上 下
3 / 41

カリメルラの失敗

しおりを挟む
企みを偶然カリメルラは耳にしてしまった。
ゲール公爵夫妻が、自分をハルメル王国に送り出そうとしていると知って、庶子である事を理由に不遇な扱いをされているといつも相談をしていたステファニアに泣きついた。

カリメルラには公爵家の下男をしているジージルという恋人がいて、いずれは公爵家から出てジージルと結婚するつもりだった。

母親が亡くなった後、突然やって来たゲール公爵に娘だと言われてもピンとこない。
しかし、父と名乗る男と自分の髪の色も癖も、瞳の色も人差し指の爪をてっぺんから齧る癖も同じである事に気が付いた。

カリメルラの母は人目を引く美人で酒場の給仕として働き、時に娼婦として稼いでいた。夜に客が取れた時は雨であろうと息が白くなる日であろうと接待の間は外で待たねばならなかったが、ご馳走の日ともろ手を挙げて喜んだ底辺の生活から抜け出せるとカリメルラはゲール公爵家に来たのだ。
公爵家では食べるものと着るものには困らなかったが、メイドや侍女は乱暴で夫人はカリメルラと目が合えば暴力に訴えて扇や、時に掃除メイドの持っているモップでカリメルラを打った。

カリメルラを慰めたり、手当をしてくれるのは下男のジージルだけだった。
ジージルとの間に関係が出来たのは無理もなかった。

カリメルラは夜会や茶会で他の令嬢からの「可愛がり」から守ってくれるステファニアを頼ったのだった。


「少しで良いの。匿って」
「だけど、行方知れずになれば公爵家とて放っておく事はないと思うわ」


ゲール公爵家では文字の読み書きどころか、マナーも所作もダンスも教える事がなかったため、ステファニアはカリメルラを行儀見習いになればと王城の第二王子の婚約者に与えられた部屋でメイドとして起用していた。
公爵令嬢を侯爵令嬢がメイドとして教えるのは前代未聞だが、マナー以前に幼児用の絵本すら読めないカリメルラを守り、色々と教えるには人目に触れる事も少なく都合が良かったのである。

カリメルラ自身は、このまま公爵令嬢として生きていく覚悟も自信もなく、どこかに嫁がされてしまえば味方は一人もいなくなる事に怯えてもいた。

メイドとしての仕事が終わり、着替えて屋敷に戻ろうとした時に向こうから歩いてくる王太子を見かけた。その日はカリメルラにとって厄日だった。ステファニアが第一王子レオポルドの婚約者との茶会があり、カリメルラはステファニアの執務室で午前中の客が残していった焼き菓子を片手に茶を飲み、ソファで寛いでいた所を古参のメイドに大声で注意をされたのだ。

「どうせ捨てるんでしょ?!なら食べたっていいじゃない」

客残したものを食べているのを咎められたと憤慨したカリメルラだが、主がいないからとソファに寝転んで茶や菓子を食べカリメルラに与えられた仕事は手つかず。行為全てにおいて咎められたのが、カリメルラには理解が出来なかったのだ。


――なんの苦労も知らないのはトップだけなのかな――


むしゃくしゃしていたカリメルラは、少しだけ悪戯をしてやろうという気になった。
王宮の使用人用に医療品を置いてある部屋に行き、「解熱剤」を手にしたが文字がまだ読みきれる訳でないカリメルラはそれを「下剤」だと思っていた。

誰を狙ったわけでもない。並べられた水差しの中に鷲掴みにした薬を溶かしたのだ。


――誰が飲むのかしら。御不浄から出て来られなくなった人が大当たり!――

しかし暫く様子を見ていても、水差しを誰も取りに来る気配がない。
時間が経てば経つほどカリメルラは「恐ろしく」なってしまった。
冷静になれば、可能性を考える。その水差しが床に伏せっている国王陛下の元に行ってしまえばどうなるか。そう考えると体が震えたのだ。

――やっぱり、イタズラなんてやめよう――

そう思って薬を溶かした水差しを他のモノと入れ替えようと物陰から出ようとした時に、第二王子アベラルドの執事でもあるカルロが部屋に入ってきた。

水差しの番号を壁にある紙に「持っていった」とマークを入れると立ち去ってしまったのだ。
不味い事になったとカリメルラはなんとか水差しを回収しようと無我夢中でアベラルドの隣の部屋に忍び込んだ。

続きの間になっている部屋の扉にそっと耳を当てると、聞き取りにくいが声が聞こえてくる。どうやらアベラルドは飲酒をしたようで、酔い覚ましに水をカルロが持ってきたようだった。

「じゃ、ちゃんと寝ろよ」

カルロの声がして扉が閉じる音がした。カリメルラはいつ出て行こうか思案をしていると部屋から妙な物音がし始めた。そっと扉を開けると、水差しの水を半分に行かないくらい飲んだアベラルドが嘔吐をしている。
王族だからだろうか。酒に酔っていても味のおかしな水を飲んでしまった事から自分で吐き出そうとしていたのだ。

カリメルラがアベラルドに近寄った時、アベラルドはもう意識がなかった。
必死で吐瀉で汚れた衣類を剥ぎ取り、裸になったアベラルドを寝台に寝かせるとカリメルラは兎に角「水」に入れた薬の事を隠したくて、明け方まで音を立てないように床を掃除した。

水差しの水を入れ替えねばと、井戸に行き残った水を捨てて、水差しを濯ぎ新しい水を入れる。
兎に角必死だった。部屋に戻りアベラルドが静かに呼吸しているのを確認すると、どっと力が抜けた。そして疲れが襲ってきたカリメルラは少しだけ仮眠するつもりで汚れた服を脱いだ。

仮眠なのだから、アベラルドが起きる前に自分が起きて立ち去るつもりだった。

吐瀉をしていたその臭いを消すために窓を開けていたのだが、裸になったカリメルラは月明かりに寝台の横になろうとしていた所にヤモリがいる事に気が付いた。
元は平民のカリメルラである。思い切り棚にあった本を叩きつけてヤモリを退治したのだがシーツに血がついてしまった。

「ここでは横になりたくないわね」

仕方なくアベラルドの背にしがみつく様に寝入ってしまったのだった。



仮眠のつもりだった。アベラルドよりも先に起きて逃げるつもりだったカリメルラは騒ぎに目を覚ました。真っ先に目があったのは隣に居るアベラルドだった。
その目には失望と困惑の色が浮かんでいた。

カリメルラに限らず、ゲール公爵家に連れて来られるまでは母のように客と裸で上になり、下になり嬌声を上げて寝台に並んで寝ている男女はいちいち問題にする事でもない。
その隣に居る男が父親かどうかなども関係がない。それが破廉恥でふしだらな事だと言う認識もない。カリメルラには裸であるが、アベラルドと並んで寝ている事はどうでもいいことだった。

ただ、アベラルドはステファニアの婚約者であり第二王子。庶子の公爵令嬢とは言え寝台の一部を間借りしてしまった事には悪いと感じている程度だったが、「悪かった」とは言い出せなかった。

カリメルラは弁解が出来なかったのだ。
イタズラだったとはいえ、クスリを水差しの水に溶かしたとなれば死罪は免れない。
死ぬのは嫌だった。

ほとぼりが冷めれば、ステファニアは判ってくれるしステファニアからアベラルドにも説明をしてもらえて、叱られはするだろうが、それで終わると思っていたのだ。
なんならこの事がきっかけになって公爵家を追い出されればジージルと一緒になれる。

次の執務室に勤務の日に早めに行って説明しよう。
カリメルラにはその程度の事だった。


しかし、その日は来なかった。
その日は王宮に留め置かれ、純潔を散らした事を侍医に確認をされた。前日の出勤前にジージルと関係を持っていたカリメルラの体の奥には男性の残滓が少量残されていた。

翌日、廊下でカリメルラは父と登城したステファニアとすれ違った。

――後で説明するから!本当に何もなかったから!――


心の叫びは誰にも届かなかった。
カリメルラはその日以降、ステファニアに会う事は叶わず願ったジージルと結婚する事もなくアベラルドと質素な結婚式を不本意のまま挙げさせられて、1人第二王子宮で悪阻と戦い、1人陣痛を耐え抜き、女児を出産した。

「誰も…来ない…」

産後、寝台でポツリと呟くカリメルラにカルロは温度のない声で告げた。

「ご両親は来るかもしれませんが、ブレント侯爵令嬢は隣国に嫁がれましたから来ませんよ」
「隣国って…どういう事?」
「どういうも何も。ご自分の胸に手を当ててお考えになれば宜しいのでは」


ステファニアはアベラルドの元婚約者である。身重の体に何かあってはならないと誰もカリメルラに話してくれる者はいなかった。
ステファニアが隣国に自分の代りに嫁がされたと知ったカリメルラは泣き崩れた。
しおりを挟む
感想 239

あなたにおすすめの小説

お飾り公爵夫人の憂鬱

初瀬 叶
恋愛
空は澄み渡った雲1つない快晴。まるで今の私の心のようだわ。空を見上げた私はそう思った。 私の名前はステラ。ステラ・オーネット。夫の名前はディーン・オーネット……いえ、夫だった?と言った方が良いのかしら?だって、その夫だった人はたった今、私の足元に埋葬されようとしているのだから。 やっと!やっと私は自由よ!叫び出したい気分をグッと堪え、私は沈痛な面持ちで、黒い棺を見つめた。 そう自由……自由になるはずだったのに…… ※ 中世ヨーロッパ風ですが、私の頭の中の架空の異世界のお話です ※相変わらずのゆるふわ設定です。細かい事は気にしないよ!という読者の方向けかもしれません ※直接的な描写はありませんが、性的な表現が出てくる可能性があります

【完結】私だけが知らない

綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

私の知らぬ間に

豆狸
恋愛
私は激しい勢いで学園の壁に叩きつけられた。 背中が痛い。 私は死ぬのかしら。死んだら彼に会えるのかしら。

【完結】婚約破棄される前に私は毒を呷って死にます!当然でしょう?私は王太子妃になるはずだったんですから。どの道、只ではすみません。

つくも茄子
恋愛
フリッツ王太子の婚約者が毒を呷った。 彼女は筆頭公爵家のアレクサンドラ・ウジェーヌ・ヘッセン。 なぜ、彼女は毒を自ら飲み干したのか? それは婚約者のフリッツ王太子からの婚約破棄が原因であった。 恋人の男爵令嬢を正妃にするためにアレクサンドラを罠に嵌めようとしたのだ。 その中の一人は、アレクサンドラの実弟もいた。 更に宰相の息子と近衛騎士団長の嫡男も、王太子と男爵令嬢の味方であった。 婚約者として王家の全てを知るアレクサンドラは、このまま婚約破棄が成立されればどうなるのかを知っていた。そして自分がどういう立場なのかも痛いほど理解していたのだ。 生死の境から生還したアレクサンドラが目を覚ました時には、全てが様変わりしていた。国の将来のため、必要な処置であった。 婚約破棄を宣言した王太子達のその後は、彼らが思い描いていたバラ色の人生ではなかった。 後悔、悲しみ、憎悪、果てしない負の連鎖の果てに、彼らが手にしたものとは。 「小説家になろう」「カクヨム」「ノベルバ」にも投稿しています。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

王子妃教育に疲れたので幼馴染の王子との婚約解消をしました

さこの
恋愛
新年のパーティーで婚約破棄?の話が出る。 王子妃教育にも疲れてきていたので、婚約の解消を望むミレイユ 頑張っていても落第令嬢と呼ばれるのにも疲れた。 ゆるい設定です

(完結)婚約破棄から始まる真実の愛

青空一夏
恋愛
 私は、幼い頃からの婚約者の公爵様から、『つまらない女性なのは罪だ。妹のアリッサ王女と婚約する』と言われた。私は、そんなにつまらない人間なのだろうか?お父様もお母様も、砂糖菓子のようなかわいい雰囲気のアリッサだけをかわいがる。  女王であったお婆さまのお気に入りだった私は、一年前にお婆さまが亡くなってから虐げられる日々をおくっていた。婚約者を奪われ、妹の代わりに隣国の老王に嫁がされる私はどうなってしまうの?  美しく聡明な王女が、両親や妹に酷い仕打ちを受けながらも、結局は一番幸せになっているという内容になる(予定です)

【完結】気付けばいつも傍に貴方がいる

kana
恋愛
ベルティアーナ・ウォール公爵令嬢はレフタルド王国のラシード第一王子の婚約者候補だった。 いつも令嬢を隣に侍らす王子から『声も聞きたくない、顔も見たくない』と拒絶されるが、これ幸いと大喜びで婚約者候補を辞退した。 実はこれは二回目人生だ。 回帰前のベルティアーナは第一王子の婚約者で、大人しく控えめ。常に貼り付けた笑みを浮かべて人の言いなりだった。 彼女は王太子になった第一王子の妃になってからも、弟のウィルダー以外の誰からも気にかけてもらえることなく公務と執務をするだけの都合のいいお飾りの妃だった。 そして白い結婚のまま約一年後に自ら命を絶った。 その理由と原因を知った人物が自分の命と引き換えにやり直しを望んだ結果、ベルティアーナの置かれていた環境が変わりることで彼女の性格までいい意味で変わることに⋯⋯ そんな彼女は家族全員で海を隔てた他国に移住する。 ※ 投稿する前に確認していますが誤字脱字の多い作者ですがよろしくお願いいたします。 ※ 設定ゆるゆるです。

処理中です...