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エルブレヴィットは空耳が聞こえる
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光の入らない地下牢をカツンカツンと靴音がゆっくりと階段を降りてくる。
真っ暗だった牢内にゆらりと人の影がランプの灯りに蠢くと、ガシャンとオランド前伯爵は鉄格子にしがみついた。
現れたのはエルブレヴィットと家令。
ニヤッとエルブレヴィットの口元が動いた。
「どうだ。快適だろう。幼い日、貴様に閉じ込められた時のまんまだな」
「エルブレヴィット!本当にすまなかった。ここから出してくれ」
「誰かがどこかで俺を呼び捨てにしている気がしたが…どこだと思う?」
「目の前で御座いましょうか」
「ちっ違う!エルブレヴィット様っお願いです」
ガシャンとまた音が鳴る。同時にオランド前伯爵は声にならない悲鳴を上げた。
エルブレヴィットの履く靴の底には氷に刺さるように鋼が埋め込まれていた。
鉄格子を掴んでいた指が辛うじて皮一枚繋がった状態にオランド前伯爵は丸まって牢の中を転がった。
「俺は優しいからちゃんと靴音をさせてきたはずだが?注意力散漫と言うのはこういう輩の事を言うのかね。覚えているか?7歳の俺が謝罪し出してくれと懇願した時、貴様は何をしたか」
オランド前伯爵にはエルブレヴィットの声は聞こえていない。
痛みでそれどころではないのだ。
「貴様は俺の両方の肩に焼き鏝を当てた。今でも肉の焼ける臭いと痛みは覚えているぞ。残念だな。今も昔も貴様に従う気は微塵も持ち合わせていない。貴様が許される時間はもうとっくに過ぎてしまったと言う事だ」
「指がっ…頼む…うぐぅ…医者を…」
「母上もそうやって貴様に言いたかったことだろう。ルシーに苦しむ顔を見せたくなくて笑っていたそうだが、本当は…息をするにも全身に痛みが走り正気を保てるのが不思議なくらいだったと聞く。知らないと思ったか?隣国に行ってからも俺の元には逐一貴様の動きは報告されていた。娼婦崩れの後も阿婆擦れを3人。随分と楽しんだそうじゃないか。帽子を被った短い早撃ちでも相手してくれる女がいるうちはさぞ楽しかっただろう」
「違うんだ…ハンナマリーネが…治療はいらぬと…」
「母上ならそう言うだろう。治癒はないと宣告をされていたからな。だが、治療はせずとも痛みを取り除くことは出来たはずだ。貴様は快楽に溺れ怠った。俺は貴様が死んでも許さない」
息も絶え絶えにオランド前伯爵は転がったままエルブレヴィットを見上げた。
背後からランプの灯りが照らされ、エルブレヴィットの表情は暗くて見えない。しかし帯剣した剣に置いた手が小刻みに震えているのが見えた。
――小心者なのか?――
オランド前伯爵は思案した。
どうこう言っても自分は父親で肉親なのだ。懇願すれば助けてもらえるのではとの考えが心をよぎった。
だが、家令が油が少なくなったのだろう。ランプを後方の物と持ち替える際にエルブレヴィットの表情が照らされた。
「ヒィィッ!!」
小刻みに震えていた手は、臆してのものではなく、獲物を目の前にしてどう甚振ってやろうかと喜びに打ち震える悪魔の顔だった。
ジュワァっとオランド前伯爵の下半身は自身の体液で濡れ、床にも浸潤していく。
「即決裁判をしてもいいならこの場で血抜きをしてからバラしてやるところだが…これがなんだか判るか?」
エルブレヴィットの手には数枚の書類が握られていた。
「知っているか。犯罪者の中でも小心者の犯罪者は証拠を切り札と勘違いして手元に残しておくものだと言う事を」
「そ、それは…いや、私は頼まれたんだ!」
「誰に頼まれようが俺の知った事ではない。イノセントorギルティ。どちらかだが…ギルティだな。帝国ではガルレロ侯爵家は既に目を付けている。末端にこの家の名前を見つけた時は久しぶりに皇太子殿下の視線に肝が冷えたが‥‥細菌兵器の密売か。頭の悪い貴様にはしては思い切った事をしたなぁ。あ、頭が悪いから出来たのか?」
オランド前伯爵は指の痛みも忘れて鉄格子に駆け寄った。
鉄格子を掴もうとするがズルリと滑り顔を酷く打ち付けてしまった。
「安心しろ。皇太子殿下とは話が付いている。この家は除外すると」
「あ、あぁ…よがた…よがっだ…」
「だよなぁ?俺もルシーに咎が及んだらどうしようかと思ったが…貴様1人で済むんだから安いものだ」
「え”…そんな…」
「ガルレロ侯爵家ンとこのガキだろ?ルシーを虐めてたのは。気狂いのド変態が顧客の娼館に沈めっか。貴様は俺が何も知らないと――」
「そうだ!…いえ、そうですっ学園で!学園でもっ」
「だよなぁ?母上の形見をカタに弁済させたゲスは許せねぇよなぁ?お兄ちゃんとしてどうしよっかなぁ」
ランプに浮かび上がるエルブレヴィットの顔を見てオランド前伯爵は尻を擦りながら後ずさった。
「安心しろ。貴様は生きてるうちに帝国に引き渡す」
「じゃ、じゃぁ…医者を呼んで――」
「は?耳が遠くなったな…気圧が下がったか?」
エルブレヴィットは耳の穴に指を軽く入れ、動かしながら家令の方に顔を向けた。
「本日は夜半も星がよく見える天候で御座います」
「っかしいなぁ…空が見えないが空耳か」
「関係ないと思いますが、まぁ、空耳でしょう」
クルっとオランド前伯爵の方を向き直し、ニマァと笑うエルブレヴィット。
「治療薬ならホレ、壁に滴り落ちる屎尿で十分だろ。しっかり塗り込んでおけ。帝国に行けば貴様が暗殺に西方の国に売り込もうとした細菌とじっくり遊べるからな。予行練習みたいなものだ。特別に貴様は経過観察だけして投薬はするなと伝えてある。母上の痛みを感じながら‥‥逝け」
「お願いしますっ!心を入れ替えます!助けて…助けてっ」
「行くぞ」
「待って!待ってください!助けてっ!父親だろう!捨てないでくれ!」
「やっぱ、医者に耳を見せたほうがいいかな。空耳が酷い」
カツンカツンと靴の金具は石畳に音をさせる。
ランプの灯りが見えなくなれば暗闇がまたオランド前伯爵を包んだ。
真っ暗だった牢内にゆらりと人の影がランプの灯りに蠢くと、ガシャンとオランド前伯爵は鉄格子にしがみついた。
現れたのはエルブレヴィットと家令。
ニヤッとエルブレヴィットの口元が動いた。
「どうだ。快適だろう。幼い日、貴様に閉じ込められた時のまんまだな」
「エルブレヴィット!本当にすまなかった。ここから出してくれ」
「誰かがどこかで俺を呼び捨てにしている気がしたが…どこだと思う?」
「目の前で御座いましょうか」
「ちっ違う!エルブレヴィット様っお願いです」
ガシャンとまた音が鳴る。同時にオランド前伯爵は声にならない悲鳴を上げた。
エルブレヴィットの履く靴の底には氷に刺さるように鋼が埋め込まれていた。
鉄格子を掴んでいた指が辛うじて皮一枚繋がった状態にオランド前伯爵は丸まって牢の中を転がった。
「俺は優しいからちゃんと靴音をさせてきたはずだが?注意力散漫と言うのはこういう輩の事を言うのかね。覚えているか?7歳の俺が謝罪し出してくれと懇願した時、貴様は何をしたか」
オランド前伯爵にはエルブレヴィットの声は聞こえていない。
痛みでそれどころではないのだ。
「貴様は俺の両方の肩に焼き鏝を当てた。今でも肉の焼ける臭いと痛みは覚えているぞ。残念だな。今も昔も貴様に従う気は微塵も持ち合わせていない。貴様が許される時間はもうとっくに過ぎてしまったと言う事だ」
「指がっ…頼む…うぐぅ…医者を…」
「母上もそうやって貴様に言いたかったことだろう。ルシーに苦しむ顔を見せたくなくて笑っていたそうだが、本当は…息をするにも全身に痛みが走り正気を保てるのが不思議なくらいだったと聞く。知らないと思ったか?隣国に行ってからも俺の元には逐一貴様の動きは報告されていた。娼婦崩れの後も阿婆擦れを3人。随分と楽しんだそうじゃないか。帽子を被った短い早撃ちでも相手してくれる女がいるうちはさぞ楽しかっただろう」
「違うんだ…ハンナマリーネが…治療はいらぬと…」
「母上ならそう言うだろう。治癒はないと宣告をされていたからな。だが、治療はせずとも痛みを取り除くことは出来たはずだ。貴様は快楽に溺れ怠った。俺は貴様が死んでも許さない」
息も絶え絶えにオランド前伯爵は転がったままエルブレヴィットを見上げた。
背後からランプの灯りが照らされ、エルブレヴィットの表情は暗くて見えない。しかし帯剣した剣に置いた手が小刻みに震えているのが見えた。
――小心者なのか?――
オランド前伯爵は思案した。
どうこう言っても自分は父親で肉親なのだ。懇願すれば助けてもらえるのではとの考えが心をよぎった。
だが、家令が油が少なくなったのだろう。ランプを後方の物と持ち替える際にエルブレヴィットの表情が照らされた。
「ヒィィッ!!」
小刻みに震えていた手は、臆してのものではなく、獲物を目の前にしてどう甚振ってやろうかと喜びに打ち震える悪魔の顔だった。
ジュワァっとオランド前伯爵の下半身は自身の体液で濡れ、床にも浸潤していく。
「即決裁判をしてもいいならこの場で血抜きをしてからバラしてやるところだが…これがなんだか判るか?」
エルブレヴィットの手には数枚の書類が握られていた。
「知っているか。犯罪者の中でも小心者の犯罪者は証拠を切り札と勘違いして手元に残しておくものだと言う事を」
「そ、それは…いや、私は頼まれたんだ!」
「誰に頼まれようが俺の知った事ではない。イノセントorギルティ。どちらかだが…ギルティだな。帝国ではガルレロ侯爵家は既に目を付けている。末端にこの家の名前を見つけた時は久しぶりに皇太子殿下の視線に肝が冷えたが‥‥細菌兵器の密売か。頭の悪い貴様にはしては思い切った事をしたなぁ。あ、頭が悪いから出来たのか?」
オランド前伯爵は指の痛みも忘れて鉄格子に駆け寄った。
鉄格子を掴もうとするがズルリと滑り顔を酷く打ち付けてしまった。
「安心しろ。皇太子殿下とは話が付いている。この家は除外すると」
「あ、あぁ…よがた…よがっだ…」
「だよなぁ?俺もルシーに咎が及んだらどうしようかと思ったが…貴様1人で済むんだから安いものだ」
「え”…そんな…」
「ガルレロ侯爵家ンとこのガキだろ?ルシーを虐めてたのは。気狂いのド変態が顧客の娼館に沈めっか。貴様は俺が何も知らないと――」
「そうだ!…いえ、そうですっ学園で!学園でもっ」
「だよなぁ?母上の形見をカタに弁済させたゲスは許せねぇよなぁ?お兄ちゃんとしてどうしよっかなぁ」
ランプに浮かび上がるエルブレヴィットの顔を見てオランド前伯爵は尻を擦りながら後ずさった。
「安心しろ。貴様は生きてるうちに帝国に引き渡す」
「じゃ、じゃぁ…医者を呼んで――」
「は?耳が遠くなったな…気圧が下がったか?」
エルブレヴィットは耳の穴に指を軽く入れ、動かしながら家令の方に顔を向けた。
「本日は夜半も星がよく見える天候で御座います」
「っかしいなぁ…空が見えないが空耳か」
「関係ないと思いますが、まぁ、空耳でしょう」
クルっとオランド前伯爵の方を向き直し、ニマァと笑うエルブレヴィット。
「治療薬ならホレ、壁に滴り落ちる屎尿で十分だろ。しっかり塗り込んでおけ。帝国に行けば貴様が暗殺に西方の国に売り込もうとした細菌とじっくり遊べるからな。予行練習みたいなものだ。特別に貴様は経過観察だけして投薬はするなと伝えてある。母上の痛みを感じながら‥‥逝け」
「お願いしますっ!心を入れ替えます!助けて…助けてっ」
「行くぞ」
「待って!待ってください!助けてっ!父親だろう!捨てないでくれ!」
「やっぱ、医者に耳を見せたほうがいいかな。空耳が酷い」
カツンカツンと靴の金具は石畳に音をさせる。
ランプの灯りが見えなくなれば暗闇がまたオランド前伯爵を包んだ。
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※ 元鞘モノです。苦手な方は回避してください。全7話完結予定。
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