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執事苛立つ

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翌日も執務の書類に囲まれているイデオット。

前の晩は久しぶりに湯殿で汗も流し、寝台に横になって睡眠をとれた。
デスクワークばかりで立って歩くと言えば用を足す時くらいだった。
それが数日続き、やっとサッパリできたというのに【これはなんだ】と首を傾げてしまった。

余りに汚く雑然とした執務机。

ペンとインク壺。そのインク壺は何時だったかひっくり返し中のインクが零れた。
その上に咄嗟に掴んだ書類をインクを吸わせるために置いてしまって執事に叱られた。
インクは乾いているようだが、置いた紙の浮いた部分を引っ張れば机の上に貼りついてしまっている。

爪でガリガリと擦るが上手く取れず、ペン先を利用したらペン先は広がり曲がってしまった。そう言えば妹の第一王女がカーメリアから預かった誕生日の贈り物だと渡されたペンだと気が付いた。
手によく馴染んで持ちやすく疲れない。1行か2行他のペンよりもインクが切れることなく文字が書けたのだが、こうなってしまってはもう使えない。
使えない物は持っていても仕方がないとペンをゴミ箱に捨てた。

貼りついた紙は後でメイドにでも掃除をさせようと思ったが、妙に手元がざらざらとする。なんだとまた見てみればここ数日手に持って食べられる食事を続けていた事からサンドウィッチのパンくずだったり、レタスなどの小さな切れ端、溢したマスタードの粒などだった。

手の平をつかってクズを集め、机の下に落としていく。
しかし筋を引いたように全てが取れず、袖口を使ってそれらを集めれば袖口が汚れたが同時に机の天板がガリガリと傷がついてしまったのだ。
原因は袖口を止めているカフスボタンだった。

これも何時だったか抱えていた事業が無事に終わった祝いだとカーメリアが贈ってくれたものだった。


「はぁ…掃除にも使えないペンだとか選ぶセンスというものがないんだよな。見てみろ…こんなに幾つも天板に傷が入ったらペンが取られてしまって文字が歪むじゃないか。使い勝手というものを総合的に考えられないのに、どうしてあんな令嬢が私の婚約者に選ばれたんだろう。父上も母上も人を見る目と言うものがないんだ」


飲み物でシミの付いた書類を丸めてゴミ箱に放り込んでいく。
勿論中身など確認はしていない。ゴミ箱に丸めたものが溜まっていくに比例して機嫌も悪くなっていく。

「だいたいだ。どうして私がこんな事をしなくてはならない?おかしいだろう。折角湯あみでスッキリしたのにもう袖口は汚れた。色々とあり得ないんだが。そう思わないか?」

突然話を振られた着任して10日になる新人執事は複雑な思いで【そうですね】と力なく答えた。



その心のうちは丸めて捨てた書類が重要なものだったらどうするんだろうか。責任を問われはしないだろうかと不安がグルグルと渦を巻く。


「お前、見ない顔だな」


新人執事はもうここに目で、その間は食事の準備や茶の準備、順不同になった書類を纏めて流すように目を通しただけでも判る不備があればそっと戻していたにも関わらず、認識をされていなかった事に驚いた。

「10日前より配属になりました。ソリオと申します。家はパター子爵家で―――」

「は?子爵家?なんでそんな身分の低い者がこの宮にいるんだ」

そんな事、ソリオが一番知りたいくらいだ。
希望は備品の発注、管理をする備品課だった。
地味な部署だが消耗品から高価な調度品までの見積もりから商会の選定などを行うためやりがいが一番あるとも言われているのだ。

試験に合格し、期待に胸を膨らませていたのに王太子宮で執事と聞いた時は放心した。学園生の間でも王太子の評判は最悪だったからだ。

時折学園に下品な女の腰に手を回して訪れては授業中に勝手に教室に入り【気にせず続けてくれ】と声をかけると帰りにどこの店に行こうか、どこどこの庭園はバラが見頃だから行ってみないかなど聞きたくなくても声が大きいものだから聞こえてくる。授業妨害もいいところだった。
その女が執務室や私室に頻繁に出入りしている事に着任初日は意識が飛ぶかと思った。


食堂にふらりと来たかと思えば、安いのにボリュームもあり栄養価も高い定食を食べている者を捕まえて

【驚いた。君は豚の餌を好んで食べているんだね。豚だって人間も食べない物を与えていれば肉は噛みきれないほど硬くなるだろうし不味くなる。率先してこうやって学園生の時から養豚事業を考えているとは君は貧しいながらも豚思いの素晴らしい人間だ。安いだけの鶏肉よりも栄養価の高い豚は国の財産だからね】


養鶏場を営む家の息子に向かっての言葉に誰もが耳がおかしくなかったかと思った。
その生徒の家の養鶏場は国内シェアNO1で、鶏卵も鶏肉も市場の80%を占めているのだ。



騎士科の生徒を捕まえた時には

【剣ばかり振っていると脳みそが偏ると聞いたが本当だね。偏り過ぎて君の剣の腕は第一騎士団でも引けを取らないと感じるよ。風を切るような音をさせるまでになるとはどれだけの人生を棒に振って来たかを痛切に感じる。偏って出来た隙間に剣だけではなく、弓や槍という剣以外の武具を使う術を詰め込んでみてはどうだろうか。そうすれば君は右にも左にも並ぶ者はいなくなるはずだ】


王太子イデオットが笑いながら立ち去ったあと、その騎士科の生徒は剣を叩き折った。顔立ちもよく似ているし髪の色も瞳の色も同じなのに気が付かなかったのだろう。
声をかけられた者はガゼット侯爵家の四男でかつてイデオットの側近だったリンクスの弟だった。父は近衛騎士団の団長をしていたが責任を取り辞職した。

剣を折ったその足で事務棟に向かった生徒は所属科の変更を行い【調理科】を卒業したのだ。


新人執事ソリオは貧乏な子爵家故に給付型の奨学金を貰うため学園時代は勉強一筋だった。
遊んでいる暇などなかったのだ。

イデオットは学園を出たばかりだと知ると、学園生時代の自慢話を始めた。
ソリオはただ時間が過ぎるのを待つだけの苦行が始まった。

そこに来客が来たと扉の前にいた兵士が告げた。
部屋に入ってきたのは未だ自慢話を続けるイデオットの最愛と言われるエンヴィー。
慌てて来たのだろうか、上がる息を押さえながらエンヴィーがイデオットに告げた。


「メングローザ公爵令嬢が病気で寝込んでいて、それが私とヴィオのせいだと噂が!」

「なんだって?」

「だからお見舞いに行きましょう?病気の原因は違うのだと言ってもらわないと!」


イデオットが行くと言えば止められるものは誰もいない。
どんなに愚鈍でどんなに愚か者でどんなに人に迷惑をかけている存在であっても…。

イデオットは王族であり、王太子なのだから。
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