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第二章 獣人の国バネーゼ
第三話 成長
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朝食の後片付けが済むと、サリーは出かける用意をする為に自室へ向かう。
ミリアとクロノは、特に用意する物もない。
サリーの準備が整うまで、椅子へ腰掛け待機する事にした。
クロノは部屋の中をキョロキョロと見回している。
「何か探しているの?」
尋ねたが、クロノは首を横に振った。
そして視線をこちらに移すと、質問を一つ投げかけてきた。
「なんでここは、暗くないの?」
暗闇しか知らないクロノにとって、一番聞きたい事だった。
なぜ明るいのか疑問だったのだ。
あまり聞き慣れない質問に対して、どう答えたら良いか少し悩む。
ーーなんて答えたらいいかな。
考えを巡らしている内に、窓辺から差し込む朝日が目に入る。
「クロノ、こっちにおいで」
ミリアは席を立ち、クロノを窓辺に誘った。
窓から外を見る。
この家が高台に建てられているのが分かる。
なぜなら眼下に広がる大きな街が、ここからよく見えからだ。
先程サリーが言っていた街は、想像していたより大きい街だった。
ーー綺麗な街並み。
屋根が赤色に統一されている。
ミリアは本来の目的を忘れて見惚れてしまった。
「どうしたの?」
声をかけられ、ハッとする。
ーーいけない。私ったら。
傍らにいるクロノに視線を落とす。
クロノは急に動かなくなったミリアを見て、怪訝そうな顔をしている。
「ごめんね。ほら、上を見て。あんまりジッと見たらダメだよ」
そうやって太陽を指し示した。
クロノは指の先にある光を、目を細めながら見た。
「チカチカするね」
眩しさに、シバシバと瞬きを繰り返す。
「あの光があるから、明るいんだよ。それでね、夜になると、あの光は隠れちゃうの」
「隠れちゃうの?」
「そう。いっぱい輝いて頑張ったら疲れちゃうでしょう?だから、お休みさせてあげないとね」
「そうだね!」
クロノは楽しそうにする。
そんな姿に微笑みながら、ミリアは説明を続けた。
「太陽がお休みの間は、『夜』って言って暗くなっちゃうの」
「そうなんだ」
暗闇が怖いクロノは、残念そうに肩を落とす。
「でもね、お休みが終わったら、また明るくしてくれるの。ずっと暗いままって事は、もう無いんだよ?誰もクロノの事を閉じ込めたりしないから、ね?」
クロノのトラウマを和らげる為にも、そう言った。
クロノは考える。
そう簡単には払拭出来ることではない。
長年積もり積もった感情なのだから当然だろう。
だが、ミリアの言葉だ。
自分を暗闇から救い出してくれた事を理解しているクロノは、彼女を無条件で信頼している。
彼女が言うならそうなのだろう、と納得した。
「わかった!」
クロノは大きな声で返事をした。
クロノが元気良く返事をした所で、サリーが部屋から出てきた。
「あら?何のお話かしら~?」
戯けるような仕草をしながら、クロノを捕まえようと近づく。
「キャァ!」
奇声を上げ楽しそうに逃げ回るクロノ。
実に子供らしい行動だ。
クロノは捕まると、そのままサリーの腕に抱かれた。
「それじゃあ、行きましょうか」
彼女に促されて、ミリアも外に出た。
高台に吹く風がミリアの髪を撫でる。
サリーの家は、小高い丘の上に建てられていた。
見下ろす大きな街も、さほど遠くない。
歩いて十分程だろうか。
高台ということもあり、街を一望することができる。
「いい眺めですねぇ」
「そうだろう?この家を購入した理由の一つが、この景色さ」
サリーは自慢げだ。
これだけの眺望が拝めるなら納得だ。
しかし、購入した理由が他にもありそうな言い分だ。
それが少し引っ掛かかるが、今は綺麗な街並みを堪能した。
クロノがサリーの顔を見て喋る。
「何で全部、同じ色なの?」
景観を作り出す赤い屋根の色。
それらが何故統一されているのか、クロノは疑問を持っていた。
「何でだろうねぇ?ずっと昔から、この色に決められているみたいだけど。分からないわ、ごめんね」
他所から引っ越してきたサリーにもわからなかった。
知っているのは、この街の歴史が何百年と古いこと。
そして、昔から赤色で統一されている事。
ーー今度、族長の誰かに会ったら聞いておいてあげよう。
サリーは、そう思った。
明確な答えが返って来ず、クロノはキョトンとする。
しかし、固執することはなかった。
視界に入る目新しい物が多かったからだ。
色々な物に興味を持ち、質問は途切れる事はない。
そのうち、自ら触れたくなったのか、サリーの元をスルスルと降りた。
空の色や雲の事、草花や木々、建物などに触れながら聞いてくる。
知りたいものが沢山あって、興奮しているのが良くわかった。
その姿にミリアは思う。
ーー何も知らないんだ。あの泉の中の記憶しかないのかな。あの場所で生まれたの?でもそれは考え難いかな。
彼に記憶がない為、確かめようのない事柄。
それでもなお、クロノの生い立ちが気になった。
クロノは無邪気に草花を触っている。
そして、思い出したかの様にミリアと手元に戻ってくる。
純真無垢なその子の手を握り、横並びで一緒に歩いた。
街に入ると、人の多さに圧倒される。
露店の立ち並ぶ通りは、買い物客でごった返している。
ミリアは人混みの凄さに気後れをしてしまう。
ーーこんなにたくさん密集しているのは見た事ないわ。
そんな彼女の後ろで、クロノはワンピースに掴まり密着する。
「す、すごい人ですね」
ミリアが街を見回しながら歩く様子を見て、サリーが説明する。
「この街は、獣人の国でも一番大きい街でね。『ナイタス』って名の街で、この国の中枢なのさ。人間の国と貿易をする為にも、重要な街として発展してきたんだよ。だからここには、いろんな物資と人が集まるのさ」
その言葉通り、辺りを見渡すと、見たことのない鉱石や、食料品、日用雑貨などがあちらこちらで売り買いされている。
それらに携わる商人達の熱気が、この街の活気を作り出しているように見えた。
「ほら、見えてきた。あの大きな建物が運び屋の仕事場なのさ」
賑やかな街を歩く中、サリーが指差した。
一際大きな木造の建物が見える。
辺りは二階建ての建物が多い中、その建物は四階建てになっており、良く目立つ。
近づくとその大きさがよくわかり、見上げる程だ。
その建物についた木彫の大きなドアを開けて、サリーは二人を促し建物に入った。
とても広い空間に、木枠の箱や、何かが目一杯詰められた麻袋などが、あちらこちらに山積みされている。
広い空間の奥には、荷車を通すための大きな出入り口があった。
その手前で男達が、荷車に積み込みを行い忙しそうに動いている。
サリーは二人を連れて、積み込み作業をしている一人の男性に近づいて行く。
「カリム。ディーバは、いるかい?」
その声に反応して男性が振り向く。
「あ、サリーさんどうも。アニキなら護送で出てますよ。今日は戻ってこないかもしれませんね。そちらの二人は?」
ミリアの顔を見て思い出したのか、驚きの表情を見せる。
「良かった、歩けるくらい元気になったんですね」
「え?えぇ」
自分の事を知っているみたいだが、会ったことがない。
ーー誰だろう?知らない人だけど。
困惑の表情をしていると、サリーが話し出す。
「ミリアちゃんが魔獣に襲われた時に、この子も手助けしたんだよ」
「そ、そうだったんですね!助けていただきありがとうございました。私ミリアと申します。この子はクロノです」
紹介されたクロノは、ミリアの後ろに隠れながら小さくお辞儀する。
「私はカリムと言います。この子も無事でよかった。あれだけ冷たかったから、助からないと思ってましたよ。本当に良かったですね」
二人の無事を、彼は素直に喜んでいた。
丁寧な話ぶりに、彼の礼儀正しさが見てとれる。
彼はサリーに視線を移す。
「それで?どうしてここに?サリーさんがここに来るの珍しいですね。というかアニキが来て欲しくないだけか」
カリムは含み笑いしながら、そう言った。
サリーはここで、ミリアを連れてきた理由を、初めて明らかにする。
「ミリアちゃんなんだけど、ここで雇って欲しいの。ほら、ここ誰も掃除しないでしょう?男ばっかりだし。だから掃除係で、お仕事を紹介しようと思ってね」
雇って貰うとはどういう事なんだろう、とミリアが思っている時、痛い所を突かれたとばかりに、頭を掻きながらカリムは苦笑いをした。
「はは、確かに誰も掃除しないですからね。そうゆうことなら、二階にいる、『キシム』様にお話したらいいですよ。サリーさんの言うことなら、断ることもないでしょうし」
「そう?なら、ちょっと二階上がるわね」
「どうぞ」
そうして、サリーは階段を目指してスタスタと歩いて行く。
とりあえず付いていくしかなく、思考を巡らしながら後を追う。
ーーお手伝いと話していたが、雇うとはどうゆうことなんだろう。
そんな疑問を他所に、サリーは階段を上り始める。
何も言わないサリー。
ミリアも黙って階段を上った。
慣れた様子で、一つの部屋を目指すサリー。
軽くノックをすると、部屋に入って行く。
部屋の中には、仕立ての良いスーツを纏い、落ち着いた雰囲気を持つ獣人の男性が、机に向かい書類作業をしていた。
サリーと同じ狼族のようだが、人間に近い容姿をする半獣人だ。
獣人のディーバに比べると、体の線が細くてスーツが似合っている。
彼は部屋に入って来た人物を一瞥すると、驚いた様子で口を開いた。
「これはサリーさん、ここに来るのは珍しいですね」
珍しい訪問者に、仕事をする手を止めて三人を見る。
「ディーバなら今日は護送に出てもらってますのでいませんが、そちらの方は?」
サリーに問いかけ、ミリアとクロノに視線を移した。
「キシムちゃん、紹介するわ。この子はミリアちゃん。それでこっちがクロノちゃん」
それぞれに手の平を向けて、サリーが二人を紹介するのに合わせて、ミリアはお辞儀をした。
それを受けて、彼は自己紹介をする。
「初めまして。キシムと申します。この運び屋で、代表を務めています。お見知りおきを」
とても丁寧な口調だ。
代表を務めているだけ慣れているのだろう。
彼は緑色の瞳を輝かせて、二人をじっくり眺める。
「人間のお嬢さんとは珍しいですね。それで?どういったご用件ですか、サリーさん?」
彼は視線をサリーに戻すと、用件を伺った。
「ミリアちゃん達を雇って欲しいのさ。ほら、今クレスタとの国境周辺は、魔獣が沢山いて通れないんだろう?国に帰ることが出来ないし、帰るにも路銀がいるからね」
突如訪ねて来て、急にそんなことを言っても、彼が困るだけじゃないかとミリアは心配した。
だが、それは杞憂に終わる。
キシムは了承の意味を込めて軽く頷く。
「なるほど、わかりました。サリーさんの頼みなら、喜んでお受けします。しかし、力仕事は向いてなさそうですね?」
ミリアが女性なのを見てとると、彼は疑問符を付けた。
それにサリーの眉は吊り上がる。
「女の子に、そんな事させる気かい?力仕事じゃなくて、お掃除係で雇ってちょうだい。ここの男連中は、片付けをしないから散らかって汚いんだ。少しは掃除しな!」
サリーは右手の人差し指を向け、彼に説教をする様に言った。
それを受け、キシムはバツが悪そうに頭を掻いて苦笑いをする。
「それを言われたら言い返せませんね。わかりました、掃除係として雇いましょう。そうですね。お給金は、一日銀貨五枚でどうでしょう」
「ん、まぁそんなもんだろう。それでいいかい?ミリアちゃん」
急に話題を振られ、ミリアは戸惑う。
この短時間で、よくわからない間に雇用契約が決まったようだ。
有無を挟む余地もなく、ミリアは頷く事しか出来ない。
冷静に考えると、サリーの言う通りだ。
クレスタへ帰るにしても、お金が要る。
そのお金を稼ぐには働くしかないが、伝手など何もない。
彼女がそこまで考えていてくれたことに、ミリアは驚きと共に、感謝の念を抱いた。
「じゃあ、決まりね!明日から働けると思うから、よろしく頼むね。あ、あとクロノちゃんも、たぶん一緒について来るから大目に見てやってね」
「その子もついて来るんですか?まぁ掃除だからいいですが、ケガのないように注意してくださいね」
サリーの圧力に、キシムは言いなりだった。
小さい男の子が付いてくることに関しては、少し呆れ顔する。
だが、あっさりと了承していた。
「では、明日またここに来てください。色々準備しておきますので」
ミリアは呆気に取られていた。
突然こちらで働く事になったからだ。
そんな立場なのに、挨拶をしていないことに気付く。
ミリアは慌てて挨拶を口にした。
「私、ミリア・グランデールと申します。雇って頂き、ありがとうございます。お掃除頑張ります」
「ええ、明日からよろしくお願いしますね」
ミリアの自己紹介を、にこやかな笑顔で受けると、彼は再び書類に視線を落とした。
良く見ると、机の上には書類が何十枚も重なっている。
代表というだけあって忙しそうだ。
「では、また明日。失礼します」
別れの挨拶をして、ミリアはお辞儀をした。
ミリアの後ろに隠れていたクロノも、彼女の真似をして、小さくお辞儀をする。
視界の端でそれを捉えたキシムは、クロノに軽く手を振って応えた。
三人が出ていき部屋の扉が閉まると、彼は仕事の手を休めた。
椅子に深く腰掛け、口元に手を当て、物思いにふける。
記憶を辿っているのか、視線を俯き加減にする。
そして、溜息を一つ溢した。
「グランデール、か」
意味深げに言葉を漏らすと、窓から空を見上げた。
階段を降りながら、ミリアはお礼を言う。
「サリーさん、ありがとうございました」
「いいのよ、これからお金も必要になるだろうし。それにここの連中は、ホントに掃除なんかしないから、丁度いいのさ」
サリーは手をヒラヒラ振りながら、朗らかに答える。
しかしながら、この運び屋と言う組織において、サリーの発言権は強い。
代表のキシムとなぜ対等に話せるのか、ミリアは疑問に思っていた。
「キシムさんとは、どういった関係なんですか?」
サリーは手振りを交えて応える。
「あの子が、こんな小さい頃から知っててね。ディーバの幼なじみなのさ。この運び屋も、あの子と息子が始めた事業だからね。おばさんでも、多少の融通は効くのさ」
含み笑いをしながら、少し悪い顔をする。
なるほどと思うや、サリーの顔が可笑しくて笑いそうになる。
しかし笑いを堪え、真面目にお礼を述べる。
「ありがとうございました。明日から頑張って働きます」
それを見ていたクロノも、サリーに宣言する。
「クロノもがんばる」
内容など分かっていないが、ミリアの真似をしたかった。
その姿にサリーは恍惚の表情を見せる。
「もぅ、クロノちゃんは可愛いわねぇ」
そんな和やかな雰囲気のまま、運び屋を後にした。
建物を出ると、サリーが問いかける。
「ついでに、買い物をしてもいいかしら?」
「もちろんです。何を買いに行くんですか?」
ミリアは食材の買い足しだろうと思った。
クロノがまだ幼いとはいえ、二人分増えたのだから、その分買い足さなければ足りない。
「魚とか野菜との食材と」
予想通りの答えに、ミリアは申し訳なく思っていると、その後の言葉に引っかかる。
「あと、服も買わないといけないね」
「服、ですか?」
ミリアが疑問に思っていると、サリーは理由を述べた。
「そう。ミリアちゃんの着てたローブは、背中を引き裂かれてて直しようがなくてね。新しいの買わないと」
サリーが服の話題に触れた事で、今着ているワンピースが借り物だと思い出す。
「この服、勝手に着てすみません!それに、この服を貸してくださるなら、新しい服を買っていただかなくても大丈夫ですから」
早口で捲し立てるミリア。
落ち着けるように、笑いながらサリーは口を開く。
「それ私のサイズだからブカブカでしょ?ほら、胸元なんて緩々じゃない。急に脱げちゃっても困っちゃうわよ。良い年頃なんだから、小綺麗にしとかなきゃね」
そう言われるが、自分のためにお金を使わせるのが申し訳ない。
見栄えなど気にしなくてもいい。
ミリアは食い下がった。
「この服で大丈夫ですから。サリーさんにこれ以上負担をかけたくないんです。これだけ良くして下さってるだけでも、すごく感謝してるんです。だから」
そう言いながら、涙がこみ上げてくる。
自分に優しくしてくれるサリーの温かみに、言葉が詰まってしまう。
ーーなんだろうね。この子は他人に良くして貰う事に慣れていないんだろうか。
そう思ったサリーは、ミリアにそっと近づき頭を撫でる。
「泣かないの。私がそうしたいんだから、ミリアちゃんは甘えたらいいのよ。みんな一人で生きてはいけないからね。『困った時は助け合い』だよ?」
「でも」
ミリアは他人に優しくされた記憶が極端に少ない。
物心が付いて、すぐに軟禁状態に置かれたからだ。
人の好意に触れる経験が乏しかったからこそ、自分には他人に良くしてもらうほどの価値がないと、思い込んでいた。
だからこそ今回も過敏に反応をし、取り乱してしまう。
彼女の頭を優しく撫でながら、サリーは諭す様にゆっくりと話す。
「いつか私が困っていたら、その時助けてくれたらいい。私じゃなくて他の人でもいい。私が貴方にした様に、いつかできるようになってくれたら、私は嬉しいわ」
自分の娘に生き方を教える様な言葉だった。
ミリアは教会へ追いやられた時に、ずっと一人で生きて行かなければならないと思っていた。
誰にも頼れず、頼られることもない孤独な生活。
そんな人生を覚悟していたミリアにとって、サリーの言葉は救いの言葉になる。
ーーそんな風に思っていいんだ。
心の中で何かが弾けたように感じ、ポロポロと涙が頬をつたう。
サリーは彼女をギュと抱きしめる。
背中を摩ってあげると、彼女は肩を上下しながら大泣きする。
彼女の泣き声に、クロノは心配そうに見つめる。
「いたいの?」
悲しそうな泣き声に、もらい泣きしてしまいそうだ。
ミリアの服を小さい手で掴み、サリーに返答を求めている。
「大丈夫だよ。ミリアちゃんは、痛くて泣いてるわけじゃないから。元気元気!」
「そっか!」
戯けるように喋ると、クロノの表情は晴れやかになり笑顔を見せた。
その言葉を聞いてミリアも涙を拭った。
これ以上心配させないように、クロノへと笑顔を見せる。
「痛くないよ。大丈夫。心配かけちゃったね。ごめんごめん」
瞳は涙で濡れていたが、クロノの頭を優しく撫でた。
そして、今のやり取りは、露店が立ち並ぶ通りで行われていた。
人の往来が激しいにしても、皆の注目を集めていた。
ましてや見かけることの少ない人間の女性。
その関心度は高かった。
「何かしらねぇけどよ。これ食って元気出せ」
「俺もよくわかんねぇけど、これ持っていきな」
「あたしんとこの果物も美味しいよ。ホレ」
露店主達が売り物を手に近づいてくる。
あどけなさが残る少女が、悲しそうにポロポロと涙を流す姿に絆されていた。
何とか元気付けたい。
そんな気持ちで野菜や魚、果物などを手渡して来たのだ。
「え?あ、あの。そんな」
ミリアが戸惑うのも当然だろう。
アタフタしていると、貰い物で両手が塞がる様になる。
そうこうしている内に、いくつかの服を携えた女性が近づいてくる。
「このサイズが合うだろうね。似合うと思うよ?ホラ!」
話を聞いていた洋服を取り扱う露店主だった。
彼女からは緑の葉っぱの刺繍が特徴的なワンピースなど、数点が贈られる始末。
「え?い、いいのですか?」
「サリーが居るって事は、ディーバの知り合いなんだろう?あの子には、お世話になってるからね。持って行き」
「ありがとうございます」
お礼を言いながら、ミリアは思った。
ーーディーバさんのお陰なのね。
ミリアが感じた事は間違いではない。
サリーの姿を見て、ディーバの為にと行動した人は多かった。
たがどちらにせよ、ミリアが感動していたのに変わりはない。
あまりの混雑ぶりに、クロノは縮こまっていた。
人が波の様に押し寄せてくるのが怖かったのだが、ミリアが嬉しそうに笑う姿に、怖がる必要がないと知る。
そしてお祭りのような騒ぎに誘われ、次第に明るく楽しそうに笑った。
両手で抱え切れないほどの量になると、お祭り騒ぎはひと段落を迎える。
「こ、こんなにいいんですか?みなさん」
そんなミリアに店主達は口々に言う。
「困った時は助け合い、だろ?」
ミリアは満面の笑みで応えた。
ーー私も誰かが困っていたら、手を差し伸べよう。
彼らのような素敵な人になりたい、そう思う瞬間だった。
ミリアとクロノは、特に用意する物もない。
サリーの準備が整うまで、椅子へ腰掛け待機する事にした。
クロノは部屋の中をキョロキョロと見回している。
「何か探しているの?」
尋ねたが、クロノは首を横に振った。
そして視線をこちらに移すと、質問を一つ投げかけてきた。
「なんでここは、暗くないの?」
暗闇しか知らないクロノにとって、一番聞きたい事だった。
なぜ明るいのか疑問だったのだ。
あまり聞き慣れない質問に対して、どう答えたら良いか少し悩む。
ーーなんて答えたらいいかな。
考えを巡らしている内に、窓辺から差し込む朝日が目に入る。
「クロノ、こっちにおいで」
ミリアは席を立ち、クロノを窓辺に誘った。
窓から外を見る。
この家が高台に建てられているのが分かる。
なぜなら眼下に広がる大きな街が、ここからよく見えからだ。
先程サリーが言っていた街は、想像していたより大きい街だった。
ーー綺麗な街並み。
屋根が赤色に統一されている。
ミリアは本来の目的を忘れて見惚れてしまった。
「どうしたの?」
声をかけられ、ハッとする。
ーーいけない。私ったら。
傍らにいるクロノに視線を落とす。
クロノは急に動かなくなったミリアを見て、怪訝そうな顔をしている。
「ごめんね。ほら、上を見て。あんまりジッと見たらダメだよ」
そうやって太陽を指し示した。
クロノは指の先にある光を、目を細めながら見た。
「チカチカするね」
眩しさに、シバシバと瞬きを繰り返す。
「あの光があるから、明るいんだよ。それでね、夜になると、あの光は隠れちゃうの」
「隠れちゃうの?」
「そう。いっぱい輝いて頑張ったら疲れちゃうでしょう?だから、お休みさせてあげないとね」
「そうだね!」
クロノは楽しそうにする。
そんな姿に微笑みながら、ミリアは説明を続けた。
「太陽がお休みの間は、『夜』って言って暗くなっちゃうの」
「そうなんだ」
暗闇が怖いクロノは、残念そうに肩を落とす。
「でもね、お休みが終わったら、また明るくしてくれるの。ずっと暗いままって事は、もう無いんだよ?誰もクロノの事を閉じ込めたりしないから、ね?」
クロノのトラウマを和らげる為にも、そう言った。
クロノは考える。
そう簡単には払拭出来ることではない。
長年積もり積もった感情なのだから当然だろう。
だが、ミリアの言葉だ。
自分を暗闇から救い出してくれた事を理解しているクロノは、彼女を無条件で信頼している。
彼女が言うならそうなのだろう、と納得した。
「わかった!」
クロノは大きな声で返事をした。
クロノが元気良く返事をした所で、サリーが部屋から出てきた。
「あら?何のお話かしら~?」
戯けるような仕草をしながら、クロノを捕まえようと近づく。
「キャァ!」
奇声を上げ楽しそうに逃げ回るクロノ。
実に子供らしい行動だ。
クロノは捕まると、そのままサリーの腕に抱かれた。
「それじゃあ、行きましょうか」
彼女に促されて、ミリアも外に出た。
高台に吹く風がミリアの髪を撫でる。
サリーの家は、小高い丘の上に建てられていた。
見下ろす大きな街も、さほど遠くない。
歩いて十分程だろうか。
高台ということもあり、街を一望することができる。
「いい眺めですねぇ」
「そうだろう?この家を購入した理由の一つが、この景色さ」
サリーは自慢げだ。
これだけの眺望が拝めるなら納得だ。
しかし、購入した理由が他にもありそうな言い分だ。
それが少し引っ掛かかるが、今は綺麗な街並みを堪能した。
クロノがサリーの顔を見て喋る。
「何で全部、同じ色なの?」
景観を作り出す赤い屋根の色。
それらが何故統一されているのか、クロノは疑問を持っていた。
「何でだろうねぇ?ずっと昔から、この色に決められているみたいだけど。分からないわ、ごめんね」
他所から引っ越してきたサリーにもわからなかった。
知っているのは、この街の歴史が何百年と古いこと。
そして、昔から赤色で統一されている事。
ーー今度、族長の誰かに会ったら聞いておいてあげよう。
サリーは、そう思った。
明確な答えが返って来ず、クロノはキョトンとする。
しかし、固執することはなかった。
視界に入る目新しい物が多かったからだ。
色々な物に興味を持ち、質問は途切れる事はない。
そのうち、自ら触れたくなったのか、サリーの元をスルスルと降りた。
空の色や雲の事、草花や木々、建物などに触れながら聞いてくる。
知りたいものが沢山あって、興奮しているのが良くわかった。
その姿にミリアは思う。
ーー何も知らないんだ。あの泉の中の記憶しかないのかな。あの場所で生まれたの?でもそれは考え難いかな。
彼に記憶がない為、確かめようのない事柄。
それでもなお、クロノの生い立ちが気になった。
クロノは無邪気に草花を触っている。
そして、思い出したかの様にミリアと手元に戻ってくる。
純真無垢なその子の手を握り、横並びで一緒に歩いた。
街に入ると、人の多さに圧倒される。
露店の立ち並ぶ通りは、買い物客でごった返している。
ミリアは人混みの凄さに気後れをしてしまう。
ーーこんなにたくさん密集しているのは見た事ないわ。
そんな彼女の後ろで、クロノはワンピースに掴まり密着する。
「す、すごい人ですね」
ミリアが街を見回しながら歩く様子を見て、サリーが説明する。
「この街は、獣人の国でも一番大きい街でね。『ナイタス』って名の街で、この国の中枢なのさ。人間の国と貿易をする為にも、重要な街として発展してきたんだよ。だからここには、いろんな物資と人が集まるのさ」
その言葉通り、辺りを見渡すと、見たことのない鉱石や、食料品、日用雑貨などがあちらこちらで売り買いされている。
それらに携わる商人達の熱気が、この街の活気を作り出しているように見えた。
「ほら、見えてきた。あの大きな建物が運び屋の仕事場なのさ」
賑やかな街を歩く中、サリーが指差した。
一際大きな木造の建物が見える。
辺りは二階建ての建物が多い中、その建物は四階建てになっており、良く目立つ。
近づくとその大きさがよくわかり、見上げる程だ。
その建物についた木彫の大きなドアを開けて、サリーは二人を促し建物に入った。
とても広い空間に、木枠の箱や、何かが目一杯詰められた麻袋などが、あちらこちらに山積みされている。
広い空間の奥には、荷車を通すための大きな出入り口があった。
その手前で男達が、荷車に積み込みを行い忙しそうに動いている。
サリーは二人を連れて、積み込み作業をしている一人の男性に近づいて行く。
「カリム。ディーバは、いるかい?」
その声に反応して男性が振り向く。
「あ、サリーさんどうも。アニキなら護送で出てますよ。今日は戻ってこないかもしれませんね。そちらの二人は?」
ミリアの顔を見て思い出したのか、驚きの表情を見せる。
「良かった、歩けるくらい元気になったんですね」
「え?えぇ」
自分の事を知っているみたいだが、会ったことがない。
ーー誰だろう?知らない人だけど。
困惑の表情をしていると、サリーが話し出す。
「ミリアちゃんが魔獣に襲われた時に、この子も手助けしたんだよ」
「そ、そうだったんですね!助けていただきありがとうございました。私ミリアと申します。この子はクロノです」
紹介されたクロノは、ミリアの後ろに隠れながら小さくお辞儀する。
「私はカリムと言います。この子も無事でよかった。あれだけ冷たかったから、助からないと思ってましたよ。本当に良かったですね」
二人の無事を、彼は素直に喜んでいた。
丁寧な話ぶりに、彼の礼儀正しさが見てとれる。
彼はサリーに視線を移す。
「それで?どうしてここに?サリーさんがここに来るの珍しいですね。というかアニキが来て欲しくないだけか」
カリムは含み笑いしながら、そう言った。
サリーはここで、ミリアを連れてきた理由を、初めて明らかにする。
「ミリアちゃんなんだけど、ここで雇って欲しいの。ほら、ここ誰も掃除しないでしょう?男ばっかりだし。だから掃除係で、お仕事を紹介しようと思ってね」
雇って貰うとはどういう事なんだろう、とミリアが思っている時、痛い所を突かれたとばかりに、頭を掻きながらカリムは苦笑いをした。
「はは、確かに誰も掃除しないですからね。そうゆうことなら、二階にいる、『キシム』様にお話したらいいですよ。サリーさんの言うことなら、断ることもないでしょうし」
「そう?なら、ちょっと二階上がるわね」
「どうぞ」
そうして、サリーは階段を目指してスタスタと歩いて行く。
とりあえず付いていくしかなく、思考を巡らしながら後を追う。
ーーお手伝いと話していたが、雇うとはどうゆうことなんだろう。
そんな疑問を他所に、サリーは階段を上り始める。
何も言わないサリー。
ミリアも黙って階段を上った。
慣れた様子で、一つの部屋を目指すサリー。
軽くノックをすると、部屋に入って行く。
部屋の中には、仕立ての良いスーツを纏い、落ち着いた雰囲気を持つ獣人の男性が、机に向かい書類作業をしていた。
サリーと同じ狼族のようだが、人間に近い容姿をする半獣人だ。
獣人のディーバに比べると、体の線が細くてスーツが似合っている。
彼は部屋に入って来た人物を一瞥すると、驚いた様子で口を開いた。
「これはサリーさん、ここに来るのは珍しいですね」
珍しい訪問者に、仕事をする手を止めて三人を見る。
「ディーバなら今日は護送に出てもらってますのでいませんが、そちらの方は?」
サリーに問いかけ、ミリアとクロノに視線を移した。
「キシムちゃん、紹介するわ。この子はミリアちゃん。それでこっちがクロノちゃん」
それぞれに手の平を向けて、サリーが二人を紹介するのに合わせて、ミリアはお辞儀をした。
それを受けて、彼は自己紹介をする。
「初めまして。キシムと申します。この運び屋で、代表を務めています。お見知りおきを」
とても丁寧な口調だ。
代表を務めているだけ慣れているのだろう。
彼は緑色の瞳を輝かせて、二人をじっくり眺める。
「人間のお嬢さんとは珍しいですね。それで?どういったご用件ですか、サリーさん?」
彼は視線をサリーに戻すと、用件を伺った。
「ミリアちゃん達を雇って欲しいのさ。ほら、今クレスタとの国境周辺は、魔獣が沢山いて通れないんだろう?国に帰ることが出来ないし、帰るにも路銀がいるからね」
突如訪ねて来て、急にそんなことを言っても、彼が困るだけじゃないかとミリアは心配した。
だが、それは杞憂に終わる。
キシムは了承の意味を込めて軽く頷く。
「なるほど、わかりました。サリーさんの頼みなら、喜んでお受けします。しかし、力仕事は向いてなさそうですね?」
ミリアが女性なのを見てとると、彼は疑問符を付けた。
それにサリーの眉は吊り上がる。
「女の子に、そんな事させる気かい?力仕事じゃなくて、お掃除係で雇ってちょうだい。ここの男連中は、片付けをしないから散らかって汚いんだ。少しは掃除しな!」
サリーは右手の人差し指を向け、彼に説教をする様に言った。
それを受け、キシムはバツが悪そうに頭を掻いて苦笑いをする。
「それを言われたら言い返せませんね。わかりました、掃除係として雇いましょう。そうですね。お給金は、一日銀貨五枚でどうでしょう」
「ん、まぁそんなもんだろう。それでいいかい?ミリアちゃん」
急に話題を振られ、ミリアは戸惑う。
この短時間で、よくわからない間に雇用契約が決まったようだ。
有無を挟む余地もなく、ミリアは頷く事しか出来ない。
冷静に考えると、サリーの言う通りだ。
クレスタへ帰るにしても、お金が要る。
そのお金を稼ぐには働くしかないが、伝手など何もない。
彼女がそこまで考えていてくれたことに、ミリアは驚きと共に、感謝の念を抱いた。
「じゃあ、決まりね!明日から働けると思うから、よろしく頼むね。あ、あとクロノちゃんも、たぶん一緒について来るから大目に見てやってね」
「その子もついて来るんですか?まぁ掃除だからいいですが、ケガのないように注意してくださいね」
サリーの圧力に、キシムは言いなりだった。
小さい男の子が付いてくることに関しては、少し呆れ顔する。
だが、あっさりと了承していた。
「では、明日またここに来てください。色々準備しておきますので」
ミリアは呆気に取られていた。
突然こちらで働く事になったからだ。
そんな立場なのに、挨拶をしていないことに気付く。
ミリアは慌てて挨拶を口にした。
「私、ミリア・グランデールと申します。雇って頂き、ありがとうございます。お掃除頑張ります」
「ええ、明日からよろしくお願いしますね」
ミリアの自己紹介を、にこやかな笑顔で受けると、彼は再び書類に視線を落とした。
良く見ると、机の上には書類が何十枚も重なっている。
代表というだけあって忙しそうだ。
「では、また明日。失礼します」
別れの挨拶をして、ミリアはお辞儀をした。
ミリアの後ろに隠れていたクロノも、彼女の真似をして、小さくお辞儀をする。
視界の端でそれを捉えたキシムは、クロノに軽く手を振って応えた。
三人が出ていき部屋の扉が閉まると、彼は仕事の手を休めた。
椅子に深く腰掛け、口元に手を当て、物思いにふける。
記憶を辿っているのか、視線を俯き加減にする。
そして、溜息を一つ溢した。
「グランデール、か」
意味深げに言葉を漏らすと、窓から空を見上げた。
階段を降りながら、ミリアはお礼を言う。
「サリーさん、ありがとうございました」
「いいのよ、これからお金も必要になるだろうし。それにここの連中は、ホントに掃除なんかしないから、丁度いいのさ」
サリーは手をヒラヒラ振りながら、朗らかに答える。
しかしながら、この運び屋と言う組織において、サリーの発言権は強い。
代表のキシムとなぜ対等に話せるのか、ミリアは疑問に思っていた。
「キシムさんとは、どういった関係なんですか?」
サリーは手振りを交えて応える。
「あの子が、こんな小さい頃から知っててね。ディーバの幼なじみなのさ。この運び屋も、あの子と息子が始めた事業だからね。おばさんでも、多少の融通は効くのさ」
含み笑いをしながら、少し悪い顔をする。
なるほどと思うや、サリーの顔が可笑しくて笑いそうになる。
しかし笑いを堪え、真面目にお礼を述べる。
「ありがとうございました。明日から頑張って働きます」
それを見ていたクロノも、サリーに宣言する。
「クロノもがんばる」
内容など分かっていないが、ミリアの真似をしたかった。
その姿にサリーは恍惚の表情を見せる。
「もぅ、クロノちゃんは可愛いわねぇ」
そんな和やかな雰囲気のまま、運び屋を後にした。
建物を出ると、サリーが問いかける。
「ついでに、買い物をしてもいいかしら?」
「もちろんです。何を買いに行くんですか?」
ミリアは食材の買い足しだろうと思った。
クロノがまだ幼いとはいえ、二人分増えたのだから、その分買い足さなければ足りない。
「魚とか野菜との食材と」
予想通りの答えに、ミリアは申し訳なく思っていると、その後の言葉に引っかかる。
「あと、服も買わないといけないね」
「服、ですか?」
ミリアが疑問に思っていると、サリーは理由を述べた。
「そう。ミリアちゃんの着てたローブは、背中を引き裂かれてて直しようがなくてね。新しいの買わないと」
サリーが服の話題に触れた事で、今着ているワンピースが借り物だと思い出す。
「この服、勝手に着てすみません!それに、この服を貸してくださるなら、新しい服を買っていただかなくても大丈夫ですから」
早口で捲し立てるミリア。
落ち着けるように、笑いながらサリーは口を開く。
「それ私のサイズだからブカブカでしょ?ほら、胸元なんて緩々じゃない。急に脱げちゃっても困っちゃうわよ。良い年頃なんだから、小綺麗にしとかなきゃね」
そう言われるが、自分のためにお金を使わせるのが申し訳ない。
見栄えなど気にしなくてもいい。
ミリアは食い下がった。
「この服で大丈夫ですから。サリーさんにこれ以上負担をかけたくないんです。これだけ良くして下さってるだけでも、すごく感謝してるんです。だから」
そう言いながら、涙がこみ上げてくる。
自分に優しくしてくれるサリーの温かみに、言葉が詰まってしまう。
ーーなんだろうね。この子は他人に良くして貰う事に慣れていないんだろうか。
そう思ったサリーは、ミリアにそっと近づき頭を撫でる。
「泣かないの。私がそうしたいんだから、ミリアちゃんは甘えたらいいのよ。みんな一人で生きてはいけないからね。『困った時は助け合い』だよ?」
「でも」
ミリアは他人に優しくされた記憶が極端に少ない。
物心が付いて、すぐに軟禁状態に置かれたからだ。
人の好意に触れる経験が乏しかったからこそ、自分には他人に良くしてもらうほどの価値がないと、思い込んでいた。
だからこそ今回も過敏に反応をし、取り乱してしまう。
彼女の頭を優しく撫でながら、サリーは諭す様にゆっくりと話す。
「いつか私が困っていたら、その時助けてくれたらいい。私じゃなくて他の人でもいい。私が貴方にした様に、いつかできるようになってくれたら、私は嬉しいわ」
自分の娘に生き方を教える様な言葉だった。
ミリアは教会へ追いやられた時に、ずっと一人で生きて行かなければならないと思っていた。
誰にも頼れず、頼られることもない孤独な生活。
そんな人生を覚悟していたミリアにとって、サリーの言葉は救いの言葉になる。
ーーそんな風に思っていいんだ。
心の中で何かが弾けたように感じ、ポロポロと涙が頬をつたう。
サリーは彼女をギュと抱きしめる。
背中を摩ってあげると、彼女は肩を上下しながら大泣きする。
彼女の泣き声に、クロノは心配そうに見つめる。
「いたいの?」
悲しそうな泣き声に、もらい泣きしてしまいそうだ。
ミリアの服を小さい手で掴み、サリーに返答を求めている。
「大丈夫だよ。ミリアちゃんは、痛くて泣いてるわけじゃないから。元気元気!」
「そっか!」
戯けるように喋ると、クロノの表情は晴れやかになり笑顔を見せた。
その言葉を聞いてミリアも涙を拭った。
これ以上心配させないように、クロノへと笑顔を見せる。
「痛くないよ。大丈夫。心配かけちゃったね。ごめんごめん」
瞳は涙で濡れていたが、クロノの頭を優しく撫でた。
そして、今のやり取りは、露店が立ち並ぶ通りで行われていた。
人の往来が激しいにしても、皆の注目を集めていた。
ましてや見かけることの少ない人間の女性。
その関心度は高かった。
「何かしらねぇけどよ。これ食って元気出せ」
「俺もよくわかんねぇけど、これ持っていきな」
「あたしんとこの果物も美味しいよ。ホレ」
露店主達が売り物を手に近づいてくる。
あどけなさが残る少女が、悲しそうにポロポロと涙を流す姿に絆されていた。
何とか元気付けたい。
そんな気持ちで野菜や魚、果物などを手渡して来たのだ。
「え?あ、あの。そんな」
ミリアが戸惑うのも当然だろう。
アタフタしていると、貰い物で両手が塞がる様になる。
そうこうしている内に、いくつかの服を携えた女性が近づいてくる。
「このサイズが合うだろうね。似合うと思うよ?ホラ!」
話を聞いていた洋服を取り扱う露店主だった。
彼女からは緑の葉っぱの刺繍が特徴的なワンピースなど、数点が贈られる始末。
「え?い、いいのですか?」
「サリーが居るって事は、ディーバの知り合いなんだろう?あの子には、お世話になってるからね。持って行き」
「ありがとうございます」
お礼を言いながら、ミリアは思った。
ーーディーバさんのお陰なのね。
ミリアが感じた事は間違いではない。
サリーの姿を見て、ディーバの為にと行動した人は多かった。
たがどちらにせよ、ミリアが感動していたのに変わりはない。
あまりの混雑ぶりに、クロノは縮こまっていた。
人が波の様に押し寄せてくるのが怖かったのだが、ミリアが嬉しそうに笑う姿に、怖がる必要がないと知る。
そしてお祭りのような騒ぎに誘われ、次第に明るく楽しそうに笑った。
両手で抱え切れないほどの量になると、お祭り騒ぎはひと段落を迎える。
「こ、こんなにいいんですか?みなさん」
そんなミリアに店主達は口々に言う。
「困った時は助け合い、だろ?」
ミリアは満面の笑みで応えた。
ーー私も誰かが困っていたら、手を差し伸べよう。
彼らのような素敵な人になりたい、そう思う瞬間だった。
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