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心が砕けた一言
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発条仕掛けのオルゴールの音色がゆっくりと奏でていた音を止めます。
宝飾品が一つとして入っておらず、入っているのは婚約時に頂いた手紙のみ。
生涯を共にと誓ったエリオナル様が買ってくださった唯一の品。その音色を風に乗せて聴いた日もあれば、発条を回すことなく、心に響く音にただ蓋を開けて夢の中の在りし日に瞼を閉じて思いを馳せました。
「お支度が整いまして御座います」
嫁いできて8年間。泣き、笑い、時に励まし、時に抱きしめてくれた侍女ミライが小さなトランクを一つ手に持ち、扉を開けて声を掛けてくれます。その顔は今にも泣き出しそうなほどに歪んでいて、わたくしは内緒で刺繍をしたハンカチを手渡しました。
最後にもう一度と部屋を見渡せば、先先代の奥様が嫁入り道具として持ってきた年代的にはアンティークとなった調度品の数々。先代の奥様から「良ければ使って」と貸して頂いていた化粧台。
1人用の寝台、椅子は二脚あるのにいつも一脚は使われる事のなかったテーブルセット。
持って出る物はここに来た時よりも少ないけれど、荷が少ないのは幸いと心の区切りを付けて立ちあがりました。
是が非でもと望まれ、わたくしは16歳で20歳の夫、エリオナル・デービス・ミスクトン伯爵に嫁ぎました。
義両親が御年を召してのお子様がエリオナル様でした。
嫁いだ時、お義父様は67歳、お義母様は63歳。20歳になる頃には大半が婚姻をしており早いものは御子が1人、2人といる国ですから、お義父様から世継ぎの期待はそれは大きなものでございました。
唯一わたくしの味方になってくださったお義母様はご自身が義両親や親類からずっと言われ続けてきた事を、わたくしには背負わせまいといつも矢面に立ってくださりました。
お義母様も晩年まで、わたくしも御子が授かれなかったのには理由が御座います。
お義父様もエリオナル様も王族付きの護衛騎士。それなりの立場、役職がありますので屋敷にお戻りになり休日を過ごされるのは年に数日。両手の指いえ、片手の指で余るほどで御座いました。
突然の休日になりますので、月のものに当たれば房事に励んでも子は出来難いですしその最中に房事をするのは禁忌と言われており、月のものが終わる頃にはもう・・・。
加えて、非常にお疲れになり戻られるため当日の夜から翌日の昼過ぎまでは熟睡をされ、そこから領地の陳情についての整理を深夜までされて翌朝ご出仕されるのです。
結婚休暇も頂けた筈なのですが、運が良かったのか悪かったのか。
結婚式が終わるや否や、部下の騎士様から大公様の奥様が誘拐されたと連絡が入り、エリオナル様は急ぎ王宮に出向かれました。当然初夜などある筈も御座いません。
後に大公様の奥様はお茶会の帰りに馬車の車輪に不具合があり、帰宅が2時間程遅れただけ、情報が錯綜しただけという事で事なきを得ましたが、エリオナル様の元にその旨の連絡が入ったのは更に2時間後。
問題がなくとも不具合の原因を突き止め王族の行動についての報告書を出さねばならず、結局落ち着いたのは深夜となり、お帰りにはなれなかったのです。
15歳のデヴュタントで義両親がわたくしを見初めて下さり、まだ女性が学園に行くのは高位貴族か王族かという頃ですから、嫁ぎ先が決まればほとんどの女性は15、16歳で嫁いでおりましたし、結婚式で初めて夫となる男性と顔を合わせる者も少なくありません。良いご縁だと嫁ぐ日を指折り数えたもので御座いました。
エリオナル様は休日は当時も変わらず突然では御座いましたが、よくわたくしを散策や遠出に連れて行ってくださいました。
ミスクトン伯爵家は決して裕福ではなく、毎年の蓄財すら少なく借金がないだけの伯爵家。領地があるのでなんとか護衛騎士をエリオナル様がされていてもやっていけるのですが、大飢饉などに見舞われれば吹けば飛ぶような貴族で御座います。
わたくしはしがない子爵家の娘。家は兄が継ぎますが兄も王宮務めの文官。
母は早くに亡くなっており、父が男手一つで兄とわたくしを育ててくれました。
領地もなく爵位を維持するにも維持費を考えると代替わりの時に返上しようかというほどの貧乏貴族でございました。裕福ではないとは言っても建国以来続く由緒あるミクストン伯爵家からの申し出の上、少ない持参金でも手放しで迎えてくださった義両親には感謝してもしきれません。
貧乏な低位貴族の娘は爵位があるばかりに平民の富裕層の女性陣には嫌われており、玩具代わりに壊れても代りはいるとばかりに嫁いだ先で憂さ晴らしで虐められることに耐え忍び泣き暮らす者も少なくないのです。
学園に行き「学」を付けようにも高額な学費は払えず、デヴュタントが終われば皆どこかの高位貴族に行儀見習いや奉公を少しでも良い所に勤められる、嫁げるよう希望するのです。
結婚して1年目、エリオナル様が屋敷に戻られたのは4回。それも一晩ではなく昼食を食べると直ぐにとんぼ返りという忙しさ。わたくしは義両親に領地経営を教えて頂き、女だてらにと言われながらも馬に跨り視察にも出かけ、領民の方に認めて頂き、義両親と共に産物の販路の拡大を始めたのです。
「こんな物しかあげられなくてごめん」
そう言って結婚記念日に頂いたのがオルゴールで御座いました。エリオナル様の自由にできるお金を知っているだけにきっと昼食をパンだけにしたりして1年間コツコツと貯められたのでしょう。
発条を巻き、蓋を開けると聴こえる春のそよ風のような優しい音色がわたくしは、とてもとても嬉しかったのです。中身はこの先もさほど増える事はなくても、こんな優しい音色に包まれる思い出が沢山詰まるのだと信じてやまなかったのです。
子爵家の父はわたくしが嫁ぎ、兄に爵位を譲った2か月後、流行病であっけなく逝ってしまいました。父の葬儀には途中で駆け付けてくださったエリオナル様ですが、お忙しい身です。埋葬が終われば早々に城に戻られわたくしはそれから半年ほど心に穴が開いたような虚無感を抱える生活で御座いました。
2年目、3年目にエリオナル様がお帰りになったのは3、4回だったでしょうか。あまりにもお疲れになっていて翌日問うてみれば、城に入れば出られないから遠征の帰途、直帰したと仰います。
実際はもう少し多かったかも知れませんが、わたくしも伯爵家を切り盛りするのに領地に出かける事が多くすれ違いとなる事が多くなりました。
3年目の終わりに70歳となられたお義父様の物忘れが酷くなり、半年も経たぬうちにお義母様やわたくし、使用人さんの判別がつかなくなられました。徘徊も始まり若い頃、戦で捕虜になった事があるからでしょうか。
恐ろしい力で何度殴られた事でしょう。使用人さんに後々まで残るようなケガをさせてはなりません。
働けなくなったりした後の所謂【慰謝料】のような金額を払う余裕は伯爵家には御座いませんので、わたくしとお義母様がどうしてもダメな時だけ使用人さん達に手を貸して頂き必死で押さえ込みました。皆、痣だらけで御座いました。
お義父様本人は事の良し悪しはもう判っておらず、これは病気なのだと医者も言うばかり。5年目に心臓を悪くしたのと徘徊中に厩舎の馬に蹴られ骨折をしてしまった事から寝たきりとなり1年経たず儚くなられました。
そして3カ月ほど前、お義母様も天寿を全うされ天に召されたのです。
お義母様が何度か危うくなった際に、城に使いを出したのですがお忙しいエリオナル様がご帰宅をされることはなく、わたくしと使用人さんが「エリオナル様がお戻りになるまでお気を確かに」と励まし続けたので御座います。
お義母様の最期となる前日。往診に来て下さったお医者様も2、3日持つかどうかと仰るので1日に何度も城に使いを出しました。ですがエリオナル様は戻る事が出来ず、ついに亡くなられた知らせを使いに持たせる事となりました。
屋敷に到着されたのはわたくしと使用人さん達がお義母様をお看取りし、教会の方と一緒にお義母様を葬送の儀の為のお衣装に着替えも済んだ後で御座いました。
儚くなられたお義母様に縋り取り乱したエリオナル様は仰ったのです。
「何故こうなるまで‥‥君は何をしていたんだ!」
たった一言。そう。わたくしの心を粉々に打ち砕いたのは、そのたった一言だったのです。
宝飾品が一つとして入っておらず、入っているのは婚約時に頂いた手紙のみ。
生涯を共にと誓ったエリオナル様が買ってくださった唯一の品。その音色を風に乗せて聴いた日もあれば、発条を回すことなく、心に響く音にただ蓋を開けて夢の中の在りし日に瞼を閉じて思いを馳せました。
「お支度が整いまして御座います」
嫁いできて8年間。泣き、笑い、時に励まし、時に抱きしめてくれた侍女ミライが小さなトランクを一つ手に持ち、扉を開けて声を掛けてくれます。その顔は今にも泣き出しそうなほどに歪んでいて、わたくしは内緒で刺繍をしたハンカチを手渡しました。
最後にもう一度と部屋を見渡せば、先先代の奥様が嫁入り道具として持ってきた年代的にはアンティークとなった調度品の数々。先代の奥様から「良ければ使って」と貸して頂いていた化粧台。
1人用の寝台、椅子は二脚あるのにいつも一脚は使われる事のなかったテーブルセット。
持って出る物はここに来た時よりも少ないけれど、荷が少ないのは幸いと心の区切りを付けて立ちあがりました。
是が非でもと望まれ、わたくしは16歳で20歳の夫、エリオナル・デービス・ミスクトン伯爵に嫁ぎました。
義両親が御年を召してのお子様がエリオナル様でした。
嫁いだ時、お義父様は67歳、お義母様は63歳。20歳になる頃には大半が婚姻をしており早いものは御子が1人、2人といる国ですから、お義父様から世継ぎの期待はそれは大きなものでございました。
唯一わたくしの味方になってくださったお義母様はご自身が義両親や親類からずっと言われ続けてきた事を、わたくしには背負わせまいといつも矢面に立ってくださりました。
お義母様も晩年まで、わたくしも御子が授かれなかったのには理由が御座います。
お義父様もエリオナル様も王族付きの護衛騎士。それなりの立場、役職がありますので屋敷にお戻りになり休日を過ごされるのは年に数日。両手の指いえ、片手の指で余るほどで御座いました。
突然の休日になりますので、月のものに当たれば房事に励んでも子は出来難いですしその最中に房事をするのは禁忌と言われており、月のものが終わる頃にはもう・・・。
加えて、非常にお疲れになり戻られるため当日の夜から翌日の昼過ぎまでは熟睡をされ、そこから領地の陳情についての整理を深夜までされて翌朝ご出仕されるのです。
結婚休暇も頂けた筈なのですが、運が良かったのか悪かったのか。
結婚式が終わるや否や、部下の騎士様から大公様の奥様が誘拐されたと連絡が入り、エリオナル様は急ぎ王宮に出向かれました。当然初夜などある筈も御座いません。
後に大公様の奥様はお茶会の帰りに馬車の車輪に不具合があり、帰宅が2時間程遅れただけ、情報が錯綜しただけという事で事なきを得ましたが、エリオナル様の元にその旨の連絡が入ったのは更に2時間後。
問題がなくとも不具合の原因を突き止め王族の行動についての報告書を出さねばならず、結局落ち着いたのは深夜となり、お帰りにはなれなかったのです。
15歳のデヴュタントで義両親がわたくしを見初めて下さり、まだ女性が学園に行くのは高位貴族か王族かという頃ですから、嫁ぎ先が決まればほとんどの女性は15、16歳で嫁いでおりましたし、結婚式で初めて夫となる男性と顔を合わせる者も少なくありません。良いご縁だと嫁ぐ日を指折り数えたもので御座いました。
エリオナル様は休日は当時も変わらず突然では御座いましたが、よくわたくしを散策や遠出に連れて行ってくださいました。
ミスクトン伯爵家は決して裕福ではなく、毎年の蓄財すら少なく借金がないだけの伯爵家。領地があるのでなんとか護衛騎士をエリオナル様がされていてもやっていけるのですが、大飢饉などに見舞われれば吹けば飛ぶような貴族で御座います。
わたくしはしがない子爵家の娘。家は兄が継ぎますが兄も王宮務めの文官。
母は早くに亡くなっており、父が男手一つで兄とわたくしを育ててくれました。
領地もなく爵位を維持するにも維持費を考えると代替わりの時に返上しようかというほどの貧乏貴族でございました。裕福ではないとは言っても建国以来続く由緒あるミクストン伯爵家からの申し出の上、少ない持参金でも手放しで迎えてくださった義両親には感謝してもしきれません。
貧乏な低位貴族の娘は爵位があるばかりに平民の富裕層の女性陣には嫌われており、玩具代わりに壊れても代りはいるとばかりに嫁いだ先で憂さ晴らしで虐められることに耐え忍び泣き暮らす者も少なくないのです。
学園に行き「学」を付けようにも高額な学費は払えず、デヴュタントが終われば皆どこかの高位貴族に行儀見習いや奉公を少しでも良い所に勤められる、嫁げるよう希望するのです。
結婚して1年目、エリオナル様が屋敷に戻られたのは4回。それも一晩ではなく昼食を食べると直ぐにとんぼ返りという忙しさ。わたくしは義両親に領地経営を教えて頂き、女だてらにと言われながらも馬に跨り視察にも出かけ、領民の方に認めて頂き、義両親と共に産物の販路の拡大を始めたのです。
「こんな物しかあげられなくてごめん」
そう言って結婚記念日に頂いたのがオルゴールで御座いました。エリオナル様の自由にできるお金を知っているだけにきっと昼食をパンだけにしたりして1年間コツコツと貯められたのでしょう。
発条を巻き、蓋を開けると聴こえる春のそよ風のような優しい音色がわたくしは、とてもとても嬉しかったのです。中身はこの先もさほど増える事はなくても、こんな優しい音色に包まれる思い出が沢山詰まるのだと信じてやまなかったのです。
子爵家の父はわたくしが嫁ぎ、兄に爵位を譲った2か月後、流行病であっけなく逝ってしまいました。父の葬儀には途中で駆け付けてくださったエリオナル様ですが、お忙しい身です。埋葬が終われば早々に城に戻られわたくしはそれから半年ほど心に穴が開いたような虚無感を抱える生活で御座いました。
2年目、3年目にエリオナル様がお帰りになったのは3、4回だったでしょうか。あまりにもお疲れになっていて翌日問うてみれば、城に入れば出られないから遠征の帰途、直帰したと仰います。
実際はもう少し多かったかも知れませんが、わたくしも伯爵家を切り盛りするのに領地に出かける事が多くすれ違いとなる事が多くなりました。
3年目の終わりに70歳となられたお義父様の物忘れが酷くなり、半年も経たぬうちにお義母様やわたくし、使用人さんの判別がつかなくなられました。徘徊も始まり若い頃、戦で捕虜になった事があるからでしょうか。
恐ろしい力で何度殴られた事でしょう。使用人さんに後々まで残るようなケガをさせてはなりません。
働けなくなったりした後の所謂【慰謝料】のような金額を払う余裕は伯爵家には御座いませんので、わたくしとお義母様がどうしてもダメな時だけ使用人さん達に手を貸して頂き必死で押さえ込みました。皆、痣だらけで御座いました。
お義父様本人は事の良し悪しはもう判っておらず、これは病気なのだと医者も言うばかり。5年目に心臓を悪くしたのと徘徊中に厩舎の馬に蹴られ骨折をしてしまった事から寝たきりとなり1年経たず儚くなられました。
そして3カ月ほど前、お義母様も天寿を全うされ天に召されたのです。
お義母様が何度か危うくなった際に、城に使いを出したのですがお忙しいエリオナル様がご帰宅をされることはなく、わたくしと使用人さんが「エリオナル様がお戻りになるまでお気を確かに」と励まし続けたので御座います。
お義母様の最期となる前日。往診に来て下さったお医者様も2、3日持つかどうかと仰るので1日に何度も城に使いを出しました。ですがエリオナル様は戻る事が出来ず、ついに亡くなられた知らせを使いに持たせる事となりました。
屋敷に到着されたのはわたくしと使用人さん達がお義母様をお看取りし、教会の方と一緒にお義母様を葬送の儀の為のお衣装に着替えも済んだ後で御座いました。
儚くなられたお義母様に縋り取り乱したエリオナル様は仰ったのです。
「何故こうなるまで‥‥君は何をしていたんだ!」
たった一言。そう。わたくしの心を粉々に打ち砕いたのは、そのたった一言だったのです。
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