あなたの事は記憶に御座いません

cyaru

文字の大きさ
上 下
13 / 48

第13話  神すら不可侵の不等式

しおりを挟む
君は不等式を知っているか。

国の発刊する大辞典にはこう書かれている。

【「>」「<」の不等号ふとうごうを用いて、数量の大小関係を表した式のこと】

ロペ公爵家に居候の身となり2週間。
グラシアナは未知の領域にある「神すら不可侵の不等式」を知る。


★~★

今日もエリアスの妹LOVEは朝から全開フルスロットルで炸裂している。

「グラシアナ。今朝のパンはイングリッシュマフィンにしてみたよ」

――完璧なリサーチをしているのね――

冷や汗がグラシアナの背中を伝ったのも最初の3日。
少々の事では動じなくなった。
むしろ兄エリアスが知らないグラシアナの秘密をグラシアナが知りたいくらいだ。


グラシアナは朝のロールパンも好きなのだが、特にイングリッシュマフィンが好きだった。


――わぁ!イングリッシュマフィンだぁ!――

モチモチとした食感でちょっと強めに千切らないといけない弾力性。
スカスカそうに見えてそうではない質量感。

これにマーマレードのジャムを少しつけて食べるのがお気に入りだったが、ロールパンに比べて焼くのが面倒らしく王宮の調理長は月に1、2回しかイングリッシュマフィンを出してはくれなかった。

勿論そのマーマレードジャムもテーブルの上にある。

席に着いたグラシアナが向かいの席で珈琲を飲む兄に礼を言おうとしたのだが、何故がエリアスが席を立ち近寄ってくる。

「ど、どうなされました?」
「どうもしない」

いや、どうかしている。
なぜ長方形のテーブルで短辺方向にある狭い部分、所謂お誕生日席で何故!! 兄妹が並んで朝食を取らねばならないのか。しかもとっくに成人している2人だから狭いのなんの。


「あ、ありがとうございます。食感がいいんですのよね。でもお席は・・・」
「席など気にするな」

――気にする前に邪魔なのよ!――


しかし、兄エリアスは聞いちゃいない。
隣に座りグラシアナの髪をひと掬いして軽くキスを落とした後は柔らかく微笑むだけ。


「グラシアナが好きだと言うので試食を兼ねて食べてみた」
「あら、お兄様はもう朝食を取られたのですね」
「ごめんよ。朝食はもう食べられないからこれからデザートなんだ」
「デ、デザート」

ぞわぞわと背中に何かが走っていく。


「グラシアナの食べている姿を見るのが私のデザートだ」

――朝食放棄していいかな――

聞けばエリアスはテーブルで朝食を既に済ませたのではなく、公爵家の料理長も初めてというイングリッシュマフィンをグラシアナが公爵家に来た時から何度も焼いたのだと言う。


「今朝は調理長も納得できる品が出来たというんだ」
「まぁ、そんなに手を掛けて頂いて申し訳ないですわ」
「グラシアナの為ならなんでもする。この程度なら可愛いものだ。なんてことはない。グラシアナの好きなものだと思うとついつい手が伸びてしまってね。厨房で12個も食べてしまったよ。マーマレードジャムをつけるのが好きだと思い出してもう2個。涙の味がしたよ」


現在は満腹を超えて飲み物も危険水域になっているエリアス。


――感涙じゃなく食べ過ぎの苦しさからくる涙に間違いないわ――


エリアスは本場グレートブリテンから奉公に来ている使用人数人に何度も味を確かめてもらい、マーマレードも産地によって微妙に違う味を「これだ!」と決めるまで相当数のマーマレードジャムを試作していた。

「やっとグラシアナの口に合う品が出来たんだ。気に入ってくれると嬉しい」

――お腹の中で混ざるから安いものでいいのに――

「お兄様、ありがとう」
「うぐっ!!破壊力が半端ない…胸が苦しいッ」

――食べすぎですものね。まだ胃まで到達してないから苦しいのかも――

頬を染め、髪から手を離したエリアスは手洗い用のグラスに指を浸した。

「さぁ、私が食べさせてあげるよ」
「大丈夫です。自分で食べられますから」
「遠慮をするな。私の食後の運動に付き合っていると思えばいい」

――運動って…パンを千切るだけですよね――


イングリッシュマフィンを千切る時の弾力性も味わいの1つなので出来れば好きにさせて欲しいのだが、籠から掴んだパンを一口サイズに千切ったエリアスはこれまた蜂蜜よりも甘い笑顔をグラシアナに向ける。


「ほら、口を開けて。あ~ん。だ」
「い、いえ、お兄様。食事はひとりっ・・・もぐっ」
「美味しいかい?」
「(こくこく)」
「ゆっくり噛むんだ。急がなくていい。グラシアナの為なら朝食に24時間かけても良いんだ」

――そしたら明日の朝食時間になっちゃう。終わらない朝食地獄――

丁寧に千切ったマフィンにジャムも適量つけてくれる。
まるで親鳥に餌を貰う雛鳥状態の食卓。

使用人は空気と化している。

飲み物ですら、ミルクの注がれたグラスに蜂蜜を2掬い。そこにほんの少しのレモンの皮を摩り下ろしたものをパラパラ。

――完璧なリサーチ。どの使用人がお兄様の駒だったの?――

これも毎朝の事ではない。

グラシアナは使用人の目を盗んでこっそりといつもより1つ分多い蜂蜜を入れ、レモンの磨りおろした皮を散らせて香りを楽しみながら飲むのが小さな幸せだった。

王宮内の食事はいつもグラシアナ1人だけ。
入れ替わり立ち代わりの使用人の誰がこの事を知っていたのか判らないが、事実なのは兄のエリアスはグラシアナの好みを把握していること。

胃もたれしそうな兄の甘さは蜂蜜以上。
最後は口元をナプキンで拭いてくれるという至れり尽くせり。

「グラシアナに奉仕できる喜び。他の誰にも渡したくないな」
「さ、左様で御座いますか」


取り敢えずは、いずれ何処かに嫁がせるつもりである事は間違いないようだが、こんな兄妹の距離感を知られたら相手の方もドン引きするのでは?と思わなくもない。

「私の目の届く範囲にいる間は神すら不可侵の不等式が成り立っているんだ」
「不等式…なんの不等式ですの?」

ふふっと照れ気味に笑うエリアス。

「国王<<<神<<<グラシアナっていう不等式だ。万物を創生する式と言って過言ではない」

――外で言わないでください。通報されます――

食べた量は多くないのに、限界を感じる満腹感がグラシアナを襲ったのだった。
しおりを挟む
感想 90

あなたにおすすめの小説

記憶を失くした悪役令嬢~私に婚約者なんておりましたでしょうか~

Blue
恋愛
マッツォレーラ侯爵の娘、エレオノーラ・マッツォレーラは、第一王子の婚約者。しかし、その婚約者を奪った男爵令嬢を助けようとして今正に、階段から二人まとめて落ちようとしていた。 走馬灯のように、第一王子との思い出を思い出す彼女は、強い衝撃と共に意識を失ったのだった。

【完結】今世も裏切られるのはごめんなので、最愛のあなたはもう要らない

曽根原ツタ
恋愛
隣国との戦時中に国王が病死し、王位継承権を持つ男子がひとりもいなかったため、若い王女エトワールは女王となった。だが── 「俺は彼女を愛している。彼女は俺の子を身篭った」 戦場から帰還した愛する夫の隣には、別の女性が立っていた。さらに彼は、王座を奪うために女王暗殺を企てる。 そして。夫に剣で胸を貫かれて死んだエトワールが次に目が覚めたとき、彼と出会った日に戻っていて……? ──二度目の人生、私を裏切ったあなたを絶対に愛しません。 ★小説家になろうさまでも公開中

貴方でなくても良いのです。

豆狸
恋愛
彼が初めて淹れてくれたお茶を口に含むと、舌を刺すような刺激がありました。古い茶葉でもお使いになったのでしょうか。青い瞳に私を映すアントニオ様を傷つけないように、このことは秘密にしておきましょう。

私の名前を呼ぶ貴方

豆狸
恋愛
婚約解消を申し出たら、セパラシオン様は最後に私の名前を呼んで別れを告げてくださるでしょうか。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

私のウィル

豆狸
恋愛
王都の侯爵邸へ戻ったらお父様に婚約解消をお願いしましょう、そう思いながら婚約指輪を外して、私は心の中で呟きました。 ──さようなら、私のウィル。

竜王の花嫁は番じゃない。

豆狸
恋愛
「……だから申し上げましたのに。私は貴方の番(つがい)などではないと。私はなんの衝動も感じていないと。私には……愛する婚約者がいるのだと……」 シンシアの瞳に涙はない。もう涸れ果ててしまっているのだ。 ──番じゃないと叫んでも聞いてもらえなかった花嫁の話です。

愛すべきマリア

志波 連
恋愛
幼い頃に婚約し、定期的な交流は続けていたものの、互いにこの結婚の意味をよく理解していたため、つかず離れずの穏やかな関係を築いていた。 学園を卒業し、第一王子妃教育も終えたマリアが留学から戻った兄と一緒に参加した夜会で、令嬢たちに囲まれた。 家柄も美貌も優秀さも全て揃っているマリアに嫉妬したレイラに指示された女たちは、彼女に嫌味の礫を投げつける。 早めに帰ろうという兄が呼んでいると知らせを受けたマリアが発見されたのは、王族の居住区に近い階段の下だった。 頭から血を流し、意識を失っている状態のマリアはすぐさま医務室に運ばれるが、意識が戻ることは無かった。 その日から十日、やっと目を覚ましたマリアは精神年齢が大幅に退行し、言葉遣いも仕草も全て三歳児と同レベルになっていたのだ。 体は16歳で心は3歳となってしまったマリアのためにと、兄が婚約の辞退を申し出た。 しかし、初めから結婚に重きを置いていなかった皇太子が「面倒だからこのまま結婚する」と言いだし、予定通りマリアは婚姻式に臨むことになった。 他サイトでも掲載しています。 表紙は写真ACより転載しました。

処理中です...