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序章

4・側妃で我慢

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目の前の事が見えなくなっていたのはアレコスだけではなくカリスもだった。
満たされなかった欲望が次々に叶えられていくと、自分だけが特別のような錯覚に陥る。それまで地味でも真面目に働いて家計を支えてきたカリスは働く事を止めた。

アレコスからもらった金の一部を家族に「恵んでやっている」とされ思うようにもなってしまった。アレコスに買い与えて貰ったドレスや宝飾品で狭い男爵家は直ぐにいっぱいになる。

「カリス、すまないがもう着ないドレスでいいんだ。売ってくれないか?」

男爵家の生活は楽ではない。
男爵はカリスの部屋のクローゼットにはもう入りきらず、なんなら箱からも出さず仕舞いのドレスのうち1着を生活の為に売ってくれと頼んだのだ。

「は?何言ってるの?これは!私が貰ったものなの。売るならお金は私のものよ」
「小麦が値上がりをしてて…少しで良いんだ。な?母さんの薬代も支払いを待ってもらっているんだ。判るだろう?」

「無茶振りはやめてよ。母さんが病気なのは私のせいなの?違うよね?この前も金なら渡したでしょう?もう足らないの?自分で稼げばいいでしょう?父親の癖にタカリなんてみっともないわよ」

「それは少しでも栄養のあるものをお前たちに買おうと――」

「私は食べたいなんて言ってないし。勝手に恩を売らないでよ。いい?ドレスを売ったら首が飛ぶわよ?全部王子殿下に貰ったものなの。直ぐに足がついて断頭台行きよ」


男爵家にはカリスの下に弟妹がいたが、カリスは両親にも弟妹にもアレコスから受ける施しを必要以上に分け与えようとはしなかった。

男爵家の生活が困窮し始めたのは、力を持つネスティス侯爵家のエカテリニという婚約者がいる事を知っていながらアレコスを篭絡しようとしている事に対しての戒めだった。
エカテリニは良くてもネスティス侯爵家としては何もしないと言う事はあり得ないからである。

商会は男爵家との取引を既に止めていて、小さな領地から荷を運んでくれる者もいなくなっていた。

それまで数週間で終わる比較的割の良い事業に食い込ませてもらっていたのだが、それも弾かれるようになり今では頭を下げて頼み込んでもおこぼれにすら肖れない。

食べる物がないと恥を忍んで縋っても、男爵家の屋敷の中はアレコスがカリスに贈った品で溢れかえっている。「これでよく金を貸せと言えるものだ」「厚顔無恥とはまさにこの事」と、パンを買う金を貸してくれる者もいなくなっていたのである。

カリスの弟は母親の治療費の為に辺境警備の兵士に志願し家を出た。
妹は貴族の家からは下女にすら雇ってもらえず、夜の酒場で給仕を始めた。




「最近、素っ気ないな」
「そう?どうでもいいわ。もう来ないでくれる?」
「つれない事、言うなよ」

カリスの腰を抱き、耳に声に乗せて息を吹きかける。
アレコスが買い与えた宝飾品を無造作に掴み、幾つかをポケットに捩じ込む。

「それ、あげるわ」
「手切れ金って事か?」
「結構な額になるはずよ。新しい女がいる事も知ってるし、そっちに行けば?」
「妬いてもくれねぇって?寂しいなぁ」

カリスにはアレコスと同時進行で付き合いのある男がいた。
平民だが、顔の出来はこの辺りでは飛びぬけて良い男である。
浮気癖があり、新しい女とキャットファイトを繰り広げるのも毎度の事だった。13歳で純潔を捧げて以来、別れてはヨリを戻しまた別れる。カリスばかりが恋焦がれていて女が切れれば絆されてしまっていた。

だが、もう違う。
それまでの上物以上の極上の男に妻と言う立ち位置にプラスして妃として嫁ぐのだ。数百万程度の宝飾品で手が切れれば安いものだった。

最後の逢瀬は今まででとびきり優しかったが、それがカリスの優越感を益々刺激した。
去り際に「別れたくない」と初めて言われたのだ。

「考える暇が出来れば、考えるだけはしてあげる」

10年の腐れ縁を断ち切ったカリスは勝ち誇った顔で男を見送った。




一度、鎌首をもたげた欲は青天井。
妃になりたいと言い出したカリスにアレコスは頭を抱えた。
しかし、カリスに溺れるアレコスはそんな我儘すら可愛く叶えてやりたかった。

簡単な文字しか読み書きできず、算術は両手の数を超えればお手上げのカリスには無理だとアレコスは臣籍降下をする事を思い立つ。それにはまずエカテリニとの婚約を解消せねばならない。

エカテリニの父であるネスティス侯爵が参加すると聞いて、ルスラー公爵家の夜会にカリスを連れて紛れ込んだ。失念していたのだ。ルスラー公爵がネスティス侯爵の実兄だと言う事を。
先ずは侯爵に断りを入れねばと気が急いてしまっていた。

結果は大失敗で国王と王妃から叱責を受けた。

――誰にも知られない関係を公にしたんだから、もう引けない――

臣籍降下がダメならカリスと市井で暮らしていこうと考えた。
かなり使い込んでしまったが、通いの女中1人、2人なら雇える生活も出来る金もある。事後報告にはなるが自ら廃嫡となり王籍を離れるのがダメージが少ないと考えたのだ。

しかし、思いもよらずエカテリニが「側妃にしろ」と言う。
そして市井で生きていくことがどんなに大変なのか、王家の血を残せるのはアレコスのみなのだと諭されアレコスはハッとした。

――悩む必要もなかった。最初からエナに相談していればよかった――



カリスに「妃にする」と告げた時、カリスは「王妃様?!」と目を丸くした。

「王妃となれば面倒な事もせねばならないんだよ」
「今の婚約者にしてもらえばいいじゃない」

「そうしてもらうには衣食住は保証されている側妃になるしかないんだ」

カリスは顎に指を突いて首を傾げた。

「側妃で我慢するわ」

アレコスは健気なカリスを抱きしめた。



カリスが側妃として召し上げられる事になった時、男爵家は貴族名鑑から名前を消した。領地を売り、王都の郊外にあった屋敷も土地も売り、最後は男爵という爵位も売らなければ持参金が工面出来なかったからである。

両親は親戚を頼って住まいを移し、妹は兄を頼って辺境に移住した。
彼らにとっては財産がカリスに対する「手切れ金」だったのは言うまでもない。
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