あなたは愛さなくていい

cyaru

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第12話  心の瘡蓋

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「久しぶりに嫌な事を思い出しちゃった」

気持ちが乱れたままでは薬草を煎じる気分にもなれずファティーナは床に落ちたシルヴェリオが使ったシーツを桶に入れると井戸から水を汲み上げてその中に浸け込んだ。

気持ちを落ち着かせようと茶を淹れるが、もう忘れた事、過去の事だと思っても手が震えて茶器がカチャカチャと音をさせる。

まだアロンツォの婚約者だった頃、教会にやって来る貧しい者に炊き出しをした事がある。縄張りだのなんだのと難癖をつけてきた破落戸相手に啖呵を切った時は平気だったのに、破落戸が去った後は手足がガクガク震えて言葉もまともに喋れなかった。

大声で啖呵を切った訳ではないのに、心の奥底に沈殿した過去の想いがかき混ぜられた気がして、心なしか心臓の拍動も早い気がした。


「参ったわね。もうあんなに大きくなったんだわ」

震える手のひらを見ていると、在りし日の温もりまで感じてしまう。
ファティーナはシルヴェリオの事を知っていた。と、いっても今日よりも前に会ったのはもう13年も前の事。

王都でに見たシルヴェリオはまだ3歳になったばかりだった。

シルヴェリオが生まれた時、ファティーナは12歳。本当の弟のようでとても可愛くシルヴェリオはファティーナの姿が見えないと大泣きしてしまうので、何時も側に居た。

領地に行かねばならず留守にした時も戻ってくれば正門の前でメイドに手を引かれてファティーナの帰りを待っていた。馬車が見えると走り出してしまうので馬車の急停車で「あぁ到着した」と転寝うたたねをしていても気が付いたものだ。

『あのね。僕、大きくなったら姉様の事をお嫁さんにするんだ』
『それはダメよ?兄様はどうするの?』
『兄様はいいよ!僕の方が姉様のこと、大好きなんだ』


幼いシルヴェリオの言葉に表も裏もない。ただその言葉を真に受けるほどファティーナも子供ではなかった。家族愛のようなものだと弁えていたので3歳の幼児相手とは言え「約束」をする事はなかった。

シルヴェリオが病気だといった母親も知っている。
あの日、ファティーナの頬を打った公爵夫人だ。

「もう恨む気持ちも忘れたと思ったのに…」

この13年間。ファティーナは当初は第1王子サミュエルの使わせた従者達にも手伝ってもらい、この小さな家を修繕した。

小さな家のある場所は隣国のヘゼル王国の領土内にあり、サミュエルがヘゼル王国の国王と話を付けてくれたものだ。他国に位置するためサミュエルが結界を張り侵入者を防ぐには許可を得る必要もあった。

やっと小さな家が住めるようになった頃、ヘゼル王国内で最初の黒斑病の患者が出た。
黒斑病の潜伏期間は約1か月と長いが、早急に手を打つ必要がありサミュエルを通してファティーナに薬の精製をしてくれと依頼が来た。

魔導士でもあるファティーナは植物、特に薬草を扱う術に長けていた。
シード伯爵家の領地で採取できる薬草が飛びぬけて性質も効能も良かったのは一族が適していたからだとも言える。

潜伏期間の間に薬を行き渡らせる事が出来たため、黒斑病の死者は最小限で押さえる事が出来たし蔓延も防ぐ事が出来た。ヘゼル王国の国王はファティーナに感謝をし、小さな家一帯がある森をファティーナに褒美として与え、ヘゼル王国の魔導士によりその森の周囲は「幻覚・幻惑」で守られることになりサミュエルの結界は必要が無くなった。

「ファマシィ・ファティ」と看板をあげてファティーナは薬を作る事で倹しく暮らしてきた。

作った薬を週に一度訪れるヘゼル王国の従者に渡し、食料品や消耗品の雑貨を受け取る。

欠損した四肢を元通りにしたり、医者に見放された者達は依頼があれば無償で対応をした。その数は決して多くない。

何故なら「ファマシィ・ファティ」はヘゼル王国の魔導士により守られているため、辿り着くには条件を満たす必要がある。

先ずは病人や怪我人はもう動ける状態ではないので「助けたい」と強く、それだけを願う者がやって来る。私利私欲関係なく「助けたい」との思いが強ければ森への入り口になる二股になった大きな欅の木が見える。

その先は抱いた思いに迷いがないか。困難に当たると強い思いも挫けることがあるため試される。なので森の中で彷徨う事になる。

また同じところじゃないか!と短気を起こしなげやりになってしまえばそれまで。
助けを求める病人、怪我人の身になってみればそんな試練は止めて欲しいと思うかも知れないが、頼まれる側のファティーナは善意だけで治療や治癒を行う。片手間で出来る事ではない。

継続する強い気持ちと、その後を考えてのこと。

助けてやりたい、支えてやりたいと思うの誰しも持つ気持ちだが、その気持ちを私欲のために利用しようとしたり依存する者がいるのも事実。共助と依存は違うのだから線引きをする為の試練である。

ファティーナが助けようと思えば週に一度薬を受け取りに来るヘゼル王国の従者と共に依頼者の家に向かう。拒否すればファティーナを守るヘゼル王国の魔導士の力により街道の目印を見つけた場所まで戻される。但し瞬きをしたり、視線を逸らせれば目印の二股の大きな欅の木は見えなくなる。

2度目が見えるかは誰にもわからない。


シルヴェリオが森に入る入り口を見つけたのは母親を助けたい思いが純粋で強かったから。彷徨いながらも思いは消えなかったが動く事が出来なくなった。だからファティーナはシルヴェリオを助けた。

ファティーナがシルヴェリオの頼みを断わった理由は2つ。

1つ目は金さえ払えばという気持ちが見えてしまったこと。
2つ目は私怨だ。

久しく自身の感情が乱れた事はなかった。
もう癒えたかと思った傷はまだじくじくとした瘡蓋だったと思い知らされる。
思い切り瘡蓋を剥がされ塩を塗りこまれた、そんな痛みをファティーナの心が感じてしまったのである。

シルヴェリオに罪があるわけではない。それはファティーナにも判っているが心の動揺だけはファティーナもどうしようもなかった。だから恨み言のように「ファティーナ・シードに何をしたか」と口走ってしまったのだった。
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