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「痛っ…痛い」
「当たり前だろう。だがこの程度なら随分と手加減をしたもんだな」
「手加減っ?こんな事になっているのに?」
「お前、生きてるじゃないか。半分でも力を出してたら死んでるぞ」
「嘘だろ‥‥一撃でこんなになってるのに」

カインはどちらかと言えば文系。剣は侯爵家の当主となるため嗜みより少し出来る程度だったため、隣国の黒騎士の噂は都市伝説のようなものだと思っていた。
騎士科の生徒はそれが実在する人物で、誇張されている部分はあるもののおおむね本当の事だと知っていた。なので卒業式に出席をした騎士科の卒業生や在校生代表は未だに興奮しているくらいである。

「俺、どうなるんだろう」

処置が終わり、牢に併設されている騎士団の医務室でカインは項垂れていた。
カチャカチャと医療器具を洗浄用の箱に移しながら医師は気の毒そうに「初見はしてやるから」と言った。
通常考えて、国王の前で剣を抜くだけでも大問題。家が取り潰されてもおかしくはない。
それを国王の護衛の剣にストッパーがない事を知っていて抜き取り、関係のない卒業生の中にいたというだけで女子生徒の首に剣を突きつけてしまった。

医師が初見をしてやると言ったのは、処刑された後に検視をしてやるという意味である。

思い返してみれば、シェリーに告白をしてからはただ坂道を転がるように全てが上手くいかなくなった。
ティフェルの事が嫌いだったわけではない。目が覚めたからそう思っているのではなく、元々ティフェルの事は好きだった。近くにいるのが当たり前すぎたのかとも考えた。

「では、まぁありきたりの事だが調書を取っておこうか」
「先生がしてくれるんですか」
「騎士たちも暇じゃないんでね。出来る事は先にしておけば負担が減るだろう」

テーブルに向かい合わせに座ると名前と年齢、生年月日から聞かれる。
大人しく素直に答えていくカイン。ペンが紙を走る音だけが聞こえる。

「で、どうして卒業生なのに講堂に入らずあのような事を?」
「ティフェルを助けなきゃと思って」
「ティフェル?ジェイス伯爵家の?何でまた。君に助けを求めたのか?」
「いえ、でも判るんです。家の為にいやいや嫁がされるんだろうって思って」
「ふむ。なるほど。それで?」

「だけど話をしようとしたらあの女が邪魔をしてきて。いつもいつも…そう!邪魔ばかりしてくるんです」

「あの女?君の奥方ではないのか?」
「そうなんですけど」
「君が望んだ女性だと聞いたが、この記述は間違いなのかな」
「間違いじゃないんですけど…今は嫌いなんです。前は好きだったけど…」
「そしたら、その奥方が邪魔をしなければジェイス伯爵令嬢を斬るつもりだったか」
「違います!そんなことしません」
「では剣は持ち込んだものではない…と…」
「持ち込んでいません」

「だが、剣を向ければ‥‥意味は判るよね?立派な殺人未遂だ。過失ではなく意思があったとみなされるよ。何と言っても剣は他人が帯剣している物を抜いたんだろう?」

カインは「はい」としか返事が出来なかった。冷静になればなるほど自分のした事が思い出される。
医師は温かい茶を出してくれた。

「ここからは調書には書かないけど、婚約者がいてどうしてその女性に?私はジェイス伯爵家のお嬢さんをよく知っているが気立ては良いし美人だし…侯爵家にも行って頑張ってたと思うんだがね」

「判らないんです。挨拶をした時‥‥時間が止まった気がしたんです」
「一目惚れという事か。人を好きになるのは誰にも止めることはできないからね」
「時々見かけるようになって…いつもフェルと一緒で可愛いなぁって見てたんです」
「見てるだけでどうしてやめなかった」
「抑えきれなくなって‥‥そこからは…フェルに隠れて会うようになって。会う時間を作るためにフェルとの約束を使ってました。そしたら気が付いたら約束の時間を過ぎてて謝ったら、仕方ないですって言うからどんどん…」

「そんなに婚約者を扱うのだったら何故婚約解消をしなかった」


ハッとしか顔をしてカインは立ち上がった!
そして一頻り大声で笑うと、「そうか、そうだったんだ」と一人で納得をしている

「どうしたんだ?いったい…」

「色々と間違ってました!」
「そうだろうね。婚約を解消してから告白をすれ―――」
「フェルと結婚すれば良かったんです。で、シェリーを愛人にすれば丸くおさまった!」
「は?」

医師は50代だからだろうか。最近の若い者の考えている事はよく判らないなと思う事はあったが、結婚についてはさほど昔と価値観は変わらないと思っていたのだが・・・。

「フェルは何でも許してくれるし、何でもやってくれて困っていれば助けてくれる。隣にいればそれだけで人が寄ってきて……マナーも勉強も何もかもフェルの方が上なんです。だから侯爵夫人に相応しい。

シェリーも確かに可愛いんですけど…何と言うかフェルは美人で…シェリーは癒し系というでしょうか。ただシェリーは汚いし臭い。フェルと結婚をして、シェリーを愛人にしてあの臭いニオイや酷いマナーをフェルがシェリーに教えれば良かったんですよね。そしたら妻と愛人が共に俺を支えてくれたんだ。あ~‥‥なんで今頃気が付くかな」

「いや、それは今じゃなくてもダメだろう。そんな事を許してくれる妻などいないし、愛人も妻に教えを乞うなんてするはずがないじゃないか」

「大丈夫です。シェリーはもう一緒にいなくていいんです。俺には不要なので」


呆れてしまった医師だがそこに助け船がやって来た。
カインに面会だという。誰だと聞けば「妻」を捕縛した騎士で合わせろと手に負えないというのだ。一目カインの無事を確認しなければ聴取に応じないと暴れるのだという。

「奥方が来ているそうだが、会うかね?」
「は?あんな顔だけ可愛い女なんてもう要りません。帰ってもらってください」

気だるそうに言うカインだが、医師は「連れて来てくれ」と言った。
仮にも新婚夫婦である。蜜月と言っても良い時期だし何か得られるかも知れないと思ったのだ。


カチャリと扉が開いて縄で繋がれたシェリーが入ってくる。カインの顔を見るなり「カイ!」と呼んで近寄ろうとするが騎士が縄を引っ張るのでつんのめってしまう。

「カイ!聞いてよ。酷いのよこの人たち!」
「は?酷いのはお前だ!お前のせいで全部滅茶苦茶だよ!」
「違うんだってば!嫌がってるのに抗生剤だからって注射するのよ?!信じられない」
「なら空気でも注射してもらえ」
「それに聞いてよ!歯もガリガリ削られて隙間が出来ちゃったわ!それに――」

カインはガンッと机の脚を蹴り飛ばすと立ち上がり、机にあった調書を思い切り投げつけて、届かなかったがペンだけがシェリーの足元に転がっていく。

「うるせぇんだよ!お前は自分が思うより健康なんだよ!」
「カイ‥‥貴方までわたくしが病弱だというのを嘘だって言うの?!」
「言っただろう。お前とはもう別れるって」
「嫌よ!ティフェルね?ティフェルにそう言えと言われたのね!許さないあの女っいらないとか言ったくせにっこそこそカイと会ってたのね!許さないわ!」


医師は手で騎士に「連れて行け」と指示をすると嫌がるシェリーを引っ張って騎士が部屋から出ていく。ため息交じりに医師はカインに言った。

「なるほどね。君は以前は優秀だったようだが今は男としても人としても最低だな」
「あんな顔だけ女なんてもう要らないんで」
「ま、2、3日地下牢で反省するんだな。その後憲兵に引き渡す」
「え?憲兵?どうして?そんな‥‥」
「やった事は重罪だからね。ま、ここの地下牢は快適だと思うよ」


医師が言ったように騎士団の地下牢は割に快適だった。沈み込みはしないが清潔な寝具。
寒くないように毛布まで付いている。
だが、ここでおとなしく過ごすつもりなど毛頭なかった。

カインは痛む右肩に手を当てて「脱獄」を決意した。
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