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記憶が消えた日③ー③

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クロヴィスは遠くに見える時計塔を振り返った。
時計の針は18時を少し過ぎていた。

馬車なら1時間もかからないし、馬なら飛ばせば30分ほどの距離だが途中破れてバカになった靴を脱ぎ捨てたクロヴィスは足が血だらけになりながらもトラント公爵家の正門に転がり込んだ。

「坊ちゃん!坊ちゃんじゃありませんか!」
「どうされたんです?襲われたのですか?!」

門番が駆け寄ってきた。養子縁組は解消をされたが勝手知ったるトラント公爵家だ。
ここならば夜会に出席できるような身支度も出来る上に、新人の兵士ならば王太子の側近時代に賜ったブローチを身につけていれば入場させてくれる可能性もある。
なんなら【トラント公爵家】と偽ってでも構わないと考えた。

家名詐称は重罪だが、シルヴェーヌにもしもがあっては何にもならない。
何もないのに越した事はないが、もしもを考えた時に何も出来なかったとまた後悔するのは嫌だった。

「もうこの家からは追い出されてるんだが、どうしても夜会に行かねばならないんだ」

15年以上、幼い頃からクロヴィスを知る門番は直ぐに【話の分かる】執事を呼んでくれた。公爵夫妻に気分次第の折檻をされた時も庇ってくれた執事はクロヴィスに手を差し出した。

「クロヴィス様…こんなになって。さぁお入りください。全責任は私が持ちます」

公爵夫妻はもう夜会に出発していて不在だったのも好都合だった。
気心の知れた使用人達は手早くクロヴィスに湯あみをさせて、髪を切り、髭を剃って身支度を整えていく。馬車では間に合わないと言えば騎乗しても問題ない装いで仕上げてくれた。

「もう19時を少し回りました。馬なら15分ほどで行けるでしょう」
「ありがとう。恩にきる」
「どういたしまして。我らは幾ばくもしないうちに定年。立派なお姿を最後に見られた事がなによりのほまれで御座います」


トラント公爵家の使用人に見送られて痛む足をあぶみにかけ、クロヴィスは馬を走らせた。





〇●〇●〇

「本当に上手くいんでしょうね。貴方のイチオシは首を縦に振らなかったのでしょう?」
「問題ない。同等の腕前ならもう1人予備がいる」
「なら良いけれど…。生き残られると面倒だからしっかり殺って頂戴」
「ククク‥‥女は怖いな」
「あら?失礼ね。男だって十分に怖いわ。昨夜も何度啼かされた事か」

セレスタンと深く口付けを交わし、移ってしまった紅を人差し指でなぞる女は一足先に夜会の会場に消えていった。柱の影から出番を待っていた第二王子ディオンは「趣味を疑う」とホマスタール伯爵家のヘルベルトを従えて現れた。


「いいか?1人でバルコニーでも花摘みでも出た時がチャンスだ。侍女を連れているだろうが構わない。侍女と共に殺れ」

「それは良いんですが、本当に伯爵家を要職に取り込んでくれるんですよね」
「ヘルベルト。何度も言わせるな」
「躊躇うなよ。必ず仕留めるんだ。安定した役職は用意してある」
「頼みますよ。妹も2人年内に結婚するんで」

「目印は道化のような羽根のついた帽子だ。バカの死装束しにしょうぞくにはおあつらえ向きだ」

3人の中で会場に入らねばならないディオンは特徴を言い残し扉の向こうに消えていく。セレスタンはヘルベルトの肩を叩き鼓舞した。





〇●〇●〇

「あら?珍しい人を見つけちゃった♡」

視線を声の主に移せばアデライドがシルヴェーヌに微笑んでいた。
真っ赤な口紅は幼い顔にはあまりにあっていないがそのミスマッチが淫靡さを出していた。

シルヴェーヌとディオンが夫婦であって夫婦でない事は参加している者は皆知っている。それでも第二王子の妃ともなれば王家主催の夜会には出席をせざるを得ない。
ディオンとは距離を敢えて取っているが、自由気ままなアデライドまでは制御は出来なかった。

挨拶も終わり歓談の場となっている会場内は多くの貴族でごった返している。
ダンスを踊る者を眺める者達と飲酒を愉しむ者達。窓は開け放たれているものの今夜は風もなく涼しさを感じない。

「可愛いでしょう?ディオンが買ってくれたのぉ。あら?ごめんなさぁい。妃殿下にはなぁんにもないのね。びっくりしちゃうぅ♡」

「お似合いで何よりですわ」
「って、言うかぁ、暑くないですかぁ?崩れないくらい塗ってる妃殿下には判らないかもぉですけどぉ。もうぉぉ暑ぅい!ちょっと涼みません??」

「結構ですわ。お一人でどうぞ」
「そんなに妬かなくてもいいのにぃ。ディオン取られて悔しい~っての。解るのぉ。でもね?仲良くしましょうよぅ。王妃様も側妃様と仲良しでしょぉ?仲良しっていい事ばぁっかりなんですよぉ?」

アデライドはシルヴェーヌの腕を引き、中庭にある噴水まで引っ張って行った。
パタパタと扇で風を送っていたが、手元が滑って扇は噴水の中に飛んで行ってしまった。

「扇、貸してくださいよぉ。もう暑くってやってらんなぁい。あ、代わりに帽子貸してあげるねっ」
「結構ですわ。もう戻りますから」

固辞するシルヴェーヌの手から扇を取り上げるとアデライドは被っていた帽子のピンを外し、シルヴェーヌの頭にのせた。

「まぁまぁ似合ってる感じぃ?でも私の方が似合ってたかもぉ?」
「そうでしょうね」

シルヴェーヌは被せられた帽子を両手でツバを持った時だった。
目の前のアデライドの目が、カっと見開き驚きの表情になっていた。なんだろう?と思うと同時。
背中に熱いような冷たいような感覚が走った。


「キャァァッ!!」


視界が揺らぐ。アデライドは悲鳴をあげながらシルヴェーヌの胸を思い切り両手でついた。
被せられた帽子が弾みで飛んで噴水の中にパシャンと落ちると同時に少し斜めに振り向いていたシルヴェーヌは噴水の縁に頭をぶつけ、仰向けに倒れた。

アデライドは足がもつれ何度も転びながら会場の方に走って行った。




正門をそのまま馬で駆け抜け、厩舎で馬を預けたクロヴィスは庭園を抜けて庭園側のテラスから会場に入ろうと庭木の間を走っていた時だった。

――もうすぐ噴水が見えるはずだ――

その時、叫び声が聞こえた。声の主は女だと解るがシルヴェーヌの叫び声は聞いた事がないため、本人かどうかはわからない。解るのは叫び声をあげる何かがあったと言う事だった。

植え込みから噴水の前に飛び出すと、血痕が付いた剣を鞘に収め、走り出そうとする男の目の前に現れた。

「貴様っ!!……まさか!ヘルベルトっ?!」
「チッ…面倒なヤツが来やがった」

その背後に女性が1人倒れている。暗がりでも一目でわかった。

「シルヴェーヌっ!」
「えっ?!」

ヘルベルトはクロヴィスの声に反応して驚いた声をあげた。

「貴様‥‥何という事を!」

鞘から剣を抜き、斬りかかればヘルベルトも咄嗟に剣を抜きガキンと受け止めた。
剣技の腕前は互角。だがいつもと違うのはお互いが真剣で一太刀浴びれば命が消える。

打ち合っている所にアデライドが会場に戻った事により、人が走ってくる気配がした。ヘルベルトが一瞬そちらに気を取られたのをクロヴィスは見逃さず利き腕に向かって剣を振った。

「ウワグッ!!」 ガシャン

ヘルベルトが腕を押さえて剣を落とした。
その首元にクロヴィスは剣を突きつけた。

「誰を狙った。誰に頼まれた。言わねばその腕を落とす」
「・・・・」

ヘルベルトは何も答えなかった。いや答えられなかった。
答えてしまえば全てが終わる。年内には妹が2人格下の子爵家だが嫁ぐのだ。
その為に金が必要だったし、自分も妹の夫も要職につけてくれるとの約束があった。

失敗した以上、ヘルベルト自身は罪に問われる。
間違って斬ったのがシルヴェーヌだったのは大誤算だった。
何も喋らなければディオンもセレスタンも慈悲をかけてくれるだろうと考えたのだ。

クロヴィスが振り被ったのを見てヘルベルトは叫んだ。

「言われたんだ!目印は帽子だと!」

ヘルベルトの言葉にクロヴィスはやはりセレスタンの企みだと悟った。
誘拐があると自分をおびき出し、斬らせる。
シルヴェーヌに思慕していた元側近なら辻褄を合わせやすかったのだろう。
だが、どうして?そう考えた時、小さく呻く声がした。


「うぅぅ…」
「シルヴェーヌっ」

駆け寄ってシルヴェーヌを抱き起した。手に感じるのはざっくりと切れた背から流れ出る血液。剣を握っていれば斬った感触で見当はつくが、かなり傷は深いのが解る。

「大丈夫だ。シルヴェーヌっ。大丈夫だから…ごめん‥間に合わなかった」

シルヴェーヌを抱きしめていた手を救護係が運んできた担架に乗せるまで離せなかった。そんなクロヴィスを遠巻きに見て舌打ちする女がセレスタンを肘でついた。

「失敗したじゃないのよ。どうするの」
「参ったね…作戦の練り直しだ」
「しっかりしてよ。泥船に乗ったんじゃないんだから」

中止となった夜会。
招待されていた貴族が帰っていく中、クロヴィスは一人の従者に肩を叩かれた。

「王妃殿下がお呼びで御座います」

シルヴェーヌの血で染まった衣装のままクロヴィスは従者の後ろを歩いた。
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