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VOL:17 離縁ありきの婚姻届
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キールは悩んだ。人生でこれほど悩んだ事があっただろうか。
ミリアと、いけないと思いつつ初めて体を繋げた時もここまで悩まなかった。婚約者をアリアからミリアに変える時も嬉しかった事は覚えているが悩んだ記憶がない。
どうあってもアリアとの結婚は避けられず、貴族同士の婚約は最低でも60日という婚約期間が設けられている。途中にミリアの期間が入っていなければ日数は満了していたが、今の状況はゼロカウントから始まる。
60日なんてあっという間の時間。
ベンハーに諭された日で残り59日。そして今は残り40日。
アリアがモネス伯爵家に荷物と共にやってきたはずなのにアリアの姿がないのだ。
父に聞いても「母さんが知ってると思う」と言うだけで埒が明かない。その母は何処かと執事に問えば馬車で片道5日はかかる他家の領地に出向いていると言う。
モネス伯爵家のやり方を覚える講義の時間はないのかと問えば「アリア様に今更必要でしょうか?」と逆に質問をされてしまう。
零れる溜息はアリアがいないという事だけで吐いているのではない。
する事がない。それもキールが溜息を吐く理由の一つ。
キールは学園を卒業後、どこかで働いた経験はない。金に困った生活をした事がないしアリアからミリアに婚約者が変わった時から母はキールに執務を教える事を辞めてしまった。
ならば父に教えて貰おうと思ったが、当時も今も父の答えは変わらない。
「父さんに聞いたって判るわけがないよ」
そう、キールの父であるモネス伯爵は家督を継ぐ条件が2つあり、律儀に守っている。
1つ。事業には一切口出しをしない事
2つ。不貞行為をしない事
この2つが守れない時、モネス伯爵は立場を失う。モネス伯爵家の当主は子爵家を興した次男となるが子爵家と入れ替わるわけではなく、次男のいる子爵家の権利は妻であるモネス伯爵夫人のものなので正確にはモネス伯爵の実弟は子爵代行に過ぎない。
とどのつまり、モネス伯爵は実の親にも見放された「種馬」に過ぎない。
年齢も40歳を超え、子を成そうと思えば出来なくもないが妻にその気が全くなく種馬の活躍は生涯で期間としては半年。回数は実に3回だった。
浮気などとんでもない話で、これだけの事業規模となればスキャンダルは揉みつぶせなくもないが、足元をみられる取引は後々に尾を引く。1度の過ちは身を滅ぼすに等しい。
家にずっといるのも、家にいる間は多くの使用人の目がある。
下手に疑われるよりも家で寛いでいた方がずっといい。
大好きな妹は公爵夫人なので、追い出されれば平民となり遠目に姿を見る事すら叶わなくなる。事業も手伝えと言われれば手伝えるだろうと思っていたのは10年以上も前。
携わっていないと時代も方法もどんどん新しくなりモネス伯爵のやり方ではベースは押さえているが古すぎて使い物にならない。だったら屋敷でゴロゴロしたり、時に庭木をいじったりしている方がマシ。
ナマケモノなモネス伯爵がキールの父。
そんな父を見て育っているので当初キールは反発し母の事業を手伝うつもりでいた。
しかし、結局今のキールは父と同じ。ミリアに傾倒し遊び惚けた1年でキールは母の仕事を手伝おうにも足手まといでしかなくなっていた。
そんなキールに花瓶に花を生けながら父が告げた。
「良かったね。あのまま妹の方と結婚していたらキールとあの娘の新婚部屋は地下牢になる所だったんだよ」
キュッキュと生けた花の葉を指でなぞりながらモネス伯爵は笑って言った。
「父上、笑いながら怖い事を言わないでくださいよ」
「だって笑うしかないだろう?モネス伯爵家と言うのはね、そう言う家なんだよ」
「そういうって…嘘だろ」
「言葉使い。母さんに聞かれたらそろそろお叱りが来るよ」
「すみ…申し訳ございません」
「愚鈍なものでも大人しくすることで生きながらえる事は出来る。帰ってきた妻に奉仕をする事で全てが上手くいく。土壇場でアリアさんを手に入れたからね…一応キールにも使い道が残ってて御の字だ」
モネス伯爵はにっこりとキールに向かって微笑むと花瓶をテーブルの中央に置き、微妙な調整をし始めた。
母が戻るのは早くても20日後。そこでアリアの居場所を聞いても「40日何をしていたのか」と言われそうな気がしてキールは焦った。
「父上、どんな些細な事でも構いません。アリアは何処にいるんです?」
「何処にいるかと聞かれても知らないものは答えられないよ。あぁ、そうそうキールはアリアさんを正妻には望んでなかったんだよね」
「えっ…まぁ、そうですが話し合おうと思って」
「話し合い?それに意味があるのかい?」
「意味って…」
「あんなにハッキリ言っておいて前言撤回?二転三転する発言はどうかと思うが」
「それは…」
モネス伯爵はキールに呆れた声を向けた。
「アリアさんは離縁ありきでの婚姻。だから当家での扱いとしては第二夫人だね。ペル伯爵家は出たから…想像だけど今頃母さんが用意した養子先にいるんじゃないかな。母さんは正妻となる人はキールの希望を叶えてくれるつもりなんだよ」
「第二夫人って!?それって正妻との間に子が出来なかったら許される結婚ですよね…正妻もいないのに」
「書面は正妻。扱いは第二夫人。正妻に子が出来ないという動かない事実があって第二夫人とは閨を共にする。まぁもうそんな制度は無くなったけれど、世の中書面に書かれている事が本当ではないからね。ほら、父さんだって当主だけど、実質は母さんだろう?でも良かったじゃないか。心置きなく感情だけで相手を選ぶ権利を得たんだしね」
薄い笑いを浮かべた仮面から発せられる言葉。
キールは背中にゾクゾクと痺れるような痛みを感じた。
一難去ってまた一難とはこのこと。
アリアとの白い結婚が成立すれば単にアリアが独身になるだけではない。
キール自身もこの伯爵家から切り離すつもりだと悟った。
そのまま居させるつもりならアリアと同時進行で婚約者をつけたはず。
その婚約者を選ぶつもりはなく、キールの好きにさせる。その先にあるのは放逐だ。
こうしてはいられない。
愛だの恋だのは結婚後に育めばいい。父のように木偶になっても良い。
先ずはアリアを探さねば!そして誠心誠意謝罪をして関係を再構築しなければ未来がない。そんなキールを見透かすようにモネス伯爵が静かに言った。
「自分を軸に考えているのなら大人しく全てを受け入れる事だ。キール、お前がした事はそれだけの大罪なのだから」
――自分を軸に・・・――
居ても経ってもいられずキールは部屋を飛び出し、厩舎に向かった。
キールが出て行ったあと、モネス伯爵は花瓶の花を指でチョンと揺らした。
「ま、これで尻に火もついたかな。待ってるだけじゃダメな事もあるよね?謝罪って相手に来てもらってする事じゃないもんね♡」
モネス伯爵は花を縦に揺らす。頷くような動きの花ににっこりと微笑んだ。
ミリアと、いけないと思いつつ初めて体を繋げた時もここまで悩まなかった。婚約者をアリアからミリアに変える時も嬉しかった事は覚えているが悩んだ記憶がない。
どうあってもアリアとの結婚は避けられず、貴族同士の婚約は最低でも60日という婚約期間が設けられている。途中にミリアの期間が入っていなければ日数は満了していたが、今の状況はゼロカウントから始まる。
60日なんてあっという間の時間。
ベンハーに諭された日で残り59日。そして今は残り40日。
アリアがモネス伯爵家に荷物と共にやってきたはずなのにアリアの姿がないのだ。
父に聞いても「母さんが知ってると思う」と言うだけで埒が明かない。その母は何処かと執事に問えば馬車で片道5日はかかる他家の領地に出向いていると言う。
モネス伯爵家のやり方を覚える講義の時間はないのかと問えば「アリア様に今更必要でしょうか?」と逆に質問をされてしまう。
零れる溜息はアリアがいないという事だけで吐いているのではない。
する事がない。それもキールが溜息を吐く理由の一つ。
キールは学園を卒業後、どこかで働いた経験はない。金に困った生活をした事がないしアリアからミリアに婚約者が変わった時から母はキールに執務を教える事を辞めてしまった。
ならば父に教えて貰おうと思ったが、当時も今も父の答えは変わらない。
「父さんに聞いたって判るわけがないよ」
そう、キールの父であるモネス伯爵は家督を継ぐ条件が2つあり、律儀に守っている。
1つ。事業には一切口出しをしない事
2つ。不貞行為をしない事
この2つが守れない時、モネス伯爵は立場を失う。モネス伯爵家の当主は子爵家を興した次男となるが子爵家と入れ替わるわけではなく、次男のいる子爵家の権利は妻であるモネス伯爵夫人のものなので正確にはモネス伯爵の実弟は子爵代行に過ぎない。
とどのつまり、モネス伯爵は実の親にも見放された「種馬」に過ぎない。
年齢も40歳を超え、子を成そうと思えば出来なくもないが妻にその気が全くなく種馬の活躍は生涯で期間としては半年。回数は実に3回だった。
浮気などとんでもない話で、これだけの事業規模となればスキャンダルは揉みつぶせなくもないが、足元をみられる取引は後々に尾を引く。1度の過ちは身を滅ぼすに等しい。
家にずっといるのも、家にいる間は多くの使用人の目がある。
下手に疑われるよりも家で寛いでいた方がずっといい。
大好きな妹は公爵夫人なので、追い出されれば平民となり遠目に姿を見る事すら叶わなくなる。事業も手伝えと言われれば手伝えるだろうと思っていたのは10年以上も前。
携わっていないと時代も方法もどんどん新しくなりモネス伯爵のやり方ではベースは押さえているが古すぎて使い物にならない。だったら屋敷でゴロゴロしたり、時に庭木をいじったりしている方がマシ。
ナマケモノなモネス伯爵がキールの父。
そんな父を見て育っているので当初キールは反発し母の事業を手伝うつもりでいた。
しかし、結局今のキールは父と同じ。ミリアに傾倒し遊び惚けた1年でキールは母の仕事を手伝おうにも足手まといでしかなくなっていた。
そんなキールに花瓶に花を生けながら父が告げた。
「良かったね。あのまま妹の方と結婚していたらキールとあの娘の新婚部屋は地下牢になる所だったんだよ」
キュッキュと生けた花の葉を指でなぞりながらモネス伯爵は笑って言った。
「父上、笑いながら怖い事を言わないでくださいよ」
「だって笑うしかないだろう?モネス伯爵家と言うのはね、そう言う家なんだよ」
「そういうって…嘘だろ」
「言葉使い。母さんに聞かれたらそろそろお叱りが来るよ」
「すみ…申し訳ございません」
「愚鈍なものでも大人しくすることで生きながらえる事は出来る。帰ってきた妻に奉仕をする事で全てが上手くいく。土壇場でアリアさんを手に入れたからね…一応キールにも使い道が残ってて御の字だ」
モネス伯爵はにっこりとキールに向かって微笑むと花瓶をテーブルの中央に置き、微妙な調整をし始めた。
母が戻るのは早くても20日後。そこでアリアの居場所を聞いても「40日何をしていたのか」と言われそうな気がしてキールは焦った。
「父上、どんな些細な事でも構いません。アリアは何処にいるんです?」
「何処にいるかと聞かれても知らないものは答えられないよ。あぁ、そうそうキールはアリアさんを正妻には望んでなかったんだよね」
「えっ…まぁ、そうですが話し合おうと思って」
「話し合い?それに意味があるのかい?」
「意味って…」
「あんなにハッキリ言っておいて前言撤回?二転三転する発言はどうかと思うが」
「それは…」
モネス伯爵はキールに呆れた声を向けた。
「アリアさんは離縁ありきでの婚姻。だから当家での扱いとしては第二夫人だね。ペル伯爵家は出たから…想像だけど今頃母さんが用意した養子先にいるんじゃないかな。母さんは正妻となる人はキールの希望を叶えてくれるつもりなんだよ」
「第二夫人って!?それって正妻との間に子が出来なかったら許される結婚ですよね…正妻もいないのに」
「書面は正妻。扱いは第二夫人。正妻に子が出来ないという動かない事実があって第二夫人とは閨を共にする。まぁもうそんな制度は無くなったけれど、世の中書面に書かれている事が本当ではないからね。ほら、父さんだって当主だけど、実質は母さんだろう?でも良かったじゃないか。心置きなく感情だけで相手を選ぶ権利を得たんだしね」
薄い笑いを浮かべた仮面から発せられる言葉。
キールは背中にゾクゾクと痺れるような痛みを感じた。
一難去ってまた一難とはこのこと。
アリアとの白い結婚が成立すれば単にアリアが独身になるだけではない。
キール自身もこの伯爵家から切り離すつもりだと悟った。
そのまま居させるつもりならアリアと同時進行で婚約者をつけたはず。
その婚約者を選ぶつもりはなく、キールの好きにさせる。その先にあるのは放逐だ。
こうしてはいられない。
愛だの恋だのは結婚後に育めばいい。父のように木偶になっても良い。
先ずはアリアを探さねば!そして誠心誠意謝罪をして関係を再構築しなければ未来がない。そんなキールを見透かすようにモネス伯爵が静かに言った。
「自分を軸に考えているのなら大人しく全てを受け入れる事だ。キール、お前がした事はそれだけの大罪なのだから」
――自分を軸に・・・――
居ても経ってもいられずキールは部屋を飛び出し、厩舎に向かった。
キールが出て行ったあと、モネス伯爵は花瓶の花を指でチョンと揺らした。
「ま、これで尻に火もついたかな。待ってるだけじゃダメな事もあるよね?謝罪って相手に来てもらってする事じゃないもんね♡」
モネス伯爵は花を縦に揺らす。頷くような動きの花ににっこりと微笑んだ。
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