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言葉を失った令嬢
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夕暮れに空が朱く染まっていく。
ひとり、部屋の中で刺繍を刺すステファニアにたった1人の侍女ベルタは温かい茶を淹れる。
「そろそろ休憩をされては如何ですか」
「・・・・」
言葉はないが微笑がベルタに向けられた。
微笑を向けた主はファミル王国にあるブレント侯爵家の令嬢だったステファニア。
敗戦国のハルメル国に嫁いでまもなく2年になる。
30年戦争と呼ばれるファミル王国とハルメル王国の戦争は2年前に終結した。
ファミル王国の勝利で終わったが「和平の証」としてブレント侯爵家のステファニアはハルメル王国の王太子の元に嫁がされた。
多くの戦死者を出した戦争。敗戦国となったハルメルの民が快くステファニアを迎え入れる筈がない。輿入れの道中も何処からともなく投げつけられる石礫に荷物の幾つかは箱に傷がついた。
取り押さえられた投石の主を目の前に跪かせた兵士はステファニアに問うた。
「首を刎ねるか、首だけを出した状態で埋めるか」と。
ステファニアは静かに首を横に振り、解き放つよう命じた。
ステファニアはファミル王国の第二王子の婚約者であり、ハルメル王国のレオポルドに嫁ぐのは、元々ゲール公爵家のカリメルラだった。
しかし、終戦の和平調停の最中にその婚約は解消になった。
カリメルラと婚約者の第二王子が関係を持ってしまったのだ。
たった一度の過ちだと第二王子アベラルドは言ったが、その一度の過ちでカリメルラは妊娠してしまった。
カリメルラの父、ゲール公爵が「ファミル王国の令嬢とハルメル王国の王太子を成婚させてはどうか」という提案に敗戦国とは言え、お手付きになった令嬢を送ることは出来ず婚約解消となり傷物となったステファニアに白羽の矢が立った。
戦争は明日はどうなるかもわからない。そのため婚約者同士で関係を持つ者が多く、高位貴族の令嬢で身綺麗なものはステファニアの他には10歳に満たないものばかりだったからである。
生まれた時から第二王子アベラルドの婚約者だったステファニアは19年間アベラルドの為に生きてきた。幼児期からの擦りこみ教育で第二王子妃となる者として教育され育てられたのだ。貴族の結婚に好きも嫌いもない。ステファニアの19年間は思考さえもアベラルドの為にあると教えられた。
しかし、アベラルドとステファニアはゆっくりと確かに愛を育んでいた。
突然梯子を外された日。ステファニアはショックで言葉を失った。その日以来、ステファニアは言葉を発そうとしても唇が動くだけで音が出なくなった。
ハルメル王国に嫁いでからも言葉が回復する事はなかった。
それはハルメル王国の王太子レアンドロにとって非常に都合が良かった。
手紙さえ検閲をすれば、秘密がファミル王国に流れることはない。
ステファニアに来る手紙は両親からのもので、好物を贈ったという送り状程度のものだけ。ステファニアからは届いた品への礼と感想が当たり障りなく書かれているのみで検閲する必要すらなかった。
以前は会話が出来ていたのならと、療養と称し、ステファニアは離宮に移された。
離宮の中であれば自由に動いても構わないが、離宮の敷地を出る事は許されない。
「民の感情は今もファミル王国へは負の感情が渦巻いている」
そう言っておけば、身の安全を第一にと建前が出来るのだ。
幼い頃から乳母も兼ねてきたベルタだけがステファニアの世話をする。
窓の外から聞こえてくる小鳥が囀るような声と大きな笑い声にベルタは眉を顰める。
「いやだわ。レアン」
「だって面白いだろう?今度は足を伸ばして海沿いの別荘に行ってみないか」
「そんな事をして。睨まれちゃうわ」
「大丈夫だ。アレは何も言わない」
「言わないんじゃないでしょう?言・え・な・い・の」
「それもそうだ。アッハッハ」
ステファニアが嫁ぐ前から王太子レアンドロには恋人がいた。
子爵家のロザリーで、爵位が低い事から婚約も成婚も反対をされていた。
今も国王からは許しを得てはいないが、戦争の負傷で鉛毒に侵された国王は床に伏している。国王代理となった王太子レアンドロに苦言を呈する者はいない。
臣下たちも良い顔はしていない。
ファミル王国にこの事が露呈すれば何らかの咎めがある事は必定だからだ。
しかし王太子レアンドロがここまで羽根を伸ばしているのは、諜報もいるであろうにファミル王国の動きがない。うっかりとファミル王国の大使を招いた夕食会にロザリーを同席させてしまったが、物言わぬステファニアのおかげなのか、それとも気が付いていないのか。ファミル王国からは何も言ってこなかった。
それには臣下も聊か拍子抜けしたくらいだ。
嫁いでから一度も寝所を共にせず、なんなら部屋を訪れる事もない。
捨て置かれたステファニアは今日も静かに刺繡を刺すのだった。
そんなある日、ファミル王国から王太子レアンドロ宛に書簡が届いた。
懐妊の兆しが見えないステファニアを家臣に下賜せよと言うものだった。
ファミル王国もステファニアに戻られても居場所がない。既に国王は代替わりをして第二王子アベラルドの兄である第一王子レオポルドが立太子を飛ばし即位をしていた。
弟の第二王子アベラルドには聊か腹に据えかねる思いのあるレオポルドはカリメルラを迎えても尚、ステファニアを思うアベラルドを蔑み、ステファニアの不遇を知りながら帰国を許さなかった。
ひとり、部屋の中で刺繍を刺すステファニアにたった1人の侍女ベルタは温かい茶を淹れる。
「そろそろ休憩をされては如何ですか」
「・・・・」
言葉はないが微笑がベルタに向けられた。
微笑を向けた主はファミル王国にあるブレント侯爵家の令嬢だったステファニア。
敗戦国のハルメル国に嫁いでまもなく2年になる。
30年戦争と呼ばれるファミル王国とハルメル王国の戦争は2年前に終結した。
ファミル王国の勝利で終わったが「和平の証」としてブレント侯爵家のステファニアはハルメル王国の王太子の元に嫁がされた。
多くの戦死者を出した戦争。敗戦国となったハルメルの民が快くステファニアを迎え入れる筈がない。輿入れの道中も何処からともなく投げつけられる石礫に荷物の幾つかは箱に傷がついた。
取り押さえられた投石の主を目の前に跪かせた兵士はステファニアに問うた。
「首を刎ねるか、首だけを出した状態で埋めるか」と。
ステファニアは静かに首を横に振り、解き放つよう命じた。
ステファニアはファミル王国の第二王子の婚約者であり、ハルメル王国のレオポルドに嫁ぐのは、元々ゲール公爵家のカリメルラだった。
しかし、終戦の和平調停の最中にその婚約は解消になった。
カリメルラと婚約者の第二王子が関係を持ってしまったのだ。
たった一度の過ちだと第二王子アベラルドは言ったが、その一度の過ちでカリメルラは妊娠してしまった。
カリメルラの父、ゲール公爵が「ファミル王国の令嬢とハルメル王国の王太子を成婚させてはどうか」という提案に敗戦国とは言え、お手付きになった令嬢を送ることは出来ず婚約解消となり傷物となったステファニアに白羽の矢が立った。
戦争は明日はどうなるかもわからない。そのため婚約者同士で関係を持つ者が多く、高位貴族の令嬢で身綺麗なものはステファニアの他には10歳に満たないものばかりだったからである。
生まれた時から第二王子アベラルドの婚約者だったステファニアは19年間アベラルドの為に生きてきた。幼児期からの擦りこみ教育で第二王子妃となる者として教育され育てられたのだ。貴族の結婚に好きも嫌いもない。ステファニアの19年間は思考さえもアベラルドの為にあると教えられた。
しかし、アベラルドとステファニアはゆっくりと確かに愛を育んでいた。
突然梯子を外された日。ステファニアはショックで言葉を失った。その日以来、ステファニアは言葉を発そうとしても唇が動くだけで音が出なくなった。
ハルメル王国に嫁いでからも言葉が回復する事はなかった。
それはハルメル王国の王太子レアンドロにとって非常に都合が良かった。
手紙さえ検閲をすれば、秘密がファミル王国に流れることはない。
ステファニアに来る手紙は両親からのもので、好物を贈ったという送り状程度のものだけ。ステファニアからは届いた品への礼と感想が当たり障りなく書かれているのみで検閲する必要すらなかった。
以前は会話が出来ていたのならと、療養と称し、ステファニアは離宮に移された。
離宮の中であれば自由に動いても構わないが、離宮の敷地を出る事は許されない。
「民の感情は今もファミル王国へは負の感情が渦巻いている」
そう言っておけば、身の安全を第一にと建前が出来るのだ。
幼い頃から乳母も兼ねてきたベルタだけがステファニアの世話をする。
窓の外から聞こえてくる小鳥が囀るような声と大きな笑い声にベルタは眉を顰める。
「いやだわ。レアン」
「だって面白いだろう?今度は足を伸ばして海沿いの別荘に行ってみないか」
「そんな事をして。睨まれちゃうわ」
「大丈夫だ。アレは何も言わない」
「言わないんじゃないでしょう?言・え・な・い・の」
「それもそうだ。アッハッハ」
ステファニアが嫁ぐ前から王太子レアンドロには恋人がいた。
子爵家のロザリーで、爵位が低い事から婚約も成婚も反対をされていた。
今も国王からは許しを得てはいないが、戦争の負傷で鉛毒に侵された国王は床に伏している。国王代理となった王太子レアンドロに苦言を呈する者はいない。
臣下たちも良い顔はしていない。
ファミル王国にこの事が露呈すれば何らかの咎めがある事は必定だからだ。
しかし王太子レアンドロがここまで羽根を伸ばしているのは、諜報もいるであろうにファミル王国の動きがない。うっかりとファミル王国の大使を招いた夕食会にロザリーを同席させてしまったが、物言わぬステファニアのおかげなのか、それとも気が付いていないのか。ファミル王国からは何も言ってこなかった。
それには臣下も聊か拍子抜けしたくらいだ。
嫁いでから一度も寝所を共にせず、なんなら部屋を訪れる事もない。
捨て置かれたステファニアは今日も静かに刺繡を刺すのだった。
そんなある日、ファミル王国から王太子レアンドロ宛に書簡が届いた。
懐妊の兆しが見えないステファニアを家臣に下賜せよと言うものだった。
ファミル王国もステファニアに戻られても居場所がない。既に国王は代替わりをして第二王子アベラルドの兄である第一王子レオポルドが立太子を飛ばし即位をしていた。
弟の第二王子アベラルドには聊か腹に据えかねる思いのあるレオポルドはカリメルラを迎えても尚、ステファニアを思うアベラルドを蔑み、ステファニアの不遇を知りながら帰国を許さなかった。
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