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第10話  兄と言う生き物

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グラシアナは思う。

王族や高位貴族を相手にする侍医の診断というのは大袈裟すぎると。

全てが間違いだったわけではない。
包帯を解き、薬草湿布を張り替える時に体を起こし傷跡を見せてもらったが、貫通した箇所はなく「ここは痕が残るかな」と思う部位はあったけれど歩行に支障など瘡蓋が取れる頃には感じるかどうかだろうと。

ただ、大袈裟に言っておけば患者は必要以上に療養をするので無理をしない。
クリスティアンだって「風邪で慰問に行けない」となった時も熱はなく、体が怠いと言うだけだった。思うに二日酔いだろうとグラシアナは思ったが、侍医が風邪と言えば風邪。

万病の元だとクリスティアンは3週間も療養したのだ。

夜中に1人になった時。グラシアナは歩いてみたが歩行に問題はないと思われた。
どちらかと言えばとこの住人になる事で余計に歩けなくなるとさえ感じた。


馬車までは移動椅子と言って椅子の側面に車輪のついたものに乗る。
歩けるのになと思っても、婚約を解消ないし破棄とするのなら歩けない振りをするのもやむなし。

その後は父のロペ公爵に抱えられて馬車に乗り替えロペ公爵家に戻った。


慰問や視察の行き帰りにロペ公爵家の周囲を馬車で通った事はあるけれど、公爵家の中に入るのは物心ついて初めての事だった。

グラシアナは里心が付かないようにと王宮で育てられたからである。

しかし、公爵家が近くなってくると饒舌だった両親は次第に口数が減ってくる。
その事がおどろおどろしく感じ、公爵家で何が待ち構えているのか。グラシアナは不安になった。


軽快な車輪の音が消え、馬車が止まると外から扉が開いた。

「お帰り。グラシアナ」

――あ、お兄様だ――

と思ったが、記憶喪失設定を忘れてはいけない。「誰?」と父のロペ公爵を見れば少し悲し気な顔をして「エリアスだよ。シアの兄だ」と教えてくれた。

――知ってるけどね――

と、ここからが問題だった。
エリアスは軽い足取りでステップに足を掛けると中に乗り込んできた。

「グラシアナ!私の妹ッ!!こんなに大きくなって。この21年・・・辛かっただろう」

そう言ってギュゥゥっとグラシアナを抱きしめたのである。
何をするかと言えば横抱きに抱きかかえて颯爽と馬車を降り、そのまま屋敷の中に連行された。

「あ、あの…移動椅子がありますので」
「私の事か?」

――すん‥‥椅子じゃないわよね――

ロペ公爵家の中は両親から聞いていた話とは少し違っていた。

使用人達は全員がエリアスに従い、まだ代替わりをしていないのにロペ公爵夫妻はコートやショールを受け取ってくれる使用人もいない。

両親の私室も大屋根のある本宅かと思いきや渡り廊下で繋がっている離れなのだとエリアスは軽く言う。しかも「仮住まいだけどね」と付け加えることも忘れない。


「あの…お父様とお母様が」
「いいんだよ。老害は直ぐにいなくなるからね」
「いなくなる?!どういう事ですの?」
「来月には私が爵位を継ぐ。領地でのんびりとして頂くんだ。ねぇ?父上、母上?」

エリアスが両親に問いかけるが辛うじてロペ公爵が「あぁ」と小さく返事を返しただけで夫人は俯いたまま。

「捨てるような息子に面倒をみて欲しいとか同居したいなんて矜持も許さないだろうから、2人の意向を存分にくみ取ったんだ。本望だろう」


笑顔を両親に向けてはいるが横抱きにされたままだと至近距離にあるその顔、目は全く笑っていない。
使用人達も両親には手助けをするどころか視線すら向けない。

――完全にお兄様の手中に公爵家があると言う事なんだわ――

これはかなり注意をして行動をせねばと思ったのだが、何かがおかしい。
エリアスはグラシアナを全く離そうとしない。

そのままソファに腰を下ろすとグラシアナはエリアスに抱かれたままなのに「茶を持って来てくれ」の言葉にメイドが茶の準備を始める。

使用人達もこの状況をおかしいと感じていない事がおかしい。

――なんなの?兄ってこんな生き物なの?――

戸惑うグラシアナにエリアスは何事もないかのように語りかける。



「近衛騎士から色々と聞いているよ」
「近衛騎士っ?!」

うっかり「何を聞いたの?」と言いかけて言葉を飲み込んだ。

「私はね、この21年間。グラシアナの事が心配で堪らなかった。この家を出ていく時グラシアナは1歳になる直前。私はまだ6歳になったばかりだった。何も出来なかった兄を許して欲しい」

――6歳じゃ無理でしょ――

「私がきっちりと議会、王家に話を付ける。グラシアナは何にも心配しなくていいからね」
「あの、話を付けるって…」
「婚約破棄だ。私の大事な妹を蔑ろにする男になど嫁がせることは出来ない。もっと早くに家督もブン取れれば良かったんだが老害と言うのは利権には執着があってね。引き剥がすのに時間がかかってしまった。だが、もう何の心配もいらない」

――心配よりも不安が先に立つんだけど――

「グラシアナの事を一番に考えてくれる男に託すまで私も結婚はしない。それが兄としての贖罪だ」
「ちょ、ちょっとお待ちください?」
「待ちたいが茶の用意が出来た。飲ませてあげよう」
「飲めます。飲めます。自分で飲めますから」
「遠慮などしなくていい。この世にたった1人の兄であり、妹なんだ。ほら、口を開けて。あ~ん」


菓子を手にしたエリアスに「開けて」と言われても口以上に目がカッと開いて瞬きをするのも忘れてしまいそう。両親を見ていた目とはまるで違って、美丈夫、本気の破顔は心臓の負担が半端ない。

目の保養にはなるが、どこか心の負担になるのは気のせいか。

グラシアナが1桁の年齢なら「お兄様っ」となったかも知れないが22歳。エリアスは27歳。絵面が非常によろしくない。

――この体勢ですら問題になっちゃう!――

「あれ?焼き菓子は好きじゃない?チョコは抜いてるんだけどな。じゃタルトが良いかな?ブルーベリータルト?ラズベリーがいい?」

――問題はそこ?!って言うか何で知ってるの?!――

「お茶もオレンジブロッサムが好きだろう?今日の気分ならダンデリオンかい?」

――ちょーっと待って!なんでそこも知ってるの?――


恐るべし兄エリアス。
茶の温度も体温より低い水出しに近い温度でグラシアナが好んで飲む温度。

「大事な妹なんだ。グラシアナの事なら何でも知ってるよ」

――嘘でしょ。私、お兄様の事は名前と年齢、性別しか知らないのに――

ほぼ初見と言っていい兄エリアス。
その生態はグラシアナに激甘だが、両親には地の底のような冷たい対応をする摩訶不思議な生き物だった。
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