に消されていく。
シリウスとの交流は毎晩の食事と、夜会がある時の外交執務だけになった。
気まずそうなシリウスだが、アナスタシアは表情は変わらない。
そう教えられているからである。
ロザリアが召し上げられて4か月が経とうとした頃、知らせが届いた。
妊娠をしたのだが、それが判ったのは流産をしてしまったからだと言う知らせだ。
「お気の毒に」
それ以外に何も言うことはなかった。アナスタシアには経験がない。
ロザリアは離宮に住まいがあり、アナスタシアとは離れた位置にある。
初見の日以来、あった事もなく手紙が来た事もない。
希薄な関係はまさに正妃と側妃。それは王宮にいるものは誰もが知っている事だった。
だが、3日後アナスタシアの部屋にシリウスが兵を連れてやって来た。
「アナスタシア。どうしてあんな事を…」
悲壮な顔で言葉を発するシリウスの言っている意味が解らなかった。
「何の事でございましょうか」
「惚けたくなるだろう。我の子がロザリアに出来た事がそこまで憎かったか?」
「憎い?何故わたくしがそのような感情を抱かねばならないのでしょうか」
「判っているのだ。アナスタシア」
言葉を発するたびに険しくなっていくシリウスの表情はその先の言葉が良い事ではないと教えてくれている。
「毒を盛って子を流したのは…さぞ気分が良かっただろう」
「殿下、言ってよい事と悪い事が御座います。何故わたくしがそのような事を」
「証拠は上がっている。君からの菓子を食べたとロザリアが言った」
「わたくしが菓子を?そのような事はしておりません。お調べください」
「まだ抗うのか?その菓子から毒が出た。君からの手紙と共に」
「手紙?そんなものは出しておりません。きちんと事実をお調べくださいませ」
アナスタシアの訴えをシリウスは聞く耳を持たなかった。
使用人達は口々に、菓子や手紙は出してはいないと口添えをしてくれたが、子が流れたのは事実。それは御殿医も確認をしている。菓子から毒が出たのも事実だった。
手紙も私書のようなものは蝋封などをすることはない。
巧妙に筆跡を真似た手紙を目の前に突きつけられ、否定する事しか出来なかった。
執務で添削をする為、アナスタシアの筆跡を真似る事などそれを生業にしているものは書類を手にれる事さえできれば造作もない事だろう。
ロザリア側で菓子を受け取った侍女も、扉の前を守る衛兵も【王太子妃殿下より贈り物です】という言葉を聞いたという。その侍女も菓子を食べて体調を崩している。
明確に【違う】という証拠を出せないアナスタシアは不利だった。
数日後、アナスタシアの侍女の1人が川に浮かんだと知らされる。ロザリア側の侍女が証言した菓子を持ってきた侍女に背格好や特徴がびったりあった侍女だった。
裁判となったアナスタシアの主張は【言い逃れ】【見苦しい】と一蹴され有罪が確定する。
使用人達も鞭打ちや労役などの刑が科せられ過酷な辺境の地に送られていった。
実家の公爵家も没落し、領地もほとんどを没収されて小さな小屋と残った狭い領地に送られ生涯王都への立ち入りを禁止されてしまった。
だがアナスタシアは不思議に思っていた。
もし、自分がこの裁量を下すのであれば、シリウスの次に国王となったかも知れない者を殺害したという事に他ならない。やった事に対して刑が【甘い】のである。
そこに何かあるのではないか。そう考えていた時、軟禁されていた部屋にシリウスが来た。
「アナスタシア。離縁だ」
側妃を召し上げた時に、既に王妃となる資格に欠けが生じたアナスタシアは目の前に出された書類に何も思う事無くサインをした。おそらく自分が何かに署名をするのはこれで最後だろうと思いながらも、それ以上に何かを感じる事はもう何もなかった。
サインをし終われば離縁は確定となり、王妃は廃妃となる。
数枚の用紙の内容を確認しサインをしていく。確認など今更に無用だと思いつつ最後の文字を書き終わると、ペンを従者に渡し、静かに姿勢を正した。
「抜かりがないか確認をしてくださいませ」
アナスタシアの言葉にシリウスは少々驚いたような声を出した。
まるで王妃、いや王太子妃立場に未練はないのかと縋るように問いかけるのだ。
「どうしてそんなにすんなりと受け入れられるのだ?」
じっとシリウスの目を見る。
「どうして?」王妃になるべく生きてきたその梯子を外されたこの身に何が残っていると言うのかと言葉にせずシリウスに返答をする。
「アナスタシア、君には余罪がある。西の塔に幽閉をして取り調べを行う」
「余罪?‥‥まだあったのですね」
それ以上はもう何も聞くまい。こちらの主張など何も通りはしないのだからとアナスタシアは立ち上がり、日替わりで世話をしてくれていた侍女に荷物を纏めるように伝えると指輪を外した。
シリウスの目の前にコトリと音を小さく立てて指輪を置く。
「西の塔に参ります」
城の周りには東西南北に塔がある。西と北は王族で罪人となった者が幽閉をされる。
廃妃となっても王家の秘密を知るこの身が市井に放たれることはない。
毒杯を煽るか断頭台に上がるかの二択かと思っていたが、どうやらもう一つ選択肢があったようだ。
それもまた【刑が軽すぎる】と思いつつシリウスに向かって最後のカーテシーを取る。
「殿下、お役に立てず申し訳ございませんでした」
アナスタシアの潔さなのかシリウスは何も言葉を発する事が出来なかった。
――あなたは国王にはなれない。その甘さが命取りになる――
アナスタシアはそう思いながら衛兵の後を歩き、西の塔に入った。
アナスタシアの部屋に挨拶に来たフェルド公爵家の令嬢ロザリア。
彼女が側妃となる女性だった。
執務と房事で疲れ切り、化粧で隈を隠し、流動食しか口に出来ず痩せ細った自分とは比べ物にならない程にはち切れんばかりの体をもった令嬢だった。
アナスタシアの務めはそれを認める事。
そして離宮の手配やその権限を与える事だった。
少しだけロザリアが羨ましいと心の隅でアナスタシアは思った。
執務などせずにただ子を成すだけで良いロザリア。自分もそうであればと考えるが心で首を横に振る。
側妃となるために生きている訳ではない。
しかし、王妃となる者の務めを彼女に託さねばならない屈辱も感じた。
夫を共有する嫉妬ではない。それまで自分を形成してきた一部を剝ぎ取られる思いだった。
「殿下に尽くします」
静かに語るロザリアが退室をした後、アナスタシアは窓から空を見て一滴の涙を溢した。
ロザリアが来た日からアナスタシアの元にシリウスが夜訪れる事は無くなった。
――寂しいの?――
いいや、違うと首を振る。だが寝付かれない日々は続いた。
側妃をという声が出た日から、この日が来ることは判っていた。
夜、1人寝台から抜け出し窓から月を眺める。
窓の外に木で休んでいるカラスを見つけ、バルコニーに出てただ黙って眺める。
気が付けばカラスは毎晩その木で体を休めていた。
「アナタは休める場所があっていいわね」
ポツリと呟く。カラスに聞えるはずもない小さな声は風に消されていく。
シリウスとの交流は毎晩の食事と、夜会がある時の外交執務だけになった。
気まずそうなシリウスだが、アナスタシアは表情は変わらない。
そう教えられているからである。
ロザリアが召し上げられて4か月が経とうとした頃、知らせが届いた。
妊娠をしたのだが、それが判ったのは流産をしてしまったからだと言う知らせだ。
「お気の毒に」
それ以外に何も言うことはなかった。アナスタシアには経験がない。
ロザリアは離宮に住まいがあり、アナスタシアとは離れた位置にある。
初見の日以来、あった事もなく手紙が来た事もない。
希薄な関係はまさに正妃と側妃。それは王宮にいるものは誰もが知っている事だった。
だが、3日後アナスタシアの部屋にシリウスが兵を連れてやって来た。
「アナスタシア。どうしてあんな事を…」
悲壮な顔で言葉を発するシリウスの言っている意味が解らなかった。
「何の事でございましょうか」
「惚けたくなるだろう。我の子がロザリアに出来た事がそこまで憎かったか?」
「憎い?何故わたくしがそのような感情を抱かねばならないのでしょうか」
「判っているのだ。アナスタシア」
言葉を発するたびに険しくなっていくシリウスの表情はその先の言葉が良い事ではないと教えてくれている。
「毒を盛って子を流したのは…さぞ気分が良かっただろう」
「殿下、言ってよい事と悪い事が御座います。何故わたくしがそのような事を」
「証拠は上がっている。君からの菓子を食べたとロザリアが言った」
「わたくしが菓子を?そのような事はしておりません。お調べください」
「まだ抗うのか?その菓子から毒が出た。君からの手紙と共に」
「手紙?そんなものは出しておりません。きちんと事実をお調べくださいませ」
アナスタシアの訴えをシリウスは聞く耳を持たなかった。
使用人達は口々に、菓子や手紙は出してはいないと口添えをしてくれたが、子が流れたのは事実。それは御殿医も確認をしている。菓子から毒が出たのも事実だった。
手紙も私書のようなものは蝋封などをすることはない。
巧妙に筆跡を真似た手紙を目の前に突きつけられ、否定する事しか出来なかった。
執務で添削をする為、アナスタシアの筆跡を真似る事などそれを生業にしているものは書類を手にれる事さえできれば造作もない事だろう。
ロザリア側で菓子を受け取った侍女も、扉の前を守る衛兵も【王太子妃殿下より贈り物です】という言葉を聞いたという。その侍女も菓子を食べて体調を崩している。
明確に【違う】という証拠を出せないアナスタシアは不利だった。
数日後、アナスタシアの侍女の1人が川に浮かんだと知らされる。ロザリア側の侍女が証言した菓子を持ってきた侍女に背格好や特徴がびったりあった侍女だった。
裁判となったアナスタシアの主張は【言い逃れ】【見苦しい】と一蹴され有罪が確定する。
使用人達も鞭打ちや労役などの刑が科せられ過酷な辺境の地に送られていった。
実家の公爵家も没落し、領地もほとんどを没収されて小さな小屋と残った狭い領地に送られ生涯王都への立ち入りを禁止されてしまった。
だがアナスタシアは不思議に思っていた。
もし、自分がこの裁量を下すのであれば、シリウスの次に国王となったかも知れない者を殺害したという事に他ならない。やった事に対して刑が【甘い】のである。
そこに何かあるのではないか。そう考えていた時、軟禁されていた部屋にシリウスが来た。
「アナスタシア。離縁だ」
側妃を召し上げた時に、既に王妃となる資格に欠けが生じたアナスタシアは目の前に出された書類に何も思う事無くサインをした。おそらく自分が何かに署名をするのはこれで最後だろうと思いながらも、それ以上に何かを感じる事はもう何もなかった。
サインをし終われば離縁は確定となり、王妃は廃妃となる。
数枚の用紙の内容を確認しサインをしていく。確認など今更に無用だと思いつつ最後の文字を書き終わると、ペンを従者に渡し、静かに姿勢を正した。
「抜かりがないか確認をしてくださいませ」
アナスタシアの言葉にシリウスは少々驚いたような声を出した。
まるで王妃、いや王太子妃立場に未練はないのかと縋るように問いかけるのだ。
「どうしてそんなにすんなりと受け入れられるのだ?」
じっとシリウスの目を見る。
「どうして?」王妃になるべく生きてきたその梯子を外されたこの身に何が残っていると言うのかと言葉にせずシリウスに返答をする。
「アナスタシア、君には余罪がある。西の塔に幽閉をして取り調べを行う」
「余罪?‥‥まだあったのですね」
それ以上はもう何も聞くまい。こちらの主張など何も通りはしないのだからとアナスタシアは立ち上がり、日替わりで世話をしてくれていた侍女に荷物を纏めるように伝えると指輪を外した。
シリウスの目の前にコトリと音を小さく立てて指輪を置く。
「西の塔に参ります」
城の周りには東西南北に塔がある。西と北は王族で罪人となった者が幽閉をされる。
廃妃となっても王家の秘密を知るこの身が市井に放たれることはない。
毒杯を煽るか断頭台に上がるかの二択かと思っていたが、どうやらもう一つ選択肢があったようだ。
それもまた【刑が軽すぎる】と思いつつシリウスに向かって最後のカーテシーを取る。
「殿下、お役に立てず申し訳ございませんでした」
アナスタシアの潔さなのかシリウスは何も言葉を発する事が出来なかった。
――あなたは国王にはなれない。その甘さが命取りになる――
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