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第22話   逃げるが勝ち!

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オレール村では騒動が起きていた。

パンジーがアランに攫われた日。いつもは誰よりも早く出勤してくるサンドラが来ないとヘレンが皆に理由を知らないかと聞き回った。

「寝坊してるのかな。まぁサンドラさんは皆より働くからたまには休ませてやろうや。目が覚めたら慌てて駆け込んで来るだろ」

「そうかなぁ」

ヘレンは胸になんだか物がつっかえたような心地悪さを感じたが、確かにヘレンが奉公に来る前からサンドラは休みなしで働いていたと言うから、寝坊したのかもとサンドラの分まで井戸から水を汲み上げた。

いつものように、桶に汲んだ水を手で掬って1口飲む。

「あれ?・・・なんだろ?」

ヘレンは首を傾げた。ヘレンが生まれ育った村の水は汚くて飲めたものではない。
兄弟姉妹が交代で片道15kmの山道を登り、山の中腹から湧き出る水を汲んで来るか、雨水が生活の水だった。その水も何度も布で濾して煮沸した上で臭いを我慢しながら飲んでいた。

その水とは少し違うが、昨日まで無味無臭、いや香りを気にした事は無かったし、飲み込めば体に浸潤していく感じだったのに、飲み込むのを体が拒否したのだ。

なんとか飲み込んだものの鼻を抜けていく嫌な香り。


「どうしたんだい。ヘレン」
「ジョゼフさん。なんだか・・・水が臭いっていうか・・・」
「水が臭い?どれどれ‥この水か?」

ジョゼフはさっきヘレンが手で救った桶の水を同じように手で掬って飲んだ。

「うあっ!なんだこりゃ・・・」

ジョゼフは喉を通った水も口の中に指を入れて無理矢理吐き出した。

「腐ってる・・・いや、誰か井戸の中にその辺の水を流し込んだのか?!」
「まさか!そんなことしたら水が飲めなくなるじゃないですか」
「いや、違うな。透明度はあるし、サラサラしてる・・・」
「もう一度汲み上げてみます!」

「オワァァーッ!誰か来てくれぇ!!」

ヘレンが井戸に桶を放り込むと同時に浴場を点検していた者の叫び声が聞こえた。声を聞いた者が慌てて浴場に駆け付けると、湯につかる場所には昨日、清掃が終わって湯を張って帰った。体に湯をかける流し場もブラシで擦って綺麗に片づけたはずなのに、全体から異臭が漂い、流し場の床はヌルヌル。滑りながら湯船に行くととろみのついた湯がじわじわと膨らんで少しずつ流し場に流れ出していた。

「何やってんだい!お客様に朝食を出す時間だよ!」

宿泊客に朝食を提供する時間になったと女将が怒鳴りながらやって来た。

が‥‥。

「なんだい!どうしてこんなに臭いんだい!ちゃんと掃除をしろとあれほど言ったじゃないか!」
「掃除はしました。昨晩帰る時にはいつも通りだったんです」
「いつも通りじゃないからこんな事になってるんだろう!アァーッ!もう!手分けしてここの掃除ッ!それから朝食だよ!愚図愚図してんじゃないよ!まったく!」

怒鳴る女将だったが、異変はまだ別の場所でも起こっていた。
バタバタと走ってやって来たのは調理補助をしている男性。

「大変です!食材が腐ってるんです!女将さん!直ぐに来て下さいっ」

食材として仕入れていた野菜。日持ちをさせるために土がついたままで保存をしていたのだが、その土が緑色になり野菜がブヨブヨになって持ち上げると指がニュルリと入ってしまう。

スープにする為に鍋に入れた水を沸騰させれば、とろみのついたスープのようになって湯気と共に酷い臭いが厨房の中に立ち込めていた。

「なんて事をしてくれてんだい!!食材だってタダじゃないんだよッ!」

怒り狂う女将だったが、従業員たちもどうしてこうなったか判らない。
顔を真っ赤にして怒鳴り散らす女将に怖気づいて、引継ぎにやって来た来月からの従業員は一目散に逃げだしてしまった。

「俺らの責任じゃねぇよ!俺らはいつも通りだ!」
「いつも通り?!こんな杜撰な仕事で賃を貰ってたのかい!アタシを騙してたんだね?今日の所は大目に見てやるッ!早く宿泊客の食事を用意しなッ!」
「だから、どうやって!何もかも腐ってる!沸騰させた湯だってこの有様だ!どうしろと言うんだ!」
「どうにかするのが雇われのお前たちの仕事だよ!責任転嫁してんじゃないよ。まったく」

憤慨する女将に調理長がエプロンを外し、床に叩きつけた。

「やってらんねぇ!俺は辞める!今月分の給料なんか要らねぇよ!」
「俺もだ!この状況をどうしろってんだよ!」
「そうだそうだ!俺も辞めるぞ!掃除するにしたって引き込む水もあのヌメリじゃどうしようもない!」

「ハッ!勝手にするがいいさ。ほら!ヘレン!お前がお客様の料理をするんだ!いいねッ!」
「で、出来ません!私・・・調理師の資格なんか――」
「腹に入ればなんだっていいんだよ!さっさとおし!」
「い、嫌ですっ!出来ません!何かあっても責任も取れないし嫌ですっ!」

側にいた従業員がヘレンの手を掴み、勝手口に向かって走り出した。
残れば何を任されるか判らない。辞める日が数日早くなっただけ。確かにほぼ1か月の給料は勿体ないが、残る事でどれだけの仕事量になるか。

従業員はあっという間に逃げ出して女将だけが取り残された。

「チッ!まぁいいさ。今日の客は朝飯なしにすりゃいいんだから」

前回も募集をかければ働きたいと言う人間は多くやって来た。また募集をかければ今日の昼にでも人は集まる。1日の休業は痛いけれど従業員の給料を払う必要が無くなったのだからと女将はほくそ笑んだ。


「なんだ?この臭いは・・・」
「痒いよぅ・・・ママぁ…痒いよぅ」
「痛いッ!!なんなの!!キャァァ!!」

客室に配った水差しの水を飲んだり、顔を洗うのに洗面所にやって来た客が騒ぎ始めた。誰かに客の対応をさせようにも従業員は1人もいない。

仕方なく女将が客の前に行くと、洗面所で顔を洗ったという男性が顔を拭いたタオルを投げつけて来た。悲鳴を上げた女性も洗面所から飛び出してきた。

顔を洗ったからなのか。顔が魔獣毒に触れたようになって爛れていた。

女将は客の剣幕に脱兎の如く逃げ出したが、今度は女将の夫である領主の屋敷に怒り狂った客が押し寄せた。

朝、顔を洗った者は魔獣の体液で顔を洗ったも同然で、治るかどうかも判らない。水差しの水を飲んでしまった者は暫くは下痢と嘔吐が続き、その後回復するかも判らないと診断をされ、女将と領主が貯めに貯めた金は全て補償として差し出し、足らない分も持ち出しとなった。

「そのまま水を引き込んでいたんですか?!なんて無謀な事を・・・」
「今まで何の問題も無かったんです。突然なんです!」
「そんなわけがないだろう!怪しい薬を混ぜてたんじゃないのか?規定容量を超える薬品などだ!」
「そんな金のかかる事するわけないでしょう!」

女将の言い分には誰もが呆れてしまった。


騒ぎはサンドラがいなくなった日だけに留まらず、翌日どころか時間が経つにつれて悪臭がオレール村全体を覆っていった。ただ、魔獣の体液で国土のほぼ全てが汚染されているバルバトル王国では異臭は珍しいものではなく、「いつもの香り」と客は押し寄せて来る。

しかし宿屋レフトも食堂ライトも「臨時休業」の札がかかり引き返していった。

翌日には道の脇に生えていた草も枯れて、数年前、サンドラが来る前の静かなオレール村に姿を戻していった。
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