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VOL.19  近づく距離と伝えられない思い

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今日は朝から調理長にまた大量にパンを焼いて貰った。
この1カ月は余熱を取ったパンに切れ込みを入れて貰い、サシャリィはパンに野菜やハムを挟んだり、アクセントとなるマスタードを添えたりする手伝いをするようになった。


「お嬢様。そのパンはこちらのバスケットです」
「え?でもまだ入るわよ?」
「いいんです。このバスケットはお嬢様がお持ちになる分ですから」


週に1度。郊外にある警護団に出向き「差し入れ」をするようになってもう2カ月。サシャリィにあてがわれたバスケットはどう見ても一人分しか入ってない。

確かにサシャリィの食す一人分よりは多いが、サシャリィのあてがわれたバスケットはグレゴリーの分。シェリーは口にはしないがサシャリィとグレゴリー双方の態度からその気持ちを知っていた。


――もうすぐ新体制ですからね。上手く恋の花が咲きますように――


シェリーからアガントス伯爵夫妻にも話はしており、アガントス伯爵夫妻もサシャリィが望むのであれば次の婚約、ともすれば結婚については自由にさせると笑って話した。

ただ、それはサシャリィ本人からの申告を待つとしていて、今は周りが見守っている状態。取り敢えずは愛娘でもあるサシャリィが心配でアガントス伯爵はそれとなくグレゴリーについては調査はしていた。

男親とは因果な物。
男であれば浮いた話は1つや2つあってもおかしくはないと思いつつも、それをどのように整理をして、後始末をしているか。特に前回が前回だけに心配になってしまう。
何より万が一、グレゴリーが妻帯者であれば大変な事になってしまう。そんな気持ちもあって調査をしたのだ。


調査の結果は白すぎるほどの潔白で、過去に付き合いのあった女性はおらず、女性と言えば単に性別を示し母親、祖母、そして隊舎の清掃を担当しているご婦人方と実弟の妻や伯父の妻(義伯母)くらい。

父親はグレゴリーの弟がまだ母の腹にいる頃に事故死。
グレゴリーは6、7歳から市場で働きながら金銭面で母を助け、10代の半ばまで寝たきりの祖母の介護を母親と行い、時に徒歩で祖母を背負って高原に散歩をしたりの孝行息子。祖母と母親が20歳で亡くなると次は弟の結婚資金を集めるために炭鉱へ1年出稼ぎに出ていた。

年齢は25歳で、残っている身内は王都を挟んで反対側の郊外に住まいを構える弟夫婦と伯父夫婦くらいだ。

人手がない事もあり、22歳で警護団に入ると若さで班長になる。性分なのだろう。真面目に職務に取り組み、部下からの人望もある青年。

恥ずかしい事に調査の最中、調査員の馬のハミが切れてしまいそれを見かけたグレゴリーが自身のベルトを引き抜き巾を半分にする為に割いて応急にも関わらず素早く的確な処置をした。「帰ったら直ぐに新しいハミを」と言い、ベルトを弁償すると言っても固辞した。

そんな報告がアガントス伯爵にはもたらされていた。

報告書を見てサシャリィが「差し入れ」をする品の中に革製のベルトを警護団に所属する人数分入れたのはアガントス伯爵の秘密だ。


「またその報告書を読んでおられますの?内容が変わるわけでもないのに」
「いやぁ。そうなんだが…シャルはちゃんと見てるんだなと思ったのさ」
「嫌われますよ?調査したなんてシャルが知ったら話どころか、顔も見たくないと言われるかも知れませんわよ」
「そんなぁ…」
「上手く行くかどうかは本人任せでよろしいでしょう?子離れしなさいな」
「でもシャルはまだ19歳だし」
「もうすぐ20歳です。考えても御覧なさいな。私達が20歳だった頃。グラディスは生まれていたのですよ?なぁにをしょぼくれているんです!」


アガントス伯爵の背中を思い切り平手でバーンと叩き、レジーナは喝を入れた。

ガチャリと扉が開く。


「あら?お母様も?」
「なぁに?仲良しなんだもの。一緒にいてもいいでしょ?」
「はいはい、惚気は結構ですわ。わたくし、シェリーと警護団に行ってきます」
「行ってらっしゃい。気を付けてね」
「あぁ、行っておいで」
「はい、行ってきます」


バスケットを手に軽い足取りで去って行くサシャリィをレジーナは笑って、アガントス伯爵は複雑な気持ちで見送った。



☆~☆

古びた家屋が見えると、今日も威勢の良い掛け声が聞こえてくる。
馬車の音がすれば、その声は止まり今度は足音になって近づいてくる。

警護団に所属する者は平民ばかりで、給金は出ているものの多くはない。
サシャリィの持って来る「差し入れ」は貴重な栄養源でもあり、時に彼ら家族の腹を満たす。


「サリー。今週も来てくれたのか。何時もすまない」


声を掛けてきたグレゴリーだったが、グレゴリーの周りにはサシャリィ以外は誰もいない。兵士たちはシェリーと共に馬車から荷を下ろし、奥に入って行ってしまうからである。


「美味そうな香りがする」
「ふふっ。今日のハムはね、燻製したものを使ってみたの」
「燻製?またそんな手間を掛けなくても。ハムだけでもご馳走なんだぞ」
「まぁまぁそう言わずに。でね?果実水は昨夜‥‥っと…飲んでみて?」


手にした水筒の蓋を取りグレゴリーに手渡すと、グレゴリーはそのまま口に含んだ。
ごくごくと飲み込むたびに喉仏が上下に動く。

――うん。綺麗に髭も剃ってるわね。ふふっ――

「美味い!酸味もあるが甘みもある。これなら部下の子供たちも飲めるな」
「でしょ?レモンを輪切りにして蜂蜜に一晩漬けこんだの。そのレモンもそのまま食べられるのよ」


そう言って容器に入れた輪切りのレモンを1つ指でとるとサシャリィはグレゴリーの口元に持って行く。ぱくりと口の中にレモンを入れてグレゴリーはゆっくり味わった。


「これも美味いな!鍛錬の後なんかにもよさそうだ。いくつでも食べられる」
「本当?良かったぁ。甘すぎないかなって思っていたの」


鍛錬場の隅にある木陰に並んで座る。
グレゴリーがパンを頬張る姿をサシャリィはニコニコと笑って眺める。


「いつも本当にありがとう。みんな助かってる」
「ううん。楽しみが出来てわたくしも嬉しいの」
「サリーが楽しいならそれでいいんだ。うん…それでいい」
「そう?‥‥ならそれでいいかな…」


グレゴリーは以前に思いを告げた事はあったが、以降は思いを口にする事はない。
会うたびに気持ちは強くなる。
しかし新体制にはなっていないし、なったとしても・・・。

思いを伝える事はサシャリィを悩ませる事になることを知っている。
新体制になってもサシャリィが貴族、伯爵令嬢である事は変わらないし、グレゴリーが平民である事も変わらない。その先を望んでもサシャリィに苦労をさせてしまうだけだと知っている。

隣で微笑むサシャリィは「差し入れ」をするだけで良いと考えている。
過去は変えられず、時期尚早だったために傷物令嬢、寝取られ令嬢と揶揄されている事も知っている。そんな醜聞持ちの自分にグレゴリーを巻き込む事は出来ない。


「はぁ~。今日もいい天気だなぁ」


グレゴリーはサシャリィの持ってきたバスケットの中身を平らげると「御馳走さん」と寝転がった。


「本当にいいお天気ね‥‥時が止まればいいのに」


隣に座ったサシャリィの髪が風に揺れるのを見てグレゴリーは「そうだな」と小さく呟いた。
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