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お手製の本

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パチン、パチンと背後で糸を切るような音がする。
実際の音はそんなに大きくはないようだが、シルヴェーヌの耳には大きな音として聞こえた。

「これで、髪も洗えますよ。あとは背中ですが、こちらはまだ少しかかります。絹糸の中でも医療用の物を使っていますので体内に残る分がありますが、生活に支障はないでしょう。外側は同じように抜糸をするまで薬草を溶かした溶液で消毒を続けてくださいね」

「あとどれくらいかかるのでしょうか」

「ハハハ。突っ張りますから違和感がありますよね。研究はしているのですがあと3カ月はかかるでしょう。ですがこれでも抜糸までかなり短くなったんですよ。私が医師になった時は抜糸するまで半年は様子見と言われてましたからね。消毒だって以前は薬草から作った軟膏をバターのように塗って患部を覆ってたんですよ。でも今はちょんちょんと消毒してせいぜい擦れないように布で覆う程度。前のようにべっとりと軟膏を塗るのは治癒が遅くなると今では言われています。そのうち消毒すらおかしいと言われる時代が来るかも知れません」

「カットグットは使わなかったんですか?王宮の侍医はよく使ってますが」
「動物によって炎症がある人がいるんですよ。開いて消毒する事も出来ませんしね。決して悪い訳じゃないんです。問題もある人もいると言う事でわが国では炎症時の対応がしやすいと言う事で絹糸に統一されているんです」


シルヴェーヌは炎症反応もなく順調に回復しているようだがあと3カ月と聞いて少しだけがっかりした。窓から見える木々は新緑が芽吹き、心地よい風も時折吹き込んでくる。
寝台の上から飛び出して色んなところに言ってみたいと思う気持ちがあったからだ。


「ではまた。こちらに移住している弟子に回診は頼んでおきましたので私は次は抜糸の時でしょうかね」
「お手数をお掛けします。ありがとうございました」

医師を見送り、また寝台に横になるとクロヴィスが目の前に花を出してきた。
まだ蕾の黄色いマリーゴールドだった。

「咲く前に手折っては可哀想ですよ?」
「そうかなとは思いましたが、花瓶に挿せば咲くかなと」

シルヴェーヌは黄色いマリーゴールドを受け取ると侍女に小さなガラス瓶に水を入れてもらって挿した。摘んでから暫く手に持っていたマリーゴールドはクテっとなっている。
シルヴェーヌに見えやすいようにクロヴィスが差し出すと指先で【元気になってね】と呟きながら蕾を撫でた。

「あぁ、そうそう。今日は本を預かってきたのですよ」

クロヴィスは小冊子のような小さな薄い本をポケットから取り出した。

「本?何方から?」
「教会の子供たちだそうです。宰相から預かりました」

手渡された本は、本と言うよりもシルヴェーヌに対して【覚えた文字】【考えた詩】などを書き連ねた物を本のように綴じただけの簡単な物だった。

「シルヴェーヌ様の行われた事業で文字を覚えた子供たちからの手紙集とでもいいましょうか」
「私はそんな事業をしていたのですか…第二王子妃ですものね」
「えっと…」

クロヴィスは言いよどんだ。
王子妃としての事業ではなく、それは【元王太子の婚約者】だった時の事業である事を言い出せなかった。

寝台に寝ているシルヴェーヌは腕を上げて渡されたお手製の本をゆっくり読んでいく。
文字の習得度はおそらくその子供たちと大差ないため、書かれている文字にくすりと笑ったり、「このスペル私も逆に書いてました」と自分と同じ間違いをした文字を見つけて「同じだわ」と喜んだ。

読み進めていくとあるページで手が止まった。
クロヴィスがシルヴェーヌに視線を移すとシルヴェーヌの口が声を出さずに音読していた。その口の動きにまさかと目を見張った。

【ゆ・う・か・い】

クロヴィスの心臓はドクンと大きく一つ脈打った。

「シルヴェーヌ様‥‥少し、貸して頂けますか?」
「え?良いけどまだ読んでるからもう少し待ってくださる?」

無理やり取り上げる事も出来ない。
気が付いたのかどうかは解らない。シルヴェーヌの口は閉じたままで動かなくなった。やきもきとするクロヴィスの目の前のシルヴェーヌが読むお手製本のページは動かなかった。

「ごめんなさい。少し疲れたので休みます」

そう言われればクロヴィスは寝台のそばを離れるしかなかった。
シルヴェーヌは侍女にはお手製本を渡さずに枕かわりにしているクッションの下にそっと差し込んだ。




深夜、シルヴェーヌは枕の下に手を逆手にして差し込み、左右に動かす。
指先に触れた子供たちが作ってくれたというお手製の本をそっと抜き取った。

ランプの灯りにページの半分しか照らされないがシルヴェーヌは痛む体を少し浮かせて横向きになり文字をもう一度読んだ。ところどころ間違ったのか黒く上から塗りつぶしてあった文字。

【しるべえぬ ゆうかい さらてころしえ】

続いた文字は

【がんばつてかけたよ でんか ほめたくたれた きしさま ほめたくたれた】

殿下とは夫である第二王子の事なのだろうか。
騎士とはクロヴィスの事なのだろうか。
記憶を失った事とは関係ないかも知れないと思い込もうとした。

しかし頭の中で水の音が聞こえ始める。手で耳を塞いでも雨とはまた違う水が水の上に落ちるような音がずっと頭の中で鳴り響き、シルヴェーヌはギュッと目を閉じた。

手に持っていたお手製の本がアイマスクのように顔にかぶさった。

唇が真っ赤な女性のカッと見開いた目が閉じているはずの瞼の裏から迫って来る。

――何なの‥‥なんなのっ!――

閉じているはずの目なのに見える女性。見開いた目から閉じている視線を外そうとするが外せない。目を開ければその女性が馬乗りになっているのだろうかと思うほどに体が重く動かない。
声を出したいのに今度は体が、背が熱くなって声が出ない。
声だけではない、息も出来なくなって短い息を何度も吐き出すが吸えなくて苦しい感覚に襲われた。


カチャリと扉が静かに開いた。
また眠らずに本を読んでいるシルヴェーヌから本を取り上げて【寝てくださいね?】と言いに来たお節介なメイドだった。

静かに寝台の方に歩いたメイドは叫び声をあげ駆け寄った。

「妃殿下!妃殿下どうされましたっ!」
「どうしたんだ!」

メイドの声に扉の外にいたクロヴィスが飛び込んできた。

「妃殿下っ!大丈夫ですか!先生呼んできますっ!」

メイドはクロヴィスに「頼みます」と声をかけて廊下に飛び出していく。
寝台に駆け寄ったクロヴィスは、両手で耳を塞ぎハッハっと短く息をして過呼吸を起こしたシルヴェーヌを抱きしめた。

「シルヴェーヌっ!大丈夫だ…大丈夫だ…」
「ハッハッハッハ…」
「落ち着いて!ゆっくり。ゆっくりでいい。息を吐くんだ」
「ハッハッハッハ…」

クロヴィスの声はシルヴェーヌには届いていないかのように短く息を吸い続けている。一先ず息を吸い込むのを止めねばと思ったが抱きしめた事で塞がった両手。
クロヴィスは少し目を閉じた。

「すまないっ」

クロヴィスは唇でシルヴェーヌの唇を覆った。時に鼻も塞ぎ呼吸が落ち着くのを待った。
唇が離れた時、後ろに聞える足音にクロヴィスは我に返った。

――俺はなんてことを!!――

腕の中で、先程よりは呼吸の落ち着いたシルヴェーヌをそっと寝かせた。
離れようとした時、シルヴェーヌの手が隊服の袖を掴んでいるのに気が付いた。

「すまな――」
「クロヴィス様…聞きたい…ことが‥」
「はい。まず先生に診てもらってください。側にいますから」

こくりと頷いたシルヴェーヌは袖を掴んだ手を離した。
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