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近づく距離

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「寒くありませんか?」

「いいえ」


カーメリアはアルマンには恐怖心を感じないようである。
日課となっている庭園の散歩、と言っても歩くのではなく車椅子を使って午前中庭を回るのだ。

「あ、ちょっと待ってください」

押していた車椅子を停めて、両方のタイヤをレバーを起こす。
何かと思えば、並んで咲いているスイセンの花が1本くたりとなっている。

アルマンはキョロキョロと折れた枝を探し、添え木のようにスイセンの花をもたれさせた。
腰につけていた水筒を少し傾けて手を洗うと水滴を受けた隣のスイセンの葉がピンと跳ねた。


「アルマン、今日は…」

「なんでしょうか?そう言えば庭師がポピーがそろそろだと言ってましたよ」

「違うの」

「えぇっと…ではハナミズキ?まだ咲いてると思いますが」

「そうではなくて…」

「どうしました?」

「手を…貸してくださる?」

「手を…ですか?構いませんが…あ、さっき土を触ってしまいましたからもう少し綺麗に洗っておきますね」


アルマンはまた腰の水筒の蓋をあけて手を交互に丁寧に水で流した。
空っぽになった水筒を覗き込むと、それをカーメリアに見せて【空っぽです】と笑ってみせた。
それを見たカーメリアの目元が優しく笑ったようにも見えたアルマンは、少し横を向いて口元を両手で覆った。


「‥‥っふっ」

――笑った??――

今度は少し声を漏らしてカーメリアが笑ったように見えた。
アルマンは車椅子の前に片膝をついてしゃがみこみ、カーメリアを見上げた。
白のつばの広い帽子を被ったカーメリアはアルマンの目には妖精のように見えた。

「歩いてみたいの‥‥手を貸してくださる?」

「大丈夫ですか?無理はしないほうがいいです」

喉元まで、見たい花があれば抱いていきますと言いかけて言葉を飲み込んだ。

「お父様を歩いて出迎えたいの」

「公爵様を‥‥そうですね。もう2カ月になりますしそろそろでしょうか」

「‥‥アルマン…」

「はい、なんでしょう」

「どうしてアルマンは…お父様を公爵様と?」

「えっ‥‥あ、それは…」


アルマンは失敗に気が付いた。使用人達がもしメングローザ公爵を呼ぶとすれば【旦那様】【ご主人様】である。無意識に【公爵様】と呼んでいた事に気が付いたのだ。

夫人に護衛兼散歩係として任命されてもう1カ月。カーメリアはハッキリとした笑顔はないが、話はかなりしてくれるようになった。先日は【お待ちしていました】と言われ全身の血液が逆流するかと思ったくらいだ。

勿論、カーメリアは日課の散歩の時間を守っただけだったが、アルマンは自分を待ってくれたと思ってしまった。「明日はもう少し早く来て下さいね」と侍女シトレイユに言われて勘違いに気が付いた。

徐々に心を開いてくれているのを感じていただけにこの失敗は頂けない。
誤魔化してしまえば…頭をよぎったが首を横に振った。
嘘を吐けばその嘘を誤魔化すためにまた嘘を吐かねばならなくなる。
嘘に嘘を重ねても真実にはならず、結果として信用と信頼を失う。

アルマンは正直である事を選んだ。

「メングローザ公爵様は、私にとってメングローザ公爵なのです。旦那様と呼んでも差し支えはないと思いますが呼び慣れていますので…いえっ、呼び名は変えても問題ないんです…ケド…」

「気にしないで。そうね…慣れてるものね…」

「いえ、良いんです。今日からは旦那様!そう。旦那様になりました」

「アルマン、無理はだめ」

「無理?‥‥いいえ、無理なんかじゃないですよ。本当です」

「本当に?」

「私は、貴女には、貴女だけには嘘は吐きません」


カーメリアと向かい合っているアルマンはまた窮地に陥る事に気が付いた。
近い距離で向かい合っていて、カーメリアの瞳に自分が映っているのが見えるのだ。
長いまつげの奥にオレンジの瞳。そこに自分が映っている事に顔の温度が上昇していく。

「アルマン、真っ赤…体調が悪いの?」

「いえっ。絶好調過ぎて体調が悪い事がわからないくらいです」

「ふふっ…ふふっ…」

――やっぱり、笑った!!言っても大丈夫かな?――

心臓がドクドクと早鐘を打ち始める。耳から火が出るんじゃないかと思うくらいに顔が熱い。


「笑わないでくださいよ」

「だって…ふふっ…おかしい…うふふふ」

――笑ってる!本当に笑ってる!!どうしたらいいんだ、この感動を!――

手も口元に当てて、笑っているカーメリアに癒されていくアルマン。
ずっとこのまま見ていたくて目を細めて優しい目で見つめてしまった。

「じゃ、じゃぁ…はい!手です。先ずは手じゃないか…足のステップをどけますからね」

カーメリアの足が乗せられたステップを下に半回転させるとつま先がプランと揺れた。


「じゃぁ、肩に手を置いてください」

「肩に?いいのかしら」

「構いませんよ。肩に手を置いてゆっくりと‥‥手に触れますよ?」

「え、えぇ…」

カーメリアの手がアルマンの肩に乗せられて指先が触れるのを背中に感じながら、アルマンはその手に自分の手を添えてゆっくりと体を後ろに傾けながら立ち上がった。
肩に乗せられた手をゆっくりと降ろし、手首を握らせるようにして右足を少し後ろに引いた。
カーメリアは少しふらついていて、足元を見ている。

「私の足の動きに合わせて‥‥足を出せますか?」

「は、はい…」

2歩、3歩とゆっくり進んでいくが、ぐらりとカーメリアの体が傾いた。
咄嗟とはいえ、アルマンはカーメリアを抱きとめるようになってしまった。


「ごめんなさい…足がふらついて…」

「イ…イイ…良いんですよ…気にしないでください。このまま戻りますね」

「戻る…きゃっ」

アルマンはサッとカーメリアを横抱きにすると歩いた歩数分だけゆっくりと車椅子に戻り、ゆっくりカーメリアを座らせた。

「しばらく歩いていないとふくらはぎの筋力が落ちるんです。少しづつ、慌てずに練習をしましょう。いくらでも付き合いますから」

「そうなのね…ありがとう。アルマン」

「いいえ」


風が吹いてカーメリアの帽子の下の髪が緩くたなびいた。
全身が燃えるように熱いアルマンはその風が心地よかった。
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