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1:赤字転落、解消の術がない

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ディレイグ王国の中でも、屈指の貧乏貴族であるビオトーヴィ子爵家の朝は早い。

東の山の稜線が白みだした頃、子爵令嬢でもあるティディは小さなランプの灯りを頼りにもう仕事をしている。当主であるビオトーヴィ子爵はやぎ笛を首にぶら下げて、自らヤギと羊を連れて放牧に向かう。

「ご領主さん、早いね」
「そういうアッシュさんも早いね」

アッシュさんとは領民である。若い頃は隣国の騎兵隊にある軍馬医療班に所属をしていたが負傷しビオトーヴィ子爵領に戻ってきた。今はその時の経験を生かして家畜などの獣医をしている。
先週捕獲したヘルゴウト野生の黒ヤギがどうやら出産だという事で往診の帰りなのだ。
飼い犬ならぬ飼い狼のウルフィーとホエールのリードをツンツンと引っ張ると賢い2匹は【待て】の体勢になった。

診察をするのは馬ではない。ヤギ、牛などが9割。あとは野ウサギや野鳥である。
馬は高価なのだ。ビオトーヴィ子爵家に馬を所有する金はないし、飼育する金もない。

基本は徒歩。そうでない時は走る。動力は自分の足なのだ。
重たい荷物を運ぶ時は、牛の力を借りる事もあるが基本は人力。
皆で台車を引っ張るし、押す。


ビオトーヴィ子爵家は猫の額ほどしかない領地に屋敷もあり、細々とそれはもう倹しく暮らしている田舎貴族である。主な産業は放牧した乳牛から搾った乳で作ったチーズなどの加工品と、時折捕獲できる「魔獣」と呼ばれるゴーレムカウ不細工な牛ヘルゴウト野生の黒ヤギデスポーク野生の豚などおどろおどろしい名前のある森の動物を捕獲し、時に皮製品、時に肉、時に医療薬として出荷している。
領からの荷の出荷は定期的に来てくれる商会に頼んでいる。

所有する山に「柑橘系」の実はなるのだが、鳥も獣もその実には見向きもしない。青くても熟れても食べられたものではない。皮の香りはオレンジなのだがその実は酸っぱいのではなく【エグ味】しかない。色々と試してみたが食品には向いていない果実である。ちなみに皮を剥いても食べられないのでそんな労力をかけるなと言わんばかりの命名がされ「ムキャン」と言う。



とは言っても乳製品の加工品の出荷量は極わずか。何と言っても領地の広さはディレイブ王国の中でもダントツに狭いのだ。四方を山に囲まれ、山の稜線に囲まれた卵型の領地。

そこにビオトーヴィ子爵一家と、領民27世帯の総勢101人が暮らしている。

短辺方向では18キロ、長辺方向でも37キロ。王都を4分割した北区域よりも狭い領地。もしかすれば高位貴族の王都にあるタウンハウスの敷地の方がビオトーヴィ子爵領よりも広いくらいだ。

ビオトーヴィ子爵家は王都には屋敷を持っていないし、部屋も借りていない。
そんな金はないからである。

所謂「田舎貴族」であり、そこに「貧乏」というスパイスがトッピングされたのがビオトーヴィ子爵家なのだ。


子爵家は低位貴族に位置するため、税率は優遇されている。
収益から領民一人当たり30万ゼラが控除されるため、経費を引いた後は毎年「ぎりぎり黒字」であったのだが、昨年、木こりのモーズさんとオルーリさん夫婦に双子が生まれ夢の「領民100人超え」を達成した。子供の数が増えるのは喜ばしい事だが、子供2人分60万ゼラを収益から控除すると赤字に転落してしまった。

赤字に転落をすると、王都から税務監察がやってきてその原因を調査する。
原因は直ぐに解るだろうがその先が問題だ。

収支というのは爆発的に増える物ではない。
しかし、現在領民は若い世代が大黒柱となる時期であり、ここ数年で「結婚適齢期」を迎えた者が一番多いのだ。数か月すれば現在妊娠中の奥様達から子供が生まれる。

子供が生まれれば控除額は当然増える。翌年以降も赤字が続くとみなされれば領地を一旦王家が管轄地として、然るべき貴族に管理させる。ビオトーヴィ子爵家は爵位を失い名前は貴族名鑑から消える事になる。

そうなれば全てが差し引きプラマイゼロだったので領民には課税がなかったのだが、領民に課税がないのは王国の中でも飛びぬけて貧乏なビオトーヴィ子爵領のみ。領地の所有者が変われば領民達にはもれなく納税が必要となる。今でも裕福とは言えない領民の暮らしが圧迫されるため、ビオトーヴィ子爵は何とか出来ないか知恵を絞った。

しかし、牛やヤギの乳絞りは慣れたものだが、いい知恵は絞っても出なかった。

「なんとかなる。帳簿だけなら商会に言って誤魔化してもらうという方法もある」
「ダメよ。そんな事をしたら見つかった時にどうなるか」
「そうだな。2重帳簿はどんな理由があれ犯罪だ。だが…考えてみる。焦るな」


領民に子供を作るなとは言えないし、孫が生まれたなら命を絶てなど言えるはずも無い。
なんとかしなければと言いながらも、打つ手がないビオトーヴィ子爵家なのだった。
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