34 / 42
近づく距離
しおりを挟む
「寒くありませんか?」
「いいえ」
カーメリアはアルマンには恐怖心を感じないようである。
日課となっている庭園の散歩、と言っても歩くのではなく車椅子を使って午前中庭を回るのだ。
「あ、ちょっと待ってください」
押していた車椅子を停めて、両方のタイヤをレバーを起こす。
何かと思えば、並んで咲いているスイセンの花が1本くたりとなっている。
アルマンはキョロキョロと折れた枝を探し、添え木のようにスイセンの花をもたれさせた。
腰につけていた水筒を少し傾けて手を洗うと水滴を受けた隣のスイセンの葉がピンと跳ねた。
「アルマン、今日は…」
「なんでしょうか?そう言えば庭師がポピーがそろそろだと言ってましたよ」
「違うの」
「えぇっと…ではハナミズキ?まだ咲いてると思いますが」
「そうではなくて…」
「どうしました?」
「手を…貸してくださる?」
「手を…ですか?構いませんが…あ、さっき土を触ってしまいましたからもう少し綺麗に洗っておきますね」
アルマンはまた腰の水筒の蓋をあけて手を交互に丁寧に水で流した。
空っぽになった水筒を覗き込むと、それをカーメリアに見せて【空っぽです】と笑ってみせた。
それを見たカーメリアの目元が優しく笑ったようにも見えたアルマンは、少し横を向いて口元を両手で覆った。
「‥‥っふっ」
――笑った??――
今度は少し声を漏らしてカーメリアが笑ったように見えた。
アルマンは車椅子の前に片膝をついてしゃがみこみ、カーメリアを見上げた。
白のつばの広い帽子を被ったカーメリアはアルマンの目には妖精のように見えた。
「歩いてみたいの‥‥手を貸してくださる?」
「大丈夫ですか?無理はしないほうがいいです」
喉元まで、見たい花があれば抱いていきますと言いかけて言葉を飲み込んだ。
「お父様を歩いて出迎えたいの」
「公爵様を‥‥そうですね。もう2カ月になりますしそろそろでしょうか」
「‥‥アルマン…」
「はい、なんでしょう」
「どうしてアルマンは…お父様を公爵様と?」
「えっ‥‥あ、それは…」
アルマンは失敗に気が付いた。使用人達がもしメングローザ公爵を呼ぶとすれば【旦那様】【ご主人様】である。無意識に【公爵様】と呼んでいた事に気が付いたのだ。
夫人に護衛兼散歩係として任命されてもう1カ月。カーメリアはハッキリとした笑顔はないが、話はかなりしてくれるようになった。先日は【お待ちしていました】と言われ全身の血液が逆流するかと思ったくらいだ。
勿論、カーメリアは日課の散歩の時間を守っただけだったが、アルマンは自分を待ってくれたと思ってしまった。「明日はもう少し早く来て下さいね」と侍女シトレイユに言われて勘違いに気が付いた。
徐々に心を開いてくれているのを感じていただけにこの失敗は頂けない。
誤魔化してしまえば…頭をよぎったが首を横に振った。
嘘を吐けばその嘘を誤魔化すためにまた嘘を吐かねばならなくなる。
嘘に嘘を重ねても真実にはならず、結果として信用と信頼を失う。
アルマンは正直である事を選んだ。
「メングローザ公爵様は、私にとってメングローザ公爵なのです。旦那様と呼んでも差し支えはないと思いますが呼び慣れていますので…いえっ、呼び名は変えても問題ないんです…ケド…」
「気にしないで。そうね…慣れてるものね…」
「いえ、良いんです。今日からは旦那様!そう。旦那様になりました」
「アルマン、無理はだめ」
「無理?‥‥いいえ、無理なんかじゃないですよ。本当です」
「本当に?」
「私は、貴女には、貴女だけには嘘は吐きません」
カーメリアと向かい合っているアルマンはまた窮地に陥る事に気が付いた。
近い距離で向かい合っていて、カーメリアの瞳に自分が映っているのが見えるのだ。
長いまつげの奥にオレンジの瞳。そこに自分が映っている事に顔の温度が上昇していく。
「アルマン、真っ赤…体調が悪いの?」
「いえっ。絶好調過ぎて体調が悪い事がわからないくらいです」
「ふふっ…ふふっ…」
――やっぱり、笑った!!言っても大丈夫かな?――
心臓がドクドクと早鐘を打ち始める。耳から火が出るんじゃないかと思うくらいに顔が熱い。
「笑わないでくださいよ」
「だって…ふふっ…おかしい…うふふふ」
――笑ってる!本当に笑ってる!!どうしたらいいんだ、この感動を!――
手も口元に当てて、笑っているカーメリアに癒されていくアルマン。
ずっとこのまま見ていたくて目を細めて優しい目で見つめてしまった。
「じゃ、じゃぁ…はい!手です。先ずは手じゃないか…足のステップをどけますからね」
カーメリアの足が乗せられたステップを下に半回転させるとつま先がプランと揺れた。
「じゃぁ、肩に手を置いてください」
「肩に?いいのかしら」
「構いませんよ。肩に手を置いてゆっくりと‥‥手に触れますよ?」
「え、えぇ…」
カーメリアの手がアルマンの肩に乗せられて指先が触れるのを背中に感じながら、アルマンはその手に自分の手を添えてゆっくりと体を後ろに傾けながら立ち上がった。
肩に乗せられた手をゆっくりと降ろし、手首を握らせるようにして右足を少し後ろに引いた。
カーメリアは少しふらついていて、足元を見ている。
「私の足の動きに合わせて‥‥足を出せますか?」
「は、はい…」
2歩、3歩とゆっくり進んでいくが、ぐらりとカーメリアの体が傾いた。
咄嗟とはいえ、アルマンはカーメリアを抱きとめるようになってしまった。
「ごめんなさい…足がふらついて…」
「イ…イイ…良いんですよ…気にしないでください。このまま戻りますね」
「戻る…きゃっ」
アルマンはサッとカーメリアを横抱きにすると歩いた歩数分だけゆっくりと車椅子に戻り、ゆっくりカーメリアを座らせた。
「しばらく歩いていないとふくらはぎの筋力が落ちるんです。少しづつ、慌てずに練習をしましょう。いくらでも付き合いますから」
「そうなのね…ありがとう。アルマン」
「いいえ」
風が吹いてカーメリアの帽子の下の髪が緩くたなびいた。
全身が燃えるように熱いアルマンはその風が心地よかった。
「いいえ」
カーメリアはアルマンには恐怖心を感じないようである。
日課となっている庭園の散歩、と言っても歩くのではなく車椅子を使って午前中庭を回るのだ。
「あ、ちょっと待ってください」
押していた車椅子を停めて、両方のタイヤをレバーを起こす。
何かと思えば、並んで咲いているスイセンの花が1本くたりとなっている。
アルマンはキョロキョロと折れた枝を探し、添え木のようにスイセンの花をもたれさせた。
腰につけていた水筒を少し傾けて手を洗うと水滴を受けた隣のスイセンの葉がピンと跳ねた。
「アルマン、今日は…」
「なんでしょうか?そう言えば庭師がポピーがそろそろだと言ってましたよ」
「違うの」
「えぇっと…ではハナミズキ?まだ咲いてると思いますが」
「そうではなくて…」
「どうしました?」
「手を…貸してくださる?」
「手を…ですか?構いませんが…あ、さっき土を触ってしまいましたからもう少し綺麗に洗っておきますね」
アルマンはまた腰の水筒の蓋をあけて手を交互に丁寧に水で流した。
空っぽになった水筒を覗き込むと、それをカーメリアに見せて【空っぽです】と笑ってみせた。
それを見たカーメリアの目元が優しく笑ったようにも見えたアルマンは、少し横を向いて口元を両手で覆った。
「‥‥っふっ」
――笑った??――
今度は少し声を漏らしてカーメリアが笑ったように見えた。
アルマンは車椅子の前に片膝をついてしゃがみこみ、カーメリアを見上げた。
白のつばの広い帽子を被ったカーメリアはアルマンの目には妖精のように見えた。
「歩いてみたいの‥‥手を貸してくださる?」
「大丈夫ですか?無理はしないほうがいいです」
喉元まで、見たい花があれば抱いていきますと言いかけて言葉を飲み込んだ。
「お父様を歩いて出迎えたいの」
「公爵様を‥‥そうですね。もう2カ月になりますしそろそろでしょうか」
「‥‥アルマン…」
「はい、なんでしょう」
「どうしてアルマンは…お父様を公爵様と?」
「えっ‥‥あ、それは…」
アルマンは失敗に気が付いた。使用人達がもしメングローザ公爵を呼ぶとすれば【旦那様】【ご主人様】である。無意識に【公爵様】と呼んでいた事に気が付いたのだ。
夫人に護衛兼散歩係として任命されてもう1カ月。カーメリアはハッキリとした笑顔はないが、話はかなりしてくれるようになった。先日は【お待ちしていました】と言われ全身の血液が逆流するかと思ったくらいだ。
勿論、カーメリアは日課の散歩の時間を守っただけだったが、アルマンは自分を待ってくれたと思ってしまった。「明日はもう少し早く来て下さいね」と侍女シトレイユに言われて勘違いに気が付いた。
徐々に心を開いてくれているのを感じていただけにこの失敗は頂けない。
誤魔化してしまえば…頭をよぎったが首を横に振った。
嘘を吐けばその嘘を誤魔化すためにまた嘘を吐かねばならなくなる。
嘘に嘘を重ねても真実にはならず、結果として信用と信頼を失う。
アルマンは正直である事を選んだ。
「メングローザ公爵様は、私にとってメングローザ公爵なのです。旦那様と呼んでも差し支えはないと思いますが呼び慣れていますので…いえっ、呼び名は変えても問題ないんです…ケド…」
「気にしないで。そうね…慣れてるものね…」
「いえ、良いんです。今日からは旦那様!そう。旦那様になりました」
「アルマン、無理はだめ」
「無理?‥‥いいえ、無理なんかじゃないですよ。本当です」
「本当に?」
「私は、貴女には、貴女だけには嘘は吐きません」
カーメリアと向かい合っているアルマンはまた窮地に陥る事に気が付いた。
近い距離で向かい合っていて、カーメリアの瞳に自分が映っているのが見えるのだ。
長いまつげの奥にオレンジの瞳。そこに自分が映っている事に顔の温度が上昇していく。
「アルマン、真っ赤…体調が悪いの?」
「いえっ。絶好調過ぎて体調が悪い事がわからないくらいです」
「ふふっ…ふふっ…」
――やっぱり、笑った!!言っても大丈夫かな?――
心臓がドクドクと早鐘を打ち始める。耳から火が出るんじゃないかと思うくらいに顔が熱い。
「笑わないでくださいよ」
「だって…ふふっ…おかしい…うふふふ」
――笑ってる!本当に笑ってる!!どうしたらいいんだ、この感動を!――
手も口元に当てて、笑っているカーメリアに癒されていくアルマン。
ずっとこのまま見ていたくて目を細めて優しい目で見つめてしまった。
「じゃ、じゃぁ…はい!手です。先ずは手じゃないか…足のステップをどけますからね」
カーメリアの足が乗せられたステップを下に半回転させるとつま先がプランと揺れた。
「じゃぁ、肩に手を置いてください」
「肩に?いいのかしら」
「構いませんよ。肩に手を置いてゆっくりと‥‥手に触れますよ?」
「え、えぇ…」
カーメリアの手がアルマンの肩に乗せられて指先が触れるのを背中に感じながら、アルマンはその手に自分の手を添えてゆっくりと体を後ろに傾けながら立ち上がった。
肩に乗せられた手をゆっくりと降ろし、手首を握らせるようにして右足を少し後ろに引いた。
カーメリアは少しふらついていて、足元を見ている。
「私の足の動きに合わせて‥‥足を出せますか?」
「は、はい…」
2歩、3歩とゆっくり進んでいくが、ぐらりとカーメリアの体が傾いた。
咄嗟とはいえ、アルマンはカーメリアを抱きとめるようになってしまった。
「ごめんなさい…足がふらついて…」
「イ…イイ…良いんですよ…気にしないでください。このまま戻りますね」
「戻る…きゃっ」
アルマンはサッとカーメリアを横抱きにすると歩いた歩数分だけゆっくりと車椅子に戻り、ゆっくりカーメリアを座らせた。
「しばらく歩いていないとふくらはぎの筋力が落ちるんです。少しづつ、慌てずに練習をしましょう。いくらでも付き合いますから」
「そうなのね…ありがとう。アルマン」
「いいえ」
風が吹いてカーメリアの帽子の下の髪が緩くたなびいた。
全身が燃えるように熱いアルマンはその風が心地よかった。
290
お気に入りに追加
6,761
あなたにおすすめの小説
あなたへの想いを終わりにします
四折 柊
恋愛
シエナは王太子アドリアンの婚約者として体の弱い彼を支えてきた。だがある日彼は視察先で倒れそこで男爵令嬢に看病される。彼女の献身的な看病で医者に見放されていた病が治りアドリアンは健康を手に入れた。男爵令嬢は殿下を治癒した聖女と呼ばれ王城に招かれることになった。いつしかアドリアンは男爵令嬢に夢中になり彼女を正妃に迎えたいと言い出す。男爵令嬢では妃としての能力に問題がある。だからシエナには側室として彼女を支えてほしいと言われた。シエナは今までの献身と恋心を踏み躙られた絶望で彼らの目の前で自身の胸を短剣で刺した…………。(全13話)
優しく微笑んでくれる婚約者を手放した後悔
しゃーりん
恋愛
エルネストは12歳の時、2歳年下のオリビアと婚約した。
彼女は大人しく、エルネストの話をニコニコと聞いて相槌をうってくれる優しい子だった。
そんな彼女との穏やかな時間が好きだった。
なのに、学園に入ってからの俺は周りに影響されてしまったり、令嬢と親しくなってしまった。
その令嬢と結婚するためにオリビアとの婚約を解消してしまったことを後悔する男のお話です。
アリシアの恋は終わったのです。
ことりちゃん
恋愛
昼休みの廊下で、アリシアはずっとずっと大好きだったマークから、いきなり頬を引っ叩かれた。
その瞬間、アリシアの恋は終わりを迎えた。
そこから長年の虚しい片想いに別れを告げ、新しい道へと歩き出すアリシア。
反対に、後になってアリシアの想いに触れ、遅すぎる行動に出るマーク。
案外吹っ切れて楽しく過ごす女子と、どうしようもなく後悔する残念な男子のお話です。
ーーーーー
12話で完結します。
よろしくお願いします(´∀`)
【完結】捨てられ正妃は思い出す。
なか
恋愛
「お前に食指が動くことはない、後はしみったれた余生でも過ごしてくれ」
そんな言葉を最後に婚約者のランドルフ・ファルムンド王子はデイジー・ルドウィンを捨ててしまう。
人生の全てをかけて愛してくれていた彼女をあっさりと。
正妃教育のため幼き頃より人生を捧げて生きていた彼女に味方はおらず、学園ではいじめられ、再び愛した男性にも「遊びだった」と同じように捨てられてしまう。
人生に楽しみも、生きる気力も失った彼女は自分の意志で…自死を選んだ。
再び意識を取り戻すと見知った光景と聞き覚えのある言葉の数々。
デイジーは確信をした、これは二度目の人生なのだと。
確信したと同時に再びあの酷い日々を過ごす事になる事に絶望した、そんなデイジーを変えたのは他でもなく、前世での彼女自身の願いであった。
––次の人生は後悔もない、幸福な日々を––
他でもない、自分自身の願いを叶えるために彼女は二度目の人生を立ち上がる。
前のような弱気な生き方を捨てて、怒りに滾って奮い立つ彼女はこのくそったれな人生を生きていく事を決めた。
彼女に起きた心境の変化、それによって起こる小さな波紋はやがて波となり…この王国でさえ変える大きな波となる。
【完結】忘れてください
仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
愛していた。
貴方はそうでないと知りながら、私は貴方だけを愛していた。
夫の恋人に子供ができたと教えられても、私は貴方との未来を信じていたのに。
貴方から離婚届を渡されて、私の心は粉々に砕け散った。
もういいの。
私は貴方を解放する覚悟を決めた。
貴方が気づいていない小さな鼓動を守りながら、ここを離れます。
私の事は忘れてください。
※6月26日初回完結
7月12日2回目完結しました。
お読みいただきありがとうございます。
好きでした、さようなら
豆狸
恋愛
「……すまない」
初夜の床で、彼は言いました。
「君ではない。私が欲しかった辺境伯令嬢のアンリエット殿は君ではなかったんだ」
悲しげに俯く姿を見て、私の心は二度目の死を迎えたのです。
なろう様でも公開中です。
【完結】亡き冷遇妃がのこしたもの〜王の後悔〜
なか
恋愛
「セレリナ妃が、自死されました」
静寂をかき消す、衛兵の報告。
瞬間、周囲の視線がたった一人に注がれる。
コリウス王国の国王––レオン・コリウス。
彼は正妃セレリナの死を告げる報告に、ただ一言呟く。
「構わん」……と。
周囲から突き刺さるような睨みを受けても、彼は気にしない。
これは……彼が望んだ結末であるからだ。
しかし彼は知らない。
この日を境にセレリナが残したものを知り、後悔に苛まれていくことを。
王妃セレリナ。
彼女に消えて欲しかったのは……
いったい誰か?
◇◇◇
序盤はシリアスです。
楽しんでいただけるとうれしいです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる