あなたの事は記憶に御座いません

cyaru

文字の大きさ
上 下
17 / 48

第17話  今は表なのか裏なのか

しおりを挟む
エリアスを信じて打ち明けてやれというパンディトンだったがグラシアナは首を縦には振らなかった。

エリアスが自分に甘いのはよく判っていたし、それが意図的にそうしようとしてものではなく本心であり、時に無意識下の行動だろうなと感じ取ってはいたが、グラシアナを信じさせるには圧倒的に時間が足りていなかった。

パンディトンとは鍛錬と言う時間だけだが、16年という時間がある。
それに対しエリアスはたった2週間ほど。

負傷し目が覚めて両親とすらほぼ初めて親子らしい会話を交わしたのにその両親もグラシアナに感じさせたのは自己都合による失望だった。

「記憶がないとなれば妃教育は1からになるでしょう?その上で歩くにも支障があるとなれば立場は無くなると思ったの」

「しかし、そんな事をすれば殿下の隣にはあの令嬢が立つことになる。いいのか?」

「勿論。好き合っているんですもの。ご立派な国王と王妃になれるんじゃないかしら。とってもお似合いだと思うのよ?私ではきっと無理だったでしょうし」

「僅かでも後悔をしているのなら言えばいい。記憶喪失はある日突然記憶が戻る事もあると聞く。誰も責めたりはしない。今なら何事もなく戻れる」


グラシアナの気持ちの中にもしかするとパンディトンだけは「戻れ」とは言わないと思う気持ちがあった。裏切られた気持ちになりつい声を荒げてしまった。


「戻る?あの場所に?冗談じゃないわ。私は人間でしょう?お人形さんじゃない。俺たちの教える剣は殿下を守る為じゃない、自身を先ずは守るためだ、そう言ったのはクマトン騎士でしょう?!確かに記憶がないとか、こうやってちゃんと歩けるのに支障があるように装うのは褒められた事じゃないのは解ってるの!解ってるけど!」

「落ち着け。判ったから落ち着くんだ」

「判ってない!誰も、何も、私の事なんて解ってくれる人なんていない!こうでもしなきゃ…やってられないじゃない。好きな事も出来ない。決められた事を卒なくやればいい。夫となる人は他の女性を愛している。自分を守るにはこうするしかなかったの!逃げる絶好のチャンスだと思ったの。それがいけないの?なんで私だけはそう思っちゃいけないの!あっちはあっちで勝手にやればいいのにどうして面倒しかない場所に戻らなきゃいけないの!」


心が悲鳴を上げている。王宮での鍛錬中にも教育中にもこんなに自分の気持ちを吐き出した事も無かった。それでもグラシアナの目からは涙も零れない。

泣く事も出来ないグラシアナをパンディトンは強く抱きしめた。

――力技で連れ戻されちゃう!――

そう感じたグラシアナは護身術で習ったように膝を真上に突き上げようとしたのだが、敵はさる者。その護身術を教えたのがパンディトンなのだから足の動きを封じられてしまった。

「教え子には満点をやりたいが、ここで食らう事は出来ないな」

「離してっ!」

「いいや。離さない。安心しろ。俺もエリアスも味方だ」

「味方?殿下の??」

「まさか。何が嬉しくてあんなシモユル殿下の味方をせにゃならんのだ」

「だって…近衛騎士だし…近衛隊ってそういうものでしょう?」

「今は勤務中じゃない。俺はただのパンディトン。お嬢の師匠でもないクマトンだ。教えてもらわなかったか?人には表と裏、本音と建前があるって」

――じゃ、今は表なの?裏なの?――

じたばたと足掻いてもパンディトンから逃げられるはずもない。近衛騎士の中ではおそらく1、2を争う腕を持つのに何故か試験に合格できず昇進出来なかっただけ。グラシアナは観念して暴れるのを止めた。

「落ち着いたか?」

小さく頷くとパンディトンの腕の力が緩んだ。
顔をあげると風がスゥっと頬を撫でて先程までの温かさを奪っていった。


「こんな気持ちを持つ事が出来たのは近衛騎士の皆さんのおかげだし感謝はしているの。嘘をついている事については申し訳ないと感じてるわ。でも・・・もう嫌なの」

パンディトンはグラシアナの前に膝をついてその顔を見上げた。

「じゃぁ殿下がもう浮気はしない、お嬢だけだと改心したらどうする?」

「改心?どうしてそんなものが必要なの?」


グラシアナは思う。
好きなら好きでいいじゃないか。もし気持ちを押し通す事で立場を失うのが嫌なら最初からしなければ良い事だ。それも覚悟をして行ったのではない中途半端な気持ちはイメルダにも失礼だろうと思う。

こちらは逃げられない立場で受け入れるしかない。行き場のない思いをぶつける事も出来ず、諦めるしかなかった。

「そうだな。改心なんて要らないな。では質問を変えよう。王妃になれなくてもいいのか?今までその為に辛い事にも耐えてきただろう?それは王妃になる為じゃ無かったのか?」

「周りから見ればそうだったでしょうけど、私は決められた事をするしか道が無かっただけ。7歳の時に私には両親と兄がいる。そう聞かされたけれど、だから何なの?としか思えなかったの。だってそれまで自分には親とか兄とか存在も無かったのよ?嬉しいと思えば良かったの?それとも哀しい方が良かった?自分の感情を考えなきゃいけない王妃って何なの?そんなのなりたくもないわ」

「今、ならなくていい瀬戸際だもんな。じゃぁこの後はどうするつもりだったんだ?」

「どうするって言われても…まぁ…程度は別として怪我をしたのは本当だからオルタ侯爵家からの賠償金で田舎に引き込んで暮らそうかなとか…だけど時間が経つと判るの。現実的じゃないわ。私は1人じゃ着替えも出来ないし食事だって食べることは出来るけど作ることは出来ないもの。結局・・・誰かの世話になって生きるしかないわ」

「じゃぁ、その世話は俺がする」

「えっ?!」

――クマトン騎士って侍女の仕事もできたの?――

パンディトンとしては、この流れなら!っとかなり思い切って踏み込んだ発言だったが、グラシアナは斜め上の想像をしてしまった。

何事も直球を投げねば伝わらない事もあるのだ。
しおりを挟む
感想 90

あなたにおすすめの小説

記憶を失くした悪役令嬢~私に婚約者なんておりましたでしょうか~

Blue
恋愛
マッツォレーラ侯爵の娘、エレオノーラ・マッツォレーラは、第一王子の婚約者。しかし、その婚約者を奪った男爵令嬢を助けようとして今正に、階段から二人まとめて落ちようとしていた。 走馬灯のように、第一王子との思い出を思い出す彼女は、強い衝撃と共に意識を失ったのだった。

貴方でなくても良いのです。

豆狸
恋愛
彼が初めて淹れてくれたお茶を口に含むと、舌を刺すような刺激がありました。古い茶葉でもお使いになったのでしょうか。青い瞳に私を映すアントニオ様を傷つけないように、このことは秘密にしておきましょう。

【完結】今世も裏切られるのはごめんなので、最愛のあなたはもう要らない

曽根原ツタ
恋愛
隣国との戦時中に国王が病死し、王位継承権を持つ男子がひとりもいなかったため、若い王女エトワールは女王となった。だが── 「俺は彼女を愛している。彼女は俺の子を身篭った」 戦場から帰還した愛する夫の隣には、別の女性が立っていた。さらに彼は、王座を奪うために女王暗殺を企てる。 そして。夫に剣で胸を貫かれて死んだエトワールが次に目が覚めたとき、彼と出会った日に戻っていて……? ──二度目の人生、私を裏切ったあなたを絶対に愛しません。 ★小説家になろうさまでも公開中

義妹が大事だと優先するので私も義兄を優先する事にしました

さこの
恋愛
婚約者のラウロ様は義妹を優先する。 私との約束なんかなかったかのように… それをやんわり注意すると、君は家族を大事にしないのか?冷たい女だな。と言われました。 そうですか…あなたの目にはそのように映るのですね… 分かりました。それでは私も義兄を優先する事にしますね!大事な家族なので!

貴方の運命になれなくて

豆狸
恋愛
運命の相手を見つめ続ける王太子ヨアニスの姿に、彼の婚約者であるスクリヴァ公爵令嬢リディアは身を引くことを決めた。 ところが婚約を解消した後で、ヨアニスの運命の相手プセマが毒に倒れ── 「……君がそんなに私を愛していたとは知らなかったよ」 「え?」 「プセマは毒で死んだよ。ああ、驚いたような顔をしなくてもいい。君は知っていたんだろう? プセマに毒を飲ませたのは君なんだから!」

愛されない花嫁はいなくなりました。

豆狸
恋愛
私には以前の記憶がありません。 侍女のジータと川遊びに行ったとき、はしゃぎ過ぎて船から落ちてしまい、水に流されているうちに岩で頭を打って記憶を失ってしまったのです。 ……間抜け過ぎて自分が恥ずかしいです。

とまどいの花嫁は、夫から逃げられない

椎名さえら
恋愛
エラは、親が決めた婚約者からずっと冷淡に扱われ 初夜、夫は愛人の家へと行った。 戦争が起こり、夫は戦地へと赴いた。 「無事に戻ってきたら、お前とは離婚する」 と言い置いて。 やっと戦争が終わった後、エラのもとへ戻ってきた夫に 彼女は強い違和感を感じる。 夫はすっかり改心し、エラとは離婚しないと言い張り 突然彼女を溺愛し始めたからだ ______________________ ✴︎舞台のイメージはイギリス近代(ゆるゆる設定) ✴︎誤字脱字は優しくスルーしていただけると幸いです ✴︎なろうさんにも投稿しています 私の勝手なBGMは、懐かしすぎるけど鬼束ちひろ『月光』←名曲すぎ

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

処理中です...