上 下
14 / 40

王宮からの使い

しおりを挟む
「ルシェル、ルシェルはいるの」

珍しくルシェルを名が呼ばれた。呼んだのはレスピナ侯爵夫人。

レスピナ侯爵夫人はサロンで編み物をしているルシェルに大股で近寄り、手にしていた編み棒を掴み取った。糸が繋がったままの毛糸が足元に転がればそれを思い切り蹴り飛ばした。

「こんな汚らしい糸で。侯爵家に泥を塗る気!?」
「何をなさるのです。教会に寄付する品を編んでいたのですけれど」
「関係ないわ。いつもいつも暇があるなら家の事でもしたらどうなの」

――いつも?いつもと変わらない過ごし方ですが――


貴族は体裁を気にする生き物でもある。
教会のバザーへの主催若しくは協賛で金は出さねばならないし、完売できる事を目的に品も提供しなくてはならない。貴族には不要でも庶民には必要とされる品もあれば、庶民でも不要と思う品もある。
売れ残ればそれは【時世を読めていない家】として暫く社交界では笑い者になる。逆に即完売となり追加で受注があるような品となれば商会に売り込んで事業展開も出来る。


ルシェルは先日兄から手紙を受け取った。
大学院を卒業した兄は現在帝国の公爵家で講師をしていると言う。
何の講師かと言えば、経済学の講師である。

その兄からの手紙に帝国では現在「毛糸で編んだベスト」が数十年ぶりに流行っていると言う。レ・ナニル国でも流行に敏感なものは既に取り入れているが毛糸そのものが高価で庶民には手が出ない。
冬の季節が長く厳しいレ・ナニル国で防寒は必須。

服の下にも上にも着用出来て温かいベストはサイズを揃えれば売れると踏んだのだ。
夫人に蹴られ、転がった毛糸玉の糸を巻きながら侍女が籠に毛糸玉を戻した。

「何の御用ですの」
「貴女でしょう?宝飾品の主が今日は来られないと言ってきたの!」

週に3、4日宝飾品の店主と売り子がやってきては侯爵夫人に宝飾品を売っていく。
ルシェルは侯爵に言ったのだ。


【クズ石に価値はないのに何時まで買い続けるのか】


宝飾品店の持ち込んだ物を実際に見ての感想である。
大きさはあっても透明度はない。カットで傷を誤魔化している。
中には製鉄の精製時に出る本物のゴミ、スラグ製品まで磨き上げて混じっている。

それをまともな宝石の価格で侯爵夫人に販売をしていたのだ。
店主に出入り禁止を伝えたのはルシェルではなく侯爵。

しかし、侯爵は夫人の怒りが自分に向く事を恐れてルシェルの仕業にしたのだ。

「わたくし如きが何を言えると仰るのです?」
「貴女しかいないわ…オレリアンが屋敷に帰らない事に腹を立てて姑虐め。いい気にならないで頂戴」


オレリアンが結婚をした後、屋敷に王宮の仕事から真っ直ぐに帰ってきた事など一度もない。戻って来るなと言った覚えはないが、戻ってきてほしいと頼んだ事もない。
全てオレリアンの意思に任せている。

「結婚後の旅行にご一緒された方の元におられるのですから、わたくし以外でこの屋敷に帰りたくない事情もおありなのではございませんこと?」

「な、なんですってぇ!!」

キィーっと声を出しハンカチを噛み締める侯爵夫人をよそにルシェルは編み物を始める。

「仕上げねばなりませんので。バザーで恥はかきたく御座いませんでしょう?」

「そっその口の利き方はなに?!私に向かって!判ったわ。いい事?どの家にも負けない売り上げになるようにするのよ?何を置いても!」

「成り上がり者ゆえ、口の利き方は習っておりませんもの。それとも――」


ルシェルが言いかけた所で、執事が声をかけた。
来客で、先触れはないが断るに断れない相手だと言う。

「こんな時に!夫は留守よ。帰ってもらって」
「よろしいのですか?」
「侯爵夫人の私がそうしろと言ってるの!」
「本当によろしいのですね?第二王子殿下からの使いですが」
「えっ‥‥第二王子殿下…」
「はい。では夫人のめいだと言う事でお断りをさせていただきます」
「お待ちなさい!…と、通しなさい」

態度を変える侯爵夫人。
流石に第二王子殿下の使いを門前払いすればどうなるかは判っている。
即座に鏡に向かって髪の乱れがないかをチェックし始めるのは侯爵夫人のなせる業だろう。

通されて部屋に入って来たのはアバスカル公爵家の執事ギャラモだった。
ルシェルに目くばせをした執事ギャラモは勧められるままソファに腰を下ろす。


「この度、第二王子殿下のご息女ディアナ殿下のマナー講師を是非そちらのルシェル様にと殿下から仰せつかって参りました」

「マ、マナーですって?!それならば侯爵夫人である私が務めさせて頂きます」

「夫人が?それは僥倖。次期夫人であれば見送るしかありませんでしたが現夫人となれば国王陛下、王妃殿下もさぞお喜びでしょう。毎回両陛下並びに殿下ご夫妻も同席してとなる講義ですし、来るべき帝国皇帝陛下との晩餐会にも同席して頂くも可能ですな」


ギャラモの言葉に侯爵夫人は息を思い切り飲み込んで、口をはくはくと動かす。
出された茶を一口飲んだギャラモが茶器を置いた。


「いっいえ、お待ちください。両陛下もご同席?‥帝国の…晩餐会?」

「えぇ。次期夫人でしたら他家からも色々と聞きたくない声も出るでしょうが、現当主、現夫人となればその声も小さくなりましょう。良かった。では早速私はその返事を両陛下、それから殿下に持ち帰りましょう」

「違うのです!オホホ…その講義、やはりディアナ殿下のお年からすれば私よりもこのルシェルが適任でしょう。両陛下、殿下にはそのようにお伝えいただければ」

「おや?よろしいのですか?先程はあんなに意気揚々と――」

「いいえいいえ。やはり、これからの世代の者に任せた方が良いだろうと思い至りましたの。あら、ごめんなさい。私ったら午後のお茶の約束が御座いますの。詳しい事は当人のルシェルと詰めて頂けると助かりますわ」

脱兎の如く部屋を飛び出していく侯爵夫人は廊下で派手な音をさせた。
「ギャっ」とカエルが潰れたような声と派手な音。急ぐあまり廊下で転んだのだろう。開いた扉から片方の靴が脱げて転がるのが見えた。

「騒がしいご夫人ですね」

ギャラモは扉が閉じられていく様子を見て呟いた。

「あの、そんな仰々しい場にはわたくし…」
「嘘ですよ」
「えっ?嘘?」
「両陛下はお忙しい身です。孫の講義を遠目で覗き見る機会はあっても付き合う時間はありません。それは王子殿下ご夫妻も。尤も、貴女様に講義をして頂くのは我が主。ディアナ殿下は時折見学に来られるそうです」

「では帝国の晩餐会も?」

「帝国は現在西方の国と交戦中でございます。その中、皇帝陛下が第三国の晩餐会に出席となればこちらにも戦の火が飛び火致します。火中の栗を拾うような予定は現在御座いませんよ」

「まぁ!ギャラモ様は策士でいらっしゃるのね」

「嘘も方便。使い方で御座います。ですが場所は当家ではなく王宮となります。我が当主は独身、貴女は既婚者。王宮内であれば妙な噂も立たぬと思います。何より我が主の出仕先も王宮ですので手間が省けます。おっとこんな時間に。今日は我が主の装いを見立てようと思いましてね。お洒落には門外漢ですが何卒よろしくお願いいたします」


当面の予定表を手渡されたルシェルはギャラモを見送る。
そんなルシェルの後ろで謝罪する声が聞こえた。

振り返れば家令補佐のジェイスが深々と頭を下げていた。
手には侯爵夫人にひっくり返された籠に入れていた毛糸玉が一つ。

「私の婚約者の家がこの毛糸を作っているんです。若奥様がこの毛糸が良いと選んでくれた事に感謝を」

「あら?そうでしたの?この毛糸。初めて見た時からヨリも丁寧で…そう。貴方の婚約者様の?」

「はい。もしかすれば次のバザーで店の経営も盛り返せるかと喜んでおりました。彼女からも彼女の両親からもよしなに伝えてくれと言付かっておりました」

ジェイスは大事そうに毛糸玉をルシェルに手渡した。
ずっと持っていたのだろう。毛糸玉はほんのりと温かかった。
しおりを挟む
感想 136

あなたにおすすめの小説

出生の秘密は墓場まで

しゃーりん
恋愛
20歳で公爵になったエスメラルダには13歳離れた弟ザフィーロがいる。 だが実はザフィーロはエスメラルダが産んだ子。この事実を知っている者は墓場まで口を噤むことになっている。 ザフィーロに跡を継がせるつもりだったが、特殊な性癖があるのではないかという恐れから、もう一人子供を産むためにエスメラルダは25歳で結婚する。 3年後、出産したばかりのエスメラルダに自分の出生についてザフィーロが確認するというお話です。

愛しき夫は、男装の姫君と恋仲らしい。

星空 金平糖
恋愛
シエラは、政略結婚で夫婦となった公爵──グレイのことを深く愛していた。 グレイは優しく、とても親しみやすい人柄でその甘いルックスから、結婚してからも数多の女性達と浮名を流していた。 それでもシエラは、グレイが囁いてくれる「私が愛しているのは、あなただけだよ」その言葉を信じ、彼と夫婦であれることに幸福を感じていた。 しかし。ある日。 シエラは、グレイが美貌の少年と親密な様子で、王宮の庭を散策している場面を目撃してしまう。当初はどこかの令息に王宮案内をしているだけだと考えていたシエラだったが、実はその少年が王女─ディアナであると判明する。 聞くところによるとディアナとグレイは昔から想い会っていた。 ディアナはグレイが結婚してからも、健気に男装までしてグレイに会いに来ては逢瀬を重ねているという。 ──……私は、ただの邪魔者だったの? 衝撃を受けるシエラは「これ以上、グレイとはいられない」と絶望する……。

美しい公爵様の、凄まじい独占欲と溺れるほどの愛

らがまふぃん
恋愛
 こちらは以前投稿いたしました、 美しく残酷な公爵令息様の、一途で不器用な愛 の続編となっております。前作よりマイルドな作品に仕上がっておりますが、内面のダークさが前作よりはあるのではなかろうかと。こちらのみでも楽しめるとは思いますが、わかりづらいかもしれません。よろしかったら前作をお読みいただいた方が、より楽しんでいただけるかと思いますので、お時間の都合のつく方は、是非。時々予告なく残酷な表現が入りますので、苦手な方はお控えください。 *早速のお気に入り登録、しおり、エールをありがとうございます。とても励みになります。前作もお読みくださっている方々にも、多大なる感謝を! ※R5.7/23本編完結いたしました。たくさんの方々に支えられ、ここまで続けることが出来ました。本当にありがとうございます。ばんがいへんを数話投稿いたしますので、引き続きお付き合いくださるとありがたいです。この作品の前作が、お気に入り登録をしてくださった方が、ありがたいことに200を超えておりました。感謝を込めて、前作の方に一話、近日中にお届けいたします。よろしかったらお付き合いください。 ※R5.8/6ばんがいへん終了いたしました。長い間お付き合いくださり、また、たくさんのお気に入り登録、しおり、エールを、本当にありがとうございました。 ※R5.9/3お気に入り登録200になっていました。本当にありがとうございます(泣)。嬉しかったので、一話書いてみました。 ※R5.10/30らがまふぃん活動一周年記念として、一話お届けいたします。 ※R6.1/27美しく残酷な公爵令息様の、一途で不器用な愛(前作) と、こちらの作品の間のお話し 美しく冷酷な公爵令息様の、狂おしい熱情に彩られた愛 始めました。お時間の都合のつく方は、是非ご一読くださると嬉しいです。 *らがまふぃん活動二周年記念として、R6.11/4に一話お届けいたします。少しでも楽しんでいただけますように。

婚約者が不倫しても平気です~公爵令嬢は案外冷静~

岡暁舟
恋愛
公爵令嬢アンナの婚約者:スティーブンが不倫をして…でも、アンナは平気だった。そこに真実の愛がないことなんて、最初から分かっていたから。

父が再婚してから酷い目に遭いましたが、最終的に皆罪人にして差し上げました

四季
恋愛
母親が亡くなり、父親に新しい妻が来てからというもの、私はいじめられ続けた。 だが、ただいじめられただけで終わる私ではない……!

【完結】婚約者が好きなのです

maruko
恋愛
リリーベルの婚約者は誰にでも優しいオーラン・ドートル侯爵令息様。 でもそんな優しい婚約者がたった一人に対してだけ何故か冷たい。 冷たくされてるのはアリー・メーキリー侯爵令嬢。 彼の幼馴染だ。 そんなある日。偶然アリー様がこらえきれない涙を流すのを見てしまった。見つめる先には婚約者の姿。 私はどうすればいいのだろうか。 全34話(番外編含む) ※他サイトにも投稿しております ※1話〜4話までは文字数多めです 注)感想欄は全話読んでから閲覧ください(汗)

わたしは婚約者の不倫の隠れ蓑

岡暁舟
恋愛
第一王子スミスと婚約した公爵令嬢のマリア。ところが、スミスが魅力された女は他にいた。同じく公爵令嬢のエリーゼ。マリアはスミスとエリーゼの密会に気が付いて……。 もう終わりにするしかない。そう確信したマリアだった。 本編終了しました。

骸骨と呼ばれ、生贄になった王妃のカタの付け方

ウサギテイマーTK
恋愛
骸骨娘と揶揄され、家で酷い扱いを受けていたマリーヌは、国王の正妃として嫁いだ。だが結婚後、国王に愛されることなく、ここでも幽閉に近い扱いを受ける。側妃はマリーヌの義姉で、公式行事も側妃が請け負っている。マリーヌに与えられた最後の役割は、海の神への生贄だった。 注意:地震や津波の描写があります。ご注意を。やや残酷な描写もあります。

処理中です...