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本編

12・礼をする相手が違う

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扉を開ければ静かな部屋。

呼び出しに軽い足取りでやってきたアレコス国王は部屋に入った瞬間で背筋が凍った。隣国との折衝会議を行う部屋の空気は氷点下以下に感じられた。

中央に妻であり、王妃でもあるエカテリニ。
その右手には各公爵家の当主、左手にはエカテリニの兄を含む侯爵家の当主。
彼らの後ろには王宮内から王都郊外までを守る騎士団の団長と副団長。
一人異質なのは、2人の辺境伯の代理であるチュリオス伯爵がいる事だろう。

ごくりと飲んだ生唾も喉仏が動くだけで飲み込めない上、口もカラカラだ。

そしてアレコスに遅れてカリスが従者と共にやってきた。


「揃いましたかね」

カシム公爵家当主イアニスの声に全員が起立し、エカテリニに向かって臣下の礼、そして騎士団の面々は敬礼をするとアレコスの隣に座ったカリスが声をあげた。

「礼をする相手が違うのではなくて?」

アレコスはカリスの腕を掴み、無言で首を横に振った。
名ばかりの国王と揶揄されてきたが、それは事実だった事を痛切に感じた。

カリスの声など誰も意に介さず、進行役でもあるカシム公爵家当主イアニスはエカテリニに向けて言葉を発した。


「本日の議題はそのまま決議となります」
「時間の短縮。大いに結構」
「はい。では1つ目の議題。側妃殿下の廃妃について。続いて2つ目。国王の罷免についてです」

イアニスの言葉にカリスはいきり立った声をあげた。

「廃妃ってどういう事よ!こんなの聞いてないわ!」

カリスの言葉にイアニスは表情を変えず「言ってませんので」と応えると失笑が漏れる。アレコスはカリスの方を見る事もなく、向かい合った当主たちの堪えきれない失笑に身を小さくした。

「カリス妃に起きましては、宮の中での言動及び招き入れる者達の監督責任も付加させて頂いておりますが、第二王子ティグリス殿下への不適切な行為につきまして、看過できない現状となりやむなく!議題とさせて頂いております」


イアニスは「やむなく」の部分を強調したが、カリスは納得できない。
「どういう事だ」とアレコスを問い詰める。
しかし、アレコスはカリスの手を振り解き、「大人しく聞け」とだけ声を出した。


「先ずは第二王子ティグリス殿下への支度金の使い込み、王子教育に対しての暴言、阻害、そして11歳という年齢を考慮しない性的な行為を含む強要、ご存じの通り現段階で立太子は第一王子ニキフォロス殿下もされておられませんが、この先どちらが次代を担う国王陛下となられるか。それも推し量っての提議となります」

「子供の為に使っただけよ!何がいけないの?それに性的な事なんてしてないわ。親子が一緒の寝台で眠るなんて当たり前でしょう?!教育だって大したことなんてしてないじゃない!教えてあげてただけよ!」


カリスの言葉はまた発するだけで誰も相手にはしない。
その事がますますカリスを憤らせる。


「聞きなさいってば!ははぁん。私を追い出そうって事ね?散々肩身の狭い思いをさせておきながら、そこそこにティグリスが育ったとなったら用済みってわけですの?へぇ~そんな事をする国なのね?だいたいティグリスだって宮に帰ってこないのよ?そっちこそ!誘拐で貴族院に訴えてやるわ!」


エカテリニは空間をあけて向かいに腰を下ろし項垂れるアレコスと憤って立ち上がり鼻息の荒いカリスを交互に見た。一つ短い溜息を吐く。


「アレコス国王陛下。ご異存は?」


エカテリニの言葉にアレコスはハッと顔を上げて今にも泣きだしそうな顔を向けた。

「ティグリスは…そのまま王子としてもらえるんだろうか」

アレコスの発言にカリスはテーブルを拳で叩く。

「そんな事どうだっていいでしょう?側妃で我慢した私がどうして廃妃にされなきゃいけないの!貴方の子供も産んだでしょう?国母となる私がどうして!?言ってやってよ!」

「お前こそいい加減にしろ!訳の分からない破落戸を宮に呼んで朝まで酒を飲んで。あぁそうだとも。ティグリスもここまで育ったんだ。バカで素行の悪い母親なんか足枷にしかならない。今まで散々いい思いをしたんだからもういいだろう。廃妃となれば私の禊はもう終わったと言う事だ!」

「禊っ?!禊ってどういう事よ!」

「お前を妃にしたおかげで国王である私の仕事が何なのか知ってるのか?以前はまだ必要な書類だったが、今じゃ廃棄する書類を閉じている紐を解いて古紙買い取り業者に出す箱詰めだけだ!国王が!だぞ?」

「それで給金が貰えるなら私がやるわよ!どうせそんな事しか出来なかっただけでしょう?貴方まで自分の出来の悪さを私の責任にしないでほしいわ!そんなのだから息子もバカなのよッ!」


罵り合う2人に部屋の中の者たちは冷めた目でただその光景を眺める。
パンパンと手を打ち鳴らしたエカテリニに2人は声を止めた。


「働く気概があるようで何よりだわ。では廃妃となった後は【先ず】使い込んだ王子費についての弁済をして頂きましょう。夫婦で住み込みだから必要経費以外は天引きしてやって頂戴」

「王妃殿下、室の使用料、食費は如何いたしましょう」

「フリーランスですもの。自腹よ」

「畏まりました」

「ちょっと!勝手に決めないで!フリフリランって何よ!」

バシン!!
エカテリニの鉄扇がテーブルの天板に叩きつけられる。
カリスは抉れたテーブルを見て怯んだ。

「ここはそう言う場。そもそも貴女には発言権はないの。反論が必要なのなら貴族院で裁判させてるわ」

「待ってくれ。私は関与していない。そもそも国王が不在――」

「国王が不在なのは今に始まった事ではなくてよ?ですから廃妃後に罷免ですのよ?」

「そ、その後は…即位後は…先王として蟄居か」

「返済後の余生は眺めのいいから王都の街が一望できますわね。あら?でも女性を見る目は…残念だわ。お持ちではなかったわね。あなた方の最大の罪は国全体が疫病で疲弊している時に遊び惚けた事。王族であれば尚の事、その責は負わねばなりません」

「と、塔ではなく城壁…」

アレコスはそっと汗でぐっしょりの首を手で触れた。

「ティグリスがいるからどうにかなるとでも?親なら辞退するでしょうけど即位後の恩赦も適用外として差し上げますわ。良かったですわね?お金を使う事に生きがいを感じられる女性を望んだ事で生き延びられるんですもの」

「エナ。本当に申し訳なかった!心から反省をしているんだ。真面目にやってきただろう?」

「その反省は羊頭狗肉。ティグリスの窮状を訴え出た従者に何と言ったか。もうお忘れかしら?彼は言ったはず。国王である前に父であり夫ではないのかと。前提が崩壊しているのに真面目も何も御座いませんわ」


イアニスが裁決を取る。
全員が「異議なし」と手を挙げた。同時にカリスも悲鳴を上げる。

「私は何も悪くないわ!こんな事ならティグリスなんて産ま――」

「お黙りッ!」

エカテリニの一喝に「ヒュっ」と息を飲んだカリス。

「寝取られ女のただの僻みじゃない!こんなの許されない!」
「カリス…もうやめてくれ…」

「何言ってるの!だいたい貴方が甘いからいけないのよ!王妃は私だとはっきりあの女と婚約破棄をしていれば!こんな事には成らなかったのよ!」

「婚約破棄なんか出来るはずがない。ちょっと考えれば判る事だったんだ。だいたい側妃でいいと言ったじゃないか!今更側妃の仕事もしなかった癖に何を!私が甘かったんじゃない!お前がバカ過ぎただけじゃないか!」



ティグリスの今を聞く事もなく、言いあう2人は兵士に連行をされていく。
返済の為とは言ったものの、この先の2人は生きる方が辛いと身に染みるだろう。そしてまだ11歳のティグリスからすれば毒親も親。2人を処刑するには遅すぎた。せめてティグリスがカリスの腹に宿る前ならとエカテリニは思ったが、その時はまだ国が疲弊し混乱していて全権を授けられたとはいえエカテリニにも求心力がなかった。

――せめてティグリスは今どうしているかと問えないのか――




ティグリスが辺境に旅立ってからはニキフォロスから活気が消えた。
エカテリニはニキフォロスに「頑張れ」と背を押す事も止めた。

アレコスがカリスを望んだ時からエカテリニは【女】を捨てた。


ティグリスがいなくなり何も手につかないニキフォロスをエカテリニは叱責した。

『何をしてるの?時間は永遠にあるわけではないのよ?呆けている時間があったら施政の一つでも臣下に問い、片付ける。それが出来なければ――』

『いい加減にしてください!母上っ!』


ニキフォロスは初めてエカテリニの言葉に強い口調で返事を返した。

『僕は母上の人形じゃない!』
『人形だなんてそんな事をわたくしが何時言ったのです!ニック。もう時間はないのですよ?貴方は民を率いる覚悟をなんと心得ているのです。怠け癖のある者に人が付いてくるとでも思っているの?!』

『僕は国王になんか成りたくない!そんなもの犬だって食わないよ!頑張れ、頑張れ!何時だってそうだ!認めてもらえることなんか何もないのに!これ以上何を頑張れと言うんだ!僕に息をさせてよ!ティグリスのように僕も自由にしてよ!』

『認めているじゃない。ただまだ足らない。母はそれを――』

『ならもう足らなくていいよ!足りてる母上がすればいいだろう!立派な王妃殿下が何もかもすればいい!もう何も僕に押し付けないで!僕も…僕も母上なんかいらない!』


母には成れたが、父の分もと厳しくした事に兵士に連れられて行くアレコスの背中を見て小さく首を横に振った。そして、反発したニキフォロスもエカテリニに背を向けて走り去っていく。

――母にすらなれていなかったの?――


一人取り残されたエカテリニに幼い日からニキフォロスを我が子も同然と育てた乳母がそっと背を撫でた。

『王妃殿下、申し訳ございません。私の教育が間違っておりました』

乳母の声にエカテリニはその顔を見る。乳母は続けた。

『早くに王妃殿下から殿下を離すべきでした。殿下は聡明なお方。なまじ出来てしまうばかりに過度の期待を背負わせ、私達もそれでいいと思ってしまいました。ですが間違いだった。殿下と言え人の子、人間なのですから理解をするべきでした』

『どうしたらいいの…ニックが…ニックがいなくなればわたくしは…どうしたら‥』

『それは殿下としてのニキフォロス様ですか?それとも我が子としてのニキフォロス様ですか?』

エカテリニは乳母の言葉に「世継ぎがいなくなる」と考えた自分に気が付いた。
指先が震え、全身に伝わっていく。

ニキフォロスの心の悲鳴がやっと聞こえた気がした。

『王妃殿下もまた王家の縛りに抗えなかったお方で御座います。王太后様よりこの役目を仰せられた時、私は乳母としてではなく、烏滸がましくは御座いますが姉として王妃殿下にも息をさせる教育をすべきでした。混乱のさなか、アレコス殿下に頼る事も出来ず、一人で立ち国を導いて来られた事が正しいと私も目を背けたのです。長きにわたり間違ったのは私。申し訳ございませんでした』

『うぁあああ…』

ニキフォロスへの教育だけでなく、エカテリニへの接し方も間違っていたと口にした乳母。エカテリニは声を上げ、天井を見上げて号泣した。
それは「公人」としてのみ生きてきたエカテリニが初めて「人」として流した涙だった。
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