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本編

17・ティグリス王都に帰る

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王宮内は慌ただしくなった。

錯綜する情報はいくつもあったが、共通しているのは第一王子ニキフォロスとその婚約者のソフィア、そしてパスティーナが事もあろうか王宮内で刺客に襲われたという物だった。

「状況はどうなの!3人の容態は?!」
「王妃殿下、現在情報を収集しておりますのでお待ちください」
「待て、待て、待て!先程から同じ返事ばかりでしょう!」


ニキフォロス殿下が暗殺された、いや、ソフィア嬢だ。庇ったチュリオス伯爵令嬢だ。
走り回る従者の中で、一人だけそれを静観する者がいた。
かつてティグリスの従者を務めて居たジップルである。

「殿下が身罷みまかられた。令嬢2人も重傷。伝えてくれ」

従者の言葉に数人が厩舎に向かって走っていく。
当主が領地にいる者や、辺境に第一報を伝える使者である。

そっとその場を離れてジップルはかつてカリスの宮のあった場所に向かった。
既に宮は取り壊されていて、むき出しの土に剥がされた門道に敷かれていた石がところどころ顔を出す。雑草も多く膝の高さになっている物もある。

一介の従者に事の次第は判らなくても、これでティグリスが辺境から戻ってくる事にどこか嬉しくもあった。あの日、国王としてではなく「父親」としてティグリスの為に動いてくれるのではと乗り込んだ。
ジップルはもう痛みも感じない打たれた部分に手を当てた。

ふと思い出した。

――あのリボンの箱は何処に置いただろうか――

ティグリスが持っていたであろうリボンの入った小箱。
もういらないと言われた時の為に予備で買ったリボンも入っていた。
取り壊されてしまった屋敷跡には何もない。

調度品などを運び込んだ倉庫にあるかも知れないと思い立つとジップルは倉庫に向かった。






☆~☆

「容態はどうなの?」

血相を変えたエカテリニはニキフォロスの部屋にやってきた。
しかし、従者は首を振って「安静中ですので」と王妃であってもエカテリニを部屋にいれなかった。

しかし、隠し通せるものではない。
ニキフォロス達は誰一人怪我はしていないのだ。

狙っていたのは情報が錯綜し、それぞれ間者が持ち替える情報に当主がどう動くのか。
ニキフォロスはその結果が出るのは長くても1週間だと踏んでいた。

あの場では、救助に後から駆け付けた兵士もいる。
一緒にいた従者兼騎士に口止めをする事は出来ても、どこかから漏れてしまう。
エカテリニは早い段階で引き込む必要があった。


3日目の朝、ニキフォロスはソフィア、パスティーナと共にアレコスの執務室にいた。もう誰も使う事もなくなった部屋は、隣の部屋に夫婦の寝所を挟んでもう一つ向こう側にはエカテリニの私室がある。

まさかそこにいたとは思わないエカテリニは目の前が真っ白になって時が止まった感覚に襲われた。


「ニキ…あぁ!無事だった。無事だったのね」

すっかり親を追い越した背丈になったニキフォロスをエカテリニは力いっぱい抱きしめた。おいおいと泣くその様はただの母親で王妃の威厳などありはしない。

本物の刺客がいたのは予定外だったが、ニキフォロスから「不穏分子の炙り出し」だと聞くとエカテリニは口から魂が抜ける気がした。

「こんな目に合わなくてもっ!」
「いえ、ついでですから」
「ついで?どういう事なの?」


ソフィアはバスケットをテーブルの上に置いた。
中身はすり替えられた毒入りの菓子。エカテリニは我が耳を疑った。

「そんな‥‥だってカシム公爵はいくつもの事業で助けてくれたのよ?」
「ですが同時に利用もされていたと言う事です。近くに置き過ぎましたね」

「王妃殿下、申し訳ございません。父が…王妃殿下を騙している上にニキフォロス殿下まで手にかけようとしたのは紛れもない事実で御座います。処分は如何様にも受ける所存でございます」

「いいえ、貴方達にここまでさせてしまった責任はわたくしにあります。あの時で終わったかと思ったけれど根は深かったし、見極める事が出来なかった。やはり一人で統べるには無理があったのね」

「疫病で疲弊した国をここまでにしたのは母上でしょう。私は王妃としての母上は尊敬しています。ただ母親としての母上は…苦手でした」


ニキフォロスに告げられてエカテリニは泣き笑いでニキフォロスを抱きしめ、何度も「ごめんなさい」と呟き、髪を撫でた。





☆~☆

吹雪の中を進み、山を越えたティグリスは辺境伯が所有する何頭目かの馬を乗り継ぎ、3週間かかる道のりを昼夜問わず駆け抜けて13日目に王都の郊外に到着した。
手綱を握っていたグローブは内側はもう布がなく、赤く染まっていた。

げっそりと頬がこけ、目は落ちくぼんで無精髭が伸びている。
アレコス譲りでニキフォロスと同じ金髪碧眼だが、土埃で髪は汚れ充血した目の中にある青い瞳だけがギラギラとしていた。

8年の歳月はティグリスを大きく変えた。
パスティーナに「チビのキンキン」と言われたが身の丈はニキフォロスよりも頭一つ高く、剣や槍を手にして山を駆けまわったおかげで体そのものが甲冑のようになっている。

最後の馬に乗り換えて王城に到着した時、それがティグリスだと誰も気が付かなかった。ティグリスが到着したとの知らせに王妃エカテリニは急ぎ部屋に通すように伝えた。

だが、ここで大きな問題が起きた。
状況から言えばそれは「些細」な事だが、大きな問題である。

辺境の冬場は「湯あみ」をする機会が減るのだ。
食事用に薪を使うのは仕方がないが、湯あみ用の湯を沸かすためだけに薪を使う事を控えるためである。雪に覆われる前に備蓄はするものの、湯あみ用もとなれば倍以上の備蓄が必要になる。

井戸の水も凍るために水を用意するのも積もった雪を解かすのだが、桶いっぱいの雪が同量の水かと言えば違う。雪を湯船に運ぶためだけに扉を開閉しては温めた部屋の空気は逃げてしまう。

そんな中で過ごしていたティグリスは、それから13日かけて王都にやってきた。
気候の異なる王都は冬ではあるが、雪は舞う程度で積もるほどではない。

つまり…ティグリスは今、非常に「臭い」のだ。

エカテリニの部屋が何故か「ツーン」とした臭いに包まれる。
包まれるだけならいい。
ティグリスが動くたびに空気も動くために「目が痛い」のだ。

「王妃殿下!どうなっているのですか!」

目が痛いだけではなかった。ティグリスの大声に窓ガラスもビリビリと小刻みに振動する。人間の耳には鼓膜を突き破るかの大声に部屋にいた全員が手で耳を塞いだ。

エカテリニは泣きたくはないのだが、自然と「臭い」という痛みに涙を流しながらティグリスに告げた。


「先に湯あみをしてきなさい」

部屋にいた全員が頷いたが、女官長だけは表情が引き攣った。
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