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お久しぶりの女性は
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――あぁ、面倒臭い――
父上が執務を他家に少しづつ売り渡しているのは何となく気が付いていた。
見慣れた商会の見積書や納品書、請求書の類が届く事が無くなったからである。
『父上、あの‥‥幾つかの商会との取引はもう止めたのですか?』
『どの商会だ』
父上の言葉が何処か引っかかる。僕が解っていたのは2つの商会の名前が見当たらなくなった事だったが「どこの?」と言う事は他にもあるという事を示す。
『ユーカリ商会とドワーフ商会ですが』
『あぁ、それなら事業権利が切れたのでもうパルカス侯爵家の手を離れた』
『切れた?期限が?有期限事業だったんですか?』
『そうなるな』
『まさかと思いますが、他にもそんな事業があると言わないでくださいよ?』
知らなかったとは言えない。そんな事を言ってしまえば「知らない方が悪い」と返されてしまう。事業は始まりがあれば何時かは終わる。未来永劫続く事業などなく見直しもあれば打ち切りもある。それらにも注意をして予算や人員の配分をしなければならないのだ。
知らなかったのはその2つとしたかったが、父上にはお見通しだったようだ。
『安心しろ。私が引退をした後はお前が引き継いでも問題ない事業だけは残してある。今の生活が続けられる程度だ。それ以上を望むなら己の力で事業を始めるなり、請け負ってくるといい』
『そんな勝手な!』
『勝手ではない。今からでも遅くはないから夫婦同伴で新規事業の開拓でもしたらどうだ。誰しもそうやって家を切り盛りしていくものだ。私もそうしてきた。親から受け継ぐ物だけやっていれば良いとわけではない。その程度は色恋に現を抜かしていても覚えているものだ』
そうだった。
カマロも結婚をしてあまり合わなくなったのはその時に当主の座も引継ぎ、遊ぶどころではなかったのだ。
しかし問題がある。
社交をするのは構わない。周囲が白い結婚だと知っていてもその間は当主夫妻としての務めは果たそうとしている。周囲はそう見てくれるからだ。
だが、ボーナスタイムとも言える結婚半年の期間はもう過ぎてしまった。
アドリアナと社交に出るのは年に2、3回。それも王家主催の物だけで事業の話をするのはご法度ではないものの良い顔はされない。
その夜会でさえ結婚した時期が社交の終わりの時期。翌年の開催はずっと先だ。
だから貴族は社交時期ではない時はそれぞれの家で茶会を開く。
その茶会に人を呼ぶための茶会も開いていない。
顔つなぎにと母上の茶会に顔を出そうにも、母上の嫁入り道具である壺をソフィーが初日に割ってしまい、母上は腹を立てたまま。僕が話しかけても半分は話を聞いてはくれず生返事ばかりだ。
完全に出遅れてしまった感は否めないが、友人に無理を言えば細君達に時間を融通してもらえて茶会は開けなくもない。しかしそうなれば更なる問題がある。
茶会など社交に精通していると思われるアドリアナはここにはいないし、そもそもでそんな社交は契約外だと断られるだろう。オプションとして別料金を払えば来てくれるかもしれないが、ソフィーが臍を曲げてしまう。
そのソフィーに夫人の代わりをしてもらうとなると、素養に問題があるのもさることながら、現段階では愛人に過ぎないので正妻でもない女を侍らせているとなればそれこそ命とり。総スカンを食らってしまう。
執務机に積み上がった書類は所謂「雛形」だ。
父上のやり方を継承し、次に書類作成する時の時間短縮にもなる。1から全てとなると公的機関に提出しても「様式が違う」と差し戻しばかりになり、書類1つ作れないと評判を落としてしまう。
その書類もソフィーが余計な事をして折角順番に並べたのに滅茶苦茶になってしまった。
雛形の書類ほどではないが処理しなければならない書類もある。
9割がソフィーの買い物に関係するもので、残りは僕についている使用人の賃金など。
僕は否が応でも後ろがもうない現実から目を背ける事が出来なくなった。
なんせソフィーの買い物。これらは僕の私費から出ているのだがたった半年でもう2割も残っていない。
父上から引き継ぐ事業など幾つもない。
これでは今よりさらに使用人を減らし、倹しい生活をせねばならなくなってしまう。
頭を抱える僕の元に能天気なソフィーがやって来て「買い物に行きたい」と言う。
――本当にもう勘弁してくれ――
そして
――あぁ、面倒臭い――
何もかも嫌になり、ソフィーについて買い物に行ったのだ。
気乗りなど全くしない。
目の前でどうしてこうも笑っていられるんだとソフィーを見てため息が出る。
「ねぇ、リオ。見て。この帽子って可愛くない?あ、でもこっちも可愛い~」
「そうだね。とっても似合ってるよ」
「もぉ!まだ被ってないでしょう?」
「そうだったか?じゃぁ被って鏡の前に立ってごらん。店員が褒めてくれるよ」
女の買い物に付き合う事ほど時間の無駄はない。
――こんな事をしてる場合じゃないのに――
気ばかりが焦ってしまう。
ソフィーが帽子を選んでいる間、僕は待合のテーブルを占拠し椅子に腰かけて窓の外を見た。
街を見ていると不景気ではないのだ。
何らかの事業が始められるはずだ、そんな事を考えていると窓の外に見知った顔を見つけた。それも1人、2人ではない。10人以上だ。
全員がかつてパルカス侯爵家で働いていた使用人達だった。
何をしているかと思えば貸店舗の札がショーウィンドウに飾られている店にぞろぞろと入っていく。扉を開けて会釈をしているのは不動産の仲介商会の男だ。
――何人もいれば知恵でも出たか?初心者が商売など失敗の元だ――
しかし、貸店舗を遮るように1台の馬車が止まった。
ずっと停車していると後から来た馬車の走行の邪魔になる。人間を降ろしたのか馬車が動き出した。
「えっ…嘘だろ」
そこには背の高い美丈夫な男の隣で不動産の仲介商会の男に何か説明を受け、通りの向こう側とその反対側、そして店舗の説明を受けているアドリアナがいたのだ。
――なんて可愛いんだ。まるで別人じゃないか――
頬を張った日。あの日はアドリアナと初めて顔を合わせた日だった。
それよりも前に何処かの夜会ですれ違った事はあったかも知れないが、記憶に残っていないという事はその程度の女だったという事だが、今はどうだ?!
身に纏っているドレスも派手過ぎず地味過ぎず。
帽子を選んでいるソフィーの陳腐な恰好など足元にも及ばない。
小ぶりな帽子を少し斜めに被り、アドリアナは貴婦人となっていた。
貸店舗の中に入り、人が中で動いているくらいしか判らないが、またぞろぞろと人間が外に出て来てかつての使用人達がアドリアナを囲んで談笑している風景を見た。
そして馬車がまたやって来て、動き出すとそこにいたのは美丈夫とアドリアナ以外だった。
かつての使用人達も1人、2人と去っていく。
残ったのは不動産の仲介商会の男。
僕は席を立ち、店の外に飛び出すと右と左両方からやって来る馬車の間を抜けて向かいの店舗に駆け込んだ。
「どうされました?」
「今っ!今、何をしていたんだ?!」
「何をって…この店舗を買い上げたいと仰るので内見をしておりましたが?」
「買い上げっ?内見?!」
「えぇ。ロカ様よりお話が御座いまして。まだ検討中との事なので先に手付を売って頂ければ融通致しますよ」
「ロカ公爵がこの店を?」
「いえ、お店を出されるのはカレドス家のお嬢様です。ロカ様は保証人になって下さるのですよ」
「なんだって?!」
揉み手で僕に話しかける不動産の仲介商会の男だったが、そんなのはどうでもいい。
――僕に黙って何をしようと言うんだ?――
僕に、いや、パルカス侯爵家にアドリアナが何をしようと報告の義務がないのは解っている。しかし通りを挟んだ向こう側。窓から見えるソフィーを見て僕は吐き気がした。
余りにも違い過ぎる。
――僕は、何を見誤っていたんだ!――
僕に相応しいのはソフィーではない。アドリアナだ。
たった半年で女だてらに店を出せるまでになっているのなら、父上から引き継ぐ事業もほとんどない僕の手助けも十分に出来るはずだ。
着飾り媚びを売るソフィーを僕はもう以前のような気持ちで見る事は出来ないと感じた。
父上が執務を他家に少しづつ売り渡しているのは何となく気が付いていた。
見慣れた商会の見積書や納品書、請求書の類が届く事が無くなったからである。
『父上、あの‥‥幾つかの商会との取引はもう止めたのですか?』
『どの商会だ』
父上の言葉が何処か引っかかる。僕が解っていたのは2つの商会の名前が見当たらなくなった事だったが「どこの?」と言う事は他にもあるという事を示す。
『ユーカリ商会とドワーフ商会ですが』
『あぁ、それなら事業権利が切れたのでもうパルカス侯爵家の手を離れた』
『切れた?期限が?有期限事業だったんですか?』
『そうなるな』
『まさかと思いますが、他にもそんな事業があると言わないでくださいよ?』
知らなかったとは言えない。そんな事を言ってしまえば「知らない方が悪い」と返されてしまう。事業は始まりがあれば何時かは終わる。未来永劫続く事業などなく見直しもあれば打ち切りもある。それらにも注意をして予算や人員の配分をしなければならないのだ。
知らなかったのはその2つとしたかったが、父上にはお見通しだったようだ。
『安心しろ。私が引退をした後はお前が引き継いでも問題ない事業だけは残してある。今の生活が続けられる程度だ。それ以上を望むなら己の力で事業を始めるなり、請け負ってくるといい』
『そんな勝手な!』
『勝手ではない。今からでも遅くはないから夫婦同伴で新規事業の開拓でもしたらどうだ。誰しもそうやって家を切り盛りしていくものだ。私もそうしてきた。親から受け継ぐ物だけやっていれば良いとわけではない。その程度は色恋に現を抜かしていても覚えているものだ』
そうだった。
カマロも結婚をしてあまり合わなくなったのはその時に当主の座も引継ぎ、遊ぶどころではなかったのだ。
しかし問題がある。
社交をするのは構わない。周囲が白い結婚だと知っていてもその間は当主夫妻としての務めは果たそうとしている。周囲はそう見てくれるからだ。
だが、ボーナスタイムとも言える結婚半年の期間はもう過ぎてしまった。
アドリアナと社交に出るのは年に2、3回。それも王家主催の物だけで事業の話をするのはご法度ではないものの良い顔はされない。
その夜会でさえ結婚した時期が社交の終わりの時期。翌年の開催はずっと先だ。
だから貴族は社交時期ではない時はそれぞれの家で茶会を開く。
その茶会に人を呼ぶための茶会も開いていない。
顔つなぎにと母上の茶会に顔を出そうにも、母上の嫁入り道具である壺をソフィーが初日に割ってしまい、母上は腹を立てたまま。僕が話しかけても半分は話を聞いてはくれず生返事ばかりだ。
完全に出遅れてしまった感は否めないが、友人に無理を言えば細君達に時間を融通してもらえて茶会は開けなくもない。しかしそうなれば更なる問題がある。
茶会など社交に精通していると思われるアドリアナはここにはいないし、そもそもでそんな社交は契約外だと断られるだろう。オプションとして別料金を払えば来てくれるかもしれないが、ソフィーが臍を曲げてしまう。
そのソフィーに夫人の代わりをしてもらうとなると、素養に問題があるのもさることながら、現段階では愛人に過ぎないので正妻でもない女を侍らせているとなればそれこそ命とり。総スカンを食らってしまう。
執務机に積み上がった書類は所謂「雛形」だ。
父上のやり方を継承し、次に書類作成する時の時間短縮にもなる。1から全てとなると公的機関に提出しても「様式が違う」と差し戻しばかりになり、書類1つ作れないと評判を落としてしまう。
その書類もソフィーが余計な事をして折角順番に並べたのに滅茶苦茶になってしまった。
雛形の書類ほどではないが処理しなければならない書類もある。
9割がソフィーの買い物に関係するもので、残りは僕についている使用人の賃金など。
僕は否が応でも後ろがもうない現実から目を背ける事が出来なくなった。
なんせソフィーの買い物。これらは僕の私費から出ているのだがたった半年でもう2割も残っていない。
父上から引き継ぐ事業など幾つもない。
これでは今よりさらに使用人を減らし、倹しい生活をせねばならなくなってしまう。
頭を抱える僕の元に能天気なソフィーがやって来て「買い物に行きたい」と言う。
――本当にもう勘弁してくれ――
そして
――あぁ、面倒臭い――
何もかも嫌になり、ソフィーについて買い物に行ったのだ。
気乗りなど全くしない。
目の前でどうしてこうも笑っていられるんだとソフィーを見てため息が出る。
「ねぇ、リオ。見て。この帽子って可愛くない?あ、でもこっちも可愛い~」
「そうだね。とっても似合ってるよ」
「もぉ!まだ被ってないでしょう?」
「そうだったか?じゃぁ被って鏡の前に立ってごらん。店員が褒めてくれるよ」
女の買い物に付き合う事ほど時間の無駄はない。
――こんな事をしてる場合じゃないのに――
気ばかりが焦ってしまう。
ソフィーが帽子を選んでいる間、僕は待合のテーブルを占拠し椅子に腰かけて窓の外を見た。
街を見ていると不景気ではないのだ。
何らかの事業が始められるはずだ、そんな事を考えていると窓の外に見知った顔を見つけた。それも1人、2人ではない。10人以上だ。
全員がかつてパルカス侯爵家で働いていた使用人達だった。
何をしているかと思えば貸店舗の札がショーウィンドウに飾られている店にぞろぞろと入っていく。扉を開けて会釈をしているのは不動産の仲介商会の男だ。
――何人もいれば知恵でも出たか?初心者が商売など失敗の元だ――
しかし、貸店舗を遮るように1台の馬車が止まった。
ずっと停車していると後から来た馬車の走行の邪魔になる。人間を降ろしたのか馬車が動き出した。
「えっ…嘘だろ」
そこには背の高い美丈夫な男の隣で不動産の仲介商会の男に何か説明を受け、通りの向こう側とその反対側、そして店舗の説明を受けているアドリアナがいたのだ。
――なんて可愛いんだ。まるで別人じゃないか――
頬を張った日。あの日はアドリアナと初めて顔を合わせた日だった。
それよりも前に何処かの夜会ですれ違った事はあったかも知れないが、記憶に残っていないという事はその程度の女だったという事だが、今はどうだ?!
身に纏っているドレスも派手過ぎず地味過ぎず。
帽子を選んでいるソフィーの陳腐な恰好など足元にも及ばない。
小ぶりな帽子を少し斜めに被り、アドリアナは貴婦人となっていた。
貸店舗の中に入り、人が中で動いているくらいしか判らないが、またぞろぞろと人間が外に出て来てかつての使用人達がアドリアナを囲んで談笑している風景を見た。
そして馬車がまたやって来て、動き出すとそこにいたのは美丈夫とアドリアナ以外だった。
かつての使用人達も1人、2人と去っていく。
残ったのは不動産の仲介商会の男。
僕は席を立ち、店の外に飛び出すと右と左両方からやって来る馬車の間を抜けて向かいの店舗に駆け込んだ。
「どうされました?」
「今っ!今、何をしていたんだ?!」
「何をって…この店舗を買い上げたいと仰るので内見をしておりましたが?」
「買い上げっ?内見?!」
「えぇ。ロカ様よりお話が御座いまして。まだ検討中との事なので先に手付を売って頂ければ融通致しますよ」
「ロカ公爵がこの店を?」
「いえ、お店を出されるのはカレドス家のお嬢様です。ロカ様は保証人になって下さるのですよ」
「なんだって?!」
揉み手で僕に話しかける不動産の仲介商会の男だったが、そんなのはどうでもいい。
――僕に黙って何をしようと言うんだ?――
僕に、いや、パルカス侯爵家にアドリアナが何をしようと報告の義務がないのは解っている。しかし通りを挟んだ向こう側。窓から見えるソフィーを見て僕は吐き気がした。
余りにも違い過ぎる。
――僕は、何を見誤っていたんだ!――
僕に相応しいのはソフィーではない。アドリアナだ。
たった半年で女だてらに店を出せるまでになっているのなら、父上から引き継ぐ事業もほとんどない僕の手助けも十分に出来るはずだ。
着飾り媚びを売るソフィーを僕はもう以前のような気持ちで見る事は出来ないと感じた。
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