上 下
20 / 27
本編

13・ニキフォロス陥落

しおりを挟む
ニキフォロスは暫くの間、言いようのない喪失感に苛まれた。
ただ、王宮の中にいる人々を眺めて時間が過ぎるのを待つ。

母であり、王妃のエカテリニはそんなニキフォロスに厳しい声を掛けたのはティグリスの馬車を見送って2、3日だけの事で、以後は何も言わなかった。

婚約者であるソフィアと定期的な茶会の席、目の前のソフィアは静かに茶を飲む。


「君は楽しそうだな」

ポツリと呟いたニキフォロスにソフィアはにっこりと笑った。
音も無くソーサーに茶器が戻されると、口元をゆっくりとハンカチで拭く。

「ニキフォロス様は楽しく御座いませんか?わたくしは楽しいのです」
「酷い人だな…」
「そうでしょうか?こんな楽しい事は他に見当たらないと思います」

ティグリスが居なくなった事を喜ぶかのような言葉にニキフォロスは心底ソフィアを軽蔑した。1人だけ達成度は悪かったとしても、その言い草はないだろうと。

しかし、違った。

「辺境とはどのような所なのか。どの本を読んでもお決まりの言葉、定型文しかなかったのです。それが実際を知る事が出来る。大人になれば判りませんが今は誰かのこ難しい言葉で書いた本、一部だけを抜粋し描いた絵で想像をするしかないのです。同じ11歳が知らせてくれた物が御座いまして?」

「ティグリスは‥‥報告係ではないのだ」

「えぇ。違います。だからこそです。忖度のないそのままの姿の文字や絵が届くのが楽しみでならないのです。それに…ふふふっ。お気づきになりませんか?」

「何かおかしなことがあるのか?」

「あら?ニキフォロス殿下の観察対象は今だにわたくしだけですの?ティグリス殿下がチュリオス伯爵家の手を借りて辺境に旅立った事で貴族内に動きも出ましたのよ?」


ニキフォロスは先ほどまでの軽蔑の気持ちが吹き飛んだ。
代わりに心の中に渦巻いたのは畏怖。
ソフィアは見た目は11歳の少女のように見えて公爵令嬢であり、次期王妃若しくは王兄妃なのだと悟った。


ソフィアの言う通り、貴族内には動きがあった。
それまでのニキフォロスなら気が付かなかったかも知れないが、観察をしていくうちに人の顔と名前を覚え、どの派閥に属し、誰に従属をしているのか。雰囲気で感じ取る部分はあった。

チュリオス伯爵家にティグリスが世話になったのは婚約者がパスティーナだからと言うのは確かに大きい。しかし単に婚約者の伯父がいるからと第二王子を危険の多い辺境に向かわせるかとなれば違う。継承者は2人しかいないし、ニキフォロスが今後も安寧で暮らせるかとなれば首を傾げる。


平和そうに見えて、ニキフォロスの毒味役は気が付いただけでも14人交代をしている。王宮の外に出る事は滅多にないが、王宮の中ですら「従者」の名を借りた兵士が付き添う。

ソフィアのカシム公爵家はチュリオス伯爵家とは同じ派閥ではない。
少なくとも個人の感情で母親のエカテリニがティグリスを辺境に追いやったとも思えない。


珍しくソフィアがカチリと茶器の音をさせた。
小さな音はニキフォロスの耳をつんざくように駆け抜けた。

「わたくしも、驚いておりますのよ?王子妃教育、始まったばかりの王太子妃教育の賜物。そう思いませんこと?」

「これを機に、不穏分子を見極めよと?」

「あら?やっとお気づきに?ティグリス殿下の辺境行きは偶然でしょうけれど、もう一つ偶然が重なり国王陛下は病に倒れられ、側妃殿下は身罷みまかられた。貴族の中には「すわ、疫病の再来」と口にする者がいるとかいないとか。過去の疫病。これも流行病なので特定は出来なかったけれど【敢えて持ち込んだ】者もいると父からは聞いておりますのよ?これがどういう意味か解らぬニキフォロス様では御座いませんでしょう?」


感じた事のない高揚感に似たゾワゾワとする気持ちがニキフォロスを襲う。
ニキフォロスはソフィアに対して初めて【知りたい】と感じた。
観察をする上で、ソフィアの何を見ていたかと言えば「上っ面」だった事に恥じ入り、頬を染めた。


「ソフィア。君って面白い人だったんだね」

ニキフォロスの言葉にソフィアは口角を少し上げた。
その表情がまたニキフォロスの心の中に灯されたゾクゾクとした炎を焚きつける。

「お暇を感じる事がないのは何よりですわ」
「そうだね。死ぬまでこの気持ちが抱けるかと思うと空恐ろしいよ」

ニキフォロスは目の前にあった果実水のグラスを手に取った。
心の熱さを感じたのかグラスの表面もびっしりと汗をかいている。
一口流し込んだ果実水はとても冷たかったが、頬の火照りは収まらない。


「改めて…僕の婚約者になってくれてありがとう」

その言葉には、ソフィアが年相応の笑顔を見せた。
ニキフォロスはそのギャップに顎を天に向けて殴りつけられたような心地。


「今更ですわよ?」
「ソ、ソフィアは何時から?いや驕りだな。僕が選ばれたのは大人たちであって君じゃない」

「御謙遜もニキフォロス様らしいですわね。ですがお気をつけ遊ばせ。この婚約に個人の感情や意思は不要。お父様は土壇場で婚約者の入れ替えも模索しております。国の都合と言えば聞こえは良いですが、わたくし二度も大人の都合に振り回されたくは御座いませんの」

【嫁ぐ相手は貴方で腹を括っている】とも取れるソフィアの言葉にニキフォロスはソフィアは実父ですら客観的に見ているのかと驚く。同時に嬉しかった。

ニキフォロスは立ち上がり、向かいのソフィアの元まで歩くと椅子の隣に跪いた。

「妃は未来永劫ソフィア嬢。貴女だけだ。隣に立ち共に未来を歩む権利を与えてくれないか」

「殿下、貴方は簡単に膝をついたり、頭を下げていい人間ではありません」

「いいんだ。これは変わらない私の気持ちを知って欲しいから」

「お父様は心変わりしましたのに、どうしてそう言い切れるのです?それに人の心は変わりやすいのです。常に何が自分にとって益となるか。簡単に靡きますもの」

「反面教師だからだ。結果的にその選択で自身は病に伏したとされ、愛した女性は先に神の御許に旅立ったとされている。共に学んだ教育は一朝一夕で成し得るものではない。何より君ほど僕の射幸心を煽る女性には‥先は長くても出会えないと思う」

「では、更に飽きさせないようわたくしも精進いたしますわ」


ニキフォロスの差し出した手にソフィアは自分の手を重ねた。


「庭を案内するよ」
「今更ですの?婚約して何年目だと思ってますの!」
「あ~‥‥。まぁ今まで心を込めた案内はしてなかったから」
「それを言います?信じられませんわ」


ギュッと握った手は離れることなく、この先を歩んでいく。
そして、2人は19歳となり「運命の日」を迎えるのだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】名ばかりの妻を押しつけられた公女は、人生のやり直しを求めます。2度目は絶対に飼殺し妃ルートの回避に全力をつくします。

yukiwa (旧PN 雪花)
恋愛
*タイトル変更しました。(旧題 黄金竜の花嫁~飼殺し妃は遡る~) パウラ・ヘルムダールは、竜の血を継ぐ名門大公家の跡継ぎ公女。 この世を支配する黄金竜オーディに望まれて側室にされるが、その実態は正室の仕事を丸投げされてこなすだけの、名のみの妻だった。 しかもその名のみの妻、側室なのに選抜試験などと御大層なものがあって。生真面目パウラは手を抜くことを知らず、ついつい頑張ってなりたくもなかった側室に見事当選。 もう一人の側室候補エリーヌは、イケメン試験官と恋をしてさっさと選抜試験から引き揚げていた。 「やられた!」と後悔しても、後の祭り。仕方ないからパウラは丸投げされた仕事をこなし、こなして一生を終える。そしてご褒美にやり直しの転生を願った。 「二度と絶対、飼殺しの妃はごめんです」 そうして始まった2度目の人生、なんだか周りが騒がしい。 竜の血を継ぐ4人の青年(後に試験官になる)たちは、なぜだかみんなパウラに甘い。 後半、シリアス風味のハピエン。 3章からルート分岐します。 小説家になろう、カクヨムにも掲載しています。 表紙画像はwaifulabsで作成していただきました。 https://waifulabs.com/

【完結】巻き戻りを望みましたが、それでもあなたは遠い人

白雨 音
恋愛
14歳のリリアーヌは、淡い恋をしていた。相手は家同士付き合いのある、幼馴染みのレーニエ。 だが、その年、彼はリリアーヌを庇い酷い傷を負ってしまった。その所為で、二人の運命は狂い始める。 罪悪感に苛まれるリリアーヌは、時が戻れば良いと切に願うのだった。 そして、それは現実になったのだが…短編、全6話。 切ないですが、最後はハッピーエンドです☆《完結しました》

完)今日世界が終わるなら妻とやり直しを

オリハルコン陸
恋愛
俺は、見合い結婚をした妻のことが嫌いな訳ではない。 けれど今まで、妻に何ひとつ自分の気持ちを伝えてこなかった。多分妻は、俺のことを妻に興味のない、とても冷たい夫だと思っているだろう。 でも、それは違うんだ。 世界が終わってしまう前に、これだけは伝えておかなければ。 俺は、ずっと前から君のことがーー ------ すっかり冷え切ってしまった夫婦。 今日で世界が終わると知って、夫が関係修復の為にあがきます。 ------ オマケは、彼らのその後の話です。 もしもあの日、世界が終わらなかったら。

強すぎる力を隠し苦悩していた令嬢に転生したので、その力を使ってやり返します

天宮有
恋愛
 私は魔法が使える世界に転生して、伯爵令嬢のシンディ・リーイスになっていた。  その際にシンディの記憶が全て入ってきて、彼女が苦悩していたことを知る。  シンディは強すぎる魔力を持っていて、危険過ぎるからとその力を隠して生きてきた。  その結果、婚約者のオリドスに婚約破棄を言い渡されて、友人のヨハンに迷惑がかかると考えたようだ。  それなら――この強すぎる力で、全て解決すればいいだけだ。  私は今まで酷い扱いをシンディにしてきた元婚約者オリドスにやり返し、ヨハンを守ろうと決意していた。

たとえこの想いが届かなくても

白雲八鈴
恋愛
 恋に落ちるというのはこういう事なのでしょうか。ああ、でもそれは駄目なこと、目の前の人物は隣国の王で、私はこの国の王太子妃。報われぬ恋。たとえこの想いが届かなくても・・・。  王太子は愛妾を愛し、自分はお飾りの王太子妃。しかし、自分の立場ではこの思いを言葉にすることはできないと恋心を己の中に押し込めていく。そんな彼女の生き様とは。 *いつもどおり誤字脱字はほどほどにあります。 *主人公に少々問題があるかもしれません。(これもいつもどおり?)

【完結】悪役令嬢の反撃の日々

アイアイ
恋愛
「ロゼリア、お茶会の準備はできていますか?」侍女のクラリスが部屋に入ってくる。 「ええ、ありがとう。今日も大勢の方々がいらっしゃるわね。」ロゼリアは微笑みながら答える。その微笑みは氷のように冷たく見えたが、心の中では別の計画を巡らせていた。 お茶会の席で、ロゼリアはいつものように優雅に振る舞い、貴族たちの陰口に耳を傾けた。その時、一人の男性が現れた。彼は王国の第一王子であり、ロゼリアの婚約者でもあるレオンハルトだった。 「ロゼリア、君の美しさは今日も輝いているね。」レオンハルトは優雅に頭を下げる。

婚約破棄してたった今処刑した悪役令嬢が前世の幼馴染兼恋人だと気づいてしまった。

風和ふわ
恋愛
タイトル通り。連載の気分転換に執筆しました。 ※なろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ、pixivに投稿しています。

王太子エンドを迎えたはずのヒロインが今更私の婚約者を攻略しようとしているけどさせません

黒木メイ
恋愛
日本人だった頃の記憶があるクロエ。 でも、この世界が乙女ゲームに似た世界だとは知らなかった。 知ったのはヒロインらしき人物が落とした『攻略ノート』のおかげ。 学園も卒業して、ヒロインは王太子エンドを無事に迎えたはずなんだけど……何故か今になってヒロインが私の婚約者に近づいてきた。 いったい、何を考えているの?! 仕方ない。現実を見せてあげましょう。 と、いうわけでクロエは婚約者であるダニエルに告げた。 「しばらくの間、実家に帰らせていただきます」 突然告げられたクロエ至上主義なダニエルは顔面蒼白。 普段使わない頭を使ってクロエに戻ってきてもらう為に奮闘する。 ※わりと見切り発車です。すみません。 ※小説家になろう様にも掲載。(7/21異世界転生恋愛日間1位)

処理中です...