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公爵の憂い

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「では、こちらをリアーノ語で読みあげてください」

目の前に出された書類を1つ間に国を挟んた位置にあるリアーノ国の言語で読みあげる。王子妃教育の後半で行なった事を今の段階でまだ復習なのだろうかと思いつつ、言葉に詰まる事なく読みあげていく。

前回はディーダ語、その前はマーデン語。
ずっと王子妃教育、王太子妃教育でやった内容の復習ばかりである。
まして今日のリアーノ語はカーメリアの母の母国の公用語。幼い日から時間をやりくりし何度も訪れ日常会話も出来るレベルであるにも関わらずである。

マーデン国は祖母の母国。婚約者候補に選ばれた時はまだ存命だった祖母に教えを乞い、読み書きも日常会話も全く問題ない。


「先生。王妃教育というのはどれほどの難易度なのでしょうか」

この質問も何度しただろう。目の前の講師に覚えているだけでもこれで5回目だ。物忘れが酷くなったかと疑われるのではないかと思いつつも始まらない王妃教育の開始を探る。

「王子妃教育が10段階の2の難易度、王太子妃教育が中間の5、王妃教育は今の習得度であれば7と言ったところでしょう。躓く事なく励みなさい」


今回はもう一歩踏み込んで問うてみる。


「もう開始をして頂いた方が安心して取り組めると思うのです」

「日程については王妃殿下より通達があるはずですからお待ちなさい」


回答に心で溜息を吐き、表情を変えず小さく頷く。
カーメリアとて判っている。
講師も今の状況は本意ではなくカーメリアに指導をしているのだと。
講師は憂いを含んだ顔で静かに部屋から出て行った。


もう10年以上になる婚約期間。カーメリアは学園を卒業してからは不安を覚えるようになった。学園の時は忙しくても王太子イデオットと共に城に向かう馬車に乗り、私的な事も話をする時間もあった。
しかし、今はその時間もなくこうやって登城をしてもカーメリアが講師を待つための時間は執務に当てねばならず、終わればイデオットが執務をしていると会う時間もない。

たまに茶会はどうだと誘いをしてみれば、従者から丁寧に【公務がある】と断りの回答が返ってくる。

――エンヴィー様とはお時間が取れるのにね――

お互いが好き合っているわけでもなく、エンヴィーに対し嫉妬があるわけではない。

きっと始まらない王妃教育に焦りがあるからだ。
成婚までにはお互いの国に、民に対しての思いを認識しておかねば。

思うようにならない気持ちがそう思わせるのだとカーメリアは一つ息を吐いた。。





両親にも始まらない王妃教育の事は伝えている。
以前は食事中も嫁いだ後の心得のような物を父が話す事があったが、今はない。むしろ【どうだ?】と聞くその意図はイデオットの行いに付いての意見や報告である事が増えた。

「今日は、エンヴィー様とお茶をされていたようです」

「またスミルナ侯爵家の‥‥そうか」


肉を切る手を止めて公爵はしばし沈黙をした後、小さく溜息のような長い息を吐く。
その様子をみた夫人はカトラリーを置き、従者に食事を下げるように伝えるとナフキンで口元を拭いた。

「明日なんだが‥‥」

言い淀んだが公爵はその後をまるで吐き出すかのように一息で言い切った。

「王宮から登城せよと書簡が来ている。私とエミリア、そしてカーメリアでな」


公爵もただ王家の言うがままに流される家臣ではない。
かの日、国王に間を介さず婚約者候補が1人だからと体裁を保つような決め方は止めて欲しいと申し立て、その後はおもに学園卒業後のイデオットの婚約者に対しての振舞いについては度々苦言を呈してきた。

夜会にはドレスや宝飾品を贈るし、誕生日や記念日には小物の他に花束もカードも届く。婚約者に対し何か理不尽な事を要求するわけでもなく、無体を働く事もない。
だがそれだけだ。

言うなれば最低限だけは行っているというだけだという事にそれでは足らぬと申し入れているのだ。通常の貴族同士であればそれでいいかも知れない。

婚約者の期間はお試し期間ではない。イデオットとカーメリアの向かう先は婚姻。この婚約は婚姻ありきでの期間であり、他の者達の婚約期間と持つ意味が同義ではないのだ。


婚姻となっても離縁をするのに通常は周りを巻き込む事はない。
せいぜい双方の家の関りくらいだ。
だが、王家となればそれは違う。性格の不一致であったとしても、性の不一致であったとしても離縁が認められればそれは嫁いだ者の【死】を意味する。
何年経っても子が出来ずとも側妃を召し上げるだけで離縁という選択肢がないのだ。

王家だけが知る事を許される秘密を知る者がその先生きていくことはできない。
床に伏せたとされて毒杯を賜るか、幽閉され飢えて天に召されるかだ。

少なくとも、お互いを同士として尊重し合い、考え方を知り認めるための時間は婚姻前から取らなければ行き違いも起こりやすい。何よりも危惧しているのはイデオットの人目を憚らないスミルナ侯爵令嬢との距離。公爵にも否が応でも耳に入るのだ。


考えたくもない明日を思う憂鬱な食事が終わる。

窓の外を見上げれば月は誰を選ぶ事もなく柔らかい光を降らせていた。
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