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第02話   保険金と慰謝料で何とかなるかな

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「何やってんだ!同じ失敗を何度もするな!」

自分の失敗なら叱責を受けるのも仕方がない事だが、他人の失敗、特に目の前で怒りのままに叱責をするパワハラ上司本人の失敗をこちらに転嫁されても迷惑なだけ。

しかし、それを言ってしまえば火に油。
上司のお小言がさらに時間延長されてしまうのでみんな黙って聞くしかない。

――あぁ、こんなくだらない話を聞くより早く書類を纏めたいのに――


実は先月末で同期のみならず、入社して5年以内の者は大量に自主退職した。理由は至ってシンプル。今年の大卒新人の基本給が入社5年目までの者より多いからである。

仕事量と責任は増えるのに、新卒よりも安い給料でやってられるか。84人いた社員のうち16人が自主退職。残った者は自分の仕事のほかに辞めて行った者の担当していた仕事が割り振られた上に、新人への教育も任される。正直言ってやってられない。

今日で徹夜も4日目。今日こそは定時は無理でも19時頃には退社して家で寝よう。

こんな会社辞めてしまえ!何度そう思ったか判らない。
同期入社の子が「私、辞めるわ」そう言った時に「一緒に辞めない?」と誘ってくれたが辞めることが出来ない理由があった。



実は2年半前に結婚詐欺にあったのだ。
マッチングアプリで知り合った男性とお付き合いを初めて半年目だった。

少し早いとは思ったが結婚しようと求婚をされ恋人を両親に紹介し、結婚式場の予約も済ませた。招待状も出してあと何日と指を折って数えていた。結婚したら一緒に住まうマンションへの引っ越しも終わった。

結婚式の前日「じゃぁ、また明日」

独身最後の日だからと実家に戻り、翌日結婚式の会場に行くも新郎側は誰一人控室にいない。それどころか1時間前、30分前になっても新郎側の参列客は誰一人来なかった。

何が起こったか全くわからずマンションに両親たちと行ってみれば何かがおかしい。

荒らされている様子はないのだが直感が訴える。
慌てて通帳や印鑑を入れている引き出しの中を見ればあるにはあったが、タイムパスワードを示すトークンがなかった。

パスワードトークンは・・・テーブルの上、パソコンの横にあった。

心臓が激しく拍動をする中、パソコンを立ち上げて銀行の口座にログインをすると・・・。

「ゼっゼロっ!嘘でしょ!!」

なんと口座の残高が男の口座に全て振込をされていたのだ。しかも4つの銀行全て。

「なんで相手にログインIDを教えたんだ!」

両親の叱責は当然だが、あの男に教えてはいない。
パソコンに覚えさせていたのだった。

パスワードを自動で面倒な英数字記号の羅列にすれば覚えるのも面倒になる。だからパソコンのパスワード記憶機能を利用してホームページのログイン画面が開けばあとはログインをクリックするだけだった。

ご丁寧に再度防犯のために認証する認証IDまでパソコンに覚えさせていたものだから簡単にログインされてしまった。それでもどうにもできないと思っていた…だってトップページから振込画面に移行し、振り込みをしようとするための事前パスワードはメールに送られてくるのでスマホが手元にある以上大丈夫・・・そう思ったのだ。

しかし、仕事もあるしとパソコン、スマホ、タブレットと連動させていて、そのいずれからかもメールは見る事が出来る。

振込画面なんて直ぐに表示されてしまう。

最後の防壁であるタイムパスワードトークンをキーホルダー型なので持ち運びに面倒だと家に置いていた。その結果全ての財産を奪われてしまった。

慌てて銀行に連絡はするが自身の口座は空っぽのまま凍結できても振込はリアルタイムで既に終了。
既に振り込まれていて組み戻しの手続きをしても相手の返答次第と突き放されてしまった。


「もう!!なんのための銀行なのよ!!」

怒っても仕方がない。銀行はそこまでしかしてくれないものだ。

その後、警察にも届けたのだが、そこで解ったのが振込先となっていた口座の名義人と「この男です!」と恥を忍んで提示したスマホのラブラブ画像。

警察官の言葉は無情だった。「手配中の結婚詐欺師で、名前はおそらく買ったもの」だと言われた。

2年経つが未だに逮捕はされていない。同様の被害を訴える女性は被害届を出した時点でなんと17人もいた。2年経った今は人数も増えている事だろう。

戸籍の売買なんてテレビドラマの世界だけの事かと甘く見ていた。
自分が犯罪に巻き込まれるなんて、宝くじに当たるより難しいと思っていた。

全部驕りだった。

「指名手配なんて!貼り紙にも写真も似顔絵もないじゃない!」

交番や町内の掲示板に貼ってある指名手配犯。
指名手配犯は500人以上いる。載せきれるわけがない。

奪われたお金は総額で350万。

大学を出た後、1人暮らしに憧れながらも実家にいてコツコツと貯めてきたのだが、ゼロになっただけでなく定期預金があったばかりにそこから自動貸付もした額が振込されていた。定期預金も解約し手元に残ったのはこのゼロ金利の時代。たった300円ほどだった。

よく「ないよりマシ」と言われるが、300円だと正直無かった方がずっと気分的に楽。余計に腹立たしさと虚しさがこみ上げてきた。

さらなる追い打ちは結婚式場に支払うお金。ご祝儀は貰ったけれど全て返したので支払いだけが残った。貯金から払おうにも残高はゼロ。両親と兄弟が立て替えてくれたお金を返さねばならなかった。

結婚詐欺師が逮捕されれば「返還しろ」と請求は出来る。
しかし見つからなければ返金請求をする先がない。

「時効になる前に逮捕されれば良いんだけど」

刑事事件としての公訴時効は7年だけど、結婚詐欺で被害にあったお金の請求をするのは民事。その時効は騙された!と知った日から3年。残りはあと1年。期待するだけ無駄なのでもう諦めている。

家と会社の往復。実家住まいだから給料のほぼ全額を返済に充てて、楽しみなんか何もない生活の中で唯一の癒しは兄の娘である姪っ子だ。

もうすぐその姪っ子の誕生日。
その日は「叔母ちゃんも来てね」と言われ、姪っ子のリクエストだった「シンデレラ姫」の絵本も買って可愛くラッピングしてある。

――はぁ…もうどこか遠くに行きたい――

上司の理不尽極まりない小言がない世界に行きたいな。


そんな事を考えていたからだろうか。

「おい!聞いてるのかッ!」

上司がドンと私の肩を突いた。私はそのまま後ろにひっくり返り、打ち所が悪かった・・・かつてアニメで「眠っているよう」に亡くなったキャラのシーンがあったが打ち所が悪いとどうやら人生が終了する事もあるようだ。

そして片方の世界で人生が終了すれば、違う世界で始まる人生もあるらしい。
何故なら、目が覚めたら私は‥‥全く違う世界にいたのだ。

そう、シンデレラの「if」な世界にいたのだ。

明らかに上司の過失致死になるだろうから残った借金と葬式代はペイできるだろう。
未練が全くないかと言えば、それも違うけれど戻れないのなら諦めをつけるしかなかったのだった。
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