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第16話 知らない方が幸せ
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ヴォーダンが自軍に戻り、1カ月が過ぎた。
「もうダメだ。なんでこんな所に足止めをされなきゃいけないんだ!」
「エスティバス少将。落ち着いてください!」
「誰か!アルドフ中佐を呼びに走ってくれ!」
いつもの戦法であれば、問答無用で制圧をしてきたが今回ばかりはそうもいかない。ガネン王国軍はヴォーダンが合流する事を知ると侵攻を止め、侵して設営していた陣地を引いた。
撤退をするのではなく、自国の領土内で見回りを始め国境線を超えるどころか手を伸ばせば指先が境界を犯すのにギリギリまで来て挑発をするだけになった。
ガネン王国の領土内で行なう事に文句をつけられるはずもなく、明らかにヴォーダンが別の拠点に配置換えされるのを待っているのだ。
「仕方ない。奥の手を使うか」
「奥の手?そんなのあるのか?」
「アルドフ中佐から預かったこのハンカチを使う」
とても武器にも防具にもなりそうにない1枚のハンカチ。
但し使うのは白旗を挙げるためではなく、ヴォーダンを落ち着かせるためである。
但し、真っ白ではない。模様なのかシミなのか。生活感溢れる逸品だった。
「少将!アルドフ中佐から差し入れです」
「アルドフから?」
手渡された小さな箱。アルドフからとは言え検閲をしなければならないので開封はされている。
ピクリとヴォーダンのこめかみがヒクついた。
「こっ!この香りは!!」
箱を開封するとヴォーダンは当たりの空気を一気に吸い込む。
「はぁぁ♡癒される…リヒテン子爵家の香りだ」
ヴォーダンの嗅覚は砂漠を超えた遠い国にいる「ゾウ」と呼ばれる鼻の長い大型の動物並。軍用犬の倍の嗅覚をもつゾウと同じなので姿は全く見えなくても敵の位置を嗅覚で感知するという離れ業も持ち合わせている。
箱に詰められていたのは品だけではなくリヒテン子爵家の香りも僅かに残っていて余すところなくヴォーダンは吸い込んだのである。
そして…ガサガサと包みを開くと…。
「ファァァ♡ナディのハンカチだ!」
<< ナディ?! >>
まだヴォーダンが結婚した事を知らない部下もいる。
どこに敵が潜んでいるかもわからないので、弱点となりうる家族、特に妻や子供の所在は同じ軍の中にいても秘匿される事が多い。
「これであと2週間は頑張れるぅ♡ナディ…ナディが使ったかと思うと感慨深い…(すんすん)はぁぁ♡いい香り~堪らんっ」
ハンカチから思い切り繊維まで吸い込む勢いで肺の奥深く、ヒダの細部にまで行き渡るような深呼吸を数回繰り返したあとヴォーダンは「一旦引く。殿下の所に行ってくる」と言って陣地をフラフラ出て行った。
ヴォーダンと数人の兵士は土煙を挙げて馬に騎乗し夕方になっても戻っては来なかった…のだが。
その2日後、国境線を踏み超えて再度動きを見せてきたガネン王国軍は一網打尽となった。
「どうして…」
「さぁ、どうしてだろうね。スパイスは必要だけど僕の部隊にスパイは要らないからじゃないかな」
捕縛されたガネン王国軍の兵士たちの前でポツリと呟いた副官の肩に手を置いたのはヴォーダン。
「わ、私がスパイ?!とんでもないっ!」
「飛んではいないよな。羽根はないからな。飛んで飛んでと飛びたいか?」
「違います!私はっ!信じてください!」
「僕も違うと思いたいし信じたいのは山々なんだよ。知らなかった方が幸せでいられただろうし」
ヴォーダンが向かったと連絡が途端に動きを止めたガネン王国軍。遠くから観察するにしても「お偉いさんが来た」事は解っても敵に誰が来たかまでは知られていないはず。なのに知っていた。
ヴォーダンだから動きを止めたのだ。内通者がいるだろうとヴォーダンもしばらく様子を見たが動きが無い。フライアに会えない事も相まって苛ついていたのは事実で、魔力も駄々洩れ。
ハンカチの香りを吸い込んだ事で落ち着きを取り戻したように見せて、幕僚長でもある殿下に今後の伺いを立てると場を離れる。ガネン王国軍もこのままだと食料も底をつき兵士が動かなくなるので動きが早かった。
「さぁ、これでナディの元に帰れるッ何しようかな~フフンフン♪」
超ご機嫌になったヴォーダンは、やっと戦地から帰国の途についたが途中でメゼラ王国に寄り道をするのは当然の事。
「はぁ…こんなに無駄な魔力はあるのに転移だけは出来ないとはなぁ」
「少将、無駄ではありませんよ。何言ってるんです」
「無駄だ。行き帰りの時間なんか無駄だ。ついでにナディと離れている時間ほど人生にロスを感じる無駄な時間はない」
馬を思いっきり駆けさせたいが、隊列も長く置き去りにする訳にもいかない。
「つくづくこんな役職いらねぇって思ってしまうよ」
「お言葉ですが、平の兵士でもいきなりかけていくと逃亡と思われますよ」
「逃亡?!いいねぇ…ナディと愛の逃避行…ま、逃げるものなんかないんだけどさ」
「そんな事言ってると、そのナディさんに逃げられ――ヒィッ!」
「僕が何時…貴様にナディの名を口にしていいと許可を出した」
チリチリと冷気を纏った電撃の魔法がうっかり口を滑らせた兵士の喉元をマフラーのように覆う。
「無駄口は命取りになるぞ?」
「は。はい」
★~★
リヒテン子爵家ではアルドフにフライアが問うていた。
「ここにあった雑巾知りません?」
「雑巾ですか…さぁ」
「新しい布の織り方らしくて拭き取りやすかったんだけどな」
ちょっとしたテーブルへの水溢しを拭き取り用に使っていた布巾兼雑巾。
事実を知らない事が幸せである事もある。
「もうダメだ。なんでこんな所に足止めをされなきゃいけないんだ!」
「エスティバス少将。落ち着いてください!」
「誰か!アルドフ中佐を呼びに走ってくれ!」
いつもの戦法であれば、問答無用で制圧をしてきたが今回ばかりはそうもいかない。ガネン王国軍はヴォーダンが合流する事を知ると侵攻を止め、侵して設営していた陣地を引いた。
撤退をするのではなく、自国の領土内で見回りを始め国境線を超えるどころか手を伸ばせば指先が境界を犯すのにギリギリまで来て挑発をするだけになった。
ガネン王国の領土内で行なう事に文句をつけられるはずもなく、明らかにヴォーダンが別の拠点に配置換えされるのを待っているのだ。
「仕方ない。奥の手を使うか」
「奥の手?そんなのあるのか?」
「アルドフ中佐から預かったこのハンカチを使う」
とても武器にも防具にもなりそうにない1枚のハンカチ。
但し使うのは白旗を挙げるためではなく、ヴォーダンを落ち着かせるためである。
但し、真っ白ではない。模様なのかシミなのか。生活感溢れる逸品だった。
「少将!アルドフ中佐から差し入れです」
「アルドフから?」
手渡された小さな箱。アルドフからとは言え検閲をしなければならないので開封はされている。
ピクリとヴォーダンのこめかみがヒクついた。
「こっ!この香りは!!」
箱を開封するとヴォーダンは当たりの空気を一気に吸い込む。
「はぁぁ♡癒される…リヒテン子爵家の香りだ」
ヴォーダンの嗅覚は砂漠を超えた遠い国にいる「ゾウ」と呼ばれる鼻の長い大型の動物並。軍用犬の倍の嗅覚をもつゾウと同じなので姿は全く見えなくても敵の位置を嗅覚で感知するという離れ業も持ち合わせている。
箱に詰められていたのは品だけではなくリヒテン子爵家の香りも僅かに残っていて余すところなくヴォーダンは吸い込んだのである。
そして…ガサガサと包みを開くと…。
「ファァァ♡ナディのハンカチだ!」
<< ナディ?! >>
まだヴォーダンが結婚した事を知らない部下もいる。
どこに敵が潜んでいるかもわからないので、弱点となりうる家族、特に妻や子供の所在は同じ軍の中にいても秘匿される事が多い。
「これであと2週間は頑張れるぅ♡ナディ…ナディが使ったかと思うと感慨深い…(すんすん)はぁぁ♡いい香り~堪らんっ」
ハンカチから思い切り繊維まで吸い込む勢いで肺の奥深く、ヒダの細部にまで行き渡るような深呼吸を数回繰り返したあとヴォーダンは「一旦引く。殿下の所に行ってくる」と言って陣地をフラフラ出て行った。
ヴォーダンと数人の兵士は土煙を挙げて馬に騎乗し夕方になっても戻っては来なかった…のだが。
その2日後、国境線を踏み超えて再度動きを見せてきたガネン王国軍は一網打尽となった。
「どうして…」
「さぁ、どうしてだろうね。スパイスは必要だけど僕の部隊にスパイは要らないからじゃないかな」
捕縛されたガネン王国軍の兵士たちの前でポツリと呟いた副官の肩に手を置いたのはヴォーダン。
「わ、私がスパイ?!とんでもないっ!」
「飛んではいないよな。羽根はないからな。飛んで飛んでと飛びたいか?」
「違います!私はっ!信じてください!」
「僕も違うと思いたいし信じたいのは山々なんだよ。知らなかった方が幸せでいられただろうし」
ヴォーダンが向かったと連絡が途端に動きを止めたガネン王国軍。遠くから観察するにしても「お偉いさんが来た」事は解っても敵に誰が来たかまでは知られていないはず。なのに知っていた。
ヴォーダンだから動きを止めたのだ。内通者がいるだろうとヴォーダンもしばらく様子を見たが動きが無い。フライアに会えない事も相まって苛ついていたのは事実で、魔力も駄々洩れ。
ハンカチの香りを吸い込んだ事で落ち着きを取り戻したように見せて、幕僚長でもある殿下に今後の伺いを立てると場を離れる。ガネン王国軍もこのままだと食料も底をつき兵士が動かなくなるので動きが早かった。
「さぁ、これでナディの元に帰れるッ何しようかな~フフンフン♪」
超ご機嫌になったヴォーダンは、やっと戦地から帰国の途についたが途中でメゼラ王国に寄り道をするのは当然の事。
「はぁ…こんなに無駄な魔力はあるのに転移だけは出来ないとはなぁ」
「少将、無駄ではありませんよ。何言ってるんです」
「無駄だ。行き帰りの時間なんか無駄だ。ついでにナディと離れている時間ほど人生にロスを感じる無駄な時間はない」
馬を思いっきり駆けさせたいが、隊列も長く置き去りにする訳にもいかない。
「つくづくこんな役職いらねぇって思ってしまうよ」
「お言葉ですが、平の兵士でもいきなりかけていくと逃亡と思われますよ」
「逃亡?!いいねぇ…ナディと愛の逃避行…ま、逃げるものなんかないんだけどさ」
「そんな事言ってると、そのナディさんに逃げられ――ヒィッ!」
「僕が何時…貴様にナディの名を口にしていいと許可を出した」
チリチリと冷気を纏った電撃の魔法がうっかり口を滑らせた兵士の喉元をマフラーのように覆う。
「無駄口は命取りになるぞ?」
「は。はい」
★~★
リヒテン子爵家ではアルドフにフライアが問うていた。
「ここにあった雑巾知りません?」
「雑巾ですか…さぁ」
「新しい布の織り方らしくて拭き取りやすかったんだけどな」
ちょっとしたテーブルへの水溢しを拭き取り用に使っていた布巾兼雑巾。
事実を知らない事が幸せである事もある。
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