あなたが望んだ、ただそれだけ

cyaru

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邪魔な癒し

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エンヴィーは先日届いたばかりのドレスを見てもらおうとイデオットの私室にやってきた。ソファーに座ったまでは良かったが、机の上にはイデオットの姿が見えないほどの書類が積まれている。

少しばかり空いた隙間から机の前に立った従者となにやらやり取りをしているのだ。1人が終わればまた1人。全く途切れる事のない従者。
耳に聞こえてくるのは王太子宮からの移動若しくは、王宮の一般職への配置換えを願っているものだと判った。

従者だけでなく侍女やメイドも次から次に並んでいてちっともドレスを見てくれる時間にならない。

侍女の制服を着ている者に茶を淹れてくれと頼んでも、「今日は非番」と断られ、メイド服を着ているものを呼び止めても同じ返事を返されるのだった。




やっと列が途切れ、イデオットの名を呼ぶが今度は従者がやってきて執務の催促を始めた。イデオットの執務はカーメリアに半分回していた頃に比べて量は5倍以上に増えていた。

その理由は、側近3人が辞めてしまった事にあった。

アルマンのレイリオス公爵家、リンクスのガゼット侯爵家、ハイデルのジェスト侯爵家はペナルティーとして3か月間の事業停止を言い渡されているのだ。
3カ月と言っても、高位貴族の行う事業はそれぞれの家とも1つ2つではなく多岐に渡る。
そして、完全に事業が停止しても流通や製造、生産に影響がないよう経済は回さねばならない。
ペナルティーが解除になれば速やかに活動を再開するための手続きも必要なのだ。

3家とも諸外国と輸出入をしていた事もありたった3か月でも一時停止、そして再開についての書類は膨大である。

それだけではなくその事業に従事している労働者の賃金や、宿泊先、食事、医療などの福利厚生もある上に、停止期間中の廃棄物なども全てイデオットに執務が回ってきているのだ。


面倒だからと適当にしてしまえば、その損失分はイデオットが負担するようにと国王の勅令が出ていて、ただでさえ今月から王太子宮に支給される支給金は減額をされるものだから手を抜けない。
金の問題だけではなく、イデオットは失敗を許されない状況に追い込まれてもいるのだった。



すぐ下の第一王女は4歳年下だが、イデオットと同じ年齢の婚約者がいる。ブルーメ王国の第4王子だ。ひょろひょろとした冴えない王子なのだが、王妃に似て目鼻立ちがハッキリして、言いたい事を歯に衣着せぬ物言いをする第一王女を殊の外気に入っている。

このブルーメの第4王子は外交の手腕があり、本来であれば第一王女はブルーメ国に行き、第4王子に与えられた離宮で生活をする予定だった。
だが、ここにきて風が変わった。こちらの国へ入り婿となっても構わないと言い出したのだ。



第二王女の婚約者も同じだ。リアーノ国の第8王子だがこちらは脳筋である。
第二王女がリアーノ国に嫁いだ後、伯爵となって家を興す予定だった。
この第8王子も王配でも構わないし入り婿でも問題ないと打診をしてきている。


2人の妹の婚約者からの打診があったのはイデオットが婚約を解消してたった3日目だった。
妹たちから婚約者に連絡をしていたのは間違いない。

側近も探さねばならないのに戻ってくる返事は【見送り】ばかりでらちが明かない。
手を抜けば妹のどちらかに玉座を持って行かれる可能性も出てきている。
イデオットの廃太子も時間の問題だと使用人の流出も歯止めが掛からないのだ。
やる事が多すぎてイデオットはパンク寸前になっている。


「やっと暇になったわね」

「暇?まさか。そんな時間があるはずがないだろう」

「仕方ないなぁ。ディオ~。可愛いヴィーですよぉ♡癒されるぅ?」

「あぁ、少し座って待っててくれないか」

「やだぁ。こっち見てよ。ねぇ。先にこのドレス見て?可愛いでしょ?ここにね――」

「あー!後で見るから、少しでいい。静かにしてくれ」


政務、公務、執務はイデオット。エンヴィーはただ癒してくれればいい。
そう思ったはずだが、何故上手く行かないのだろうとイデオットは考えた。考えたのだがを考えている合間にも執務を進めなければまた明日になれば大量の執務が舞い込むのだ。


鼻歌を歌いながらソファでマニキュアを塗り始めるエンヴィーを見て苛ついてしまうイデオットはまたその思いを打ち消して書類を読み、計算をしてペンを走らせる。

カーメリアにややこしい案件は回していたため、少し専門的な用語が出てくれば「なんだ?」と従者に問うが、その従者も先週着任した学園を卒業したての新卒で、経験が全くないため逆に問い返されて時間だけが過ぎてしまう。

幾つか積まれた書類の1つの山が消えた頃、茶でもと目の前のソファを見ればエンヴィーの姿はもうなかった。


「癒しが欲しい時に居なかったら意味がないだろう!」


苛ついたイデオットは机の天板に拳を叩きつけると、積まれた書類の山が2つ3つ、ぐらぐらと揺れ出し床にゆっくりと倒れて散らばった。

「あ~‥‥」

従者の抑揚がない声が聞こえてくる。イデオットも泣きたい気分だった。
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