2 / 42
公爵の憂い
しおりを挟む
「では、こちらをリアーノ語で読みあげてください」
目の前に出された書類を1つ間に国を挟んた位置にあるリアーノ国の言語で読みあげる。王子妃教育の後半で行なった事を今の段階でまだ復習なのだろうかと思いつつ、言葉に詰まる事なく読みあげていく。
前回はディーダ語、その前はマーデン語。
ずっと王子妃教育、王太子妃教育でやった内容の復習ばかりである。
まして今日のリアーノ語はカーメリアの母の母国の公用語。幼い日から時間をやりくりし何度も訪れ日常会話も出来るレベルであるにも関わらずである。
マーデン国は祖母の母国。婚約者候補に選ばれた時はまだ存命だった祖母に教えを乞い、読み書きも日常会話も全く問題ない。
「先生。王妃教育というのはどれほどの難易度なのでしょうか」
この質問も何度しただろう。目の前の講師に覚えているだけでもこれで5回目だ。物忘れが酷くなったかと疑われるのではないかと思いつつも始まらない王妃教育の開始を探る。
「王子妃教育が10段階の2の難易度、王太子妃教育が中間の5、王妃教育は今の習得度であれば7と言ったところでしょう。躓く事なく励みなさい」
今回はもう一歩踏み込んで問うてみる。
「もう開始をして頂いた方が安心して取り組めると思うのです」
「日程については王妃殿下より通達があるはずですからお待ちなさい」
回答に心で溜息を吐き、表情を変えず小さく頷く。
カーメリアとて判っている。
講師も今の状況は本意ではなくカーメリアに指導をしているのだと。
講師は憂いを含んだ顔で静かに部屋から出て行った。
もう10年以上になる婚約期間。カーメリアは学園を卒業してからは不安を覚えるようになった。学園の時は忙しくても王太子イデオットと共に城に向かう馬車に乗り、私的な事も話をする時間もあった。
しかし、今はその時間もなくこうやって登城をしてもカーメリアが講師を待つための時間は執務に当てねばならず、終わればイデオットが執務をしていると会う時間もない。
たまに茶会はどうだと誘いをしてみれば、従者から丁寧に【公務がある】と断りの回答が返ってくる。
――エンヴィー様とはお時間が取れるのにね――
お互いが好き合っているわけでもなく、エンヴィーに対し嫉妬があるわけではない。
きっと始まらない王妃教育に焦りがあるからだ。
成婚までにはお互いの国に、民に対しての思いを認識しておかねば。
思うようにならない気持ちがそう思わせるのだとカーメリアは一つ息を吐いた。。
両親にも始まらない王妃教育の事は伝えている。
以前は食事中も嫁いだ後の心得のような物を父が話す事があったが、今はない。むしろ【どうだ?】と聞くその意図はイデオットの行いに付いての意見や報告である事が増えた。
「今日は、エンヴィー様とお茶をされていたようです」
「またスミルナ侯爵家の‥‥そうか」
肉を切る手を止めて公爵はしばし沈黙をした後、小さく溜息のような長い息を吐く。
その様子をみた夫人はカトラリーを置き、従者に食事を下げるように伝えるとナフキンで口元を拭いた。
「明日なんだが‥‥」
言い淀んだが公爵はその後をまるで吐き出すかのように一息で言い切った。
「王宮から登城せよと書簡が来ている。私とエミリア、そしてカーメリアでな」
公爵もただ王家の言うがままに流される家臣ではない。
かの日、国王に間を介さず婚約者候補が1人だからと体裁を保つような決め方は止めて欲しいと申し立て、その後は主に学園卒業後のイデオットの婚約者に対しての振舞いについては度々苦言を呈してきた。
夜会にはドレスや宝飾品を贈るし、誕生日や記念日には小物の他に花束もカードも届く。婚約者に対し何か理不尽な事を要求するわけでもなく、無体を働く事もない。
だがそれだけだ。
言うなれば最低限だけは行っているというだけだという事にそれでは足らぬと申し入れているのだ。通常の貴族同士であればそれでいいかも知れない。
婚約者の期間はお試し期間ではない。イデオットとカーメリアの向かう先は婚姻。この婚約は婚姻ありきでの期間であり、他の者達の婚約期間と持つ意味が同義ではないのだ。
婚姻となっても離縁をするのに通常は周りを巻き込む事はない。
せいぜい双方の家の関りくらいだ。
だが、王家となればそれは違う。性格の不一致であったとしても、性の不一致であったとしても離縁が認められればそれは嫁いだ者の【死】を意味する。
何年経っても子が出来ずとも側妃を召し上げるだけで離縁という選択肢がないのだ。
王家だけが知る事を許される秘密を知る者がその先生きていくことはできない。
床に伏せたとされて毒杯を賜るか、幽閉され飢えて天に召されるかだ。
少なくとも、お互いを同士として尊重し合い、考え方を知り認めるための時間は婚姻前から取らなければ行き違いも起こりやすい。何よりも危惧しているのはイデオットの人目を憚らないスミルナ侯爵令嬢との距離。公爵にも否が応でも耳に入るのだ。
考えたくもない明日を思う憂鬱な食事が終わる。
窓の外を見上げれば月は誰を選ぶ事もなく柔らかい光を降らせていた。
目の前に出された書類を1つ間に国を挟んた位置にあるリアーノ国の言語で読みあげる。王子妃教育の後半で行なった事を今の段階でまだ復習なのだろうかと思いつつ、言葉に詰まる事なく読みあげていく。
前回はディーダ語、その前はマーデン語。
ずっと王子妃教育、王太子妃教育でやった内容の復習ばかりである。
まして今日のリアーノ語はカーメリアの母の母国の公用語。幼い日から時間をやりくりし何度も訪れ日常会話も出来るレベルであるにも関わらずである。
マーデン国は祖母の母国。婚約者候補に選ばれた時はまだ存命だった祖母に教えを乞い、読み書きも日常会話も全く問題ない。
「先生。王妃教育というのはどれほどの難易度なのでしょうか」
この質問も何度しただろう。目の前の講師に覚えているだけでもこれで5回目だ。物忘れが酷くなったかと疑われるのではないかと思いつつも始まらない王妃教育の開始を探る。
「王子妃教育が10段階の2の難易度、王太子妃教育が中間の5、王妃教育は今の習得度であれば7と言ったところでしょう。躓く事なく励みなさい」
今回はもう一歩踏み込んで問うてみる。
「もう開始をして頂いた方が安心して取り組めると思うのです」
「日程については王妃殿下より通達があるはずですからお待ちなさい」
回答に心で溜息を吐き、表情を変えず小さく頷く。
カーメリアとて判っている。
講師も今の状況は本意ではなくカーメリアに指導をしているのだと。
講師は憂いを含んだ顔で静かに部屋から出て行った。
もう10年以上になる婚約期間。カーメリアは学園を卒業してからは不安を覚えるようになった。学園の時は忙しくても王太子イデオットと共に城に向かう馬車に乗り、私的な事も話をする時間もあった。
しかし、今はその時間もなくこうやって登城をしてもカーメリアが講師を待つための時間は執務に当てねばならず、終わればイデオットが執務をしていると会う時間もない。
たまに茶会はどうだと誘いをしてみれば、従者から丁寧に【公務がある】と断りの回答が返ってくる。
――エンヴィー様とはお時間が取れるのにね――
お互いが好き合っているわけでもなく、エンヴィーに対し嫉妬があるわけではない。
きっと始まらない王妃教育に焦りがあるからだ。
成婚までにはお互いの国に、民に対しての思いを認識しておかねば。
思うようにならない気持ちがそう思わせるのだとカーメリアは一つ息を吐いた。。
両親にも始まらない王妃教育の事は伝えている。
以前は食事中も嫁いだ後の心得のような物を父が話す事があったが、今はない。むしろ【どうだ?】と聞くその意図はイデオットの行いに付いての意見や報告である事が増えた。
「今日は、エンヴィー様とお茶をされていたようです」
「またスミルナ侯爵家の‥‥そうか」
肉を切る手を止めて公爵はしばし沈黙をした後、小さく溜息のような長い息を吐く。
その様子をみた夫人はカトラリーを置き、従者に食事を下げるように伝えるとナフキンで口元を拭いた。
「明日なんだが‥‥」
言い淀んだが公爵はその後をまるで吐き出すかのように一息で言い切った。
「王宮から登城せよと書簡が来ている。私とエミリア、そしてカーメリアでな」
公爵もただ王家の言うがままに流される家臣ではない。
かの日、国王に間を介さず婚約者候補が1人だからと体裁を保つような決め方は止めて欲しいと申し立て、その後は主に学園卒業後のイデオットの婚約者に対しての振舞いについては度々苦言を呈してきた。
夜会にはドレスや宝飾品を贈るし、誕生日や記念日には小物の他に花束もカードも届く。婚約者に対し何か理不尽な事を要求するわけでもなく、無体を働く事もない。
だがそれだけだ。
言うなれば最低限だけは行っているというだけだという事にそれでは足らぬと申し入れているのだ。通常の貴族同士であればそれでいいかも知れない。
婚約者の期間はお試し期間ではない。イデオットとカーメリアの向かう先は婚姻。この婚約は婚姻ありきでの期間であり、他の者達の婚約期間と持つ意味が同義ではないのだ。
婚姻となっても離縁をするのに通常は周りを巻き込む事はない。
せいぜい双方の家の関りくらいだ。
だが、王家となればそれは違う。性格の不一致であったとしても、性の不一致であったとしても離縁が認められればそれは嫁いだ者の【死】を意味する。
何年経っても子が出来ずとも側妃を召し上げるだけで離縁という選択肢がないのだ。
王家だけが知る事を許される秘密を知る者がその先生きていくことはできない。
床に伏せたとされて毒杯を賜るか、幽閉され飢えて天に召されるかだ。
少なくとも、お互いを同士として尊重し合い、考え方を知り認めるための時間は婚姻前から取らなければ行き違いも起こりやすい。何よりも危惧しているのはイデオットの人目を憚らないスミルナ侯爵令嬢との距離。公爵にも否が応でも耳に入るのだ。
考えたくもない明日を思う憂鬱な食事が終わる。
窓の外を見上げれば月は誰を選ぶ事もなく柔らかい光を降らせていた。
318
お気に入りに追加
6,759
あなたにおすすめの小説
婚約破棄されないまま正妃になってしまった令嬢
alunam
恋愛
婚約破棄はされなかった……そんな必要は無かったから。
既に愛情の無くなった結婚をしても相手は王太子。困る事は無かったから……
愛されない正妃なぞ珍しくもない、愛される側妃がいるから……
そして寵愛を受けた側妃が世継ぎを産み、正妃の座に成り代わろうとするのも珍しい事ではない……それが今、この時に訪れただけ……
これは婚約破棄される事のなかった愛されない正妃。元・辺境伯爵シェリオン家令嬢『フィアル・シェリオン』の知らない所で、周りの奴等が勝手に王家の連中に「ざまぁ!」する話。
※あらすじですらシリアスが保たない程度の内容、プロット消失からの練り直し試作品、荒唐無稽でもハッピーエンドならいいんじゃい!的なガバガバ設定
それでもよろしければご一読お願い致します。更によろしければ感想・アドバイスなんかも是非是非。全十三話+オマケ一話、一日二回更新でっす!
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが
ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。
定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない
そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──
私ってわがまま傲慢令嬢なんですか?
山科ひさき
恋愛
政略的に結ばれた婚約とはいえ、婚約者のアランとはそれなりにうまくやれていると思っていた。けれどある日、メアリはアランが自分のことを「わがままで傲慢」だと友人に話している場面に居合わせてしまう。話を聞いていると、なぜかアランはこの婚約がメアリのわがままで結ばれたものだと誤解しているようで……。
殿下の婚約者は、記憶喪失です。
有沢真尋
恋愛
王太子の婚約者である公爵令嬢アメリアは、いつも微笑みの影に疲労を蓄えているように見えた。
王太子リチャードは、アメリアがその献身を止めたら烈火の如く怒り狂うのは想像に難くない。自分の行動にアメリアが口を出すのも絶対に許さない。たとえば結婚前に派手な女遊びはやめて欲しい、という願いでさえも。
たとえ王太子妃になれるとしても、幸せとは無縁そうに見えたアメリア。
彼女は高熱にうなされた後、すべてを忘れてしまっていた。
※ざまあ要素はありません。
※表紙はかんたん表紙メーカーさま
優しく微笑んでくれる婚約者を手放した後悔
しゃーりん
恋愛
エルネストは12歳の時、2歳年下のオリビアと婚約した。
彼女は大人しく、エルネストの話をニコニコと聞いて相槌をうってくれる優しい子だった。
そんな彼女との穏やかな時間が好きだった。
なのに、学園に入ってからの俺は周りに影響されてしまったり、令嬢と親しくなってしまった。
その令嬢と結婚するためにオリビアとの婚約を解消してしまったことを後悔する男のお話です。
〖完結〗幼馴染みの王女様の方が大切な婚約者は要らない。愛してる? もう興味ありません。
藍川みいな
恋愛
婚約者のカイン様は、婚約者の私よりも幼馴染みのクリスティ王女殿下ばかりを優先する。
何度も約束を破られ、彼と過ごせる時間は全くなかった。約束を破る理由はいつだって、「クリスティが……」だ。
同じ学園に通っているのに、私はまるで他人のよう。毎日毎日、二人の仲のいい姿を見せられ、苦しんでいることさえ彼は気付かない。
もうやめる。
カイン様との婚約は解消する。
でもなぜか、別れを告げたのに彼が付きまとってくる。
愛してる? 私はもう、あなたに興味はありません!
設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。
沢山の感想ありがとうございます。返信出来ず、申し訳ありません。
【完結】忘れてください
仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
愛していた。
貴方はそうでないと知りながら、私は貴方だけを愛していた。
夫の恋人に子供ができたと教えられても、私は貴方との未来を信じていたのに。
貴方から離婚届を渡されて、私の心は粉々に砕け散った。
もういいの。
私は貴方を解放する覚悟を決めた。
貴方が気づいていない小さな鼓動を守りながら、ここを離れます。
私の事は忘れてください。
※6月26日初回完結
7月12日2回目完結しました。
お読みいただきありがとうございます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる